第16話

* 国会議事堂前


 5月29日水曜日、議会などはすべて中止され、警察だけがうろちょろしている。十勝川は正面に向かう道路の100メートルほど離れた道路沿いにワンボックスを停めさせた。ここからだと議事堂の正面の歩道が見えていて、身代金の入ったバッグが置かれても見える位置だと判断した。議事堂に沿って走る道路の双方向にも距離を空けてワンボックスを停め、時刻になったらカメラを回すことにしている。

 上空には警察のヘリが数機飛んでいる。報道のヘリは遠くに見えている。地上には一眼でわかる警官やスーツ姿の刑事など数十名はいそうだ。

午前11時50分。正門前に停められた車からバッグを持った秘書が降りて門をくぐってゆく。

 付近の道路は閉鎖されていて静かだ。

秘書がバッグを置いて車に戻り、そのまま立ち去った。

さあ、どっから来る。空か?歩道をバイクで来るか?

 時刻だ。十勝川は時計を睨んでいた。突然ブオーっと大きな音がして付近のあちこちのマンホールから煙が立ち上る。瞬く間に見通しが利かなくなる。

「バッグだー」

「犯人を確保ーっ!」

十勝川にも飛び交う怒号が聞こえる。やられたか?

5分くらいで煙が徐々に晴れてゆく。

バッグが見えてきた。

奪取されていない。いや、中身だ。中身は?と思った時には捜査官が駆け寄って、ファスナーを開いている。

大丈夫だったようだ、叫びながらそう仕草で示している。

「ヘリ!付近に現場から逃げる車はいないか?」十勝川は何故現金が残っていたのか疑問だった。犯人が失敗したのか?

「はい、そういう車は見当たりません」そう回答がきた。

十勝川もカメラマンを引き連れて正門まで駆け寄る。

「くそー、小賢しい犯人だ」十勝川は犯人の真意がまだわかっていなかった。

「これで、終わりなんでしょうか?」

高瀬の疑問に「今は、ね。多分。帰ろ」

十勝川はそう言いながら、なんだったのか納得できなかった。


* 千代田区の国営放送局


 結局、煙幕だけだった。十勝川は犯人の意図がわからなかった。席に座ると、封書が置かれていた。送り主は?と見ると山田太郎だ。犯人だ。急いで開ける。

また、メモ用紙が一枚出てきた。

「田鹿浦は身代金を払う気は無いようだ。仕方がない、誰かに死んでもらおう」と書かれていた。

慌てた。今回の身代金は田鹿浦と警察の出方を見るためだけの脅迫だったんだ、と犯人の真意を初めて理解した。そう確信して警視庁の万十川課長に電話をいれ、メモの内容を話した。

課長もショックを受けたようだ。

「誰かを殺すって、名前は書いてないのか?」

「はい、有りません。犯人にやられました。いつも、考えることが、先へ行ってます。無関係の誰かが誘拐されるってことじゃないでしょうか?」

「くっそー、どうすりゃ良いんだ!。一応それ持ってきてくれ」

十勝川はコピーして、岡引探偵にも送った。そして局を出て、警視庁へ向かう。足が重たい。雲一つない青空が憎たらしい。


* 日立市の老人ホーム


 5月28日火曜日、丘頭警部は佐藤刑事に運転させて日立市にいる金山真一の母親に会いに来ていた。

 首都高から常陸自動車道を通り国道6号線に出る、2時間半を超える長距離ドライブになった。

 市役所の手前から左折し高台にある老人ホームが目的地だ。80代の高齢だと聞いてきた。

午後の1時半に着いた。

インターホンを鳴らして東京の警察だと名乗る。

面談室に現れた老女は、60代と紛うような出立ちですすっと歩いて現れた。おしゃれなワンピースを着ている。

挨拶もそこそこに「亡くなった息子さんの事で伺いましたの」と丘頭が話しかけると「そ、どんな事を聞きたいのかしら?」反応が速い、言葉もしっかりしていて、本当に80を超えているのか疑いたくなる。

「原因をどう聞いていらっしゃるのかと思いまして」

「どうしてそう思ったの?」

優しい物言いだが、厳しそうだと丘頭は思った。

「最近、田鹿浦議員に関わる事件なんですが、無垢の女性が誘拐されて、身代金と議員の悪事を暴けという脅迫がありまして・・」

そこまで言うと母親が喋り始める。

「そう、テレビで息子の名が出たので、世の中には物事をきちんとみている人もいるんだなあと思いましたよ」

「前回捜査員がきた時には、息子さんのことをあまり話したそうには見えなかったと聞いてきたのですが?」

「良い思い出じゃないからね。でも、こうやって何回も来るってことは真剣なのかなって思って、少し話してもいいかなと思ってね」

「ありがとうございます。それで自殺の原因についてなんですが・・」そう言って母親を見つめていると「あれは、いじめだったのさ。親の私が気づいてあげられなかったのが原因さ。私の責任なのさ。今更だけどさ」

そう言うお母さんは悲しげに窓の外に目をやる。

「いじめの相手は?」

「そりゃあ、議員に決まってるじゃないか。そうじゃなきゃ、殺人までして、悪事を暴けなんか言うはずない。あんたもそう、思っとるんじゃろ?」

「はい、ただ証拠が何一つないし、学校が認めません」

「んじゃろな、世の中そんなもんじゃ」

「お母さんそれで良いんですか?」

「言い訳ないじゃろ!」お母さんの語気が強くなってきた。

「教えて下さい。その事を知ってる人、他にいじめに加わったひと、何でも良いです。その事に、今、無関係なお嬢さんの命がかかってるんです」丘頭は自分の気持ちを何とか伝えたいと必死になっていた。

「あんた、随分と熱い人じゃな」

「それが刑事です。私の仲間は、皆、必死なんです!」

丘頭は自分の声がうわずってきたのを、抑えきれなくなってきたと自分で感じている。

お母さんがにこりとして、自分のバッグを開ける。

「これ役に立ててくれるか?」そう言ってテーブルに数冊のノートを置いた。

「見て良いですか?」

頷いて「良いよ。しっかり見て」と言う。

丘頭はノートを掴んで、同行した佐藤刑事にも一冊渡して、開いて読む。

「これ、息子さんの日記ですね?」

「そう、毎日ではないけど、少なくとも週一では書いていたようね」

隣の佐藤刑事が小さく叫ぶ。

「警部!いじめだ。いじめが書いてある。金をせびられた。また、都地川と田鹿浦だ。もういやだ。・・・警部実名が入ってます」

佐藤刑事が「これ重要な証拠になる」と興奮して声が大きくなる。丘頭は人差し指を唇に立てて「しっ!」とたしなめる。

佐藤は首をすくめ、頭を掻く。

丘頭は母親に柔らかい眼差しを向ける。「お母さん、どうしてこれを今まで?・・」

「田鹿浦の親だよ。頭を下げて、頼むから内密にと言って、金も置いていった。当時、夫の商売が上手くいってなくって、恥ずかしい話さ」そう言って手を固く握り天を仰ぐ。

そんな母親の様子を見て、可哀想に思う気持ちと咎める気持ちが交錯して、哀れみそして自分の中に慈悲の心が芽生えている事に気がつく。

「借りて、よろしいですか?」

「えー、好きに使って。私はもう先がないから、何を言われても構いやしないから。今頃だけど息子の仇取って下さい」

言い終わって、母親はテーブルに両手をついて頭を下げた。

「ありがとうございます。きっと、役に立てます。早速、市内にいる当時の先生に会ってきます」

帰ろうとすると母親から声をかけられた。

「あのー、前にも同じことを聞きにきた女の人いて、日記を見ていったわよ」

「えっ、どんな人です?」丘頭は犯人かと思い訊いたのだった。

「なんか、お金持ちの奥様っぽかった。中肉中背で丸顔かな」それから少し間があって「そうそう、顎の下に大きな黒子あったわねえ。余計な話だったかしら」

「いえいえ、役に立ちます。写真見たら分かりますか?」

「多分」

「それじゃ、手に入ったらまた来ます。ありがとうございました」

玄関まで送りに出た母親の目には沢山の涙が溜まっていた。


 その後、当時の担任教諭は日記を見て、「自分も知ってました。でも、田鹿浦議員が頭を下げに自宅まで来て、金も積まれて、恥ずかしい限りです。あの事があった2年後教員を辞めました。妻に情けないと叩かれまして、子供にどう説明するのよって、泣かれて。遅かりし、自身の決着をつけました」

「そうでしたか、じゃあ、今、その先生が知っていた事実を書いて下さい。そして明日私にメールで送って下さい。」

そう言って名刺を渡す。

頷く先生。

これで、やっと悪事がひとつ暴かれた。



 帰りの車の中で佐藤刑事が話しかけてくる。

「警部、やりましたね」

「これで、やつが自供すれば良いんだけどね」

「そこですね」佐藤も首を捻る。

「そういえば、さっきの母さん途中から訛ってたな。どこの言葉だ?」と丘頭が呟く。

「確かに、そうじゃろか、とか言ってました。どこの方言なんですかね」

「そうねえ、興奮して、思わず出たんでじゃないかしらね」


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