第二十八話「赤髪のハンナ」
僕は遠くにいるハンナを見ながら、ただ呆然としていた。
ほんの数瞬前まで、ハンナはゲイリーに捕らわれていて絶体絶命のピンチだった。
だが突如空から光がハンナに向けて舞い降りた途端、ハンナの髪は真っ赤に染まり、物凄い力でゲイリーら四人を殲滅してしまった。
特に、槍使いと魔法使いの男、それからゲイリーを一瞬でただの肉塊へと変貌させたあの光の槍の技はやばい。
手を空に向けただけで、無詠唱で空から落下してくる光の槍。
落下速度が雷のように速いので、躱しようがない。
そのうえ、威力もとんでもない。
体に当たれば、たとえ防具の上からだろうと貫通し、存在そのものを殲滅せんとばかりに物凄い勢いで対象を吹き飛ばす。
溜める時間がない分、大白鹿の光線の上位互換のような技である。
あれは神聖術なのだろうか?
ベアルージュ教の神聖術に詳しくない僕には分からない。
だが、あんな物凄い技は神聖術だろうと魔術だろうと今まで一度も見たことがないのは確かだ。
もはや、僕にはハンナが別人にしか見えなかった。
髪色が変わったのもそうだが、口調も動きも、なにもかもが僕の知っているハンナではない。
彼女は一体何者なのだろうか?
「コット君。
これ、あなたの鞄でしょ?
はい、どうぞ」
いつの間にか僕の目の前まで来ていた赤髪のハンナ。
僕がゲイリーに向かって投げた魔法鞄を拾ってきてくれたようで、僕に向かって差し出してくれた。
「あ、ありがとう……ございます」
相手はハンナなのにも関わらず、思わず敬語になってしまう。
それは僕にはこの女性がハンナだとは思えなかったからだ。
ハンナは僕のことを「コット君」などとは呼ばない。
発言の一つ一つを見ても彼女がハンナだとは思えない。
そして、僕の体は危険信号を発していた。
もし彼女が先ほどの光の槍を僕に向けて落としたら、僕はゲイリーと同じように存在ごと消されてしまうだろう。
僕は念のため、すぐに逃げられるように身を構えた。
「私を警戒しているのね。
でも安心して、コット君。
私はあなたに危害を加えるつもりはないから」
赤髪のハンナは言いながら、僕をじっと見て観察している。
それはまるで品定めをするような目付きで、見られていて居心地が悪い。
「あなたは一体誰なんですか?」
単刀直入に聞くと、赤髪のハンナは二ヤリと笑った。
「私はベアルージュ。
あなたたちでいうところの『神』よ」
一瞬、頭が真っ白になった。
ベア……ルージュ?
神……?
確かに、この世界にはベアルージュという神はいる。
そして、ベアルージュ教のシスターであるハンナはベアルージュ神を信仰している。
しかし、だからといってハンナの身体にベアルージュが乗り移るなんてことが起こり得るのだろうか?
あり得ないとは思う。
そんな事例、聞いたことがない。
だが、ベアルージュだと言われて腑に落ちた点も多くあった。
僕は信者ではないのでそこまで詳しくないが、ベアルージュ教が信仰するベアルージュは薔薇のように赤い深紅の髪を持つ、慈愛の精神に溢れた女性だと聞いたことがある。
自分が愛する者を守り、自分が愛する者に幸せを与える。
そんな存在だと、昔ブラックポイズンにいたベアルージュ教の神職者が教えてくれた。
目の前のハンナの顔をしたベアルージュの名前を名乗る女性を見てみれば、髪色は確かに赤い。
そして、ハンナがゲイリーに大剣を向けられて危険な状況のときにベアルージュは現れ、ゲイリー達を一気に殲滅した。
これはベアルージュが愛するベアルージュ教徒のハンナを守った、という見方もできるだろう。
そう考えると全て聞いていた通りだ。
それにそもそも僕が知っているハンナの実力では、B級冒険者であるゲイリーやその取り巻きのC級冒険者三人に囲まれて圧倒できるわけがない。
それこそ神でも乗り移らなければ勝てない場面だったはずだ。
そしてハンナは神業的な圧倒的な力で四人を殲滅した。
もしかしたら、本当に目の前のハンナには神が乗り移っているのかもしれない。
「ひとまず、あなたがベアルージュ神だということを信じましょう。
それではなぜ、あなたはハンナの中に乗り移ったのでしょうか?
神が人の身体に乗り移るなんて、聞いたこともありませんが……」
すると、赤髪のハンナは驚いたように目を丸くした。
「もっと驚くと思っていたのに、意外と簡単に私が神だと受け入れるのね」
「ええ。
あなたが神だと言われれば納得できる部分も多くあるので」
「あらそう?
私がそんなに神みたいだったということかしら?
まあ、神なんだけれど。
うふふふふ」
自分で言ったことに自分で笑い始める赤髪のハンナを見て、僕は苦笑いするしかなかった。
この神の笑いのツボが分からない。
「ええと、それでなんだっけ。
ああそうそう、ハンナちゃんの中に私が乗り移った理由ね。
理由なんて一つしかないわ。
ハンナちゃんに呼ばれたからよ」
赤髪のハンナはあっけらかんと回答する。
だが、納得できない回答だった。
「呼ばれたから乗り移ったってことですか?
そんな簡単に神は人に乗り移るものなのでしょうか?」
「あらやだ。
そんな人を尻軽女みたいに言わないでほしいわ。
まあ、私は神だから尻軽女神ってところかしらね。
うふふふふふ」
「…………」
やっぱり、この神の笑いのツボは分かりそうにない。
僕が白い目で赤髪のハンナを見つめていると、尻軽女神様は僕の視線に気づいた様子。
「もう、冗談じゃない。
神ジョークよ、神ジョーク」
冗談だったのか。
冗談にしては少し分かりづらい。
僕はこの神様とは笑いのツボが合わないようだ。
すると、赤髪のハンナは切り替える様に咳払いをする。
そして、すっと笑顔が抜け、僕を真っすぐに見る。
「ハンナちゃんはねえ。
特別なの」
「特別?」
「ええ。
彼女はウラニカの後継者だからねえ」
ウラニカ。
それはこの世界で唯一の聖女、マザー・ウラニカのことで間違いないだろう。
ハンナがマザー・ウラニカの元で修行をしたという話は、前に本人から聞いている。
後継者ということは、ハンナが聖女という地位を受け継ぐということか?
よく分からないが、これは思っていたより大きな話なのかもしれない。
「まあ、そんな話はどうでもいいわ。
それより、コット君。
あなたは、ハンナちゃんのことどう思っているのかしら?」
いや、どうでもよくないが。
というか、このタイミングで逆に質問されるのか。
しかも、全く予想していなかった質問だった。
「ど、どうって言われましても……」
「好きか嫌いかでいいわ。
正直に答えて頂戴」
赤髪のハンナはこちらに近づきながら、僕に聞いてくる。
「ええと……。
好きか嫌いかで言えば、もちろん好きですよ」
「ふうん」
すると、赤髪のハンナは僕に顔を近づけてきた。
「じゃあハンナちゃんのこと、愛してる?」
「えっ……」
上目遣いで聞かれ、目の前にいるのはハンナではないと頭で分かっているのに胸がドキリとした。
なぜ、こんなことを聞かれているのかは分からない。
しかし、目の前にいるのは神だ。
真剣に答えなければならない。
「ゆ、友人として……愛してますよ」
僕は絞り出すようにして答えた。
すると、僕が答えた途端、急にがっかりしたような顔に変わる赤髪のハンナ。
「友人としてかあ。
じゃあ、まだそんなに関係は深くないって訳か。
一緒にベッドで寝た仲なのにねえ」
「な、なぜそれを!?」
「ふふふ。
私は神様だから、なんでも知ってるわよ?」
そんなの、プライベートもあったものではない。
神様には何でもお見通しというわけか。
「じゃあ、帰る前に最後にプレゼントを残してこうかな」
「プレゼント?」
僕が首をかしげると、ハンナの顔がこちらに寄ってきた。
「はい動かないでね~♡」
「へ?」
まずいと思って後ろに一歩下がろうとすると、ハンナが背中に手を回してきて抑えられる。
そして。
ちゅ
ハンナの唇が僕の唇に触れた。
僕は驚いて全力で離れようとするが、赤髪のハンナに物凄い力で背中を抑えられていて全く逃げられない。
ハンナの甘い匂い、そして柔らかい唇の感触が唇ごしに伝わってくる。
人生初めてのキスだった。
目の前の赤髪のハンナがハンナではないとは分かっていても、肉体はハンナであることには変わりない。
ハンナとキスしていると思うと、いつの間にか興奮して何も考えられなくなっていた。
ただ身を任せ、その初めてのキスを堪能する。
ふと、段々とハンナの髪色が薄くなってきているのに気づいた。
真っ赤だった髪色が桃色に変わり、表情も段々と穏やかになる。
そして、口づけをしている状態でハンナと目があった。
あれ、この雰囲気。
まさかベアルージュが消えて、ハンナの意識が戻ったのか?
と髪色を見て思ったが、気づいた時には遅かった。
ハンナの顔色は真っ赤に赤面する。
そしてばっと僕の口から唇を離し、右手を振り上げた。
「こ、こ、こ……コットのばかーーーーーーーーーーーーーーーー!」
バチイィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!!!!!
僕はハンナに強烈なビンタをお見舞いされ、吹き飛ばされながら気を失うのだった。
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