第三十二話「ハンナの悩み」
ぱたんと扉が閉まり、僕とハンナはギルドの中で二人きりになった。
マリリンさんが帰ったことで、嵐が去った後のようにギルドの中では気まずい沈黙が流れる。
気まずい沈黙が流れているのは、マリリンさんが去り際に言い残した言葉のせいだろう。
まさか今日久しぶりに会ったマリリンさんが、僕とハンナの今の関係まで知っているとは思わなかった。
僕たちの雰囲気を見て察してのだろうが、相変わらずの洞察力である。
マリリンさんの言った通り、どうにかハンナと仲直りしたいところだが、このまま沈黙が続くとそれも難しいだろう。
とにかく、何か話しかけなければ。
「い、いつの間にマリリンさんと仲良くなったんだね」
「……うん。
コットが来る前に少し話してたから……」
「そ、そっか……」
「…………」
「…………」
再び沈黙が流れる。
先ほどまで顔を上げていたハンナも、気づけば顔をうつむけていた。
どうしよう。
ハンナになんて話しかければいいのか分からない。
今までどうやってハンナと話していたっけ?
僕の頭の中はパニックになっていた。
今までハンナ以外でまともに友達を作ったことが無い僕は、こういうときどのように接すればいいのか全く分からないのである。
分からないながらも、このまま沈黙が続くのはまずいということだけは分かるので、頭をフル回転させて解決法を考える。
そこでふと、僕は今日の帰路のことを思い出した。
モティスお嬢様の箱庭から帰っているとき、僕はハンナに謝罪しようと考えていたはずだ。
そしてギルドでハンナと顔を合わせたとき、僕は開口一番に謝罪の言葉を告げようと思っていたのだが、マリリンさんの妨害にあってしまい結局謝罪はできていなかった。
そうだ。
まずは謝らなければ。
そして、僕の誠意を伝えねば。
しっかり謝罪をできていなかったことを思い出し、再び土下座の準備を始めた僕。
その場で床に手をつき、膝をかがめて準備は万端だ。
「ハンナ!!
キスしてごめんなさい!!」
僕は頭をロビーの床につけながら叫んだ。
この謝罪が失敗したら、僕はもうハンナと友達という関係に戻れないかもしれない。
僕は自分の精一杯の誠意をこめた全力の叫びだった。
「……へ?」
すると、頭上からそんな素っ頓狂な声が返ってくる。
僕が頭上を見上げると、ハンナは首をかしげていた。
「なんでコットが謝るの?
悪いのは私なのに……。
むしろ私の方こそ叩いたりしてごめんなさい」
悪いのは私?
僕にはハンナの言っている意味が分からなかった。
「いや、悪いのは僕だよ。
あのビンタだって、僕がハンナにキスをしたせいだ。
ギルドマスターの僕が冒険者のハンナとキスをするなんて、いけないことだよ。
本当にごめん」
僕は再び、地に頭をこする。
自分の気持ちを現す精一杯の土下座である。
「いや、コットのせいじゃないんだから、そんなに謝らないでよ。
あれはベアルージュ様が勝手にしたことじゃない」
「……!」
ハンナの言葉を聞いた瞬間、ガバッと勢いよく顔を上げるほど僕は驚いた。
ハンナは、自分の身体にベアルージュが乗り移っていたことを理解していたのか。
ということは、ハンナはベアルージュが乗り移っていたときの記憶があるということか?
「ハンナ。
もしかして、あのときのことを覚えてるの?」
僕の質問に、ハンナはゆっくりと頷いた。
「覚えてるよ。
あのとき、私の体にはベアルージュ様が乗り移っていたけど、私の自我もしっかり残ってたの。
ベアルージュ様が私の身体で何かしているのを遠目で見てる感覚……って感じかな?」
普通に言っているが、物凄いことである。
自分の身体に神様が宿るとは、一体どのような感覚なのか僕には想像もできない。
「ということは、じゃあゲイリー達のことも……?」
僕が言った途端、ハンナの表情は暗くなった。
「もちろん覚えてる……。
ベアルージュ様の力で、あの人たちが殺されたのもね……。
あれから私、ずっとそのことを考えてるの……」
すると、ハンナの目に涙が溜まり始める。
涙目のハンナは、僕の方を苦しそうな表情で見る。
「ねえ、コット。
私は人を殺しちゃったのかな……?」
「……!」
僕はそのハンナの涙を見て、ハンナが今日までの五日間ずっと上の空だった理由をようやく理解した。
ハンナは僕にキスをされたのがショックだったから上の空だったのではなく、ゲイリー達をベアルージュが抹殺した記憶が残っているから、それがショックで上の空になっていたのだ。
ゲイリー達を抹殺したのはベアルージュの術によるものだが、それを行ったのはハンナの身体である。
今までハンナは人を殺したことなど無いはず。
自分の崇拝する神様が自分の身体を使って人を殺したとなれば、ショックを受けて当然だろう。
「ハンナが殺したっていうのは違うんじゃないかな。
あの術にハンナの意志は無かったわけだしさ。
それに、あのときベアルージュ神が現れなければハンナはゲイリーに腕を斬られていたんだ。
素直に神様に助けてもらえたって思った方が良いと思うよ」
「そう……だよね……」
僕のアドバイスを聞いて表情は少し和らいだが、まだうつむきがちのハンナ。
やはり、あのときゲイリー達を抹殺してしまった記憶は自分の中に深く残っているようだ。
「前にも一度だけベアルージュ様が私の中に乗り移ったことがあるの」
ハンナはポツリポツリと語り始めた。
「ベアルージュ教を良く思っていない人に道で絡まれちゃってさ。
危なくなりそうなときにベアルージュ様が助けてくれたの。
そのときは相手を気絶させて終わりだったから、今回もそんな感じで助けてくださるのかと思ってたら、まさか殺しちゃうなんて思ってなくてさ……。
そういえば、髪色がこんなになったのもあのときからだったっけ……」
ハンナは桃色の綺麗な髪をいじりながら言う。
「そうだったんだ……。
悩んでたなら、もっと早く相談してくれればよかったのに。
てっきり、僕はあのキスのせいでハンナに嫌われちゃったのかと思ってたよ。
あんなに強烈なビンタもらっちゃったしさ。
とにかくハンナに嫌われてなくて、ほんとに良かった」
僕はゲイリー達の話題はハンナを余計に暗くするだけだと思い、キスの話に話題を変える。
すると、ハンナが僕の方に振り向き、じっと強く見つめてきた。
「コット!
い、一応、言っておくけど!
私は……は、初めてだったんだからね!?」
「……!
そ、そっか……」
顔を赤らめながら言うハンナを見て、僕はドキッとした。
そんな恥ずかしそうにそんなこと言われたら、こっちまでなんだか恥ずかしくなってくる。
というか、まさかハンナがまだキスをしたことが無いとは思わなかった。
こんな可愛いのだから、キスの経験くらい当然あるのかと思っていたが。
まさかのファーストキスを奪ってしまったらしい。
「ち、ちなみにさ……。
コットはさ、したことあるの? キス」
もじもじしながら上目遣いで聞いてくるハンナ。
そのハンナの言葉に、なぜだか僕は動揺してしまう。
「な、無いよ!
僕もあのときが初めてだったよ!」
僕は動揺しながらも正直に言うと、ハンナの顔は和らいだ。
「……そっか。
初めて同士だったんだね。
私、初めての相手がコットでよかった」
顔を赤らめながらもニコリと笑うハンナ。
僕はそんなハンナの表情を見て、胸が高鳴りだした。
なんだこの可愛らしい女の子は。
まるで誰かに恋でもしているかのような、乙女チックで塩らしい表情。
ハンナの顔を見ていると、こちらまで赤面してくる。
「え、ええと……。
ぼ、僕、そろそろ寝なきゃ!
それじゃあ、また明日!」
居ても立っても居られなくなった僕は、ハンナにそれだけ言い残して二階へ続く階段を逃げるように駆け上り、自室に入って扉を閉める。
そして自室の扉を背にしながら、その場で腰を下ろした。
「初めてが僕で良かった……か」
僕の頭の中では、今のハンナの言葉が何度も復唱されている。
もしかして、僕はハンナに好かれているのか?
いやいや、親友である僕が初めてで良かったって意味だろう?
いやでも、あの表情は……。
考えても考えても、思考はまとまらない。
僕の心臓はバクバク鳴っている。
明日、どんな顔をしてハンナに会えばいいのだろう?
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