第十六話「大樹海のモンスター」
大樹海に入ると視界は一気に緑一色となり、青い空は密林に阻まれて見えなくなった。
空気は一気に変わり、耳をすませば周囲から色んな動物や昆虫の鳴き声が聞こえてくる。
「コット~~」
弱弱しい声で僕を呼ぶハンナの顔色は真っ青。
周りをきょろきょろ見渡しては、何かに怯えている。
大樹海に入ってからずっとこの調子だ。
まあ、ハンナは冒険者経験が無いのだから怯えるのも無理もない。
大樹海には様々なモンスターが生息している。
基本的にはC級クラスのモンスターばかりだが、中にはB級以上の危険なモンスターも生息していたりする。
自分よりも格上のモンスターの気配を感じて、本能的に恐怖を感じているのだ。
ちなみに、ここでいうC級やB級などのモンスターに対する格付けは冒険者ライセンスの格付けと紐づいており、C級のモンスターであればC級以上の冒険者、B級のモンスターであればB級以上の冒険者が討伐可能であるといったような目安になっている。
つまり、この大樹海を探索するには最低でもC級以上の実力が求められるということだ。
だが今のハンナの実力は精々D級止まりだろう。
いくら神聖術が使えるハンナとはいえ、モンスターと対峙した経験がほとんど無いであろうハンナは冒険者として新米レベルなのである。
推定D級レベルのハンナがC級以上のモンスターが生息する大樹海に足を踏み入れることは本来かなり危険なのだが、僕はハンナに経験を積ませる意味を込めて連れてきた。
冒険者としてやっていくのであれば、まずはこのモンスターに対する本能的な恐怖を克服してもらわなければ話にならない。
ハンナの成長のためにも、僕がしっかりサポートしてあげなければ。
「ハンナ。
大樹海には危険なモンスターが一杯いるんだ。
ハンナ一人で先に行ったら、最悪命を落とすかもしれない。
だから、森の中では極力僕のそばを離れないようにしてほしい」
「わ、分かった……」
ハンナは、額に汗を流しながらコクコクと頷く。
馬車を降りたときの元気だったハンナとは大違いだ。
きっと大樹海の雰囲気に飲まれて緊張しているのだろう。
「はは。
そんなに緊張しなくても大丈夫だよ、ハンナ。
僕から離れなければ、危なくなっても僕が絶対にハンナを助けてあげるからさ」
そう言ってハンナの緊張をほぐすようにぽんぽんとハンナの背中を軽く叩く。
緊張感を持つのはいいことだが、あまり緊張しすぎてもいざというときに動けなくなるからよくない。
ハンナには適度な緊張感を持って初仕事に臨んでもらいたいものだ。
「コットは落ち着いてるよね。
大樹海には来たことあるの?」
励ましたからか、少し安心したような表情になったハンナ。
「ああ。
何度も来てるよ。
大樹海は広くて迷いやすいし、奥に行けば行くほど危険なモンスターも出てきて危険だから、大樹海に関わる依頼を受ける冒険者が少なくてさ。
僕が代わりに依頼を受けていたんだ」
すると、ハンナは首をかしげた。
「ギルドの職員さんだったのに、冒険者の代わりに依頼を受けてたの……?」
当然の疑問だった。
基本的に、ギルドの職員はギルド内の事務仕事をやるだけだ。
冒険者の代わりにギルドの職員が依頼を受けるなんてことは、通常ありえない。
「ブラックポイズンで働いていたときは、ギルドマスターの命令で冒険者が誰も受けない依頼の処理をよくやらされていたからね。
まあ、ブラックギルドがゆえに培った経験ってやつだよ。
ははは」
実際、ブラックポイズンでは数多くの依頼の処理を毎日していたので、僕はそこらの冒険者よりも経験は豊富である。
働いていたときは嫌々やっていたが、ギルドマスターとなった今となってはあれも良い経験だったのかもしれないと思うと、思わず自嘲的な笑いがこぼれてしまう。
「あっ!」
ハンナが急に驚いたような声をあげた。
僕はすぐに笑うのを止め、ハンナが見ている方向に振り返る。
視線の先には、前方から音もなく飛来する影が見えた。
「ハンナ!
僕の後ろに下がって!!」
僕は背中の剣の柄に手をかけながら叫んだ。
ハンナは僕の指示に従って、急いで僕の背中に隠れるように後ろに下がる。
そして、僕は剣を正面に構えながらそのモンスターを睨む。
「ヴァンパイアモスラか……」
僕とハンナを木の陰から伺うように見ているのは、巨大な
人間の子供くらいのサイズがあるその蛾の口には、細長い
あれがヴァンパイアモスラの最大の特徴で、あの細長い管を敵に刺して血を吸うのだ。
人間が刺されて失血死したという報告も聞いたことがある。
ヴァンパイアモスラは単体だとC級、群れているとB級モンスターに分類される危険なモンスターだ。
幸い、あのヴァンパイアモスラは単独で行動しているようでC級モンスターということになる。
おそらく、僕とハンナの話し声に反応してやってきたのだろう。
実は、蛾は超音波を聞き取れるほどに耳が良い。
いくら隠密の指輪をはめて気配を隠しても、蛾の聴力には敵わないようだ。
今は様子を伺っているだけのようだが、いずれヴァンパイアモスラは僕たちを攻撃してくるだろう。
ヴァンパイアモスラは動きが俊敏な上に、体毛は麻痺針に包まれている。
近づかれたら危険なモンスターなので、どうにか近づかれないように倒すしかない。
とはいえ、僕にはギルド職員時代の経験がある。
モンスターの知識はほとんど頭の中に入っているので、当然ヴァンパイアモスラの弱点も知っているのだ。
「ハンナ!
耳をふさげ!」
僕は剣を左手で持ちながら、空いた右手で魔法鞄の中をゴソゴソしながら叫ぶ。
ハンナは僕の言う通り、両手で耳を塞いだ。
それを確認してから、魔法鞄の中から取り出した丸い球を構える。
水晶玉のように綺麗な丸い球。
名前を音玉という。
音玉は強い衝撃が伝わると、大きな爆発音を鳴らして破裂する。
破裂するだけで威力は全くないのだが、代わりに鼓膜を簡単に破るほどの大きな音を鳴らす。
よく街の道具屋なんかで販売されている、冒険者御用達アイテムの一つだ。
そして、音玉はこういった聴力の高いモンスターには特に有効だ。
僕は音玉をヴァンパイアモスラに向かって投げてから、素早く耳を塞いだ。
キーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!
音玉がヴァンパイアモスラがひっついている木に直撃した瞬間、森の中で爆発音に近い大きな音が鳴り響いた。
それと同時にヴァンパイアモスラは木から落ちて、よろよろと空中を逃げるように飛んでいく。
「はっ!!」
僕はこれを勝機と見てヴァンパイアモスラに走り寄り、持っていた「風魔剣」を逆袈裟に切り上げる。
すると剣身から濃密な風の刃が発生し、その刃はヴァンパイアモスラに向かって一直線に進む。
ズシャアァァァァ!!
豪快な音とともに、ヴァンパイアモスラは風の刃に一刀両断された。
その場で崩れ落ち、血を地面に垂れ流すヴァンパイアモスラ。
「よし。
もう大丈夫だよ、ハンナ」
そうハンナに言うと、手を耳から外したハンナはその場でへなへなと尻もちをついた。
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