2.
今日の依頼は大学教授を殺してほしいというもの。理由については、自分の研究の正当性を認めない頑迷な教授を排除したいというもの。つまり、恥をかかされたから報復したいということだ。大学構内はやめてくれという指定があったので、標的の移動経路等々を考慮しもっとも人目につきづらい時間帯、つまり研究室にひとりでいる時間を狙って“扉”を開く。移動先は近くの川。一キロメートル上空から川に向かって落下してもらった。落下までの間に川に移動して、標的が死んだかどうかを確認し、仕事完了の連絡を入れる。
僕は何をしているのだろうと思う。昨日は人を意志もなく殺した後に、自分勝手に人を助けた。しかも、そのせいでミスを犯してしまった。そして今日は、また誰かにいわれたから人を殺す。あまりにも無軌道で、信念も何もない。
毎日毎日同じことの繰り返し。三年前にこの組織に入ってから、変化のない日々を送ってきた。だが、昨日初めて僕自身の意志で行動した。誰かを助けた。
姉の言葉を思い出す。
「私は正しさを持っていたい。私が正しいと思える信念がひとつあれば、絶対に迷わなくて済む」
姉はいつも理想を語っていた。そしてそれを実行している人だった。僕はどうだろうか。姉に顔向けできるように生きているだろうか。
思い出されるのは昨日出会った
その未夜世は、おそらく今日殺される。彼女が『エイブラハム』を調べ回っていることが組織に発覚したのだ。いつ殺されるのかはわからない。しかしその場所はわかっている。
僕は一体何がしたいのだろうか。彼女を助けたいのか? 今まで散々身勝手な理由で人を殺してきた僕が、たまたま出会っただけの子供を助けるのか。しかも、相手はすでに組織の標的となった。明確な組織の敵となったのだ。この件は僕の手に余る。もうこれ以上関わるべきではない。
理性はそう訴えかけている。だが、心のどこかで、それを否定する声が聞こえているのも事実だった。
川を眺める。昨日見た夢のような燃える炎の川ではない。揺れる水面には僕の顔が映っていた。伸ばしたままにした赤紅色の長髪に覆われて表情は読み取れない。
僕は川に向かって石を投げ入れた。
水面は激しく揺れ、何も映せなくなった。
「あっ、昨日の」
僕は
「昨日はありがとうございました。お礼もいう暇がなくて、ついでに連絡先も名前も知らないからどうしたものかと思ってたんですけど、また会えるなんて偶然ですね」
「……ガブリエルだ」
「え?」
未夜世は聞こえなかったのか、素頓狂な声を上げた。
「僕の名前だ。相手に名乗られたら自分も名乗るのが礼儀だから、教えただけだ」
「ガブリエルさん……」
僕は何をしているのか。コードネームとはいえ自分の情報を組織の標的に明かすなど、ありえない。
自分ですら不可解な行動に苛立ちが隠せない。そのまま立ち去ろうとして、未夜世がいった。
「昨日……あの男の人が捕まって私も警察に事情聴取されて……あの人、冤罪だったそうです。相手は単なる友人で、たまたま私がそれを見かけて通報して……でも、そのせいで周囲に悪評が広がって、家族ともうまく行かなくなって、仕事も失って……それで私を恨んで……」
語る未夜世の表情は暗くなっていく。彼女の大きな身体も縮こまっているように見える。
「私、正しいことをしたかったんです。正しいことをしたと思っていた。なのに私がやったことは間違いで……私、本当に自分の信念が正しいのかわからなくなってきて……私の正義って何なんだろうって」
僕は未夜世の姿に姉の姿を重ねていた。まるで似ているところのないふたりなのに、根っこの部分では似たものを持つふたり。僕よりもよほど、正しく生きている。
彼女の言葉に応えようと、口を開こうとしたとき、別の声が狭い道に響いた。
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