第四十一話「ベアルージュの目的」

 無残にも空中に弾け飛ぶ男の頭。

 それと同時に残った男の身体の切断部から大量の血が吹き出る。


「きゃあああああああ!」

「首が! 首が!!」


 男の両脇にいた村の女性二人は悲鳴をあげた。

 男の死体を手で押しのけその場から離れる。

 よく見れば彼女らの首にも服従の首輪がついていた。

 だから彼女らは男に裸にされて抵抗できなくされていたのか、と僕は冷静に状況を分析しながら納得した。


「は、ハンナちゃんって強いんだね~~……」


 隣でマリリンさんがハンナを見て目を丸くしていた。

 まあ、普段優しいハンナがあんな簡単に盗賊の長を殺していたら驚きもするだろう。

 驚くというより、もはやマリリンさんはそのあまりのハンナのギャップに引いているようにも見える。


「だから、あれはハンナじゃないんですって……」


 僕はそれだけマリリンさんに伝えてから、赤髪のハンナの方を向く。



「ベアルージュ!」



 僕は叫んだ。

 すると、その名前に反応してこちらを向く赤髪のハンナ。


「あら、コット君。

 久しぶりね」


 僕のことを「コット君」と呼んだ。

 その言葉を聞いて、彼女が「ハンナ」ではなく「ベアルージュ」であると確信した。

 それと同時に、僕の心はベアルージュに対する怒りで満たされる。


「ベアルージュ!

 その身体で勝手に人を殺さないでください!!」


 僕はベアルージュに対して叫んだ。

 すると、ベアルージュは首をかしげた。


「なぜかしら?

 私が誰を殺そうと私の勝手じゃない。

 それに、あの男は盗賊だったんでしょう?

 女性を魔道具で奴隷化する男なんて、殺して文句を言われる筋合いはないわ」


 殺すのは当然といった顔で言うベアルージュ。


「それでもだめです!!

 あなたが人を殺したせいで、ハンナが傷ついているのを知らないんですか!?

 その身体はハンナの身体なんですよ!!」


 僕は前回ベアルージュがゲイリーらを殺したせいで、ハンナが深く傷ついているのを知っている。

 だからこそ、ベアルージュがハンナの身体を使って人を殺すことが許せないのだ。


 すると、ベアルージュは面倒そうな顔で僕を見ながら口を開いた。


「そうはいってもね~。

 ハンナちゃんが相手を殺さないといけないほど危険な状況になること事態がそもそも問題なわけだし。

 ハンナちゃんをそんな危険な状況になるまで助けなかったコット君にも問題があるんじゃないかしら?」

「……!」


 返ってきたのは、ぐうの音も出ない正論だった。

 確かに言われてみれば、ベアルージュが現れるのは決まってハンナが本当に危険な状態にあるときだけだ。

 そしてハンナが危険な状態になった原因は、危険な依頼だと分かっていてもハンナに経験を積ませるためだと言ってハンナを連れてきている僕のせいであることに他ならない。

 そのあまりにも的を得た言葉に、僕は返す言葉もなく歯噛みする。

 そして、僕の表情を見てベアルージュは溜息をついた。


「私に言われて今更気づいたのかしら?

 まったく、殺人鬼みたいに言うのは止めてほしいわよねー。

 私は慈愛の神なんだから、本来人殺しなんてあんまりしたくないのよ?

 ハンナちゃんを守るために仕方なくやってるだけなんだから」


 僕に対して文句を言いながら、ベアルージュは首に手を当てる。

 そして、手から放たれる光によって服従の首輪が切断された。


「ほら。

 あなたたちの首輪も取ってあげるわ」


 そう言って広間の端で裸を隠すように手で自身の身体を覆いながら小さくなっている村の女達に近づき、二人の首にそっと手を当てた。

 そしてポロリと二人の首輪が落ちる。


「「あ、ありがとうございます!!」」


 村の女達は首輪が取れたのを見て、泣きながらベアルージュに感謝の言葉を告げる。

 今まであの首輪のせいで盗賊の奴隷になっていたのだろう。

 ようやく解放されたことに感激した表情を見せる。


「いいのいいの。

 私はいつだって女の子の味方だから」


 そう言って二人にウインクするベアルージュ。

 それを見て感極まった女達は、ベアルージュに泣きながら抱きついた。

 ベアルージュは聖母のような慈愛あふれる笑みで、二人の頭をよしよしと撫でるのだった。


「え、え~~と……。

 さっきからハンナちゃんのことを『ベアルージュ』って呼んでるけど~~……。

 それって、もしかして~~……」


 隣で汗をだらだら流しながら僕に聞いてくるマリリンさん。

 僕がハンナに対して『ベアルージュ』と呼んでいること、明らかにハンナが別人のような人格になって話していること、そして見たこともない神聖術を使ったことからマリリンさんも一つの真実を見つけかけていた。


「はい、そうです。

 信じられないかもしれないですが、今、ハンナの身体にはベアルージュ教の神、ベアルージュ神が乗り移っています……」


 僕が頷くと、マリリンさんは衝撃を受けたように驚く。


「え~~!?

 本当にあのベアルージュ神なの~~!?」


 僕とベアルージュが宿るハンナの顔を何度も見ては驚いているマリリンさん。

 そんなマリリンさんの叫びにピクリと反応したベアルージュは、村の二人の女の子を両脇に抱きながらこちらに歩み寄ってきた。


「あなたはマリリンちゃんね?

 ハンナちゃんの近くにいたから、あなたのことも見ていたわ。

 猫神の血が混じっているようね。

 昔、猫神と話したことがあるから、あなたを見ているとなんだか懐かしく感じるわ」


 懐かしむような表情でマリリンさんに話しかけるベアルージュ。

 しかし猫神と話したことがあるなど、話のスケールが大きすぎる。

 猫神といえば猫人族の始祖とも言われる伝説の猫であるのだが、そんな伝説でしか聞いたことがない神と話したことあるのは、流石ベアルージュ教の神様といったところなのだろうか。


「こ、こ、光栄でございますにゃ~~……」


 マリリンさんは目の前の人物が神であることを確信したようで、その場で頭を下げる。

 意外とマリリンさんは強い者には媚びるタイプなのだ。

 すると、急に笑顔だったベアルージュの表情は氷のように冷たいものとなった。


「ところで、マリリンちゃん。

 あなた、コット君のことはどう思っているのかしら?」


 いや、なんだよその質問は。

 急に雰囲気が変わったから何を言い始めるのかと思えば、まさかのどうでもいい質問だった。

 そのくだらない日常会話のような質問に突っ込みを入れたくなるが、ベアルージュは至って真剣な表情であり、もはや殺気すら放っているようにも見えたので、僕は突っ込みが喉から出かかっているのを抑える。

 マリリンさんもそのベアルージュの異様な雰囲気を感じ取ったようで、大粒の汗を額から垂れ流し始めた。


「え、ええと~~。

 コット君は信頼できるギルドマスターだと思っておりますにゃ~~……」


 マリリンさんは頭を下げながらおずおずと答えた。

 すると、ベアルージュはキッとマリリンさんを睨む。


「ふざけてるの!?

 そういうこと言ってるわけじゃないの分かるわよねえ!?

 恋愛的に見てどう思っているのか聞いてるのよ!!」


 突然ヒステリックに怒声をあげるベアルージュ。

 ベアルージュが叫んだ瞬間、何か見えない大きな圧のようなものがこちらに向かって押し寄せてきた。

 そのただならぬ圧力に、マリリンさんは白い毛並みを逆立たせて驚いていた。


 僕は、困惑した。

 なぜ、ベアルージュはこれほどまでに怒っているのだろうか。

 マリリンさんが僕をどのように見ていようと、ベアルージュに関係のないことではないか。

 このようなくだらない質問をベアルージュが殺気を放ちながらしているという状況に、疑問を感じる。


「ご、ご、ごめんなさいですにゃ~~!

 私はコット君のことは、信頼できるギルドマスターだとは思ってますけど、コット君は私の中では弟みたいな感じで、あんまり恋愛対象として見たことはないですにゃ~~!」


 ベアルージュに目の前で怒鳴られたマリリンさんは、あまりの圧力に涙を流し、萎縮しながらも弁明するようにそう叫んだ。

 マリリンさんの答えは僕から見ても妥当なものだと感じた。

 僕は十歳の頃からブラックポイズンで働いており、小さなころからよくマリリンさんに可愛がられていた。

 マリリンさんからしたら僕を弟のように思っているといたとしても不思議ではない。



「ふーん、弟ねえ」



 ポツリと呟くとベアルージュはマリリンさんに近づいて、ジロジロと頭を下げるマリリンさんを見降ろす。

 その間、プルプルとマリリンさんは恐怖に震えていた。


 神に睨まれた猫の構図。

 震えているマリリンさんが可哀想だとは思うが、なぜこれほどまでにベアルージュが殺気を放っているのか理由が分からないので僕にはどうすることもできない。

 僕は息をするのも忘れるほどに集中してベアルージュを見つめていると、次の瞬間、ベアルージュの殺気がスッと収まった。


「もしコット君を恋愛対象として見ていたのなら、私はあなたを殺すところだったけれど。

 別に恋愛対象と見ていないなら、私はあなたを許すわ。

 これから仲良くしましょ?」


 そう言って、再び先ほどまでの微笑を浮かベるベアルージュ。

 マリリンさんの白い頭をよしよしと撫で始めた。


「あ、ありがとうございますにゃ~~」


 先ほどまでの異様な雰囲気が消えて心底安心した様子のマリリンさんは、尻尾をゆらゆら揺らしながら媚びるように頭を差し出して撫でてもらっていた。

 どうやら、マリリンさんはベアルージュに許してもらえたようだ。

 しかし、僕からしたらそのベアルージュの言葉は聞き捨てならなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください!!」


 僕の叫びに反応して、ベアルージュはこちらに首を向けた。


「なんでもしマリリンさんが僕を恋愛対象として見ていたら、ベアルージュはマリリンさんを殺していたんですか!?

 そんなこと、あなたに関係ないでしょう!!」


 僕は、もしマリリンさんが僕のことを恋愛対象として見ていたらベアルージュに殺されていたという事実に背筋が震えた。

 なぜそこに僕が関係してくるのか、意味が分からない。


「関係ならあるわよ?

 私は慈愛の神。

 そして、ハンナちゃんは次期聖女。

 だから私はハンナちゃんを幸せにしてあげなければならないの」


 ハンナが次期聖女……?

 そういえば、前回ベアルージュと話した時も、ハンナが現聖女のマザー・ウラニカの後継者だとか言っていたな。

 なるほど。

 信じられない話であるが、僕の幼馴染のハンナはベアルージュ教の聖女になるようだ。

 ベアルージュ神本人が言っているのだから間違いないだろう。

 そして、ベアルージュ教の聖女であるハンナはベアルージュに幸せになることを願われているということか。


「ハンナが次期聖女であることは分かりました。

 ですが!!

 ハンナが次期聖女であることと、マリリンさんが僕に恋愛感情を持つことに何が関係あるんですか!?

 全く関係ないじゃないですか!!」


 僕は自分の中の疑問を目の前の神にぶちまける。

 どう考えてもハンナが次期聖女であることと、マリリンさんが僕に恋愛感情を持っていたら殺されていたことは関係していない。

 何も関係のないマリリンさんが殺されそうになっていたことに怒りを覚える。

 すると、ベアルージュはニコリと笑った。



「だって、ハンナちゃんはコット君のことが好きなんだもの」



 ベアルージュのその一言で、一瞬、僕の頭は真っ白になった。

 ベアルージュに対する苛立ちや怒りはすべて消え、何も考えられなくなる。

 僕が呆けているのをお構いなしに、ベアルージュは説明を続ける。


「ハンナちゃんがコット君を好きなら、ハンナちゃんの幸せを願う私も当然ハンナちゃんの応援をするじゃない?

 だから、もしハンナちゃん以外にコット君に言い寄る女がいれば殺してやろうってわけ。

 簡単な話でしょ?」


 とんでもないことを笑顔でペラペラと語るベアルージュ。

 しかし、その説明は全く僕の頭の中に入ってこない。

 僕の頭の中にあるのは、最初に言ったベアルージュの言葉だけだった。


「ハンナが僕のこと……好き?」


 僕の頭の中で、ハンナとの思い出やハンナと話した内容が走馬灯のようにどんどん思い出される。

 神であるベアルージュがこう言っているということは本当にハンナは僕のことが好きだったのか?

 いや、でもこれはベアルージュが嘘をついている可能性もある。

 ハンナから直接好きと言われたわけでもないのに、ベアルージュの言うことを簡単には信じられない。


 すると、ベアルージュの表情が変わった。


「あら?

 ハンナちゃんが出てきたがってるわね。

 じゃあそろそろ戻ろうかしら。

 ……あ、そうだ。

 この間のキスの味はどうだったかしら?

 あなた達が全然仲が深まらないから背中を押す意味もこめてしてあげたんだけど、そろそろ仲も深まって来たんじゃない?

 今度はコット君の方からハンナちゃんにキスしてあげてね?

 そしたらハンナちゃん、喜ぶと思うな~。

 じゃあ、またね」

「なっ……!」


 ベアルージュは、最後に僕に言いたい放題言って目を閉じてしまった。

 するとベアルージュの深紅の髪の色は段々と薄まり、元のハンナの桃色の髪に戻る。

 そしてゆっくりと目を開いたハンナ。

 表情が柔らかくなり、先ほどまでの異様な雰囲気が無くなっていた。

 その代わり、恥ずかしそうに顔を真っ赤に赤面させていた。

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