第63話 番外編② 弓の使い方ー2


一時間後。

ブロアに借りた防寒服の上下を身につけ、雪靴を履いたリサンは、山を歩いている。

先行するブロアが、雪を踏み固めながらリサンに声をかけた。


「リサン様、体力は大丈夫かい? この時期は見通しは良いが、それは相手も同じ事。鹿の姿を見つけた時には、相手もこちらの姿を見つけてる。見つけたらすぐに射抜かないと逃げられる。それに、意外に体力がいるんでね、イザ狩る時に疲弊してたら狩れないぜ? 体力は温存してくれよ」

 どうやらリサンの体力がもつかどうか、心配なようである。


「ああ、大丈夫だ。それなりに体力には自信がある。昔から鹿狩りはよくやっていたからな」

 しっかりとした足取りで、ブロアについていくリサン。


「へえ? じゃあ、何か鹿について知ってる事あるのか?」


「ああ、そうだな……鹿はこちらを見つけた後、一声鳴いてから逃げるだろ? 『鳴く前に素早く射抜け』とよく言われたものだ」

 リサンはしみじみと、少年時代を思い出した。


「ほう? それを知っているのか。なるほど経験は積んでいるようだ。それなら、ちょっとした穴場に案内してやるよ!」

 思った以上に、リサンが狩りをしていたと知ったブロア。そこで、ちょっとした穴場に案内してくれるという。

 上機嫌なブロアは、『ガハハッ』と笑い、ズンズンと雪を踏み固め、道を作りながら山を登った。


******


 そこから、さらに半時間。


 しばらく山道を進んだ所で、突然ブロアが止まった。


「そろそろだぜ? ここから少し奥に進んだ所に、鹿が好んで舐めに来る<白岩>がある。そこに向かう上下左右の獣道の様子を見て、どれかで待ち伏せするからな。リサン様、準備は良いかい?」

 後ろを振り返るブロア。


「ああ、準備は出来てるよ。なるほど、直接その<白岩>で狩りはせず、毎回待ち伏せする獣道を替えて狩りをするのだな」


「ああ、そうだ。<白岩>さえ荒らさなければ、どこかの獣道を通って鹿はやってくるからな。じゃあいくか! ん? なんだ?」

 耳の後ろに手をあてて確認するブロア。何か聞こえたようである。


「どうやらこの先の窪地で、ケンカしてる奴がいるな。牡鹿同士の争いかも知れん。こりゃ狩りのチャンスかもな。どうする?」


「わかった行こう!」

 即答したリサンに、頷いたブロアは、前方にある高台の頂上に向けて登り始める。

 リサンもそれに続いた。しかし、二人が高台の中腹あたりに着いた時、声は聞こえなくなっていた。


「あれ? 聞こえなくなったな? ケンカが終わったか、でも、縄張り争いなら勝ち残った奴がいるハズ」 

 ブロアは登るスピードを上げた。雪を踏み固めながら登っているのに凄いスピードである。

 リサンも必死についていく。

 そして高台の頂きで、二人が見下ろした先に居たのは、一匹の倒れた牡鹿と、それを食らう赤毛の熊だった。

 良く見ると右目には折れた矢が突き刺さったままになっている。手負いの熊のようだ。


「ブロア! あの熊、真冬なのに活動してるぞ! 覚醒熊(冬眠中に時々覚醒して、採食する熊)か?!」


「いや覚醒熊とは違う! あいつは冬眠しない熊なんだ!  くそ! 奴め! 生きていたのか!?」

 リサンの質問を否定し、ワナワナと身を震わせるブロア。


「お、おい! ブロアしっかりしろ! <鹿食い熊>だ! やばい、逃げたほうがいい!」

 そう言ってブロアの腕を掴んだ瞬間、ブロアはその手を振り払った。

 そして、素早く弓を構え矢をつがえたと思うと、絶叫しながら矢を放った。


「オオハコォ! 親父のカタキ! 死にさらせぃ!!」


「ビシュンッ」

 高台から放たれたブロアの矢は、『オオハコ』と呼ばれた熊の左目に向かって飛んでいく。

 しかし、命中すると思われた瞬間『オオハコ』が突如左前脚を振り上げた。

 矢はその左前脚に浅く刺さる。


「ガッフ!」

 『オオハコ』は、一瞬身じろぎし、矢の飛んできた方向を見た。そして、二人を確認すると、一定の距離を開けるように後退した。


「チッ! 弓の射程を知ってやがる!!」

悔しがるブロア。

そんな、ブロアに食ってかかるリサン。


「おい!! 危険だろ! 私や、ブロアの弓じゃ至近距離でないと熊は倒せん。下手すりゃこっちに向かってくる所だ。なぜ攻撃した! 訳を話せ!」

 ブロアの両肩を持ち揺さぶるリサン。

 ブロアは熊を睨みつけながら、訳を話し始めた。


「奴『オオハコ』は親父のカタキなんだ! 一昨年の夏。親父とオレは、『オオハコ』に遭遇した。まずオレが『オオハコ』に襲われた。そのとき親父があの右目を射抜いたんだ。怒った『オオハコ』はオレを払いのけ、オレは吹っ飛んで斜面を転げ落ち気を失った。その後、山菜採りの男に助けられ、襲われた現場に行くと、腕をもがれた親父の死体が土に埋められていたんだ」

 話す間も、熊を睨みつづけ、目を離そうとしないブロア。

 熊も距離を保ったまま、こちらの様子を窺っている。


「<土まんじゅう>か……肉に執着した熊が、何回かに分けて食うために良くやる事だな。親父さんのカタキを討ちたい気持ちはわかる。しかし、今回は引け! 行き当たりばったりで準備が足りな過ぎる。奴は見たところ弓の射程を知っている。そして、頭が良い。私に一週間の時間をくれ。その間に目撃情報を集めて準備を万全にし、ブロアの経験と融合させ、必ず奴を見つけ出す。そして、ブロアが奴を倒す時まで必ず付き合う!」

 覚悟を決め、必死の形相でブロアを睨むリサン。

 ブロアは一つ強く『フウッ』と溜息をつくとリサンを見た。


「わかった、確かに準備が足りない。今回は山を下りよう。だが頼むぞ? 山で熊から目を一度離したら、自分一人じゃ次に見つけ出すのは、ほぼ無理だ。リサンの情報が頼りだからな? 必ず奴を見つけ出すのを手伝ってくれ!」

 いつの間にか、リサンを呼び捨てにしているブロア。

 リサンは、そんな事をまったく気にもせず返事をした。


「ああ、私の知識とブロアの経験をすり合わせて、必ず見つけ出そう」


 こうして、リサンとブロアは、熊に監視され、後をつけられながら麓まで山を下った。

 それを見届けた『オオハコ』は、これで安全だとでも思ったか『ゴアッ』と一鳴きして、悠然と山に戻って行った。

 




 その日の夕方。


 作業小屋に戻ったリサンは、木箱に大切に保管していた黒い短弓を取り出した。

 その短弓は蹄鉄のように丸く裏反っている。


「さてと、コイツに弦を張るのが大変だ。昔作った<弦張り台>はどこに置いた?」

 そう言ったリサンは、小屋内の一通りを探しを終えると、裏の倉庫に向う。

 そして、倉庫を探す間、人食い熊『オオハコ』の習性について考えた。


(今日見た『オオハコ』は、弓で右目を射抜かれて、人間への警戒心が強いように感じる。人間を観察し、弓の射程に入ってこないのはその為だ。それに、人肉を食った経験からか、スキあらば人を襲おうと、後をつけるクセもある。今回は冬で見通しが良く接近してこなかったが、夏なら草に紛れて接近し襲ってくるのだろう。『人間を襲うのは夏で良い、冬は鹿で我慢だ』とでも、言っているようだ)

 そんな思考中に、大きな木箱の中から姿を見せた<弦張り台>。


「おっ?! あった!」


 リサンはそれを手に作業小屋に戻る。そして、床に置いて黒弓をはめ込んだ。


(さて、この黒弓を奴に使えるのは一回だけだろうな。黒弓の射程距離を知られたら二度と姿を見せないだろう。勝負は一度きり、一射で仕留められるように練習が必要だ)


 『ギリギリ』と<弦張り台>についたハンドルを回し弓を反対側に反らせていくリサン。


(そうだ! この弓なら貫通力のある鉄心の矢を射るのもアリかもしれん。情報収集に行く途中で鍛冶屋に相談してみるか……)


 リサンは、黒弓に弦を張る作業を続けながら、対『オオハコ』の為に準備を整えていくのであった。

 

一週間後。


 たった二人で山に入ったリサンとブロア。


 それはなぜか? 実は、『以前に三度、討伐の為に山狩りが行われていた』と情報を得たリサンが、『三度とも空振りに終わっているのは、大勢の人間には恐れをなして隠れるのではないか』と予測をし、二名だけで山に入ることを選んだからである。


 ただ、その話しを聞いた他の猟師や近隣の村人達が、『何もしないのは気が引ける』と、邪魔者が入らぬように周辺の山を入山禁止とし、麓を見回りもしてくれる事になった。


こうして、舞台は整った。

リサンとブロア対『オオハコ』の長い戦いが始まったのである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る