第6話

「ただいま戻りました」

「おかえり」

 私が午前中に仕事を終えて帰宅すると、書斎の方から夫の声が聞こえてきました。私がいる方へ出て来ないのは珍しい。何もなければこちらへ来るはずですから、おそらく原稿作業中なのでしょう。

「今日はどのくらい作業をしているんですか?」

「君が家を出てから今までずっとだから……ざっくりと計算して五時間くらいかな?」

「それなら少し休憩なさってはいかがですか? それほど締め切りがギリギリの原稿は無かったはずでしょう?」

「うーん……。わかった、君がそう言うならそうさせてもらおうかな」

 そう言って腕を上げて大きな伸びをすると、書斎の椅子から立ち上がった。

 夫は頑張りすぎる傾向にあります。いえ、正しく言うと問題はそこでは無いのでしょう。スポーツなどをやっていると良い塩梅のところで休息をとっているいるらしいので。

 きっと夫は、原稿が完成するまで頑張ったとは言えないと思っているのだと思います。絶対そんなことはないと私は思うのですが。

 大体貴方がそんなことを言っていたら一生休めないのではないですか?

「うっ、少し首と肩が痛むな」

「ほら休憩してよかったじゃないですか。頑張りすぎなんですよ貴方は」

「そうは言われてもねぇ? 頑張らないと原稿はできない訳だし、万が一君を路頭に迷わせるようなことがあってはいけないし──」

「私は貴方に倒れられてしまう方が困るのですが。それに、倒れてしまったらそれこそ仕事はどうするんですか? 私はどうすれば良いんですか?」

「いやぁ、それは分かっているんだけどね、ははは……」

 今日まで何度も繰り返し言ってきたことですから、夫も私の言いたいことは流石に分かっているのでしょう。けれどいつまで経ってもこのような反応で、自ら休む様子は私に見せません。

 きっとスポーツなどとは違って区切りがあるものではありませんから、自分でも休憩するタイミングを見つけるのが難しいのでしょう。それに作業中の集中力はかなりですから、気がついたら時間が経っているいうのもあるのでしょうね。

「それじゃあ休憩と言っても何をしようかね」

「休憩だからと言って何かしようとしなくても良いのでは?」

「そういうわけにもいかないよ。どうせ休憩するなら有意義に時間を使わないとね」

 自分の顎に手を当てて大真面目に何をするか考えていました。それはまるで原稿作業で詰まってしまった時の様子に似ています。

「君の今日の予定は?」

「私ですか? 私は特にはありませんが」

「それなら一緒に出かけようか。なあに、休憩ついでに吸収もできて一石二鳥だからね」

「……それは言い換えると『取材』というのでは?」

「いやいや違うよ、あくまでも優先されるのは休憩の方さ」

 なんでもかんでも作品の材料にしてしまうのは職業柄仕方がないでしょうから、あまり深く追求しすぎないようにしてあげますか。なにより本人が休憩する気になっているのですから、その気持ちに水を刺すようなことはやめておくべきでしょう。

「それじゃあのんびりと準備しようか」

「え、今からですか?」

「都合が悪かったら時間を空けてからでも大丈夫だけど。それなら君の都合が良くなるまで原稿を進められるし──」

「突然のことだから驚いただけです! 今すぐ出かけられるように準備しますから、貴方も原稿ばかりに気を取られていないで準備してください!」

「うん、分かったよ」

 私が夫の扱い方を心得ているように、夫も私の扱い方を覚え始めたようで。最近はたまにこう揶揄われたりするようになった。私としてはこのくらい方が心地よい気がしますけどね。

 とにかく今は急いで出かける準備をしましょう。夫が原稿作業に戻ってしまう前に。

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