第60話 掌中の馬

 西国の撤退を確認してから、ラクスは戦後処理について考えていた。


(西国は戦時賠償請求を無視するだろう。かと言って、それを理由に相手に攻め入る事が出来るほど、アルサークに兵力があるわけではない)


 結局、『次は攻め込まれないよう、戦力増強に努めるしかない』と結論を出し、残りの仕事をアトラとカビラに任せて、リサンの作業小屋へとやって来た。


 <ラダーク>をいたわろうと馬房に入れ、脚のチェックをすると、また、前脚が熱を持ち、うっすらと盛り上がって<エビハラ>(屈腱炎)の兆候を示している。


「くそ! またか!」

 頭を抱えるラクス。

 そこに、小屋までオリダに送ってもらった、フェリがやって来た。

 

「どうしたの? ……え! また!?」

 ラクスに、『<ラダーク>が、また<エビハラ>(屈腱炎)になったのだ』と教えられ驚くフェリ。

 しかし、フェリはすぐに気持ちを切り替えて動き始める。


「<ラダーク>を治すわよ!」

 ラクスにハッパをかけ、すぐ準備を始めたフェリ。

 前回同様、鴨居に布帯をかけ、ラダークの腹下を通し吊るして脚への負荷を減らす。

 同時に濡れた布で足を冷やし、ぬるくなったら交換する。

 それらを二人で繰り返し朝を迎えた。

 

 朝になり、ロロアの港から帰って来たリサンに、再発したことを報告すると、リサンがすぐ診察を始めた。


『これは、もう軍馬としての復帰はない。治っても乗馬が精一杯だ』とリサンに言われるが、二人は『治す!』と言い切った。


 特にラクスは、『<ラダーク>にまた命を助けられた』と熱弁をふるい、フェリも『本当よ! その時、自分もその場にいた』とラクスの後押しをする。

 その熱い二人の様子に、リサンも腹を決めた。


「わかりました。では、また諦めず治療を続けるしかありません。皆で頑張りましょう!」


「おう!」「任せて!」

 迷いのないラクスとフェリの返事に、強く頷いたリサンは、一緒に治療計画を立て、手伝う事になったのである。




西軍撤退から一週間が経った頃。

 ララ・トーラが、集めた反逆兵達は、ほとんどがならず者であった。それらが、各地に潜伏した今、逮捕する事が難しくなっていた。反逆兵で逮捕出来たのはたった10名で、元ララ・トーラ領の役人ばかり、捜査は細々と続けられたが、この後、新しい逮捕者が出る事はなかった。


 『ウソの王命でエスターを騙した上、命を奪ったララ・トーラと共謀して国を転覆させようとした』とのエルダ姫の証言から、メディラ・ライガ侯爵は拘束された。

 しかし、姫の証言だけでは証拠不十分で罪に問えず、すぐ釈放されたメディラ。


 その後の調べで、部下達に『危険になったら白旗を上げよ』と命令していた事が発覚。

 しかし、再度拘束しようと憲兵が動いたときには、アルサークから姿を消していた。


それと同じ頃、論功会議で第一戦功とされたアトラは、正式に<王国軍軍師>となり、第二戦功のカビラは大隊長として、第四騎馬隊を任されることになった。


「第一戦功アトラ! 第二戦功カビラ前へ!」


 儀式の間で、国王の前に進むアトラとカビラ。

 国王は、アトラに儀礼宝杖を、カビラに儀礼宝剣を送り、無事任命式は終わった。

 

 そして、その任命後の戦勝パレードで二人は大勢の観客に囲まれ讃えられた。

 東国の歴史に名を残すであろう、本物の英雄として民衆に認知されたのである。

 

 


 さらに、三か月後の夕暮れ。


 南勢列島 北島の港にアサム達のカジキ突き船が帰って来た。


「ああ、今日もボウズ(釣果ゼロ)だったな」

 うなだれ落ち込むアサム。


「ええ、まあ明日頑張りましょうよ親方。たった三日突けなかったぐらいでも『怒ったりしません』って」


「そ、そうかな? 確かに昨日は不機嫌だったけど今日の朝は『頑張って!』って送り出してくれたしな! そうかもしれない!」

 表情が少し明るくなるアサム。

 その時、別の船員が港の入口から船に向かって歩く、薄桃色の作業着を着た細身の女性を見つけた。


「おっ、親方。あれ姐さんじゃないですか?」

 船員に教えられ、漁港入口へと目を向けたアサム。


「ん? 本当だ。エルダだ……イッ! ヤベえ! 両手に黒の革手袋してる! 俺は逃げる! 漁協の仕事で出て行ったと言っといてくれ!」

 急いで船から逃げ出すアサム。

 しかしその瞬間、どうやったのか? 百メートル以上あった距離を詰めたエルダが、アサムの襟首をつかんでその動きを止めた。


「あーら。アナタどうしたの? 逃げ出したりなんかして? こんなかわいい奥さんに隠し事でもあるのかしら?」

 『ニヤリ』と笑うエルダ。


「い、いや、エルダ! 逃げてないよ? 漁協の仕事で船から離れただけなんだ!」

 冷や汗をかきながら言い訳するアサム。


「へえ? さっきアンタたちが帰ってくる前、漁協長に聞いたわよ。今日はアナタに『仕事は頼んでない』って言ってたけどね? あれ? まさか、今日もボウズだったから逃げたとかじゃないわよねえ~」

 エルダの目が細められる。

 薄っすらと、こめかみに青筋を立てながら、アサムを問い詰めるエルダ。

 その責め句に耐えきれなくなったアサムは、その場に土下座した。


「ゴメン! エルダ! 頑張ったんだがボウズだったんだ! 明日! 頑張るからゆるして!」

 しかし、エルダは黒の革手袋を『ニギニギ』しながら言い放つ。


「うるさい!! 逃げようとした根性が気に食わないわ! アンタには『船員全員の生活を守る義務がある』って、昨日言ったのを忘れたか!」


『ガシッ!』

 エルダはアサムの後方から馬乗りになって覆い被さり、脇から腕をすくって岸壁の上を、海へ向かって横方向にローリングした。


「うわあっ!」

 アサムの叫び声が響く中、岸壁の上を重なって転がった二人。

 そのまま海に落ちそうな勢いである。


 しかし次の瞬間、あおむけ状態でエルダの体は岸壁上に止まる。

 それと同時にエルダが、アサムの袖を持った手を半円を描くように動かすと、転がって勢い着いたアサムの体が宙を舞う。


「バッシャアァァンッ!」

 

 激しい水音がして、アサムの体だけが海に落ちた。


「親方!」

 すぐさま船員の一人が、海に<浮き>を投げ入れてアサムを助ける。

 何事もなかったように、その場で『スッ』と立ち上がるエルダ。


「アラ? ゴメンなさいね。船員のあなた達の手を煩わせるつもりはなかったのよ? でも、迷惑のかけたついでに、その人を引き上げたら家まで連れて来て下さる? よろしくね? オホホホッ」

 薄黒いオーラをまといながら、そう言い残し帰っていくエルダ。それを見て身をこわばらせる船員達。


「こっ怖え! あの人本当に西国の姫さんだったのか?」


「しっ待て! 聞こえたらどうする。俺はまだ死にたくねえ!」


「そうだぜ! 先月農園のレオナを子分にして、今じゃ姐さんがこの<北島>の女帝なんだぞ! 触らぬ神に祟りなしなんだから黙ってろ」


 小声で、そんな話をする三人の後ろに、いつの間にか戻って来た黒い影。


「あら? 今、何か、私の噂をしていたかしら?」


「「「いえ! なんでもありません!」」」


いつの間にか後ろに居たエルダに、すばやく反応した船員達。


「そう? じゃあお願いね」

 もう一度、念押しをするように、まだ海の中のアサムを指さして、帰っていくエルダ。

 船員の皆は、エルダが港から完全に出た事を確認して、やっと胸を撫で下ろしたのであった。





 そして、またしばらく経った、ある日のリサン……

 

 リサンは山小屋と作業小屋を行き来しながら、『やっと、悠々自適な生活を出来ているな』と実感していた。


 今は、作業小屋でタルに巻かれた蔦イバラの切れてしまった部分を補修している。


「ふう、肩がこるな」


 首を曲げ肩を『トントン』と叩きながら立ち上がり、一息つこうとお湯を沸かして、茶を入れた。

 その時作業小屋に向かって、やって来る二つの人影が見えた。


「リサンいるか!」「手伝いに来たよ!」


 ラクスとフェリが突然、作業小屋にやって来て入口から顔を出す。

 二人とも高級な白い上着に、下半身は作業ズボンと、ちぐはぐに混ざった服装をしている。


「えっ? 二人とも何でいるんです? 来週の挙式の準備で忙しいハズじゃないですか?!」

 驚くリサン。


「私達はお飾りだからな、本番だけいればいいのさ! それより今日から<ラダーク>に運動させるんだろう?」


「そうそう、手が必要でしょ? 予行練習抜け出して来ちゃった!」


 二人は挙式練習を抜け出してきたらしい。

 二人は素知らぬ顔をしているが、王宮は大騒ぎだろう。


「はあ……ここに来てるって知れたら、私まで怒られるじゃないですか。まったく……」

 額に手を当て、ため息つくリサン。


「もう来てしまったんだから仕方ないだろ? ほら! <ラダーク>を馬房から出すぞ! 手伝ってくれ」


「そうそう。諦めが肝心よリサンさん」

 小憎らしい顔で、巻き込む気が満々な二人。


「わかりましたよ! 腹くくりました。こうなりゃ、こき使ってやる! 覚悟してください!」

 今日は、順調に回復した<ラダーク>が、再び引き運動を開始する日である。


 馬房に向かうラクスとフェリを慌てて追いかけ、作業小屋を出て行くリサン。


 騒がしい声が聞こえる馬房とは対照的に、『シン』と静かになる作業小屋。


 その作業小屋に『ポツン』と残された湯呑ゆのみから、湯気が上がっている。


 そして、ラクスとフェリを祝うように、また<ラダーク>の回復を祝福するかのように、その湯呑の中には茶柱が一本、真っ直ぐ立っているのであった。




――<おわり>――


 

 これにて、この話は終了となります。

 ここまで<山小屋住まいの鑑定士>を読んで頂き、ありがとうございました。


 現在、次回作の準備中です。

 また、悩みながら何か書くのだと思います。たぶん(笑)

 

 もし、また私の作品を読んで頂けましたら嬉しく思います。

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