第十話「罠にかかったのは」後編
長年自分達を苦しめてきた賊へ、初めてこれだけの大打撃を与えてやれた大戦果に、住民や自警団は大いに沸き立っていたが、その中でもエルシラは魂が震えるほどに喜んでいた。
喜び過ぎて声が出ないほど、かえって冷静に見えるほどに――
「アフギ……こちらの死者は?」
「ありません。軽症者が数名いるのみです」
「城兵達は?」
「同じく、いないようです」
「敵の死者は?」
「死者三十、捕虜十名だそうです」
「…………」
アフギの答えにエルシラはしばし呆然とし、口を開いた。
「信じられん……死者もなしに……しかも、これほどの大打撃を奴らに与えられたのは初めてだ――」
「まことに……信じられぬ大勝利でございます」
そこへライゼンがやってきて馬から降り、エルシラへと歩を進めた。
「らっ……ライゼン殿っ!!」
エルシラはライゼンの姿を見つけた瞬間、飛ぶようにライゼンへと駆け寄りその両手を握った。
「ライゼン殿っ! このエルシラ、トウミの黒エルフを代表して心より感謝申し上げる!!」
「エルシラ様……っ」
「はっ、これはし……」
エルシラは敵の血で汚れた手でライゼンの光聖衣の一部である手袋に触れ汚してしまっていることをアフギに咎められて気付き、すぐに離そうとした手をライゼンは握り返して引き留めた。
「らっ、ライゼン殿……」
「エルシラ殿、礼を言うのはこちらのほうだ。お主ら自警団がいなければ、この勝利はなかった。このライゼン、心より、感謝申し上げる」
「そっ、そんなっ、頭をお上げくだされっ!」
黒エルフであるエルシラに、人間種とはいえ城主であるライゼンが頭を下げる姿に、シゲノの住民達や自警団は皆驚きに目を見張った。
そして頭を上げたライゼンはエルシラの手を握ったまま、呆気にとられている自警団やシゲノの住民達を見て声を上げた。
「トウミの民達よ! 私はトウミ新城主のライゼンである! まず一つ、私はお主達の持つ認識の間違いを正したい! お主達は
エルシラへ顔を向けるライゼン。
「このエルシラを見よ! 若い身空でありながらトウミの民をまとめ、自警団を率い、このように体が、手が、敵兵の血で染まるまで戦い抜いた! 己が命も顧みずに、トウミのために戦った! お主も、お主もだ!」
エルシラの右手で握ったまま、左手で自警団一人一人を指差す。
「誇るのだ! お主らは卑しくなどない! 高潔である! そして民よ! お主らもまた同じく高潔である! 歴代の領主、城主による重税と圧政、そして愛しき娘を人質に取られながらも、賊に生活や命を脅かされながらも、このトウミを離れず、また、税を納め、土地を守ってきた!」
聞き入る領民達を見回しつつライゼンは続ける。
「お主らこそ、この国の宝である! 今、私の
そしてシゲノの住民、そして自警団を見渡し――
「私は領主ではなく城主故、できることに限りはある! が! 私はここでお主らに約束をしよう! もう二度とあのグンマの賊めらの
「「「――――――」」」
トウミの民達は自警団も含め、皆ライゼンの言葉に心打たれ、涙を流す者もおり、ただ無言のまま一人が額ずき、続くように皆が額ずいた。
卑賤民である自分達を宝と呼んでくれたこと、その証拠に、エルシラに頭を下げ、城主でありながら自ら剣を持ち、その身を危険に晒してまで賊と戦い、自分達を守ってくれたこと。
今までこれほど自分達黒エルフを思ってくれた城主、領主はいなかった。と、感動に、誰も言葉が出なかったのだ――
「立つのだ、皆、頭を上げよ。私は城へと戻るが、トウミ城の城門はいつでも空いている。陳情したきことあれば、いつでも参るがよい。エルシラ殿――」
「はっ……はっ!」
その演説に我を失うほど心打たれていたエルシラはその言葉で目が覚めたように、まるでライゼンの臣下の如く返事をした。
「その捕虜共を如何するつもりか?」
ライゼンが銀星号に乗りながら指差した先には、縄に縛られた十人の盗賊団捕虜の姿があった。
「……ライゼン殿、この者らは我らが農作物、家畜、金目の物を盗み、家に火をつけ、女を犯し、子供を拐い、老人や男達を殺してきた。首を跳ねるだけでは到底許せませぬ……」
エルシラはライゼンの顔色を窺うようにそう答えた。
「法により私刑は認められぬ」
その言葉にやはりダメか。と、本来ならたてついてでもこの賊共に制裁を与えようとするエルシラであったが、自身でも気付かぬうちにこの場にいる他の者達と同じように、すっかりライゼンへ心酔していたために、捕虜をライゼンへ渡そうと口を開きかけた。が――
「故に――」
ライゼンが先に口を開き、馬首を返し背を向け――
「見なかったこととする」
「ライゼン殿……っ」
「よいなレイナルド、そして今宵の
「「「はっ!!」」」
レイナルドもその城兵達もすっかりライゼンに心酔していた。
そうしてライゼン達が去った後、残されたエルシラは惚けるように前を向いたまま、口を開いた。
「私は幼い頃から、このトウミの黒エルフ総氏族長の娘として、人の上に立つ者とさして育ってきた……」
「そうですね」
エルシラ一族を補佐する家系に生まれ、幼い頃からエルシラを補佐し、苦楽を共にしてきたアフギがそう応えた。
「誰かに仕えたいと思ったのは……これが初めてだ――」
「はい……そのお気持ち、よくわかります――」
二人は去っていくライゼン達を眺めながら、ライゼンに続く城兵達を、ある種羨望の眼差しで見つめた。
――
――――
――――――
「レイナルドよ、一つ頼まれてはくれぬか?」
帰りの道すがら、私は横に並ぶレイナルドへ声をかけた。
「はっ! なんなりと!」
「私の部屋の窓という窓を、昼でも一切陽の光が入らぬよう、厳重に板でも打ち付けておいてくれ。でなくば、私は満足に着替えることも、食事を取ることもできぬ」
「承知いたしました!」
そうしてライゼン一行も、誰一人欠けることなく城へと帰還した――
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