第二章 盗賊討伐

第三十話「マリリン・ジャッキー」

 夕方。

 モティスお嬢様の箱庭で珍獣の納品を終えた僕は、ギルドへの帰路を歩いていた。

 そして歩いている最中、僕はハンナのことで頭が一杯だった。


 大樹海を出てからもう五日は経っているが、僕とハンナはいまだに気まずい関係が続いている。

 理由は大樹海でハンナとキスをしてしまったからだ。


 僕とハンナは恋人関係ではない。

 それなのにキスをしてしまったとなれば、それはもう気まずい。

 しかもキス直後、僕はハンナにビンタまでされてしまった。

 事態は最悪である。


 あのときの僕はあまりの衝撃に気絶してしまったのだが、気絶から目を覚ますとハンナは僕に対して素っ気なくなっていた。

 話しかけても、最低限の返事はするがそれ以上のことは返さない。

 なんだか上の空といったような態度だった。


 もしかしたら、僕はもうハンナに嫌われてしまったのかもしれない。

 唯一のギルドメンバーであり、唯一の親友でもあるハンナに嫌われてしまうのはかなりショックである。

 どうにか仲直りしたいが、キスをしてしまったのが事実なのでどうしようもない。

 

 ただ問題は、あのキスに僕やハンナの意思はなく、不慮の事故であるということだ。

 もし僕がハンナに無理矢理キスをしたのであれば、僕に問題があるので嫌われて当然である。

 だが実際は、僕が無理矢理ハンナにキスをしたわけでなければ、ハンナからキスをされたわけでもない。

 僕は、ハンナの身体に乗り移ったベアルージュ・・・・・・にキスをされたのである。


 なぜあのときベアルージュが僕にキスをしたのかは分からない。

 突然だったため避けることもできず、されるがままにされてしまった。

 そのせいでハンナと気まずくなっていることを考えると、ベアルージュに対して抗議したいところだ。


 とはいえ、正直に言えば、その反面で嬉しいという気持ちもあった。

 異性とキスをしたのはあれが初めてだったが、その相手がハンナのような可愛らしい子であったことが嬉しかったのだ。


 キスをしたとき、ハンナの唇から甘い香りと唾液の味が伝わってきた。

 相手がベアルージュだとは理解していながらも、その唇からは心地よさと満足感を得られ、思わずベアルージュにされるがままになってしまったほどだ。

 当時の記憶は今でも鮮明に覚えているし、この先一生忘れないことだろう。


 しかし、嬉しいのは僕だけだ。

 ハンナからしたら、僕なんかにキスをされてたまったものではない。


 ベアルージュが身体を乗っ取っている間の記憶がハンナに残っているのかは分からないが、もし残っていないのだとしたら、ハンナが目を覚ますといきなり僕にキスをされているという悪夢のような体験をしたはずだ。

 それはもはや、眠りから冷めたら知らない男に急に口づけされていたようなものだ。

 ハンナが僕に強烈なビンタをしたのも納得であるし、ハンナからしたら不快以外の何物でもなかっただろう。


 ハンナには申し訳ないと思っている。

 ギルドマスターの僕がギルドの冒険者であるハンナにキスなんてしてはならない。

 不可抗力とはいえ、ハンナとキスをしてしまったことは大いに反省しなければならない。


 今日まで僕はハンナを意識をしてしまって話しかけられなかったし、ハンナもずっとそっぽを向いていたので、ハンナと会話することがほとんどできなかった。

 これは良くない。

 今後のためにもハンナには一度しっかりと謝罪をした方が良いだろう。



(帰ったらハンナに謝ろう……)



 僕はそう心に決めながら帰り道をとぼとぼ歩いていると、ようやくホワイトワークスの二階建ての建物が見えてきた。

 中は明かりがついているので、ハンナがいることが分かる。

 

 これから再びハンナと顔を合わせると思うと、なんだか緊張してくる。

 僕はゆっくり入口の扉に近づき、一旦扉の前で深呼吸をして呼吸を整える。

 そして、頭の中でハンナに謝る言葉をイメージトレーニングする。



「……よし」



 僕は覚悟を決めて扉の取っ手を掴んだ。



 カランカラン



 扉についている鈴が鳴り響く音と共に、僕はギルドのロビーに足を踏み入れる。



「あ、コット……」



 すると、前方から小さな声が聞こえた。

 丸机を囲む椅子の一つにハンナはちょこんと座り、こちらを少し苦い表情で見つめていた。



 よし、謝ろう。



 既にその場で土下座をする準備はできていた。

 僕はシュミレーション通り、ハンナの方に真っすぐ歩み寄る。


「ハン……」


 僕がハンナに声をかけようとした瞬間。



「にゃ~~!

 コットくんにゃ~~!

 久しぶり~~~~!」



 誰もいないと思っていた方向から唐突にそんな元気な声が聞こえてきた。

 それと同時に、僕の右半身に強い衝撃が走る。

 誰かに飛びつかれたかのような感覚。

 肩から腰にかけて両腕を回され、右腕に何やら柔らかい感触がぶつかる。

 僕は驚いて反射的に右を向くと、白猫を擬人化したかのような白い猫耳と白い尻尾を持った細身の女性が僕に抱きついていた。



「ま、マリリンさん……!?」



 僕は困惑した。

 なぜ、ここにマリリンさんがいるのだろうか。


 この人はブラックポイズンの冒険者であるマリリン・ジャッキーさん。

 A級の凄腕冒険者だ。

 ブラックポイズンでは超売れっ子であり、毎日のように難易度の高い仕事をこなしている。

 そんな忙しい人がここにいるというのは、どう考えても異常事態である。


 一体何の用だろうか?

 もしかして、ゲイリーがベアルージュに殺されたことがバレたのか?

 ……いや。

 ゲイリーのパーティーメンバーはベアルージュに存在ごと消されていたし、気づかれるにしてもまだ早い。

 だとしたらなぜここにいる?

 まさか、僕のギルド開業祝いに来たわけでもあるまいし。

 

 というか、すごく良い匂いがするな。

 猫人が好きなマタタビのツンとした匂いと女の子の甘い匂いが混ざった、なんというか男を酔わせるかのようなそんな匂い。

 そして、マリリンさんの大きなお胸が僕の右腕にむにゅむにゅと当たっていて、僕の思考力はどんどん減衰する。


 すると、マリリンさんは僕を上目遣いで見つめてきた。



「コットく~~ん。

 ブラックポイズンに戻ってきてくれないかにゃ~~?」

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