第二話「酒場にて」
「はい、ビーク王国産のハチミツ酒、ビークミードだよ」
「あ、ありがとうございます」
カランと音を鳴らしてカウンターに置かれたグラスを、僕は小さく礼をしてから受け取った。
グラスを受け取ると、すぐに店員のお姉さんは次の客のところへ酒を運びに行ってしまった。
店員が忙しそうにしているのも当然だ。
僕がやって来たのは、ビーク王国南区にある酒場「ハチミツ三昧」。
安くて美味しいハチミツ酒が飲めるということで、市民階級の者が毎晩どっと押し寄せるビーク王国内で人気な大衆酒場だ。
時間帯が丁度仕事終わりの人が集まりだす夜のゴールデンタイムなだけあって、酒場はがやがやと賑わっている。
一人で来ている客なんて僕くらいのものだろう。
なぜこんなところに来ているかというと、十年も続けてきた仕事を辞めたことによる解放感からお酒をなんとなく飲みたくなったからだ。
以前からこのお店のハチミツ酒が美味しいという噂は聞いていたので気になっていたのだが、仕事が忙しくて来られずにいた。
だが先ほど辞職をして時間に余裕ができた僕なら、今まで仕事をしていたこの時間でもお酒を飲みに行くことが出来る。
これを好機とみて、ここぞとばかりに酒場へとやってきたというわけだ。
ちなみに一人で来ているのは単純に一緒にお酒を飲むような友達がいないからだ。
言い訳に聞こえるかもしれないが、仕事が忙しすぎて友達を作る暇なんてなかったのである。
深夜まで残業をしながら働いていたから外で友達を作る暇なんてなかったし、ボルディアに毎日のように怒鳴られていた僕はギルドの人達からも
結果、友達なんて一人もできなかったのである。
まあ、まだ僕は二十歳になったばかり。
一緒にお酒を飲む友達なんてこれから作っていけばいい。
今日は一人でこのハチミツ酒を楽しもう。
僕は琥珀色に染まったハチミツ酒が満杯に注がれたグラスを両手で持ち、ゆっくりと口元に近づける。
そしてグラスに口を付け、まずはゆっくり
ズズッ……
少量のハチミツ酒を口に含んだ瞬間、口の中は爽やかな甘味に包まれた。
今まで味わったことがないような新しい感覚に僕は飲みながら驚く。
そのまま勢いに任せてゴクリゴクリとハチミツ酒を飲み続ける。
「ぷはーーーーっ!」
あまりのハチミツ酒の美味しさにグラスを傾けて一気飲みをし終えた僕は、周りの目をはばからずに大きな声をだしてしまった。
だが僕の大声なんて、がやがやとうるさい酒場の中では小声に等しい。
せいぜい聞こえたとしても対面で忙しそうにお酒を作っている店員のお姉さんか、僕と同じカウンター席に座るお客さんくらいだろう。
「ふふふ」
すぐ近くから僕に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな笑い声が聞こえてきた。
その笑い声に反応して左に首を傾けると、僕と二席空けて隣に座っている女性がこちらを見ながらクスクスと小さく笑っているのが目に入る。
歳は僕と同じくらいだろうか。
このあたりでは珍しい桃色のロングヘアを綺麗にまとめ、南区の大衆酒場にはそぐわない細かい装飾がふんだんになされた高級そうな薄手の白いワンピースを着た女の子。
くりっとした人懐っこそうな目でこちらを見てクスクス笑っていた。
僕はそのとき女の子の笑顔を見ながら可愛らしい人だなと密かに思った。
あまり女性を可愛らしいなどと思ったことは今までないので、もしかしたらもう酔いが回ってきているのかもしれない。
じっとその女の子の顔を見つめていると女の子も僕の視線に気づいた様子。
「あ、ごめんごめん。
人を見ながら笑うなんて失礼だよね。
あまりにも隣で美味しそうにお酒を飲んでたから面白くって」
言いながら笑顔で謝罪をする女の子。
満面の笑みで謝罪をしてくるものだから、僕もなんだかつられて笑いそうになる。
「いえいえ、お気になさらず。
こちらこそ大声をあげてしまって申し訳ありません。
このお酒、初めて飲むものでして。
あまりの美味しさについ声が出てしまいました」
こういった酒の場ではここまで畏まる必要はないかもしれないが、職業柄つい敬語になってしまう。
「君も初めて飲むんだ!
実は私も今日初めて飲んだんだ!
とても美味しいね、このお酒!」
僕の畏まった口調を気にする様子もなく、女の子は僕との間に挟まる空いていたカウンター席に座って僕との距離を詰め、手元にあるハチミツ酒の入ったグラスを僕に見せながらニコリとほほえみかけてくる。
「そ、そうですね……」
いきなり女の子に席の距離を詰められて驚いたのと、女の子の可愛らしい笑顔を直視できない恥ずかしさから、僕は少し目線を女の子の顔から逸らしながら返答してしまう。
今の返答は印象が悪かっただろうか?
少し心配になるが、隣に座る女の子の良い匂いが鼻孔をくすぐり、どうでもよくなってくる。
「ねえねえ。
君、面白いね。
名前なんていうの?」
僕が戸惑っていることなど関係なしに、女の子は目線を逸らす僕の顔を覗き込むようにしながら上目使いで名前を聞いてきた。
「こ、コットです……」
女の子のくりっとした綺麗な目と目が合ったことで顔が熱くなるのを感じながらも、どうにか返事をする。
「……え?」
すると、ずっと笑っていた女の子の顔から表情が消えた。
大きく目を見開いて驚いた表情で僕の顔をまじまじと見る女の子。
「も、もしかして……。
フルネームだとコット・ハミルトン?」
僕の名前だった。
それを聞いて、急に酔いが覚めた。
なぜ今日初めて会ったはずの女の子が僕の名前を知っているのだろうか?
まさか、どこかでこの女の子と会ったことがある?
いやでも、こんなに可愛い女の子とどこかで会ったことがあったっけ?
全く記憶にないんだが。
「え、ええと……。
はい、コット・ハミルトンです。
なぜ僕の名前を知っているんですか?」
質問すると、女の子の目から涙が一滴こぼれ落ちた。
「コット!
久しぶり!!」
女の子は僕の質問を無視していきなり抱き着いてきた。
まさか抱き着かれるとは思っておらず、硬直してしまう僕。
頭の中はパニック状態だった。
僕に向かって女の子が「久しぶり」と言ったので、やはりどこかで会ったことがあるのかもしれない。
だが、こんな桃色の髪をした女の子と出会った記憶は今まで一度もない。
どこかで本当に会ったことがある?
それとも、女の子が酔っぱらっててハグをしてきただけ?
もしかして、ここはもう夢の中?
考えても考えても考えがまとまらない。
先ほどから鼻孔をくすぐる女の子の甘い匂いがハグをされたことでさらに強まり、どうにかなってしまいそうだ。
その上、女の子の胸部の柔らかい感触が服越しに伝わってくるこの状況で、何かを考えろという方が無理な話だろう。
「お、落ち着いて下さい。
どこかでお会いしたことがありましたっけ?」
僕が混乱しながらも質問を絞り出すと、女の子はゆっくりと僕から離れ、姿勢を正して席に座る。
「そっか。
コットは私が誰だか分からないか。
私も成長したってことなのかな」
目に涙を溜めながら笑っている女の子は、目元を手で拭いながらニコリと笑った。
「私はハンナ。
ハンナ・ローランドだよ」
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