4. Let There Be More Light

1.

 最初に眼に入ったのは知らない天井。

 僕はマシュマロのように身体を沈み込ませるベッドに横たわっていた。身体の感覚はいつにもまして鈍く長い痛みに支配されている。だが、そんな身体でも、心地よさを感じるだけの繊細さを持つベッドだった。

「目を覚ましたのね」

 そういわれ、声の主を反射的に探そうとする。だが、首を動かそうとして、異常な激痛が走る。

「無理をしないほうがいいわ。常人ならまずひと月は寝込むくらいの怪我を負っているのだから。むしろ、あの状態であそこまで抵抗してみせたことが異常ね」

 ベッドに座り込む振動が伝わる。僕の顔を覗き込んだのは、ラファエルだった。

「……ラファエル」

「丸一日寝ていたから、昨日ぶりかしら。ずいぶん派手に暴れたみたいね。組織は今大騒ぎ。あなたが古参含め幹部を四人も殺したからね」

 彼女は楽しむかのようにいった。その口調が気にかかったが、別のことも気になった。

「……やはり昨日、僕が気絶する前にセラフィム達を撃ったのは君か」

「ええ。でも組織じゃあなたが撃ったことになっているわ。セラフィムはまだ生きているのにね」

「何だと……」

「そう責めないでよ。仕方なかったじゃない。あなたを助けて逃げるのに精一杯で、死んだかどうか確認している暇がなかったのよ。まあ、一番厄介な“能力”のケルブは死んだから、それはよかったんじゃないかしら。彼女の“エコー”があると逃げても逃げても追われてしまうからね」

 やはり、ラファエルの声音には嬉々としたものが混じっている。僕はそれに違和感を覚えた。いつも、組織で僕に絡んでくる彼女の姿からは連想しづらい様子だった。

「……一体何がそんなに愉快なんだ、ラファエル」

「愉快? ええ、そうね。楽しくて仕方ないわ。私の愛する人を殺したやつを殺すことができたのだから。レノアを殺した女をね」

「……何だと?」

 なぜこいつが姉の名を知っている。愛する人とは姉のことか。殺した? 誰が?

「落ちつきなさい、ガブリエル。あなた、本当に私のことを覚えていないの? まあ、昔からお姉さん以外見えていない子だったけれど」

「何を……何をいって……」

 刹那、脳裏にある日の記憶がよぎる。姉の葬式の日の光景。あの日は葬式にふさわしい曇り空の日だった。そうだ、思い出した。僕と一緒に、葬儀場が閉まるまでずっと姉の側にいた、髪の長い女の人だ。

 たしか、名前は……。

「ジュリアン?」

「あら、思い出してくれたの? ちゃんと名前、知っていたんじゃない」

「当たり前だ……姉の死を悼みに来てくれた人のことは誰一人忘れていない」

「……さすがね」

 ラファエル……いや、ジュリアンはベッドから降りて立ち上がると、この部屋に差す明かりの源泉、つまり窓のほうへ歩いていく。どうやら、ここはどこかの部屋のようだ。

「あなたには全部教えてあげる。私はレノアの恋人。あなたが知っているかは、知らないけどね」

「……姉さんは僕に恋人がいるなんて一言もいっていなかった」

「かっこつけたかったのね。あるいは心配させたくなかったか。もしくは……」

「……恥ずかしかったんだろうな」

 姉のことだ。僕に知られたら何をいわれるかわかったものじゃないと隠していたのだろう。あの人は、そういう人だ。

「そういうことでしょうね。よく妹さん……つまりあなたの話をしていたわ。残されたたったひとりの家族で、何よりも大事な人だって。私はあなたのことを語るレノアの笑顔を見て、敵わないなあって思ったわ。そして羨ましかった。でも何より、あなたを想うレノアのことが好きだった。彼女のすべてを手に入れたかったけど、手に入らない姿も素敵。矛盾しているけど、私が惹かれたのはそういうところ」

 顔の代わりに眼を動かしてジュリアンの姿を見る。彼女の表情は、ちょうど後ろ姿となっていることでわからない。

「でも三年前のあの日。私の世界はひっくり返った。レノアが死んだと知らされたから。驚いたわ。あの人が死ぬことなんてありえないと思っていた。私は一生、彼女とともに生きていくんだと思っていた。でも死んだ。彼女の遺体を見たとき、自分でも驚くほど悲しい気持ちになったわ。そしてどうしようもないほどの絶望も。いっそこのまま私も死のうかと思った。でもある情報を聞いて、それを思い直したの」

「それが……」

「ええ。『エイブラハム』という組織のこと。レノアは教えてくれなかったけど、彼女はこの組織の創設者だった。いろいろ知ったわ。『固識の路』の存在、裏の世界……彼女は私にも“能力”のことを教えてくれなかったことを思うと、今も少し死にたくなるけれど」

「……僕もだ」

 家族にくらい、恋人にくらい、打ち明けてほしかった。そして、そういう場所になれなかった自分自身の不甲斐なさに腹が立つ。もっと姉を安心させられるような存在になりたかった。後悔はどこまで行っても消えない。

「……それで、まあ、いろいろ調べたわ。こう見えても私、昔はよくやんちゃしていたから伝手もあったの」

「こう見えても、といわれても説得力がない」

「うるさいわね。それでようやくわかったの。レノアを殺したのが何者なのか。彼女は『エイブラハム』によって殺されたのよ」

 これまでのことから、予想はしていた。だがその事実は驚きをもたらし、何よりも納得することができなかった。

「どういうことだ。どうして姉さんは組織に殺されなければならなかったんだ。姉さんは……」

「そもそもよ。あの人がこんな組織を作ると思う? 暗殺、売春、麻薬、裏稼業なら何でもござれの女子供も関係ないこんな外道の組織をよ。ありえないわ。レノアのいいところといえば高潔さと頑固さを煮込んだようなあの性格よ。正義も仁義もあったもんじゃないこんな組織が彼女の望んだものとは思えない。つまり、彼女は裏切られたのよ。組織によって」

「……そういうことか」

「彼女は組織の中で起こっている腐敗に気づいてしまった。そして馬鹿正直に正面から問い詰めたのよ。だけどそれは失敗だった。なぜなら、もう誰ひとりとして彼女の理想についてこようとするものはいなかったから。拡大した組織と、私欲にまみれた汚物どもが、利益のためだけに彼女を殺したのよ」

 驚きは、なかった。ただ凪のような心の中に、静かな怒りだけが燃え上がっていた。僕はまだこんなにも怒ることができるのかと、そのことに対して驚いていた。

「そしてあなたのことも利用した。姉を失い感情の矛先がわからなくなっていたあなたに、偽の復讐相手をあてがい、殺させた。詳細は把握していないけど、大方当時敵対していた組織の要人ってところかしらね。そしてあなたに嘘の復讐を遂げさせたあとは、その“貸し”を押しつけてあなたをいいように使っていたのよ」

「そうか」

 そんなことはもうどうでもよかった。僕はただ、すべてのことに意味を得られたことが嬉しかった。姉を殺した相手を間違えていたことも、そうなるよう仕向けられたことも、無意味な殺しをさせられたことも、もうどうだってよかった。

 それに対する怒りを向ける理由と相手が見つかったから。

「さて……私が知りたいのはひとつ」

 ジュリアンは、気がつけばまたベッドの側に座り込んで、僕の顔を覗き込んでいた。

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