1. One of These Days
1.
今回の二件の依頼は、それぞれ企業の役員と政治家の秘書を殺してほしいというもの。理由について、前者は社内政治で追い詰めたので最後のひと押しとして消したい。後者は不祥事の後始末。どちらも正義などない、私利私欲にまみれた汚れ仕事だ。
姉は正義を信じていた。たとえ社会的な価値観と今はずれていたとしても、必ず正しい道というものが普遍的に存在していると考えていた。だからあの人はいつも自分の信念に従って行動していた。私にもいつもいっていた。
「お前がどんなことをしても、私はお前を信じる。だから、お前自身が正しくないと思うことだけはするな。そのときは私がお前をぶん殴ってやる」
姉の笑顔が忘れられない。今の私を見たら、きっと笑顔は失われるだろう。そして私に失望し殴ることすらない。
信念も何もなく、間違っていることを他人にいわれて行っているだけの私など、姉の信念に照らし合わせれば、悪そのものだ。
だからかもしれない。僕が柄にもないことをしてしまったのは。
仕事がつつがなく終わり、日が暮れる前に事務所に連絡を入れてそのまま今日は帰っていいという連絡が来たので帰路についていたとき。
私に話しかけてくる人がひとり。
「すみませんお姉さん、少しお話しいいですか」
そう話しかけてきたのはおそらく私よりも若そうな背の高い少女だった。若そう、という判定は、単純に学生服を着ているからだ。
「今忙しいから断らせてもらうよ」
「そういわずに、すぐ終わりますので」
「といわれても僕にも予定がある」
ないけど。
「まあまあ、ほんの五分ほどです。ご予定も余裕を持っているようですし、私を……いや世界を助けると思ってぜひとも協力してください」
物腰は丁寧。しかし、自分のことをひたすら優先する自分勝手な面がある。
「最近この辺りで謎の不審死が多発していまして。といってもそれぞれの被害者間に特に共通項はなく、場所もばらばら、なんらつながりの見いだせない事件なのですが」
「それなら単に不審死がたまたま起きているだけだろう」
「しかしたまたまで処理するには多すぎるんです。死因も様々ですが、共通して不自然な要因で亡くなっているというのは同じです。これは何らかの意図があると考えたほうが自然です」
「……陰謀論を信じ過ぎだ。見たところ学生だろう。本分を果たしたほうがいい」
会話を打ち切ろうとあえて話を終わらせてもそこから別の話題を繰り出してくる。非常に面倒くさいタイプ。
それとは別に、面倒な事態が起きていた。
おそらくこいつが『エイブラハム』を嗅ぎ回っている不審な人物だ。
この調子で事件が発生した地域を通りがかった相手に質問攻めしているのだろう。そしておそらく僕と同じように組織のメンバーが捕まった。
個人で動いていると目されていたが、まさか子供だとは思いもしなかった。こいつがどうなろうとどうでもいいが、子供を見殺しにするのは後味が悪い。かといってこのまま放置するのも、死にに行かせるのと同じことだ。
自分で調べ上げたであろう事件の推理を嬉々として話すこいつを見て、僕は深いため息をついた。その事件の中には、僕が関わったものも含まれていた。
「ひとつ忠告しておく。これ以上その件に関わらないほうがいい。君が思っている以上に危険だ。君だけではなく、周囲にも危害が及ぶ。大人しく勉強することだ」
自分は何をいっているんだと思いながらも、こいつに手を引くよう告げた。
だが、彼女に諦める様子は当然なかった。
「……私、ヒーローになりたいんです」
いきなり語り出したのは彼女の夢らしい。
「困っている人を助けられるような、そんな存在に。たとえ周囲がどんなに止めたとしても、自分の正義を信じて最後まで貫き通す。そういうヒーローが私の目標なんです。だから私、やめません。あなたが私の質問に答えてくれるまで」
結局自己正当化のための理屈をこねているだけじゃないか、といおうとしたが、それは僕もそうかと思いやめた。むしろ正当化していることに自覚的なだけ彼女のほうがいくらか良心的だ。
「あ、そういえば質問しているのに名乗っていませんでした。私、
彼女がいそいそと取り出したのは名前と所属が書いてある名刺。そこにはクラーク財団調査員との肩書が記されている。
「クラーク財団?」
僕がその名刺を読み上げると、未夜世はいった。
「まずは自分ができることから始めようと思って。クラーク財団といえば、幅広い分野で慈善事業を行っている国際的な団体じゃないですか。だから、財団で私のできることをやろうと入ったんです」
「クラーク財団は警察まがいの探偵ごっこはやっていないと思うが」
「ごっ……ごっこじゃありません! 今は、財団のみんなもわかってくれませんけど、いつか私が正しいんだってことがみんなにも伝わるはずなんです」
案の定というべきか、彼女の行動は財団内でも否定的に見られているらしい。財団の活動でそのようなものがあるなどという話は聞いたことがないから、未夜世が勝手に財団の名を出して調査しているだけなのだろう。
ふと、僕はまったく関係のないことが脳裏によぎった。クラーク財団の名を聞いて思い出したのだが、反りの合わないメンバーがクラーク財団系企業の御曹司だとかいう話をしていたはずだ。
そんな考えことをしている僕に呼びかける声で余計な思考から引き戻された。そして、未夜世のほうに目をやると、背後に刃物を持った男が立ちふさがっているのが見えた。
まずいな、と思う暇もなく、男は叫び声を上げた。
「未夜世春灯だな!」
僕は未夜世に聞いた。
「知り合いか」
「ええ。以前、中学生と援助交際していたのを私が見つけて通報した方です」
「それは知り合いとはいわないだろう」
呑気に話しているが、未夜世にはあの男が持っている刃物が見えていないのだろうか。
「俺はお前のせいで人生破滅だ。こ、殺してやる!」
「え」
腰ほどに刃物を持って突進してくる男を前に、僕にはいくつかの選択肢があった。
それらを検討する前に、姉の声が心に聞こえてきた。
僕は仕方なく、男の前に立つと、“扉”を開く。
捕まえることを考慮すれば距離は必要ない。出口は男が最初に立っていた場所でいい。
男が“扉”に入ると、出口から出てきて、目的を失った男は体勢を崩しながら転んだ。
地べたにうつむきに倒れ込む男の腕を踏みつけると、刃物を蹴って弾く。
ついでに頭を蹴って気絶させた。
「ちょ、ちょっとお姉さん、大丈夫ですか」
未夜世はこの状況下で、自分よりも会ったばかりの僕の心配をしていた。
「問題ない。それより通報したらどうだ」
僕がいってようやく、事態が飲み込めたようだ。
周囲にはすでに人だかりができている。大通りから外れた場所とはいえ、人通りの多い時間帯に叫び声を上げているものがいれば、少しは目立つ。
あまり警察とは関わり合いになりたくない。未夜世が通報している間に帰ろうと思っていたときに、彼女が背後から呼びかけてきた。
「あの、なんで私を助けてくれたんですか。私をかばって、なんで飛び出したんですか」
その質問に答える義理はない。だが、僕はいつになく柄にないことをしていた。だから、これもそのうちのひとつだった。
「……姉さんがいっていたんだ。誰かを助けるのに理由はないと」
僕の答えに未夜世はひどく驚いているようだったが、これ以上関わり合いになると面倒だった。
言葉を失っていた彼女を尻目に“扉”を開いた。
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