第8話

「最近なんだか楽しそうですね」

「そうかい?」

 先ほどまで鼻歌を歌いながら歩き回っていた人が「そうかい?」と言うのもどうなのでしょうか。隠すことでもないでしょうに。

 まあ妻としては夫の機嫌が良いのは喜ばしいことなのですから、もったいぶらないで早く理由を話してほしいところです。

「何かいいことでもあったんですか?」

「いやぁ、そういうわけでもないんだけどね? 今は久しぶりに自分単独の作品を書いているんだよ」

「なるほど、確かに久しぶりですね」

「だろう? 最近は雑誌や新聞のコラム、何かあったときのコメントの仕事ばかりだったからね」

 世間の認知度が上がっていけば上がっていくほどそういう仕事が増えていきました。簡単に言えば人前に出る仕事が増えたということなのですが、それと同時に自分の作品にかける時間は少々減ってしまったように思えます。

「やはり嬉しいですか? 自分の作品を書けるというのは」

「うーん……その質問は難しいねぇ。私の場合はどんな仕事に対してもそんなに熱量は変わらないんだよ」

「でも貴方、嬉しそうでしたよ」

「私が喜んでいたのは自分の仕事ができること自体ではないんだよ。どちらかというと、余計なことを考えずに仕事をできることが嬉しいかな」

 相変わらず私には夫の言いたいことがよく分かりませんでした。結局仕事ができることに喜びを感じているような気がしますが。

「つまりそれはどういう?」

「今は世の中色々と規制が厳しいだろ? それを気にしていると書きたくても書けないことがたくさんあるからね」

「それはどんな仕事でも変わらないのでは?」

「書いてはいけないものはどの仕事でも変わらないんだけどね、ここで重要になるのはグレーな部分のお話だよ。例えばどこかからの依頼を受けて何かを書く場合、出来るだけグレーな表現は避けなければいけない。私だけでなくて相手方のこともあるからね。それに対して自分の作品は自分の責任がほとんどだから、あまりその辺りのことは気にしないで書いてもいいんだよ」

 そう話す夫はとてもいきいきとしていて、本当に自分の作品を書く方が楽なんだろうなと思いました。

「なるほど、そういう訳でしたか。ところで貴方はそんなにグレーな表現を書いていましたっけ?」

「書かないね。私は世の中に問題提起していきたいわけでは無いし、無駄にバッシングを受けるようなことはしたくないんだよ。君もそれはよく知っているだろう?」

 はい、とてもよく知っています。ただここで夫に同意したら調子に乗り出しそうなので、ここは黙って頷くだけで終わりにしようと思います。

「はいはい、それでは貴方は楽しい楽しい原稿作業に戻ってください」

「おや、何か怒っているのかい?」

「そういうわけではありません。ですが今日の夕ご飯は考えさせてもらいましょうかね」

「ええ……何をする気だい? まさかおでんとか言わないだろうね?」

 何故か夫はおでんが苦手だそうです。寒くなり始めた今の時期にはちょうど良いと思うのですが。

「ふふ、楽しい時間がいつまでも続くとは思わないことですね」

 ちょっと意地悪しようと思ったのですが、さすがに夫の好きな具材は多めに準備しておきましょうか。

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