第二十六話「漁夫の利」

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 大白鹿との戦闘直後にどっと疲労感が身体に押し寄せてきたので、僕は膝に手をつき、肩で息をしながら呼吸を整える。


 これは心気術で大白鹿と激しい戦闘をした代償だ。

 全身の筋肉が悲鳴をあげていて、しばらくまともに動けそうにない。

 レッドコング戦のときのように心気の放出はしなかったので、精神にダメージがあまり入らなかったのが唯一の救いである。


 僕はふらふらになりながらも、倒れている大白鹿に近づく。

 そして魔法鞄の入口の布を広げ、大白鹿の頭に被せる。


 どんなに疲れていようと、この作業だけは先にやらなければならない。

 大白鹿の麻酔がいつ切れるか分からないからだ。

 麻酔が切れて再び暴れられたら困るので、すぐにでも魔法鞄に大白鹿を投入して捕獲を完了したいのである。


 頭の部分が魔法鞄に入ると、自動的に魔法鞄の中の魔法が発動して大白鹿の体重はゼロになった。

 その辺の大木よりもでかい巨体が嘘のように軽々と持ちあがる。

 僕は大白鹿の首のあたりを手で掴んで持ち上げ、どんどん魔法鞄の中に突っ込むのだった。


 魔法鞄は大白鹿の大きさに合わせて自動的に膨れ上がり、一瞬ここら一帯を埋め尽くすほど大きなサイズになるが、すぐに収縮して元の本一冊入るか入らないかくらいの小さな鞄の状態に戻る。

 これにて大白鹿の捕獲完了である。


「よし……よし……」


 僕は息を整えながら小さくガッツポーズをした。


 これであとはビーク王国に帰ってモティスお嬢様に大白鹿を引き渡せば、金貨十枚という大金が手に入る。

 それだけの大金があれば、しばらくはギルドの経営に困らなくなることだろう。


 だがお金以上に、侯爵家の御令嬢の依頼を達成することができたということのほうが僕にとっては重要だった。

 なぜなら、貴族と良い関係を保つということはそれだけで箔がつき、信頼に繋がるからだ。

 

 貴族は基本的に国の重役を担っており、人に慕われている者が多い。

 そのため、ある貴族と信頼関係を持つと、その貴族を慕う市民や別の貴族からも信頼され、新たに依頼がきたりするようになるのだ。


 例えばブラックポイズンの場合は、多くの貴族との良好な関係を保つことでギルドの噂が王家にまで広がり、ビーク王家から直接依頼が来るようにまでなった。

 王家からの依頼を達成したとなればそれは大変名誉なことであるし、実際ブラックポイズンはビーク王家の依頼を達成し、大きな富と名声を得ることに成功した。

 

 このように有名になればどんどん依頼が来るようになるし、国外からも依頼が来るようになったりする。

 つまり、ギルドの仕事を増やすには貴族との関係をよくすることこそが重要なのだ。

 だからこそボルディアは、貴族からの依頼となればお金や人員をフルに使ってでも達成していたし、基本的には市民の依頼よりも貴族の依頼優先だった。


 ブラックポイズンが普段は素行の悪いブラックギルドであるのに、ビーク王国で一番売れている理由はそこである。

 つまるところ、貴族に対してだけは良い顔をしているのである。


 とはいえ僕はブラックポイズンのように、貴族に対してだけ良い顔をするというのには反対である。

 誰に対しても平等に接するべきであり、困っている人がいれば誰であれ助けるべきである。

 それこそがホワイトギルドとして目指すべき道だろう。


 だが貴族と良好な関係を保つことにより、大きな仕事をもらえやすくなるというのもまた事実。

 貴族や王家からの依頼は大抵、個人単位の問題ではなく団体単位で困っていることを解消する大きな仕事が多い。

 結果的に市民からの個人単位の依頼より、貴族や王家からの団体単位の依頼の方がたくさんの人を救うことができるのである。


 なので僕はブラックポイズンのように貴族にだけ良い顔をするというわけではないが、ホワイトワークスの今後のためにも貴族とは良好な関係を築いておきたいと思っている。

 その第一歩として侯爵家の御令嬢であるモティスお嬢様の依頼を達成することが当面の目標だったのだが、大白鹿を捕獲したことでほぼ達成が確定した今、嬉しくて思わず笑みがこぼれるのだった。



「そういえばハンナは……?」



 僕はここでようやくハンナのことを思い出した。 


 大白鹿との激しい戦闘に集中しすぎて忘れていたが、ここまで上手くいったのも全てハンナのおかげである。

 ハンナが命がけで防御壁を張ってくれたことで、僕が心気を解放する時間を稼いでもらえたので大白鹿を捕まえることが出来た。

 ハンナに感謝を伝えなければ。


 そう思って、先ほどハンナが神聖術の使い過ぎでうずくまってしまった後方のあたりを振り返ると、そこには複数の人影が見えた。



「よう、コット。

 ようやくこっちに気づいたか」



 そこにはうずくまるハンナを取り囲む、見覚えのある四人の男達がいた。

 そして、うずくまるハンナの首筋に大剣の刃先をかざすモヒカン男と、無言で大粒の涙を流すハンナを見て僕は全身に鳥肌がたった。


「ゲイリー……!」


 僕はこのタイミングでゲイリーが現れたのを見て、ようやくゲイリーが僕に大白鹿の情報を渡してくれた理由を完全に理解した。

 要は、僕らを当て馬として大白鹿にぶつけたのである。


 おそらく、ゲイリーは大白鹿がA級以上のモンスターであることを知っていたのだ。

 ゲイリーはB級冒険者なので、真っ向から戦えば大白鹿に勝つことは難しい。

 だから、大白鹿の弱点を探るために僕らを大白鹿のところに向かわせたのだろう。


 僕達が大白鹿に負ければ、その戦闘データから大白鹿の弱点を見つけて自分たちで捕まえにいけばいいし、万が一僕達が大白鹿を捕まえれば、僕達から大白鹿を奪えばいいと考えたのだ。

 そしてその万が一が起きたので、近くで観察していたゲイリーらは僕が大白鹿を魔法鞄に投入している間にうずくまっているハンナに近寄って人質に取ったのだろう。

 なんとも姑息な手段である。


「まずは、お疲れ様と言っておくか。

 俺の予想だと、お前らは大白鹿に簡単に殺されると思っていたんだがな。

 精々粘って大白鹿の弱点を見つけてくれれば御の字くらいに思っていたが、まさか大白鹿を捕まえちまうなんてなあ。

 お前がギルマスと同じ技を使えるとは知らなかったから、驚いたぜ」


 予想通りであった。

 ゲイリーはやはり僕のことを当て馬にしていたようだ。


 ちなみに、ゲイリーが言うギルマスとはブラックポイズンのギルドマスターであるボルディア・アイアンクローのこと。

 実はボルディアと僕は師匠が同じなのだが、そんなことは今はどうでもいい。


「なんのつもりですか、ゲイリーさん。

 今すぐにハンナの首から武器を離してください。

 冒険者同士の争いが冒険者ギルド協会に禁止されているのは知っているでしょう?」


 無駄だと分かっているが、一応ゲイリーに注意勧告した。

 すると、ゲイリーとその取り巻き三人は顔を合わせて汚い笑い声をあげる。


「ぎゃはは。

 協会に禁止されてると言えば、俺達がお前らに暴力を振るわないとでも思ったのか?

 馬鹿が!

 おい、コット。

 頭の良いお前ならもう状況は分かってるだろう?

 大人しくその鞄を渡せば、ハンナちゃんの命は保証してやるよ。

 今すぐ、その鞄をこちらに投げろ。

 さもなければ、ハンナちゃんの首は飛ぶぞ」


 シンプルな脅しだった。

 シンプルであるだけに、最も効く脅し文句。

 その最悪な脅しに僕は歯噛みする。


 ゲイリーはB級冒険者で、後ろの三人はC級冒険者。

 大白鹿との戦闘後でかなり疲弊はしているが、まだ体中に残る心気を使っての近接戦闘であればゲイリー達を圧倒できる自信があった。

 なのでゲイリー達が鞄を取りに僕の方に近づいてきてくれることを期待していたのだが、鞄を投げるという行為を要求されたことでその目論みは失敗に終わってしまった。


 ゲイリーは僕の心気術を警戒しているのだろう。

 ハンナの首筋から大剣を離す気配が一切ない。

 もしもう少し大剣が離れれば一瞬で距離を詰めて四人を倒すというのに、全く隙が無いあたりを見るにこうした相手を脅したり強請ゆすったりする行為に慣れているのだろう。



「コット!!

 私のことは見捨てて!!」



 ハンナはこちらを見ながら涙を流して訴えた。


「女!

 余計なこと喋るんじゃねぇ!」

「きゃあっ!」


 取り巻きの男が顔面を正面から思いっきり殴る。

 殴られて鼻血を流し、痛そうに涙を流すハンナ。


めてくれ!!」


 僕は反射的に大声で叫んだ。


「ゲイリー!

 鞄だったら渡す!

 もうハンナを傷つけないでくれ!!」


 ハンナが殴られているのを見て、僕は正気ではいられなかった。

 たとえ鞄の中に金になる珍獣二体が入っていたとしても、仕事で使う重要な書類や道具がたくさん入っていたとしても、僕はそれを捨ててでもハンナを助けたかった。


「賢明な判断だな、コット。

 なら早くその鞄をこちらに投げるんだ。

 そしたらハンナちゃんは解放してやるよ」


 汚い笑みを浮かべながら指示をするゲイリー。

 

 悔しいが仕方ない。

 僕は身体にかけていた魔法鞄を手に取る。

 そして中距離ほど離れたゲイリーのところまで届く様に、大きく振り被って魔法鞄を投げた。


 放物線を描きながら宙を飛ぶ魔法鞄。

 その最中、ゲイリーの方から声が聞こえた。


「崇高なる慈愛の神、ベアルージュ様。

 どうか私をお助け下さい。

 ベアルージュ様……ベアルージュ様……ベアルージュ様……」


 ハンナの声だった。

 ハンナは両手を合わせながら目を瞑り、祈るように何度も神の名を呼ぶ。

 その瞬間。



 ドガァァァァァァァァァァァン!!!!



 ハンナの身体に稲妻が走ったかのように、天から大量の光が降り注いだ。

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