第三十三話「新しい依頼」

 次の日。

 僕はホワイトワークスの受付で、マリリンさんと契約を結ぶための契約書を作成していた。

 何度も羽ペンの先にインクをつけながら、丁寧に契約書を作成していく。

 ブラックポイズン時代に何度もやってきた作業なので、もはや手慣れた作業である。


 ちなみに、この契約書の裏には特殊な魔法陣が描かれていて、紙面に書かれた情報をもとに契約魔法が発動する。

 対象人物の血判が押されると契約完了となり、契約内容に違反するとその人物には違反度合いに応じて災難が降りかかることになるのだ。


 ブラックポイズンでも契約違反をした者はたまにいたが、違反すると魔力量が減ったり、筋力が落ちたり、感覚が鈍ったりなど、身体に影響を及ぼすことが多かった。

 身体能力は冒険者が仕事をするうえで絶対に必要となる能力なので、どんなに悪いことをしても契約だけは違反しないようにみんな気を付けていた。

 

 そのため、ここで記載する契約内容は冒険者の活動のやり方を制限するものとなるので、書く内容には細心の注意を払わなければならないのだが、現在僕は正直あまり集中できていなかった。

 何文字か書くたびにペンが止まり、目線が別の方向へ向いてしまう。


 目線の先にいるのは、ロビーの中心で椅子に座って仕事をしているハンナである。

 ハンナは、朝からギルドに殺到している神聖術の治療を求める多くの患者を順番に治療しているところだった。

 ハンナの神聖術による治療が一回銀貨一枚で受けられるというのは既にビーク王国中に噂が広まっているらしく、最近では東区だけでなく他の地区からも治療を受けに来る人がちらほらいる。


 今日も既に五十人くらいは来ているのではないだろうか。

 ハンナはそれほどの大人数の治療を一人で行っているにも関わらず、疲れたそぶりを一切見せず、明るく笑顔で対応していた。

 そんなハンナの対応も人気の要因の一つになっているようで、治療ではなくハンナに会いに来ましたなんて言う人もたまにいたりする。

 ギルドに関係ないので当然追い返すのだが、僕も内心ではそういう人たちと同じ気持ちだった。


 ハンナは可愛いのだ。

 そのクリッとした目と綺麗な白い肌は遠目で見ても美人だとわかる。

 その上、明るくて人懐っこい性格だから話しやすいし、そりゃあ人気にもなるというものだろう。

 僕はそんな彼女の姿を思わず目で追っていた。



「初めての相手がコットでよかった」

 


 昨日ハンナに言われた言葉を思い出すと、どうしてもハンナのことを意識してしまう。

 あの言葉のせいで夜は悶々として眠れなかったし、今もその言葉で頭の中はいっぱいだ。

 遠目にハンナの唇が見え、キスしたときのことを思い出してなんだか顔も熱くなってくる。



「にゃ~~。

 さっきからコットくん、ずっとハンナちゃんのことばかり見てるにゃ~~」

「うわぁ!」



 唐突に隣から声が聞こえてきて驚いて思わず飛び上がってしまった。

 そして反射的に声が聞こえた方を見ると、僕の隣には白い猫耳と白い尻尾が特徴的な猫人族の女性が立っていた。


「ま、マリリンさん!?

 いつの間にいらしてたんですか!?」


 僕が驚くと、狙い通りといった表情で面白そうに笑うマリリンさん。


「にゃはは~~!

 コットくんがずっとハンナちゃんを見てたから、気配を消して近くで観察してたんだにゃ~~!」


 流石は猫人族である。

 猫人族は小さいころから足音を立てずに気配を消して行動する習性がある。

 そのため気配を消す技術には長けている種族であり、猫人族なうえにA級冒険者でもあるマリリンさんに本気で気配を消されたら、もはや至近距離にいてもその存在に気づけない。


「ちゃ、ちゃんとハンナが仕事できているかなと思って見てたんですよ!

 それより契約書を丁度作り終えたので、契約内容を読み終えたら署名して血判を押してもらっていいですか!?」


 僕は動揺しながらも、なんとか誤魔化すために言い訳しながら、急いで契約書の残りの何文字かを書き上げた。

 完成した契約書を手渡すと、目を細めながら字を見つめるマリリンさん。


「う~~ん。

 私、字を読むのは苦手だにゃ~~……。

 ま、コットくんが作った契約書なら大丈夫でしょ~~!」


 マリリンさんはそう言って、大して契約書を読まずに羽ペンで署名をし、指を噛んで血判を押してしまう。

 この人、ブラックポイズンで契約するときも毎回大して契約を読まずに血判を押していたけど、いつか誰かに騙されて悪い契約を結ばされないか心配だな……。


「ありがとうございます。

 この契約書はギルドの方で大切に保管しておきます……ね!?」


 マリリンさんから契約書を受け取ったとき、マリリンさんは契約書を渡すと同時に僕の腕をぎゅっと握ってきた。

 僕は思わず語尾が上ずってしまう。


「コットく~~ん。

 なんかお仕事ないかにゃ~~?

 せっかく契約したんだし、早速お仕事したいにゃ~~」


 言いながら僕の右腕をぷらぷらと振ってくるマリリンさん。

 まるで、母親に菓子を買ってほしいと懇願する子供のようである。


 とはいえ、マリリンさんのこのお願いは理解できる。

 もともとマリリンさんは、ブラックポイズンの事務業務が回っていなくてまともに仕事を受けられないから他のギルドとも契約したい、ということでホワイトワークスと契約した。

 マリリンさんが早く仕事したいと言うのはもっともだろう。


「ごめんなさい。

 契約してもらったのに申し訳ないんですけど、今現在ホワイトワークスにきてる仕事はハンナの治療依頼だけなんですよね……」


 早く仕事をしたいマリリンさんには申し訳ないが、現在マリリンさんに振ることができる仕事は無い。

 この前モティスお嬢様の依頼を達成したとはいっても、実績はそれとハンナの治癒依頼のみ。

 まだまだ知名度の低いギルドなので、依頼も全然来ないのである。


「え~~!

 せっかく契約したのに~~!」


 受けられる依頼が無いという事実に、マリリンさんはショックを受けた顔をしていた。


「私なんでもやるよ~~?

 採集でも、討伐でも、捕獲でも、護衛でも、暗殺でも~~!

 何かないのかにゃ~~?」


 僕の腕にしがみつくようにして訴えてくるマリリンさん。

 それほど仕事がしたいということなのだろうが、無いものは無いのでしがみつくのは止めてほしい。

 マリリンさんの大きな胸が僕の腕に当たり、僕の理性との戦いが始まってしまう。


「先に言っておきますけど、うちのギルドはブラックポイズンとは違って暗殺依頼とかは基本受けるつもりはないですからね?」


 マリリンさんの発言の中に物騒な単語があったので、僕はあらかじめ忠告をしておいた。


 暗殺の仕事はいわゆるレッドギルドと呼ばれる暗殺専門の闇ギルドに依頼されることがほとんどであるが、冒険者ギルドに依頼されることも稀にある。

 世に悪名を轟かせる大悪人の暗殺依頼など、暗殺した方が確実に社会のためになるであろう依頼が多く、中には国から直接依頼されるものもあったりする。

 そういった場合は仕事として受ける場合があるのだ。


 ブラックポイズンのときも暗殺の仕事が依頼されることはあったが、あまりに危険なので受けられるのはA級冒険者以上だけだった。

 A級冒険者であるマリリンさんがよく暗殺の仕事を受けていたことは知っているが、あまり僕はそれを良く思っていない。

 殺しでお金を稼ぐというのは、あまりに野蛮だ。

 よっぽどの事情が無い限り僕は反対であるし、ホワイトワークスでは暗殺依頼を受けることはまず無いだろう。

 すると、ハンナがいるロビーの中心の方からこちらに駆け寄る音がした。



「おい、あんた!

 暗殺依頼を受けてくれるのか!」



 声がした方を見ると、そこには全身傷だらけで、骨を折っているのか腕を包帯で巻いて固定している老人が立っていた。

 その老人を見て、マリリンさんの目がキラリと光った。


「お仕事の依頼ですかにゃ~~?

 私なら暗殺依頼でもなんでも受けますにゃ~~!」


 いや、勝手に暗殺依頼を受けるのは止めてほしいのだが。

 そんな僕の心のつっこみなどは他所に、老人はマリリンさんをまっすぐ見上げて口を開いた。



「だったら頼む!!

 儂の村を襲った盗賊達を全員殺してくれ!!」



 そんな老人の叫びが、ロビーの中に響き渡った。

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