第4話
私たち夫婦は、周囲にもかなり恵まれたと思います。
例えばそれが現れてくるのは日々の生活の中。大きなご近所トラブルなどは一切無く今日まで過ごせていますし、夫はもちろん、私がいざこざに巻き込まれるということさえありません。
それに仲のいい近所の人などからは『何かあったら協力するからなんでも言ってね』とまで言われています。普通に捉えればご近所付き合いとして良くあることのように聞こえますが、後々話をしていくとどうやら小説の話も含まれているようでした。つまり『小説の題材としても協力する』という意味だったようです。
夫の作品の作り方を知っているのかどうかまでは分かりませんが、少なくとも作品が愛されているということには間違い無いでしょう。そんな夫と夫の作品に、私も誇らしくなります。
ちなみに少し気になって夫に尋ねてみたら「今のところ、ご近所さんの話を聞いて書いた作品は無いよ」と答えていました。利用しないまま書き続けることが出来ればいいのかも知れませんが、もしもの時の支えがあると安心することが出来ますね。
ご近所さんに恵まれたのはもちろんですが、結局のところ一番恵まれていたのは親かも知れません。そしてそれは私側だけでも夫側だけでもなく両方ともです。ただ、私からすれば私側の親に対するありがたさの方が多いでしょうか。
どうしても小説家に対する偏見はあるでしょう。『文章なんて誰だって書けるだろう』や『ずっと籠って字を書いているなんて、きっとだらしない生活をしているに違いない』など、言おうと思えばいくらでも批判する言葉は出てきます。しかし私の両親は、昔からそんなことは一切言いませんでした。
私の両親に夫を初めて会わせるとなった時、夫が緊張していたのは言うまでもありませんが、恐らく一番緊張していたのは私の方だったと思います。
「いやー、こういうことは初めてだからとても緊張するね」
「何度もあったら困りますよ」
「ははっ、それはそうだね」
「それより貴方、そんな口調でしたっけ?」
「……まあ、緊張しているってことさ」
明らか緊張している夫の隣で、私は身体が岩のように硬くなってしまっていました。
自分でこんなことを言うのは変かも知れませんが、私は両親から大切に育てられた方だと思います。兄弟はいません。一人っ子です。それが理由だというのもあったかも知れませんが。
学校で他の子やテレビで痛ましいニュースなんかを聞いていると、私からはかけ離れすぎて想像も出来ないと思っていました。そう言った意味でも私が両親に恵まれていたことは確かでしょう。
「君、大丈夫かい?」
「え、ええ。大丈夫です。それでは入りましょうか」
「ちょっと待って。一応深呼吸だけさせてくれ」
きっと両親は私に、公務員のような安定した職業の相手と結婚してほしいと思っていたと思います。誰だって自分の愛娘には、ある程度安定した暮らしをしてほしいと思うものでしょう。
だからこそ私のことを大切に育ててくれた両親に、夫を会わせることが心配で心配でたまりませんでした。両親になんと言われるか。最悪の場合、縁を切られてしまうのではとまで思っていました。
でもそれも覚悟の上でここまで来ました。それだけの覚悟をする程の相手と私は出会ったのです。
「よし、準備出来た」
「分かりました、行きましょう」
夫の深呼吸が終わりを迎え、それを確認した私は実家の玄関を開けました。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「初めまして」
「あら、あなたが……。ようこそいらっしゃい」
「今日はよろしくお願いします」
私と夫を出迎えた母はニコニコと笑っていました。
よく見た母の笑顔。ただそれが純粋な優しさなのか他人だから愛想を良くしているだけなのかが読めず、私の緊張は増していくばかりでした。
私の家では四人で食事をしました。様子を見ている限りでは私の両親と夫は仲良く会話していたと思います。
食事を終えて一段落経った頃、夫が遂に切り出しました。
「今日はお二人にお話があってここへ参りました。娘さんと結婚させてください!」
特に事前の打ち合わせや合図などがあったわけではないので、私からしてもそれは突然でした。もちろんそれを言う為にここへ来たのですから心の準備は出来ていましたが。
「お父さん、どう?」
「うん、わかった。別に構わないよ」
「えっ」
私と夫は驚きのあまり声が溢れました。もっとこう何と言いますか、よく聞くように一度断られたり無言の時間が続いたりするものだと思っていましたから。
「あれ、答え方を間違えたかな?」
「何か厳しいことでも言われるのかと。私はその覚悟で来ましたから」
「君がどんな人なのかは、会話しながら食事をしてある程度よく分かった。少なくとも悪い人ではないと思ったからね。それでお互い結婚したいと思っているのなら文句は無いよ」
「そうですか……」
夫も緊張が解けたようで、先ほどより少し姿勢が悪くなっていました。
「お父さんありがとう」
「お父さんとしてはこの人でも構わないと思うから、結婚する前にもう一度よく考えなさい。その結果結婚したいと思ったら結婚すればいい」
「分かった」
もう一度よく考えたところで結果が変わらないのは言うまでもありませんが、そこは父の厳しさだったのでしょう。『悩むくらいなら辞めなさい』というやつですかね。
「それでは君も今日から私の家族だ。これからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
そう言って父と夫は固い握手を交わしていました。母も苦笑いしていましたし、きっと私たちには理解出来ないものなのでしょう。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、またいつでもいらしてくださいね」
私はそのまま実家に泊まりましたが、夫は仕事の都合で帰らなければなりませんでした。緊張が解けたからなのか、夫はとても笑顔で帰って行った記憶があります。
「あんた、いい人を見つけてきたね」
「悪い人だったら連れて来られないし。ただお母さんたちのことだから、もっと公務員とかと結婚してほしいのかと思ってた」
「そうね。もちろんその方が安心出来るけど、あんたが幸せならそれでいいじゃない」
「……ありがとう」
結局は私主義の親バカなんだろうなと思った。悪い気は一切していないけれど。
「それにしてもお母さん、笑いそうになっちゃった」
「どうして?」
「だってあんた、お父さんと話し方がそっくりな人を連れてきたんですもの」
「え?」
もちろん私側の話だけではなく夫側の両親の話もありますが、それはまた別の機会にでもご紹介出来たらと思います。
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