第三十一話「新しい仲間」
予想外の言葉だった。
まさかマリリンさんにブラックポイズンに戻ってきてほしいと懇願されるとは思ってなかった。
だが、いくらマリリンさんに懇願されようと、それに対する僕の答えは決まっている。
「え、ええと……。
僕はそちらのギルドマスターに辞めろと言われたのでギルドを辞めたんですけど……。
それなのに今更戻れと言われても厳しいですよ。
この通り、もう新しいギルドを作っちゃいましたし。
それに僕の代わりならいくらでもいるとボルディアさんはおっしゃってましたよ?」
はっきり言って、ブラックポイズンに戻る気は一切なかった。
誰が好き好んであんなブラックギルドで再び働きたいと思うのだろうか。
自由契約の冒険者ならまだいいとしても、あそこで働くギルド職員は地獄でしかない。
「そ、そうなんだけどにゃ~~……。
それはうちのマスターが勘違いしてただけなんだよ~~!」
マリリンさんは僕の右腕にむにゅむにゅと胸を当て、右手をさわさわしながら言う。
僕はその右腕に伸し掛かる柔らかな感触とマリリンさんの甘い匂いのせいで思考が上手くまとまらない。
こんな状況じゃ返答しようにも返答できないので困ってしまう。
すると、近くでガンッと机が力強く叩かれる音が鳴った。
「マリリンさん!!
コットにそんなにくっつかないでください!!」
叫んだのはハンナだった。
咎めるような視線をマリリンさんに向けている。
いや、なぜここでハンナが怒るのだろうか。
ハンナからしたら、マリリンさんが僕にくっついて何か問題があるわけでもないのに。
というかハンナのこんな大きな声は久しぶりに聞いたな。
最近は僕と全然まともに話してくれなかったから、なんだか新鮮な感じがする。
なんて思っていると、マリリンさんが僕を抱く手を放し、今度はハンナの方を向いた。
「もう、ハンナちゃ~~ん!
私に構ってもらえなくて嫉妬してるのかにゃ~~?
可愛いにゃ~~も~~!」
「違っ……わっ……!」
今度は標的をハンナに定めたらしい。
ハンナに体当たりするかの如く近づき、両手でハンナの体をホールドして頬ずりをし始めるマリリンさん。
ハンナは驚きながらも、マリリンさんになされるがままに頬ずりを受け入れていた。
なんだか懐かしい光景である。
マリリンさんは基本的に誰に対してもすぐに距離を詰めるが、その人懐っこい性格からみんなに好かれていた。
ブラックポイズン時代も、こうした場面を何度も見てきたものだ。
「マリリンさん。
あんまりうちの新人をいじめないであげてください」
僕がため息交じりに言うと、頬ずりを止めるマリリンさん。
「ごめんごめん~~。
ハンナちゃんが可愛くて、ついいじめたくなっちゃったにゃ~~」
マリリンさんはハンナから離れ、再び僕の方に近づいてくる。
ハンナは離れてしまうマリリンさんを名残惜しそうに目で追っていた。
「それでさ、コットく~~ん。
ブラックポイズンに戻ってきてくれないかにゃ~~?
私はコットくんがブラックポイズンに必要だと思ってるし、現にブラックポイズンはコットくんがいなくなってから仕事が回らなくなって大変なんだにゃ~~……」
耳をペタリと垂らしながら悲しい顔で言うマリリンさん。
それを聞いて僕は、「やっぱりか……」と思った。
ブラックポイズン時代、僕がやっていた仕事量は尋常ではなかった。
受付の事務作業、ギルドの帳簿付け、冒険者のトラブル解決、誰も受けてくれない依頼の処理などなど。
おおよそギルド職員がやらないような仕事までボルディアに命令され、毎日歯を食いしばりながら大量の仕事を処理してきた。
その際、他のギルド職員は僕がよく働くのをいいことに、僕に仕事のほとんどを丸投げして自分たちはサボっていたのを知っている。
ギルドの顔として僕よりも高額な給与を支払ってボルディアが雇った美人受付嬢達ではあるが、サボっていた彼女らは普通の受付業務すらまともにできないだろう。
そんなだから、「僕が抜けたらギルドが回らなくなるのでは?」とは常々思っていた。
ギルドが回らなくなったら冒険者の人達に迷惑がかかるので僕はブラックポイズンを辞めるに辞められなかったのだが、ギルドマスターのボルディアから直接「お前の代わりならいくらでもいる」と言われて僕の考えは変わった。
当初、「僕の代わりをできる人なんて本当にいるのだろうか?」と少し疑問には思ったが、まあギルドマスターが言うなら本当にいるのだろうと自分の中で納得し、ブラックポイズンを辞職することを宣言したのである。
しかし蓋をあけてみればギルドは僕が抜けたせいで回らなくなっているというのであれば、もうどうしようもない。
それは結局、ボルディアの目算が甘かったと言わざるを得ない。
ボルディアも僕に仕事を丸投げしてきたギルド職員と同じく、ほとんどギルドマスターとしての仕事は行っておらず、面倒な仕事は全て僕に振っていた。
そのため、ボルディアはブラックポイズンにおいて僕がどれほどの仕事量をこなしているのか把握できていなかったのだろう。
上が駄目なら下も駄目という典型例であり、ギルドが回らなくなったのも自業自得である。
「それはお気の毒ですね……。
わざわざここまでお越しいただいたマリリンさんには申し訳ありませんが、僕はもうこのホワイトワークスという新しいギルドでギルドマスターをやると決めたので、ブラックポイイズンに今更戻る気はないです。
お引き取りください」
わざわざA級冒険者のマリリンさんが直接僕のところまで来るということは、ブラックポイズンは相当大変なことになっているのだろう。
ボルディアやサボっていたギルド職員達のせいで被害を被っているブラックポイズンの冒険者達は可哀想だが、だからといって僕は既に新しいギルドを作っているのでブラックポイズンに戻る気もさらさらない。
マリリンさんには申し訳ないが、丁重にお断りさせてもらった。
「そっか~~……」
マリリンさんは僕の言葉を聞くと、がくりと肩を降ろして顔をうつむけた。
そんな彼女の態度を見ると、余計に申し訳なくなる。
「もし僕みたいにブラックポイズンを辞めたくなったら、いつでもホワイトワークスに来てくださいね。
マリリンさんだったら、もちろん即採用なので」
現在、ホワイトワークスには僕とハンナの二人しか冒険者がいない。
流石に二人でこなせる仕事量には限りがあるので、冒険者は随時募集中だ。
普段のマリリンさんはふわふわとした印象を受けるが、ランクはA級冒険者でちゃんと実力がある上に、ブラックポイズンの冒険者にしては珍しく信頼のできる人だ。
よく人のことを見ていて、ブラックポイズンに入りたての新米冒険者をサポートしてあげているのを何度か見たことがあるし、僕が処理しきれない仕事量に困っていたときにマリリンさんがいくつか依頼を代わりに引き受けてくれたこともあった。
そんな人のできたマリリンさんであれば当然即採用である。
とはいえ、もちろんA級冒険者で売れっ子のマリリンさんが僕なんかの作った新設ギルドに本当に来てくれるとは思っていない。
これは肩を落としたマリリンさんを元気づけるための冗談であり、マリリンさんなら笑い飛ばしてくれるだろうと思っていた。
しかし予想に反して、マリリンさんは急に真面目な表情になって真っすぐに僕を見た。
「即採用してくれるの~~?
じゃあ入っちゃおうかにゃ~~。
コットくんのギルド気になってたんだよね~~」
「……へ?」
思わぬ返答に僕の反応の方が少し遅れてしまう。
「最近のブラックポイズンはコットくんが抜けたせいで全然仕事が回らなくなってきてて、私も他のギルドに行きたいなって丁度思ってたんだにゃ~~。
流石にブラックポイズンを辞めたらマスターに怒られちゃいそうだし、二重契約でもよかったら入ってもいいよ~~」
二重契約というのは、二つのギルドと契約することを指す。
冒険者は専属契約をしない限りは基本的に自由契約なので、複数のギルドと契約することができる。
つまり、ブラックポイズンと自由契約をしているマリリンさんはホワイトワークスとも契約しようとしてくれているわけだ。
「い、いいんですか!?
ホワイトワークスは最近できたばかりの新設ギルドですけど……」
まさかマリリンさんが本当にホワイトワークスに入ってくれるとは思っておらず、驚いてしまった。
A級冒険者であればどこのギルドからも引っ張りだこであるはずなのに、二重契約とはいえ、まさか僕なんかが作った新設ギルドに入ると言ってくれるとは。
「そんなの関係ないにゃ~~。
コットくんがマスターって、なんか面白そうだし~~。
それに可愛い新人ちゃんもいるみたいだしにゃ~~」
そう言ってハンナに再び近づき、ハンナに抱き着いて頬ずりをするマリリンさん。
いつのまに心を許したのかハンナも満更でもない様子で、マリリンさんに頬ずりをされて少し嬉しそうにしている。
「ありがとうございます!
それではマリリンさん、これからよろしくお願いしますね!
契約書などは明日までに作っておきます!」
A級冒険者がギルドに加入してくれるのは心強い。
僕が素直な感謝の気持ちをマリリンさんに伝えると、マリリンさんは足音もなく頭を下げる僕の横を通り過ぎ、ギルドの出口の方へと向かう。
「それなら、また明日くるにゃ~~。
コットくんは、明日までにハンナちゃんと仲直りしておくんだにゃ~~」
それだけ言い残して、マリリンさんはギルドを出た。
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