第22話

* 千代田区の国営放送局


 夜の7寺半頃、大分寺孝介氏が十勝川キャップを訪ねてきた。

「こんばんわ、大分寺さん。議員の所からの帰りですか?」

「はい、あれから、1時間ほど話しました」

「議員はなんと?」

大分寺氏はカバンからメモ用紙を取り出してテーブルに置く。

「この内容で報道させても良い。と言いました」

「ちっと拝見」そう言って十勝川はメモを読む。

数分の間があって顔をあげる。

「確かに前よりは前進かもしれないが、逃げのようにも取れる」

そこにはこう書いてあった。

「ヒントに関して田鹿浦宝蔵自身関係は無いと思っている。しかし、自分の気のつかないところで、何か誤解を与えるということはままあることだ。犯人はヒントごとに、何を捉えて、田鹿浦の悪事と言っているのか明確にする必要がある。それは日時を決めて直接会ってもいいし、手紙やネット上でのやり取りでも構わない。

 とにかく、無関係な人間の殺戮は間違っている。仮に田鹿浦が悪事をしていたとしても、それは直接私を狙えば良いだけの話だ。

 誘拐した大分寺葵さんはまだハタチの学生さんだ。未来がある。彼女を解放した上で話そうじゃないか。田鹿浦宝蔵」

「これで、孫は返されるでしょうか?」

「ちょっと警察とも相談しましょう。今連絡取りますから」

十勝川は警視庁の万十川課長に電話を入れ、部下に課長のところへFAXを流すよう指示する。


 15分後、万十川課長から電話がはいる。

「はい、十勝川です。どうですか?」

「本人がこう言うんだから、やるしかないだろう。ただ、期待はできんぞ。こんなんで犯行を中止するくらいなら、端からやらんだろう、と俺は思うぞ」予想外に厳しい課長の意見だった。

「課長!あまりガッカリさせないでくれますか。こっちは藁をも掴む心境だと言うことを忘れないで下さいよ」十勝川はちょっとイラッときてきつい言いようになってしまった。

「だから、期待させないんだ。後で可哀想な事になる。万一うまく行ったら喜びは大きいだろう!俺たちだって、お前らとおんなじ気持ちだってことだ!」

十勝川は課長の気持ちを聞いてほっとした。「ふふ、了解です、ありがとうございました。では、流します」

電話を切って大分寺氏の方へ向き直り、親指を立てる。


 9寺からのニュースの冒頭でそれをそのまま読ませた。きっと葵さんを返して下さい、とアナウンサーが何度も繰り返し頭を下げたのが印象的だった。


* 東京湾


 6月29日水曜日。東京湾上を旋回しているヘリから、湾の真ん中に手漕ぎボートが浮いているとの報告が警視庁の万十川課長に入った。午後5時。指定時刻の30分前だ。100名を超える捜査官が距離を空けながら千葉から横浜までの海岸線を監視している。海上保安庁の巡視艇も加わっている。水中にもスクーターを持たせた捜査員が数名、ボート付近の海中を監視している。その捜査員の報告ではボートから海底まで二十五メートルのアンカーが打たれていた。海上保安庁からの情報では、横浜と木更津の中間地点よりやや東側で中ノ瀬と呼ばれている浅瀬のあるあたりで、大型船の航路の少し西側にボートがあると言う。船舶との衝突を避けるためのぎりぎりラインという事らしい。

 身代金は木更津港近くの木更津ヨットハーバーから田鹿浦議員所有のクルザーで運ぶことになっている。操縦士は田鹿浦の運転手が兼務していて大分寺氏と二人でボートまで持ってゆく予定になっている。

 1億円の入ったバッグ二つには防水加工されたGPSが装着されている。今度こそ逃すことは許されない、と万十川はキツく自分を追い込んでいる。

 刑事2名が身代金をクルーザーで待機していた大分寺氏に渡した。そして少し離れた持ち場に付く。


 10分前、クルーザーが沖へ出てゆく。海岸線の刑事らの監視の目が集中する。万十川は横浜の南本牧埠頭の先端まで車で行き、双眼鏡を覗きながら、ヘリからの映像も見ている。

 指定時刻の数分前、バッグを置いたと報告が入った。

 5時台は大型船の往来が1日の中でも一番多い時間帯で、ボートと衝突しないのかも心配している。保安庁はわずかに航路を外しているので衝突は無いと言っている。

それでも大型船の波でボートは大きく揺れて、ボートの縁が海面に接するくらいにはなるから、海水がボートの中に入り込んでいるのは間違いない。

 しかし、クルーザーを使う以外の方法で、どうやって身代金を奪取するつもりなのか万十川には想像できなかった。


 指定時刻が過ぎた。犯人はなかなか現れない。ヘリからも保安庁からも不審船を発見したという報告はない。海中の捜査員も異常はないという。


 じりじりとして待っている。万十川の掌は汗でぐっしょりだ。

1時間が過ぎた。課長の心に何か不吉な予感みたいなものが湧き上がって、だんだん大きくなってきた。

1時間半が過ぎた。ヘリも保安庁も海中も異常は無いという。

これは異常だと万十川は判断し、バッグの中身を確認するように、海中の捜査員に命じる。

一人がボートを支え、もう一人がボートに乗った。

「課長!身代金が有りません!ぐちゃぐちゃの新聞紙と身代金を受け取りました。とメモが入っています!それと、漬物用の重石が」

万十川は真っ青。「GPSはどうした?」と叫ぶ。

「ボートの位置です!」

「何!中身だけ取られたのか?」

「それしか考えられません!」

「誰が!どうやって!」

万十川は怒鳴ることしかできなかった。

「誰もボートに近付いていないのに、何故?」と叫んで、はっと気がつく。

「大分寺氏はどうした?誰かと一緒か?クルーザーは?」万十川が叫ぶ。

「元の位置に着岸してます」

「中を確認しろ!」

5分ほど間があって。

「課長!操縦士と二人共倒れてます!救急車手配願います」


 午後8時警察病院で二人は意識を取り戻した。

早速、万十川が質問する。

「どうした?何があった?」

操縦士が応じる。

「バッグをコックピットにおいて出航準備をしていたら、ドタっと大分寺氏が倒れて、そばに中年女性が「どうしました?大丈夫ですか?」と介抱していたみたいなんで、そばに行って、大分寺さん、と声をかけたんです。岸壁から人が倒れるのが見えたので来ました。そう言って女性は立ち上がったんです。歳だから緊張で具合悪くしたかなと思って、課長さんに電話しようとしたら、後ろから薬嗅がされて気を失いました」

「その女性がやったという事か?」

「そばには他に人いませんでしたから、そうだと思います」

「大分寺さんは何か覚えていますか?」

「いやー確か、今日はと声をかけられて、ちょっと聞きたいことあって、と言うんでクルーザーを探しているのかなと思って、船に乗せたんです。そしたら、あれ何!って指差すんで、見たら薬嗅がされて、後は記憶ありません」

「くっそー、そこを狙われたかー、で、人相は?」

「中肉中背丸顔。品のある女性で、顎の右下に大きな黒子が確か・・」

「そ、そうです。僕も見ました、黒子。高そうなワンピースに帽子、靴はちょっと覚えてないなあ」


 万十川は身代金はクルーザーから奪取された、とすると、付近の監視カメラに車が写ってるかもしれない。そう考えて捜査員にそれを指示した。既に描かれていた大川原沖子の似顔絵を病院へ持って来させる。


 30分後、持ってきた似顔絵を大分寺氏と操縦士の二人に見せる。

「そうそう、こんな顔」そう言ったのは大分寺氏。操縦士も頷いている。

「捜査本部へその旨伝えて指名手配だ!大川原沖子!」

 数拍して万十川に電話が入る。

「一台のワンボックスがその時間東京方面に走り去るのが確認できました。ナンバー「横浜33み917」です。手配します。

 万十川は車さえわかれば、後は時間の問題だとほくそ笑んでいると、また電話が入る。

「運輸局に確認したらその番号は登録されていませんでした。偽装です」

「くそー、運転手の顔は?」

「分かりません。サングラス、帽子、マスクをしていました。それと、その車は午後1時に1キロほど離れたコンビニ前を通過しています。」

「それだけ早くきて、我々の動きを監視していたと言うことか」

「わかった。ありがとう」

 万十川は挫折感一杯で捜査本部に戻った。

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