第十話「酔っ払いのハンナ」

「なんなのよ、あいつ!!

 ブラックポイズンってあんな奴しかいないわけ!?

 ほんっとむかつく!!」


 グラスに入った果実酒を一息で飲み干したハンナは、勢いよく丸机の上にグラスを置く。

 既に三杯ほど飲んで酔っているのか、いつもより口調が強い。

 おおよそ教会のシスターとは思えない言動である。


 ギルドに帰ってきた僕は、そういえば元オーナーが譲ってくれたお酒が棚にたくさんあることを思い出したのでハンナにお酒でも飲まないかと提案したのだが、完全に失敗だった。

 ゲイリーにふっかけられた直後なので、ハンナの愚痴が止まらない。


「ハンナ。

 少し飲むペースが早いんじゃない?」


 僕が注意すると、ハンナは首を横に振った。


「全然!

 むしろお酒が足りないくらい!

 おかわり頂戴!」


 そう言って空いたグラスを僕に押し付けてくるハンナを見て、小さくため息をつく。

 どうやら今日のハンナは飲みたい気分らしい。


「はいはい」


 僕はハンナからグラスを受け取ると、机に置いてあるペトンの実で作られた果実酒の入った瓶を持ってグラスに注ぐ。

 ちなみにペトンの実とはビーク王国近郊の森の中で採集できる真っ赤な木の実で、とても甘い果実なので食用によく使われる。

 酒棚にぺトンの実の果実酒があったのでハンナにだしてみたのだが、相当気に入ったようだ。


「はい、どうぞ」


 僕はグラスにお酒をつぎ、ハンナの手元に置く。

 すると、ハンナはにこりと笑った。


「コットは優しいね」


 先ほどまで苛立っていたハンナが急に微笑んだので、不意を突かれて胸がドキリとする。


「そ、そうかな。

 あんまり言われたことないけど……」


 ウイスキーの入ったグラスを片手にそっぽを向いた僕を見て、笑いながら隣に寄ってくるハンナ。


「えー、優しいよ~。

 今日だって私が歩くの疲れたら励ましてくれたじゃない。

 あと、あのゲイリーとかいうやつに悪口言われてもコットは全然怒らず対応するしさ。

 なんか大人だな~って思った!」


 僕はあまりぴんとこなかった。

 ハンナが疲れたら励ますのはギルドマスターとして当然のことだ。

 むしろベアルージュ教のシスターをこんなに酷使してしまっているのに、励ますくらいしかできなくて申し訳なく思っている。


 ゲイリーに対して怒らなかったのは、僕が反応を示せば余計に絡まれるということが目に見えていたからだ。

 ああいった手前は、あまり反応を示さないようにして適当にあしらえばすぐに去って行く。

 それなら怒るのも損といったものだろう。


 それに僕はブラックポイズンを辞めたばかりだ。

 もう一か月経ったとはいえ、ブラックポイズンの冒険者に会うのは少し気まずい。

 気まずさから少し冷たくあしらってしまった感も否めない。

 こんなのは優しさでも大人というわけでもないだろう。


「ゲイリーか……」


 僕はウイスキーをちびちび飲みながら、ほろ酔いの頭でゲイリーと会ったときのことを思いだす。


 そういえば、ゲイリーは「お前が新しいギルドを作ったって噂は聞いていた」と言っていたな。

 ということはつまり、ゲイリー以外のブラックポイズンの面々も僕が新しいギルドを作ったことを知っているということだろうか。

 もしそうだとしたら少々厄介だ。


 ブラックポイズンを辞めて新しいギルドを作った僕をゲイリーのように馬鹿にしてくるだけなら別にいいのだが、逆に捉えられれば面倒なことになるかもしれない。

 特にボルディアなんかは僕のことが嫌いだったから、最悪の場合、僕を裏切者などと称してブラックポイズン総出でホワイトワークスを潰しに来る可能性まである。


 そんな恐ろしい未来が一瞬頭に過ぎり、僕はブルッとその場で身震いをする。

 すると、ハンナが急に僕の身体を囲むように手を回す。


「わっ!」


 急にハンナに隣からぎゅっと抱きしめられて、変な声を出してしまった。

 それと同時に、ハンナの甘い匂いが鼻孔をくすぐる。

 左腕に感じるハンナの胸の柔らかな感触もあり、僕は完全に動揺していた。


「は、ハンナ……。

 ど、どうしたの……?」


 僕は身体を硬直させ、口だけ動かしてハンナに聞くと、ハンナはにへらと笑った。


「え~。

 コットが寒そうだったから~」


 やけに語尾が伸びている。

 完全に酔っぱらっているな。


 よく見れば、先ほど僕がおかわりをついであげたばかりのハンナのグラスはいつの間にか空になっていた。

 飲むペースが早すぎて、ハンナの顔はもうぺトンの実のように赤い。


 そういえば、一か月前に酒場でハンナに会ったときも抱きつかれた記憶がある。

 ハンナは酔うと他人に抱き着く性質たちなのだろうか。


「ハンナ飲みすぎだよ。

 ほら、水飲んで」


 丸机の上にある水差しを手に取って、ハンナのグラスに注いであげる。

 すると、ハンナは僕に抱き着いていた手を離し、ゴクゴクと水を飲み始めた。

 水を飲み干すと、またにへらとした顔で僕を見つめるハンナ。


「ねえ、コット~。

 私があのモヒカン男にパーティーに誘われてたときどう思った~?」


 急に答えにくい質問がきて、少し動揺する。

 だが、ここは正直に言った方が良いだろう。


「ハンナがブラックポイズンに行きたいんだったら、僕はそれを止められないなって思ったよ。

 うちのギルドよりブラックポイズンの方がお金は稼げるし、大きな仕事も受けられるだろうしね」


 これは神聖術なんていう高位な術が使えるハンナを、僕の作りたてのギルドに留めている後ろめたさからでた言葉だった。

 僕の中では、ハンナには僕のギルドに付き合ってもらっているという思いが強いのである。


「あっはっは~!

 コットはな~んにも分かってないんだね~!」

「分かってないって、何が?」


 急に大声で笑うハンナ。

 酔っぱらって笑っているだけなのかもしれないが、僕はその言葉の意味がとても気になった。

 そんな僕の態度が面白かったのか、ハンナはへらへらと笑いながら僕にすり寄ってくる。


「私は~、コットと一緒に働きたいからここにいるんだよ~。

 それなのにブラックポイズンなんかに行くわけないじゃ~ん」


 なるほど。

 僕と一緒に働きたい、か。

 確かに、十年ぶりに酒場で会ったときもハンナはそんなことを言っていた。


 だが、僕にとってはそこがそもそも疑問だった。

 あまり聞かないようにしていたが、酒の席だしこの際聞いてしまおう。


「なんで僕なんかと一緒に働きたいの?

 僕なんて十年前に孤児院が同じだっただけで、ただのしがない元ギルド職員なのに」


 僕はハンナの目を真っすぐ見て質問する。

 正面から見ると、ハンナの顔は真っ赤だった。

 相当、酔っぱらっているのだろう。

 ハンナはふらふらと揺れながらも、僕の目を真っすぐに見つめて口を開いた。


「だって~。

 私は十年前からずっとコットのことが~……す……」

「へ?」


 思わぬ言葉に僕は聞き返してしまう。

 しかし、最後の言葉を聞く前にハンナは僕の胸に向かってもたれかかってきた。


「スピー……スピー……」


 僕の胸に顔を押し付けるハンナは可愛らしい寝顔で寝息を立てていた。

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