第2話 むしゃむしゃ
「あ、ああ」
「宝田咲恵とだけじゃなく、他のどんな人とも浮気しない?」
「もちろん」
「仮に私の方が何かの拍子に浮気っぽいことをしても、怒らない?」
「ええ?」
「たとえば、あなたの尊敬する先輩、
「それは……」
「あの人、凄いわよね。学生のときから、特殊効果っていうの? 特撮? とにかく映画の美術の仕事を依頼されて、見事にこなして、賞の候補にまでなったし、芸能界の伝もあるし」
「……」
「私も人並みに芸能界に興味あるから、紹介してもらおうかしら、なんて考えるかもしれないわよ。その流れでどうなるか、分かったものじゃないかも」
「やめてくれ」
「ん?」
「そういうの、仮定の話でもやめてくれ、お願いします。田中さんはそんなことしないし、愛菜ちゃんだって一ミリも思ってないこと、口にしないでくれよ」
「……心の痛み、感じるって言うのなら、もっと早くこっちにも思いやりを示して欲しかったわ」
「すまない。こういうところ、僕は鈍感で……本当に申し訳なく思う。で、でも、愛菜ちゃんが浮気するなんてこと、我慢できそうにない」
「……」
「愛菜ちゃんが浮気しても見逃せというのなら……僕はあきらめる。自分のことを棚に上げてになるけれども、それだけは飲めない」
「……分かった。だったら、さっき言った条件は撤回してあげる。そもそも、浮気なんて私はこれっぽちもする気ありませんけど」
「だよね!」
「だから、喜ぶなっつーの! 謝罪の電話なんだから、終始しおらしくしていればいいものを」
「そ、そうだよね」
「あー、またいらいらしてきた。そもそも、私が浮気する云々は冗談なんだから、本当なら今ので終わりにしてあげようかしらと考えてたのに、終われなくなったじゃあないの」
「ええー、そんな……僕はどうすれば」
「うるさいわね。少しの間、黙ってて。考えるから」
「はい……」
「……再確認するけれども、まさか、今日、宝田咲恵と会ったり、話をしたりしていないわよね?」
「あ、うん。そ、そのー、正直に話した方がいいと思うから、これも言うけれども」
「何よ」
「僕ら三人、バイト先が同じだろ。シフトはあんまり重ならないけど」
「ええ」
「今日は僕が午前で、宝田さんは次の時間帯のシフトに入っていたらしいんだ。あ、これ、店長が言ってたことで、言われるまで僕は知らなかったからね」
「分かってるわよ。それで?」
「それで……宝田さんが時間ギリギリになっても姿を見せない、電話してもつながらないと、店長が言い出して、それで、頼まれたんだ」
「何を? ああ、もしかして、知り合いだから宝田咲恵のアパートまで行って、様子を見てきてくれとでも言われたの?」
「あ、当たり。つ、つまり僕は仕事の延長で、宝田さんの家に向かった訳でして……」
「……別にいいわよ。あの店長の頼みなら、断れないでしょうし」
「そ、そうなんだ。それに、聞いてほしいことはまだあって。僕は結局、宝田さんに会えなかったんだ。アパートに着いて、彼女の部屋を訪ねたんだけれども、留守だった」
「ふーん」
「信じてくれよ。正真正銘、事実をありのままに話しているんだ」
「信じるわ。アルバイトでの都合で様子を見に行っただけなら、実際に会おうが留守だろうが関係ない」
「よかった。信じてくれてありがとう。僕も話してよかったと思――」
「静かにしててくれる? まだ考え中なんだから」
「……」
「――ああ、思い付いたかもしれない。くだらないことだけど、あなたが普段、私をどれだけよく見てくれていたかを量る、物差しになるかもしれない」
「え、え? 話がいきなりすぎて、全然着いて行けないんだけど」
「私ね、今年に入ってから、音作りに少々はまっていて。あなたには言ったっけ、このこと?」
「うん。軽く、さわりだけなら。確か、色んな生活音を収集して、それらを組み合わせて曲を作る、立ったと思う」
「そう、それ、だいたい合っているわ。で、ここ何年か、ASMRが一部で流行っているでしょう?」
「あ、ああ。料理を作る音とか食べる咀嚼音とか、あと、ハサミで切ったり、刀の焼き入れ、だっけ? とにかく様々な音を聞いて、ある種の快感みたいな物を得ること、だろ?」
「映像も込みだから、少し違うけれども、分かってはいるみたいね。とにかく、私も試してみているの。手近なところで、咀嚼音を集めている」
「へえ。動画を上げれば再生回数稼げるんじゃあ」
「そんな気は毛頭ありません。正直言って、自分がものを食べている音を赤の他人にじっくり聞かれるのって、結構恥ずかしいし。でもまあ、あなたなら別にかまわない」
「え? 何?」
「今、私のすぐそばに、集めた音が色々あって、すぐに頭出しできる状態なの。これから一つずつ流すことにする。貝塚正太郎クン、あなたはそれを聞いて、私が何を食べているときの音なのか、言い当てるのよ」
「……ASMRクイズ?」
「ま、そういうことになるかしらね。全問正解すれば、あなたのしたことは水に流してあげる、という条件はどう?」
「ぜ、全問正解?」
「そうよ。私との付き合い、真剣に向き合ってきたなら、咀嚼音もしっかりと耳と記憶に残っているのが当たり前じゃないかしら」
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