第四十五話「馬車でのひととき」

 次の日の昼。

 僕はスナイデル団長の依頼を達成するべく、ライズ王国行きの馬車に乗っていた。

 馬車に乗っているのは僕とハンナと街で雇った御者のおじさんだけ。


 今回は僕とハンナの二人でライズ王国に行くことになった。

 ブラックポイズンとも契約しているマリリンさんはライズ王国に入国できないので、不参加である。


 朝、ホワイトワークスにマリリンさんが盗賊討伐の報酬を受け取りに来た。

 昨日はベアルージュの一件のせいで傷心していたが、一日経って元気を取り戻したようで、いつものマリリンさんに戻っていて安心した。

 そしてマリリンさんにスナイデル団長の依頼について伝えたら、とても驚いていた。

 すぐに「マスターに誰がライズ王国に不法入国してるのか聞いてくるにゃ~~!」とか言ってギルドを飛び出して行ってしまった。


 ブラックポイズンで顔の広いマリリンさんが知らないということは、もしかしたらブラックポイズンの冒険者のうちの誰かが独断で不法入国したのかもしれない。

 だとしてもブラックポイズンに責任があることは間違いなく、ボルディアにはしっかりギルドに所属する冒険者の手綱を握ってもらいたいところである。


 しかし、それと同時にラッキーだとも思っていた。

 なぜなら、ブラックポイズンのおかげでホワイトワークスにチャンスが舞い込んできたという見方もできるからだ。

 不法入国したブラックポイズンの冒険者をビーク王国に連れ帰るだけで、金貨を五十枚ももらえるのだ。

 それだけのお金があれば、今後ホワイトワークスは活動資金に困ることはなくなる。

 騎士団との繋がりを深めるためにも、この依頼は失敗できないので僕は気合が入っていた。



「…………」

「…………」



 しかし馬車の中はというと、僕の気合いとは対照的に沈黙が続いていた。

 車輪が地面と擦れる音だけが永遠と鳴り響き、それ以外の音は何も聞こえない。

 あまりに僕たちが静かなものだから、御者のおじさんが心配そうにチラチラとこちらを見てくるほどである。


 なぜこんなに静かなのかというと、ハンナと二人きりだからだろう。

 ここにマリリンさんがいればこんなに静かになることは無かっただろうが、今の僕とハンナは互いに意識してしまっている。


 何を意識しているかといえば、それは昨日のハンナの告白の件だ。

 昨日、ハンナが僕のことが好きだと分かってから、どうしていいか分からずにハンナをギルドに置いてそのまま騎士団本部に捕まえた盗賊を受け渡しに行った。

 時間を置けば気持ちに整理がつくだろうと考えたのである。

 しかし時間を置いてギルドに戻ってきても、やはりハンナになんて話しかければいいのか分からない。

 あれからハンナとした会話は仕事に関する事務的な連絡のみで、いまだにあの件に触れられずにいた。


 正直、気が気ではなかった。

 隣にハンナが座っているというだけで、心臓がばくばくと鳴ってしまう。

 もはやハンナを直視することすら恥ずかしく、目線をそらし続けてしまっていた。

 こんな状態でまともに会話ができるはずもなく、ただただ無言が続いてしまう。


 一体、僕に告白をした女の子と何を話せばいいというのだろうか。

 何を話すにしても、相手が僕のことが好きだということを意識してしまって、まともに話せる気がしない。


 いや待て。

 そもそも、ハンナは本当に僕のことが好きなのだろうか?

 ハンナはベアルージュが言っていたことが本当だと僕に伝えただけで、僕のことが好きだと明言したわけではない。

 ベアルージュの発言のどれが本当かは言っていないので、もしかしたら僕が早とちりをしてしまっているだけの可能性すらある。


 一体、あのハンナの発言の真意はどこにあるのだろうか。

 ハンナは僕のことをどう思っているのだろうか。

 僕はハンナになんて話しかけるべきなのだろうか。


 などと頭の中で目まぐるしく思考が展開され、混乱の極地に達した時。

 急に僕の左手がぎゅっと握られた。

 驚いてすぐに自分の左手に目を向けると、ハンナが僕の左手を握っていた。

 その白くて細い手から、じわじわとハンナの温もりが僕の左手に伝わってくる。


 僕はなぜ手を握られたのか分からずにハンナの方を見ると、ついにハンナと目が合ってしまった。

 そのまつ毛が長くて、くりっとした大きな目は、僕のことをじっと見つめていた。

 潤んでいるようにも見えるその瞳に、僕は魅了されてしまう。


「嫌……だった?」

 

 ハンナは上目遣いで聞いてくる。

 その頬は赤く染まっていて、こちらも顔が熱くなってくるのを感じる。


「嫌……じゃないよ」


 僕が目線をハンナから逸らしながら言うと、ハンナはニコリと笑った。

 そして、僕の左手に指を絡めるようにしてぎゅっと握る。

 手からじわじわ伝わる温もりが増し、僕の心臓はさらにドクンドクンと跳ね上がる。


 僕は確信した。

 やはりハンナは僕のことが好きなのだろう。

 この前僕に告白をしたからか、行動があからさまになってきている。


 僕はあまりにハンナが積極的なので困惑していた。

 今まで僕は誰かに好意を向けられるという経験をしたことがないため、どうしたらいいのか分からない。

 僕はハンナにどう接するのが正解なのだろうか?


「ねえ、コット」


 僕がどぎまぎしていると、追撃するかのようにハンナは話しかけてきた。


「ど、どうしたの?」


 僕はハンナの方に目線は向けず、身体を硬直させながら口だけ動かして聞き返す。

 すると突然、ハンナは僕の左腕に抱きついてきた。


「え、ちょっ……」


 あまりに突然だったため僕は驚いたが、抵抗はできない。

 僕の左腕はハンナの身体に包まれ、柔らかくて温かい感覚が僕の左腕に伝わってきて僕の脳はショート寸前。


 そんな僕の混乱を無視して、ハンナは僕の左肩に頭を乗せる。


「今回はベアルージュ様が出てくる前に、コットが私を守ってね?」

 

 ハンナのその呟きに、僕ははっとした。

 

 大樹海のときも、盗賊討伐のときも、ハンナに危険な目に合わせてしまった。

 そのせいでベアルージュがハンナの身体に顕現して、ハンナの身体に殺人をさせてしまっている。

 ハンナがそのせいで心を痛めて、涙していたのを知っている。

 今回は絶対にそんなことがあってはならない。


 心なしかハンナの身体が震えている気がする。

 ベアルージュが再び顕現して、自分の身体が勝手に殺人してしまうことを恐れているのだろう。

 それに気づいた僕は、すぐに逸らしていた目をハンナの方に向けた。



「安心して。

 僕がハンナを絶対に守るから!」



 ハンナの綺麗な目を真っすぐ見て僕が言うと、ハンナの顔が綻んだ。


「うん。

 頼りにしてるからね」


 ハンナは嬉しそうにニコリと笑って、再び僕の左腕に先ほどよりも強くぎゅっと抱きついて身体を寄せてくる。


 こんなにハンナと密着したのは初めてだ。

 ハンナの柔らかい身体の感覚や女の子らしい甘い匂いが伝わってきて、ついに僕の脳は何も考えられなくなった。

 手から伝わってくる感覚に脳を支配されながらも、焦点も合わずにただただ前をじっと見る。

 視界に入った御者のおじさんが、こちらをちらりと見て羨ましそうな顔をしているのが見えた気がした。

 そして再び馬車の中は沈黙が続き、車輪が地面と擦れる音しか聞こえなくなる。


 ライズ王国まで大体馬車で七日かかると言われているが、この状態があと七日続くとしたら僕のばくばくと鳴りやまない心臓は果たして持つのだろうか?


 そんな不安が僕の頭を過るのを他所に、馬車は南へと走り続けた。

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