バナナ
保健室の戸を開けると、鴇田先生が紅茶を飲んでいる。学園祭の当日だけど、この先生はいつもこんな風に、紅茶を飲んでいるのだろうか。
「……鴇田先生」
私が言うと、先生は一度振り向いたけど、すぐに校庭の方を見てしまう。
「雨、本降りになったら嫌だね」
先生は言って、ソーサーにカップを置く。
「6月30日ってさ、一年間のちょうど真ん中って感じがしない?」
すごく早い気がする。私、今日で16歳になった。
「今日、誕生日なんです。私」
「うん。おめでとう」
鴇田先生は立ち上がって、シンクの隣にある冷蔵庫を開ける。
「じゃあ、これ、誕生日プレゼント」
鴇田先生の手にあるのは真っ黒なバナナ。
いつから冷蔵庫に入っていたのか。
「中身は大丈夫だから。食べなさいな。お茶も飲む?」
私はうなずいて、保健室の椅子に初めて座った。
「小山さん、吹奏楽部でしょ。午後だっけ、発表」
「はい。でも、その前に、鴇田先生に会っておきたくて」
紅茶を淹れる先生の手が止まる。
「先生、河野時っていうVtuber知ってますか?」
「ブイ?なに?」
「ブイチューバ―です」
先生はソーサーを私の前に置いて、紅茶の注がれたカップを置いた。
「アニメっぽいキャラクターが話してるやつ?」
「はい」
「観たことないよ。私、あまりそういうのは観ないの。ゲームとかやらないし」
「そうですか」
「うん」
私は、紅茶を一口飲む。
そんなわけないか。
「先生、バナナが黒くなる
「ポリフェノールの酸化でしょ?違かったかな?」
「いえ、あってます。でも普通、知ってます?そんな事」
「うーん。どうなんだろう。知ってる人もいるんじゃない?私ね、身体鍛えてるから。バナナは毎日食べるの。だから、前に調べたことあるんだよ。栄養素とかね」
「私も毎朝、食べてます」
「へえ。意識高いのね」
「それを言ったら、先生の方が高いことになります。私、身体は鍛えてません」
「そうだねえ」
鴇田先生は笑って、私も笑っていた。
指揮棒が振り下ろされる。吹奏楽部のみんなが、息を揃えて演奏する。
たなばた。私の大好きな曲。まどろみそうになる意識の中で、私はクラリネットを吹いている。フルートの綺麗な音、サックスの力強い音、複雑なパーカッション。軽快なトロンボーン。その他にも沢山の楽器。
そのどれもが、私の一部になる。
演奏される曲の歯車として私はここにいて、私の息がしっかりと音色を放ち、一部として融合される。最高な時間。ずっとこの中にいたい。
「すごい拍手だったね」
母がテーブルの上に唐揚げを盛りつけた皿を置く。
「いや、本当に。すごい演奏だったよ。プロのオーケストラみたいだった」
父が言って、ビールをあおる。
私はうなずいて、唐揚げを齧った。
スマートフォンが鳴って、画面をみると、千田からのメッセージ。
(誕生日おめでとう)
(なんでしってるの)
(保健の先生から聞いた)
(ふうん)
(ごめん、きもいか)
(別に。ありがとう)
「俺も、クラリネット始めようかなあ」
父が宙を仰いで言い、ふわあっとあくびをする。
そのあくびにつられて、私もあくびが出た。
母が笑った。
Sugar Spot Theory 土釜炭 @kamakirimakiri
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