ロスアンゼルスへ、そして救世主到来

 これから私はどうして生活をしていけばいいのだろう。あのような事件の後、私のような人間に仕事をくださる人はまず見つからないでしょう。途方に暮れている私に良い知らせが届きました。「元気ですか?新聞見ましたよ。大変でしたね。もう終わったんですか?」「ああ、不起訴にはなったけど厳しいな」「ところで仕事はしているんですか?」「こんな私に仕事なんて無いよ!」「どうでしょうロスアンゼルスに来る気はありませんか? 仕事は僕が紹介します。」彼はハワイの日系三世ですが、アメリカ本土で公認会計士の資格を取って、ロスのトーレンスという街で会計事務所を開いています。「実は僕のクライアントがサンタモニカでクラブを経営しているのですが、なんともお客が入らなくてこのまま行けば赤字で閉めることになりそうなんです。オーナーに貴方のことを話したら任せるので是非やってもらえないかという話になって電話したんです。どうですか?一度ロスに来て店を見てみませんか?もし駄目でも此処なら他にも別な仕事が探せるのではないですか?」大変にありがたいお話しでした。「分かりました。必ずお店を見に行きます。ただそこに行く前にどうしても行きたい所があります。一週間でいいですから時間を下さい。」「分かりました。待っていますから、かならず連絡を下さい」私がもう一度行きたい所、それは私がまだ二十代の頃一度だけ行ったことのある街、カナダのバンフでした。以前私が行ったときは7月の半ばでしたがあたりは一面の雪で、とても寒い所だったのを覚えています。あたりには水の澄んだ小さな湖が多く沢山の人が鱒釣りを楽しんでいます。車を運転していますと日本では見ない標識がいくつもあります。そこに住む熊や野生動物に注意と書かれています。バンフにあるパームスプリングホテル、此処が仕事を始める前にもう一度来てみたい場所でした。

 まるでヨーロッパの宮殿を思わせるこのホテル、私はこのホテルの窓から見えるレイクルイースの景色を見て深く感動したのを覚えています。木々は大きく緑は深く花の色は今までハワイで見てきた色とはとても対照的です。ここに来てもう一度この景色を見て私は人生の再出発を誓うつもりでした。ハワイへの帰りに、シアトルの港町に寄りました。

 ハワイのワイキキは海水浴場、ホテル、サーフィンが目立ちますが此処シアトルの港町もとても素敵なところです。ダウンタウンの町並みには背の高いカウンターとブーツが並ぶコーヒーショップ、ハワイとはまた違う顔を見せてくれます。聞くところによるとこのシアトルがアメリカで一番自殺が多い街と言われています。寂しさと憂い目に焼き付くルイス湖の景色を跡に私はハワイに戻りました。

「あすロスに伺います」ロスアンジェルスの空港に彼が迎えに来ていました。お洒落なスーツを着こなしまるで会社のエグゼクティブのようです。「先輩、良く来てくださいました。これからすぐにお店に案内します。」初めてロスの灰色の空を見た時は、あのハワイの青い空が懐かしく思えました。

 店は第二のジャパンタウンと呼ばれるサンタモニカ、ソーテル通りの一角にありました。店のイメージカラーはブラック&ホワイト、とても洒落たいいお店でした。「どうですか?いい店でしょう。先輩が来てやって頂ければ最高なんですが」どうやら彼も一度は自 分でやってみたようだがあまり上手く行かなかったようです。私の気持ちはすでに決まっていました。ここに来よう。ここに来て一からやり直そう。「ありがとう。やって見ます。必ず責任を持って預かるから、三ヶ月の営業資金だけ用意して下さい。」「分りました宜しくお願いします。そうと決まったらすぐにアパートを探して下さい。」「住所が決まったらすぐに荷物を送ってなるべく早く来るようにします。」

 ロスに向かう何日か前の事でした日本からので電話です。「こんにちわ大丈夫?」それは以前東京の代理店からご紹介を受けた放送局のアナウンサーをしている山上美香さんでした。「ニュース見たわよ。あれおかしくない?私は貴方とまだ2度しか合っていないけど、私分かるの。貴方はあんな事をする人では無いよね。警察がちゃんと調べれば分かるのに馬鹿みたいね。」こんな時にそう言って下さる人がいるのはとてもうれしくありがたいことです。「僕、ロスアンジェルスに引っ越すんです。此処にいても仕事は無いですし、たまたま僕の後輩がお店を任せてくれると言うのでロスで一からやり直すことにしたんです」「ねえ、聞いていい?私あなたを助けにアメリカに行こうと思うけどどう思う?」あまりにも急な話なのでとても驚きましたが落ちぶれた私にとってはとても心強い不思議な言葉でした。彼女は若い頃からなにかのご縁を受け神と宗教を深く学び損得無しで人を助けることをしている人です。「貴方はロスにいつ行くの?」「アパートが決まったら荷物を送るのでその後です。」「あなたがロスに行く前にハワイに行くから待って」そう言って電話は切れた。

 一週間後、美香は本当にやってきた。「私が同僚にハワイに行ってあなたを助けるって言ったら、皆が『君は馬鹿か頭がおかしい』って言われたわ」「それは当たり前だよ」「でも報道って結構いい加減よ。週刊誌も本が売れればいいだけだし有る事無い事も書くからね。私放送局辞めて来たわ!」「えっ!辞めたの?」「言ったでしょう。何だか分からないけれど、あなたを助けることが使命のように思うの。あなたと一緒に私もロスに行くわ。大丈夫よ、私が貴方を守るから」真実は時間とともに過ぎてゆく。私は決して自分が正しいとは思っていません。全てのもとはこのような事件に関わった自分自身の浅はかな落度です。ただ三十年が過ぎた今になって思えば私はこの事件のお陰で美香と新しい土地での再出発ができたのです。そう考えると起きたことの全てにはきっと何か深い意味があった様に思えるのです。人生は不思議です。時に成功が不運になり不運がまた新しい可能性を生んでくれると思います。

 美香が私を説得するには時間は掛かりませんでした。この頃の私はまるで夢遊病者のようでこの先自分はどうやって生きるのか何をすればいいのか、それを考える力も失っていました。後日ロスアンジェルスでの再開を約束して美香は日本に戻っていきました。私にとっては美香との出会いはとても不思議なことでした。まず彼女とのお付き合いですが私達2人は過去2度しかお会いした事はなく、トータルでも約一週間ほどのお付き合いでした。私が美香に「なぜ僕を?」と聞くと「私は約 10 年ぐらい神と人、現生、未来、余生、來世とのつながりを深く学んだわ。今までにも何人かの人を救ってきた。良くわからないけれど私には何かのパワーがあるのよ。」ある日美香と私が二人で写っている写真を日本にいる弟に送ったところ「兄貴この横にいる 人は誰?」と聞いてきた。私がなぜそんなことを聞くのかと訪ねたら、「この人僕らの死んだ母さんの若い頃にそっくりだ。と云うのです。いわれてみると確かに何処か似ているようにも思えます。こうして美香は私の人生最後の妻になったのですが、私にはもう一つ心に残ることがありました。それは私が美香のお母様と初めてお会いしたときの事です。私が、「私の事件の報道をご覧になったと思 いますがこんな私に美香さんをとつがせてもいいんですか?」とお伺いした時です。「私は自分の娘を心から信じています。報道がなんと言おうが娘がいいと思えば私もそれで良いと思っています。とおっしゃいました。私はこんなふうに強く言える人とお会いしたのは初めてでした。これだけ深く自分の娘を信じている母を見てその強さに感動しました。お母様には本当に感謝していますし、心から深く尊敬しております。

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