つまずき

 1987年の夏でした。私は KOHO ラジオ局に努めていた友人とケエアモク通りにある億兆と言う韓国料理の店に釜飯を食べに来ていました。店に入ると日本人らしい若い女性が片言の英語で注文をしているのですがこの店の女将さんも英語がカタコトでなかなか思うように通じません。我々も立場は同じですが行きつけの店ですから注文する料理はよく知っていました。見ているとなかなか埒が明きません。私の友人が見かねて「何を注文したいの。手伝おうか?」と声をかけると、「はい、お願いします」と人懐っこそうに返事をしました。「日本から来たの?」と聞くと「はい、英語の研修で来ています。」と言います。「この店どうやって見つけたの?日本からの人が来るなんて珍しいね。」と云うと「アラモアナに買い物に来たのでこの道を歩いていて見つけたんです。」「一人ならこっち来て座る?」と聞くと「いいんですか」と言って自分でお箸と水を抱え我々のテーブルにやって来て、「私英語の夏期講習に参加して2ヶ月程ハワイに居るんです。」「どこに泊まっているの?」と聞くと、「ワイキキの学校の寮です。」と言っていた。こうして3人は食事を終えると友人が「夜景のきれいな店があるから連れて行ってやるよ」と3人はイリカイホテルの階上にあるトップオブイリカイに行くことになり、暫くすると「私の学校門限があるから帰らないと部屋に入れなくなっちゃう。」と云うので私の友人が「俺帰り道ワイキキ通るから送っていくよ」と言って私の友人が彼女を送ることになった。

 3~4日が過ぎた頃友人からの電話で「この間の娘とその友達と皆で食事に行くからお前もこいよ」と誘いを受け5人で食事に行くことになりました。「貴方達はハワイの出身なんですか?」と聞いてきたので「俺達はもともと日本から来たんだ」と言うと「へえ~どうやってビザをとったの?」「いいな〜私 も此処に住みたいな~」と羨ましそうに言っていました。こうして私達は時々時間を見て一緒に出かけるようになりました、一月が過ぎた頃「つまんないな~ 私あと一ヶ月で日本に帰らないといけない。帰りたくない。」と言い始めたのです。

 一週間ぐらい過ぎたある日、彼女からの電話で「相談に乗って欲しい」と連絡を受け、初めて二人で食事に行くことになりました。私は全くお酒を飲みませんが二十歳を過ぎた彼女はとてもお酒が強く、何杯お変わりしてもケロッとして全く酔っているようには見えませんでした。「ね~ゲリーさんは私の事どう思う?」「どう思うって?」「私のこと子供と思っているんでしょ?」「そりゃそうだろ~。20歳も年が離れているんだぞ。おれが父親で君が娘でもおかしくないでしょ。」と云うと「でも私もう大人だよ。」と云う。確かに二十歳を過ぎているので大人の仲間入りはしているが二十歳と40歳のハンディは大きい。彼女はとても眼の大きい可愛い娘でした。「ね~私の彼氏にならない?」お断りしておきますが私がモテていると自慢をしているのではありません。本当にあったことをお伝えしているので勘違いはなさらないで下さい。「馬鹿なこと言ってんなよ。こんな親父と若いギャルが釣り合う訳無いだろう?」「あ~酔っちゃった!」「そんじゃ今すぐ送るよ」「やだ、今日は私あなたの所に泊まるの」「何バカなこと言ってる。帰るぞ!」と立ち上がると、「残念でした。門限が過ぎているので寮には入れてもらえません!」「え!どうするんだ。とにかくドームに行ってみよう。何とかなるよ。」「でもね、万一ドアーを開けてくれてもこんなにお酒の匂いがしたらまずいよ。」「なんでもっと早く言わないんだよ!」「貴方のせいよ。貴方の方が歳上なんだからちゃんと時間を見るのが当たり前でしょう。」「弱ったな~」「大丈夫よ。私何もしないから」「バカ言うな。おじさんをからかうんじゃない。」「からかってなんかないよ〜だ。」「仕方ないな~。それじゃあリビングに小さなソファーがあるからそこで寝ろ!明日の朝事務所に行く前に送るから。わかったな。」「わかった。」こうして彼女は私のところに泊まることになりました。これが浅はかな私の大きな間違いでした。40 歳とはいえ私も男の端くれです。若い魅力のある女性に全く興味がないといえば嘘になるでしょう。ただその時は離婚を済ませた直後でしたし、20 歳も離れている子供のような人でしたから深入りすることは考えてもいませんでした。私の部屋はカヘカ通りのコンドでしたが、離婚直後一人でこの小さなワンベッドルームに住んでいまし た。部屋に入ると彼女がソファーに横になったので私は自分の部屋に行きベッドに横になりました。夜中の2−3時ぐらいだったと思います。人の気配を感じふと眼を開けると彼女が裸で私のベッドの中に居るのです。「お前何しているんだ。リビングで寝ろよ!」「いやよ。一人じゃ寂しいもん」「お前約束が違うだろう。」こうなると男は弱い。自分の中の理性と欲望が戦い始めた。「向こうで寝ろよ」彼女が抱きついてくる。(20 も年の離れている人とうまくいくわけ無いだろう。でも重たい付き合にならなければなんとかなるか? )男はいつも自分の勝手な言い分を正当化しようとする。私はみだらな自分の欲望に負けた。「ねえ明日かドームを出てここに来てもいい?」「そんな事できないだろう?」「他の子も此処に居る親戚の家から通っているから大丈夫よ。ね~私もそうしたい。」いいとか悪いとか考える余地もない。男は一度関係を持ってしまうとその欲望に負け、それも有りかと自分にいいように考えてしまう。

 思った通り 20 才の歳の差はやはり大きかった。私が仕事で忙しかろうが何だろうが彼女は全く気にしない。クラスが終わると(迎えに来て)と電話がある。私の事務所についてきて仕事が終わるのを待っている。最初の頃はそれも若い娘の可愛いワガママと思っていたが、日が立つとそれもだんだん負担になっていく。もうあと二週間の辛抱、と自分に言い聞かせる。帰国予定日の一週間前になると突然彼女が言い出した。「私このまま帰らないでここに居たい。」「それは無理だろう。まして学生ビザが切れれば観光ビザしか取れないからずっとここにいることは出来ないよ。」「それならゲーリーさんと私が結婚すればいい」確かにそうかも知れないが、私がこの我がまま娘と今すぐに結婚というスペースの中で生きることは不可能だ。それに私にはやりたい事もまだ沢山ある。「こうしよう。とにかく今は予定どおりに帰ってあと2年ある短大を卒業してそれからまた 2 人で考えればいいんじゃない?」「そんなに長く待つのは嫌。それに大学はお母さんに頼まれて彼女の為に行って上げているだけだから貴方は心配しなくても大丈夫よ。」

 此のところこの問題で毎日のように言い争いが絶えない。その上私が仕事で忙しく帰宅時間が遅くなると当てつけのように出かけてわざと朝帰りをする。また日に日に帰国日が近づいてくると彼女の機嫌も悪くなっていく。帰るまでの辛抱だ、一度帰って頭を冷やし2年後にまた話し合えば彼女ももう少し大人になっているだろう。もう一つ私が彼女に強く言うことが出来なかった理由は私もそんな彼女に情が移り、愛情も感じていたのだ。人によって皆違うが男は歳を取って来ると若い娘の支離滅裂が逆に可愛く見えるものです。だから今はそんな彼女を静かに帰らせることが先決で波風立てず時間を待つことが一番の方法と考えていたのです。帰国日の朝になりました。帰らない、帰りたくないと言う彼女を無理やり車に乗せ空港に向かう途中でした。高速道路に差し掛かった時、突然車のドアーが空いたのです。「私飛び降りてやる!」「おい、危ないからやめろ!」私は即座に彼女の左手首を掴みました。本当は実際に飛び降りる気持ちはなくまるで子供のようにただ私を困らせようとしているのです。幸い高速道路が空いていたので事故にも合わず空港に到着しました。その途端車を飛び出しそこに立っていた空港警察官に駆け寄り、私を指差して

「あの人が私を車から突き落そうとした」と言い出したのです。ポリスが私のところに来て「ワット ハプン?」「何かあったのか?彼女の言っていることは本当ですか?」「見てください彼女の左手を。彼女が車から飛び降りようとしたのです。私が彼女の手首を掴んで車に引き戻したんです。」一連の事情を説明すると、「なるほど、君が押したなら手首は赤くならないものね。ユーメイクセンス」と言って「GO !早く行きなさい」と言って彼女を連れて行きました。本当に驚きました。 彼女が取る行動はいつも極端で自分の思い通りにならないと何をするか分からない。帰りの車を走らせながらふとため息を付きました。家に帰り落ち着きを取り戻した私は会社に行ってこれまでに溜まっていた仕事に取り掛かりました。事務所にいた女性も薄っすらと事情を感じ取っていたのでしょう。「彼女帰ったの?大変だったね。」と言うので空港まで行く途中のことを話すと、「彼女あなたのアテンションが欲しいのよ。悪い人じゃないと思うけどまだ子供だね。気をつけないときっといつか何か問題が起きるかもしれないね。」と言ってました。私はとろいのか馬鹿なのかそうは言われても何となく彼女のことを憎めないのでした。シャワーを浴びて夕食を食べようと冷蔵庫の残り物を探していたときです。「リーンリーン」と電話が鳴り出します。

 受話器を取ると「ハロー、私帰ってきたよ」彼女であります。「えー、帰らなかったの?」というと「そうよ。おまわりさんが親切で帰る前によく話し合ったほうがいいと帰国日を延ばしてくれたの。」親切心でやってくれたのだろうが本当の理由も知らないで余計なことをしてくれたものだと思った。しかし現実は現実である。「ねえ迎えに来て!」私は正直戸惑った。「どこに居るの?」「アラモアナのそばだよ」「今度はいつ帰るの?」「明後日だよ」「迎えに行ってもいいけど、また同じようなことが起きたら困るよ。」「大丈夫だよ。迎えに来てくれたら迷惑かけないでちゃんと帰るから。」「本当だな」以前はじめて会った韓国料理店の前に迎えに行った。今になって友人が言う。「お前馬鹿だな。もし迎えにいってなければこんなトラブルも無かったのに。」私だって後でトラブルに成ると知っていれば迎えには行ってなかっただろう。何もなく日々が平常であれば彼女は素直で優しく親切な娘なのだ。なにかの理由で自分の思いが通らなかったり気に入らないことがあるとまるで別人のようになってしまう。よく、キレるという言葉を聞くが、まさにその言葉がぴったりなのかも知れない。

 大きな荷物がない。「あれ荷物は?」と聞くと「空港に預けてきた、ねっ、ちゃんと帰る証拠でしょ」「着替えとか荷物ないと困るだろ」「大丈夫だよ。必要なものは此処にあるから」と小さな紙袋を抱えていた。「どうやって此処まで来たの?」と聞くと、「あのおまわりさんが送ってくれたの。」人懐っこい 彼女の事だ、きっとあのポリスとも友達になったのだろう。彼女が家に戻ると別人のように素直だった。「明日の朝、朝ご飯作ってあげるね。」朝食がテーブルに並んでいる。こんなふうだから私は正直コンフューズしてしまう。嬉しそうにコーヒーを入れている姿を見るとそれが愛おしくも思える。不思議な娘だ。彼女の父親はすでに他界していて、母親が彼女と妹の二人を女手一つで育てていると聞いていた。「帰ったらすぐに学校だろう?」「私学校に行かなくても単位はもらえるので大丈夫なんだけどね。」これも事件の後私立探偵から知ったのですが、彼女は二人の先生とお付き合いして居るので学校には行かずとも単位だけはもらえるのだ。この時点ではそんな事も知らずに子供のような彼女を疑うような 事は考えてもいませんでした。

 そして二日後、彼女は約束通り素直に静かに帰っていったのです。

 11 月に入りホノルルマラソンの準備に追われる日々がやってきました。マラソンセミナーの準備です。日本から参加する招待選手や有名人の手配など毎日忙しくしていて私の頭の中はその事で一杯でしたから、彼女の事は以前のように気にせずマイペースで仕事をし ていました。10 日程過ぎた時です、彼女が突然私の事務所に現れたのです。「また帰ってきたよ。」「大丈夫だよ、迷惑は掛けないから・・・」忙しい毎日が続く。冗談ではなく今は彼女の相手をしている時間はないのです。「泊まってもいい?」「いいけど今は一年で一番忙しい時だからお前の相手をしている時間はないぞ」「分かっている」とは言うものの、私が忙しい間家で静かに待っているような娘ではないのです。毎晩のようにディスコに行ったり、あのポリスとも出掛けたりほぼ毎日午前様であります。「いつも何処をうろついているの?」「学校の時知り合った人達と、おまわりさんと」「まあどうでも良いけどこのマラソンが終わるまでの辛抱だから」「ねえ今度おまわりさんたちとマウイ島に泊りがけで行こう思うけどどう思う?」そんなコトを考えている暇もなかった。ただこんな日が続くと私自身も落ち着かないし、だんだん彼女が家にいること自体が負担に感じられるようになってきた。「お前いっその事そのポリスの所に行けばいいよ」「ああそうなんだ。私の事はどうでもいいんだ。」そんな事で二人の間の会話も薄れ以前とは少し変わっていった。「でも私、此処に来る前友だち皆にゲーリーさんと結婚するって言ってきたし私のママにもおそらくゲーリーさんと結婚すると言ってきたから他の所に行くのは嫌だな。」「おいちょっと待てよ、俺そんな約束してないぞ」「でも卒業したら結婚するみたいなこと言った!」「俺が言ったのはちゃんと卒業してからよく話し合おうと言っただけだろう。」何しろ彼女は自分の好きに考え自分の好きに理解をするのでそれを止めることが難しい。「とにかくこのマラソンが終わるまでおとなしくしていてくれよ。」

 11 月も終りが近づいた頃だった。日本のマラソン事務局の人が訪れその日は夕食会議を約束していた。あの日から彼女も機嫌が悪くほぼ満足に口もきかない日が続いていた。夕食の約束に出かける直前の事だった。彼女からの電話がありました。「ね~、今私アラモアナの先にいるんだけど迎えに来て」「これから代理店の人たちと食事だから無理だよ」と云うと「そう、私の事はもう何もやってくれないんだ」「いい加減にしてくれよ。もういいから好きにしたらいいよ!」と言って電話を切りました。すると直ぐにまた電話が掛かって来て「いいわよ来てくれないならあたし死んでやるから!」と云うのです。そう言われるとこのまま放って置くわけには行きません。すぐに会社のアシスタントに連絡して「悪いけどちょっと急用ができたので今晩の夕食は行けないけどカバーしておいて下さい。代理店の人には明日わたしの方から連絡すると伝えてください。」「分かりました。」すぐに私は彼女が待っているという場所にいきました。彼女は薄暗くなりかけた道の角に立っています。裸のカミソリを片手に持ち反対側の手首から血を流しているのです。「お前何を考えているんだ!」私は彼女の持つカミソリを即座に取り上げました。すると彼女は私を睨み、「この腕貴方がやったのよ!そのカミソリには貴方の指紋がついているわ。」「もし私が今警察に連絡すれば貴方は殺人未遂で捕まるわ。」私は驚いてすぐに警察に電話をしま した。「エマージェンシーです。すぐに来てください!」やがて警察官が到着するとどうも彼女は自分の知りあいのポリスと話をしているようです。私から事の一部始終を説明すると、「アイアンダースタンド」と言って彼女をパトカーに乗せました。私が「念の為にポリスリポートが欲しい。」と云うと、「明日警察署に取りに来てください。リポートはその時に差し上げます。」と言って彼女をパトカーに乗せたままその場から走り去って行きました。翌日ケースリポートを貰いに警察署に行きましたがケースリポートはまだ出来ていません。私が、昨晩警察官が明日取りに来てくださいと言ったことを伝えると、リポートは作成したポリスがすぐに提出しないこともあるので遅れることもありますと言ってました。

(以前こんな事もありました。私がカパフル通りを走っていた時白人の女性ドライバーに私の車をぶつけられたのです。私の車はタイヤが破れてとても運転はできません。しかし女性の車は何ともなくちゃんと動くのにポリスは女性をパトカーに乗せ彼女の家まで送って行ったのです。私はポリスから冷たくトーイング(レッカー)会社に電話をするように言われたので、この扱いは平等ではないと思い「ぶつけた人たちの車が動いているのにその女性をパトカーで送り、ぶつけられて困っている人には何も手伝わないというのは不公平では無いか」と言うと,そこにいた主任級の警察官が「あの時間は彼の休み時間だったと思うよ」と言っていました。これがアメリカの誇る警察官同士の助け合い運動なのでしょうか。)

 その日の夜中近くに彼女から電話が有りました。「ごめんなさい。あんなことして」「頼むからもうあんな馬鹿なことはしないでくれ。今は一体どこにいるの?」「警察から連れてこられた病院。今日は病院から友達のところに行くから心配しないでね」まるで彼女の中には悪びれた聞き分けのない人間と、可 愛く素直で純粋な人間が同居しているようです。「明日行っていい?」「悪いけどもうしばらく会わないほうがいい。今仕事も忙しいし時間もないから。」「私の事嫌いになったんだ」「あんなことばかりすると俺もどうしていいか分からないだろう」「話し合えば済むことでしょう?」彼女は事の重大さと自分 が何をしているか良く分かっていない。「それならいいわよ!」少し怒っているように電話は切れた。

 それから二日目の夜だった。誰か私の部屋のドアーを叩く人がいる。「フーイズディス?」「ホノルルポリス」「えっ、何かあったんですか?また彼女何かしたんですか?」と尋ねると「イエス ジャストオープンザドアー」私がドアーを開けた瞬間3~4人の警察官が部屋に飛び込んで来て私に銃を向け「ユーアンダーアレスト!」といって私に掴みかかる。「ユーレイプ ザ ウーマン!ユーアーレイペスト!」と言って私に手錠をかけるのです。それは誤解ですと言ってもまったく取り合ってくれないのです。その一人の警察官は見覚えがあります。私がそのポリスを見て「ユーマストビーOOOOO」と云うと何も言わず私の顔を見て笑いを浮かべ、「エンジョイユアーステイ!」と言って私はパトカーに乗せられて留置所に連れて行かれたのです。私には一体何が起きているのか、何故連行されているのかまったく見当もつきませんでした。一瞬私の頭に浮かんだ。もしかすると私が彼女と別れ話のような事を話したのでその腹いせにあの警察官が彼女をヘルプして私をこんな目に合わせたのか?

 その一瞬で私の人生は終わった。

 20 年もの間築き上げて来たこのホノルルマラソンのプロジェクトもすべてが崩れて行く・・・アメリカでの犯罪は裁判の結果で有罪になるまではただの容疑者で犯罪者ではないが日本では容疑者になったその時からほぼ全てが終わってしまう。それにしてもまだ私は過去一度も事情聴取も何も受けたことがない。何が何だか全く意味が分からない。何をどうすればいいのか見当もつかない。事件の真相がわからないので何を立証すればいいのかも分からなかった。私はすぐに知り合いの弁護士に連絡を取り、クリミナルケース専門の弁護士を探した。罪状が書かれたコピーを弁護士が届けに来た。私の罪状はキッドナップ(人さらい)、レイプ(強姦罪)であります。こんな事が世の中で実際にあるのだろうか?警察官が彼女を助け、彼女だけの言い分を聴き事情も何も調べず事件として扱う事ができるのだろうか?後で分かった事だがアメリカでの事件は加害者と被害者が裁判所で争うがそれに携わる警察官にとっては個人の事情や何故これが事件として扱われているのかはどうでもいいことのようだ。事件をベルトコンベアーに乗せて事件が片付けばこれが真実か冤罪かどうかなんてどうでもいい事なのだ。彼が作成したケースリポートにはこう書かれて有った。私が彼女を脅迫して無理矢理関係を持ったと書かれている。無理矢理キスをした(罪状1)胸に触れた(罪状2)胸にキスをした(罪状3)首にキスをした(罪状4)女性自身に触れた(罪状5)その部分にキスをした罪状6)アメリカの法律で はこんなにくだらないリポートが通るのでしょうか?こうして罪状を増やし多くの罪を犯したように 作成すれば保釈金の金額がたかくなり、金額が高くなれば保釈請求をしようにもお金がなくては不可能になる。

 私の保釈金は 50 万8千ドルでした。ひどい話だとは思いませんかアメリカの警察官が一人の女性に加担して事件が公平な審議とともに進まなくても彼たちにはどうでも良いことで「イッツナットマイビジネス」なのです。

 当時私が留置所に入れられた時すべてを失った自分を悲観して私も自殺を図りました。髭剃り用のカミソリを外し自分の左の手首を切りました気が遠くなり倒れた時、私の頭部がドアーに当たり看守が気付きクイーン病院に搬送したのだと後で知りました。計 13 針を縫ったそうです。看守が私の姿を見たときに「オーユーディドグッドジャブ」と言ったそうです。病院から戻ると日系人のカウンセラーが「まだ裁判もしてないのに何で貴方はこんなことしたの?」「ハワイでよく日系人が口にする切腹、ハラキリです」と云うと「その気持ちは分かりますけど、早まってはいけません。もし貴方が自分の無実を信じるならば、諦めず最後まで戦いなさい、切腹が日本の文化なら最後まで戦うことも武士の意地ではないですか?」この出来事を聞いて私の弁護士が駆け付けてきました。眼に涙を浮かべ俺もお前の家族もお前を信じている。裁判で負けたならまだしもまだこれからの時に死ぬことを考えるなんて弱虫だ!もしお前がこんなふうに死んだらお前を信じる人や子供達も一生苦しむだろう。お前は助かったんだ。助かったという事は神がお前を死なせなかったのだからどんな事があっても生きろ。絶対に生きるんだ!」これは私が大部屋に移される前の出来事でした。

 第一回目の公判が始まりました。今日の審議はこの事件に対して課された保釈金の額面は果たして正当な額であるかの審議です。私は両手両足に手錠足かせをされ多くの知り合いと知人の前に立たされました。それまで長い間ラジオの仕事やハワイの日本語新聞にコラムを書いたりしていましたので、裁判所に来ている人はほとんど知り合いと報道の仲間です。恥ずかしさと悲しみの中裁判官が入廷すると傍聴席の中から誰かが「ジャッジ!メイアイセイサムシング?」と声を掛けるのです。裁判長が「オフコース」と言うと、そこに立ち上がった女性は私の別れた妻でありました。「私は過去7年に渡り彼と結婚生活していました。2人の間には3人の子供がいます。私は被害者と言われる彼女の事は知っています。なぜ知っているかと言いますと私達の子供と父親、即ち加害者との面会日に彼女のヤキモチが原因で子供と会うと彼女がトラブルを起こすので悪いけど彼女が帰るまで待ってほしと何度か連絡が有りました。それだけでは有りません。たしかに彼は少しプレイボーイ的な所があります。しかし私がこの7年間見てきた彼、私の知っている彼は、か弱い女性や子供に対し暴力を奮ったりしたことは全くありません。彼はそのような人たちに対して、たとえ指一本でも差し出すような人ではありません。今回の問題で本当に困っているのはむしろ彼の方だと思います。この事件は絶対におかしいです。ちゃんとした捜索もされず起きたこの事件をもう一度再捜査して頂きたく今日は裁判所に参りました。何があっても絶対に女性に暴力を働くような人ではありません。彼の事は私が一番良く知っています。私は彼のためにもこの子どもたちの為にも彼の無罪を証明したいのです。」私はみんなの前で泣きました。もうすでに別れているエックスワイフがわざわざ裁判所に来て私と子供のために強く言い切った言葉に沢山の勇気と涙と感動を頂きました。こうしてこの事を書いている今も思い出すと涙が溢れてきます。審議は20分ほどで終わりました。裁判長が「判決を言い渡します。この事件に対する保釈金は1万ドルに変更する!」審議が終わった直後あたりを見回しましたが、既にエックスワイフの姿はありませんでした。私の弁護士が「これはとてもいいサインだ。裁判長もこの起訴状を見てなにか不審な点を見つけたのだと思う。そうでなければハーフミリオンの保釈金が1万ドルに下がる事は無いだろう。だから負けるな、最後まで希望を持って戦おう!」審議のあと私は OCCC(オアフカウンティーコレクションセンター)に戻った。

 なにかのご縁でせっかく此処まで来てしまったので興味のある人、これから此処に入りたい人のためにハワイの刑務所の話をしよう。所在地はダウンタウンから空港に続くカメハメハハイウエイの一角で皆さんもよく知る日系マーケットマルカイの手前左手です。私が入っていた所は大部屋と呼ばれています。大きな三階建の建物の中には畳3畳ぐらいの部屋が各階に並んでいます。部屋には小さな二段ベッドが置かおかれています。各階には約70名ぐらいの服役者がおりますが緑の囚人服を着ている人は判決後の人で服役後の釈放 を待つ人です。茶色の服を着ている人がこれから判決を受ける人です。並んだ部屋の中央には大きなソファーが置かれ、時間の制限はありますが自由にTV を見ることができます。朝6時起床の後は点呼、その後に番人が各部屋を回り掃除片付けが行き届いているか確認します。その後が朝食ですが囚人達は一日三度の楽しみに舌鼓を打ちます。囚人の80%はハワイアン、サモアン、ポーチュギーズとポリネシアンの人が大半を締めているようです。 新顔が入牢するとまず最初に聞かれるのが「イズイットユアーファーストタイム?初めてか?」その次に聞かれるのが「ハウ・ロングユーゴーイングトゥステイ?期間はどれぐらいか。」そして最後に聞かれるのが「保釈金はいくらか?」です。その意味は初心者かお得意さんか入る期間が長くて保釈金が高ければ高いほど大物であると見られる訳です。仲間はインメイト、囚人同士が呼び合う言葉は「カズン」義兄弟であります。こうして呼び合えばお互いの名前を覚える必要もありませんし人の名前を間違えることもありません。よく刑務所内での対立や派閥の話も聞きますがここでイジメに合うのはだいたい本土から来た白人で、オリエンタルが多いハワイの土地柄アジアンにはそれほど厳しくありません。なぜ本土の人達かというとカリフォルニアに 居るメキシコ人と同様でこのハワイの土地は白人に取られたというように本土から来る白人にはあまりいい印象を持っていないからです。入牢後2日目の夕方でした。私がシャワーに入ろうとすると「ヘイ ドントテイクシャワー」と言って来ました。見ると200 ポンドはある大男です。人間は境地に立たされると恐怖心より闘争心が強くなるものです。どうにでもなれと開き直り「ドゥ・ユーワント ワッシュマイバック?」と言ってシャワーをひねると、怖い顔から笑みが溢れ「ユーアーオーケイ カズン」と云って来ました。彼が「アーユージャパニーズ?」と聞いてきます。「ワットディジュウドゥー?イッツマニニ」ハワイ語で小さいと言う事で、大した事じゃない、という意味でした。

 次の日の昼過ぎに昨日の大きなサモアンが「キャンアイアスクユーサムシング」と言って私の部屋にやってきた。私が「ワットユーウォントゥアスクミー」「アーユーヤクザ」と聞いてきた。イエスといえば嘘になるノーと言えば彼らの餌食になるかも知れない。私からとっさに出た答えは「フートールドユーザット」「ハウディドゥユーファインドアウト?」と続けるとニコニコしながら「アイニューイット!」と言いました。凄いものでその瞬間から私にする彼たちの態度が大きく変わったのです。暫くすると彼の仲間がやって来て、煙草は有るか、カップヌードルは要らないかとVIP扱いです。その日から私は一介のボス、ジャパニーズヤクザになったのです。考えてみるとつい何日か前に日本から来た有名なヤクザが強制送還された記事が新聞の記事に載っていたので、日本人の犯罪者ら しき男は皆ヤクザと思ったのでしょう。

 ある時、私より2~3日遅れて入って来たフィリピンの男がそのサモアン兄弟にいじめられています。彼が涙をため「プリーズヘルプミー」と助けを求めてきました。此処で弱い自分は見せられません。早速そのサモアンを呼び出しました。「ユーノウ ザ・フィリピーノボーイイズマイボーイ プリーズテークケアー」と云うと「オーケーノープロブレム!」と言って私の頼みを速やかに受け入れました。刑務所の中は服役者のフューチャープラニングの場所でも有り、多くの囚人はこの檻の中で次の仕事の打ち合わせをしている。その一人が此処を出たら仕事を紹介してくれと頼みに来ます。私が「何がしたい?」と聞くと「ドラッグディーラーがしたい」と言って来ました「分かった若いもんに話しておこう」そうは言った物の若いもんなど居ないしバレたら大事になります。運が良かった。そんな事を言っている内に保釈請求の審議が通り保釈が確定になリました。映画で見たことは有るが私が出所する時には「兄貴ご苦労さんです」という人は居ないので、寂しく一人で家に戻りました。

 私の部屋ですが、あの警察官に家宅捜索という理由で家具、オーディオ、洋服と全てがひっくり返され、家の中は足の踏み場もありません。この事件が起きた時に私に声をかけてくれた日本人は一人も居ませんでした。私に声をかけてくれた人は仕事で親しくしていたローカルの3世と日本生まれの中国人でした。考えれば無理もありません。こんな時には誰も関わり合いたくないでしょう。私個人を知らない人は新聞の記事を見てコイツは悪いやつだ、私を知る人もしばらく今は距離を置いておこう。昔私が面倒を見た人もばったり道で会うと私を見て逃げ出しました。報道というものは本当に怖いものです。特に日本の社会では不名誉なことで名前が載ればそれで人生は終わります。狭いハワイの日系人社会の中ではなおさらです。この事は不名誉で恥じることなので迷いましたが実在した事は隠さず書く事にしました。荒らされた自分の部屋には戻れない、掃除をする気力もない。私には仲のいい元警察官の友人がいました。彼は自分の勤務中に起きたある事件から警察の仕事に疑問が湧き退職したのだと言ってました。「大丈夫だよ。私が此処に毎日来て君をサポートする。私もこの事件の事いろいろ調べてみたけどちょっと変だ。捜査リポートもない、相手の彼女のリポートもなかった。おかしいだろう?」確かにあのカミソリ騒動の事実もなにも残されていない。

 突然私のモートローラーの電話が鳴り出しました。「もしもしごめん、、、私」彼女だった。「なんで電話した?」「貴方が保釈で出たと聞いたから。会えないよね。でもあなたと会って本当のことを話したい。」「もう遅いよ。君のした事で俺の人生は終わった。もう自分にはなにも残ってない。あと残された事はせめて俺が君を強姦してないことを証明するしかない。でもそれがかりに証明出来たとしても、オレの人生はもう元には戻らない。俺は葬られたんだよ。」電話の向こうで彼女は泣いていた。弁護士が彼女からの電話に気付くと私から受話器を取り上げた。「貴女、被害者の君が加害者と言って訴えた人になんで電話をして来るんだ。法的にも今貴女と彼は法廷以外の場所では言葉を交わしてはいけない んだ。」電話は切れた。一体彼女は何を考えているのだろう?消えない怒りと悔しさがこみ上げてきました。その時元警察官の友人が、「私が思うには彼女は絶対にまた掛けてくると思う。今度かけて来たら怒らないで君から彼女にこう聞いてください。『僕はあなたを誘拐してレイプしましたか?』と。もし君が言う通りそれが真実で無ければきっと彼女は本当の事を言うと思います。以前私が仕事で使用していた盗聴器がありますから明日電話に取り付けて録音しましょう。」「なるほどそれはいい考えです。」もし彼女が真実を言えばその時点でこの事件は終了になります。翌日彼は盗聴器を電話に取付けました。言っていた通り彼の感は見事に的中したのです。彼女からの電話です。「もしもし。私あなたと会いたい。今どこにいるの?そこに行ってもいい?どうしてもそこに行って話をしたい。」「電話で話しているだけでも我々は法律を破っているのに、会える訳はないだろう。」「でもあって話せばきっと分かって貰える。」「今更何が分かるんだ。この前も言ったけど、俺の人生は終わったんだよ。一つ聞くけど、俺はどうやって君を誘拐したんだ?君は自分からハワイに来たんではないのか?」「そうだよ」「それならもう一つ聞くけど、俺は君をレイプしたか?」「してないよ」彼女の生の声、重要な証拠は取れた。しかし私のロイヤーは何もするなという。ただ私がこうして証拠固めをしなくては裁判に勝てるのでしょうか?以前知り合いの弁護士が他の弁護士と話していることを立ち聞きしてしまったが、ハワイの弁護士、検察側の検事、法廷の裁判官は皆同じ法律学校の卒業生だと言っていた。申し訳ないがこの話を聞いた時に、他にも色々な事件の裏話を聞いてしまったのでそれ以来私は誰も信じることが出来なくってしまったのです。私が勝つか相手が勝つか、これはただの勝ち負けなのでしょうか?次の日も次の日も彼女からの電話は続きました。「どうしたんだ。泣くのはヤメて欲しい。泣きたいのは俺の方だ。」と云うと、「私今日警察に行ってきたの。この事件は私のついた小さな嘘から始まったので、告訴は取り下げたいと言ったけど相手にしてもらえなかった。私はこんなに大きな事件に発展すると思ってなかったの。」彼女は続けた「彼は誘拐もレイプもしていません。これでは本当に彼に申し訳ないので告訴を取り下げたいと言ったら、アメリカは一度ケースが起きればそのケースはベルトコンベアーに乗って最後まで行かなくてはならないので取り下げは出来ないというの。」「それはおかしい。訴えもあれば取り下げもあるだろう?」「だから明日もう一度警察に行くからあなたも一緒に行って欲しいの」「原告と被告が一緒に行くっておかしいだろう。もう一度行ってその警察官とよく話をしてみろよ。」午後2時半ぐらいだったと記憶しています。次の日また電話がありました。「話したけれどやっぱりだめだった」私の弁護士は何も言わない。すると彼女が言い出した「私のした事であなたの人生をメチャメチャにしてしまった。最後に私が貴方を自由にしてあげられるのは私が死んでお詫びをするしかないのよ。もし私が遺言状に真実を残せばそれが証拠であなたは不起訴になり自由になれるわ」「おい馬鹿なことは言わないでくれ。今君に死なれたら自分の無実が晴らせなくなる。私にはちゃんと証拠もあるので法定で決着をつけよう。」そこまで言うと「いいの。私が起こしたことだから私が責任を取る」といって電話は切れた。丁度午後3時だった。私は直ぐに911に電話し経過を説明して彼女をすぐに保護してもらうように願い出た、電話に出た警察官は「我々が必ず保護しますので心配しないでください」と言ったのです。私は彼女の宿泊先は知りません。そこは検察側が用意しているので彼たち以外には彼女を保護することは不可能です。安心して電話を切りました。あくる朝の事でした元警察官の友人が朝刊を片手に飛び込んできました。頭を横に振っています。新聞を見ると一面にジャパニーズレイプビクテム ジャンプオフ ザピルディングと書いてあります。彼女は本当に自殺してしまったのです。その上私が911に電話して保護をするようにお願いしたのに、新聞にはサスピシャスマーダー バイゲーリーと書かれています。ひどい話では無いですか?こんな事にならぬようにお願いしているのに、警察はいったい何をしていたのでしょう。これがアメリカの警察の仕事でしょうか。彼女の言うようにあの時点で警察がこのケースを取り下げていれば、また私がお願いしたようにちゃんと彼女を保護していれば、彼女は死ななくても良かったのではないですか?これが法というアメリカのシステムなのでしょうか?それとも、我々が日本人であるからでしょうか?この無責任なアメリカの警察とそのシステムに悔しさと怒りがこみ上げてきます。もし私にそのお金と時間があれば私はこの警察官と警察を告訴していたでしょう。私はすぐに彼女の実家に連絡を取りました。警察と報道の無責任な事実を説明して置きたかったのです。電話には彼女の妹が出ました。私が彼女の自殺のことを伝えると「お姉ちゃんはハワイに行きたくていって、死にたくて勝手に死んだんだから私には関係ない」と言うのです。「お母さんに代わってください。」お母様が警察とのコンタクトを持つ前に真実を伝えたかったのです。ハワイに来られた際には私が事実をお話しますので必ずお会いしましょう。といって電話を切りました。しかし到着日になってもお母様からの連絡はありませんでした。後で知ったことですがお母様の到着日にはあの警察官と関係者は空港の中まで入りお母様を連れ出し私との接触を避けるようにしたのです。もしこれがアメリカ人であって事件の真相を知れば100%訴訟問題に発展したことでしょう。警察はその事実を隠すため母を説得し彼らにはなんの落ち度はないと説明して私に会わせぬまま日本に送り返したのでした。

 私はすぐに弁護士にお話して彼女が言っていた遺言状の開示を求めました。最初の返事は「そんな物は見当たらなかった」と言うのです。何度伺っても梨のつぶてです。最終的には法廷からの要請でコピーを請求しましたがそれでも警察はお茶を濁していました。私が録音した彼女との録音テープがあることを知るとやっとそれを認めてコピーを下さいました。遺言状には、「貴方は花とうさぎを大事にしていた、優しい人だった。それに引き換え私があなたにした事は本当に許される事ではありません。あなたを自由にする為に私は死んでお詫びをします。」その後彼女との会話記録を警察に証拠として提出しました。

 幾日か後、このレイプケースは不起訴になりました。

 しかし真実が証明されても報道は何もしてはくれません。何の捜査もせず一人の警察官の判断で進められたケースと無責任な報道もなんの修正はなく、まるで何もなかったかのように通り過ぎていったのでした。私が弁護士に「私は正式に警察に抗議したい。」と云うと「やめたほうがいい。警察を相手に裁判しても最低5年、引き伸ばしをされれば7~8年はかかるだろう。もし母親ならば立場も強いが彼女は警察に丸め込まれて帰国してしまった、残念だが君の立場は弱い。それに君にお金があり何もせずとも生活していける財産と高い弁護士費用を払えるだけの蓄えがあれば別だが、無理な話だ。その上もし裁判で負けてしまったらそれこそまた逆戻りだぞ。早く忘れて新しい人生を生きるほうが懸命だ。」 たしかに彼の言うことは正しかった。そして事件の後に私に残ったものは人からの疑惑と空っぽになった自分だけでした。人間は何時どんな出来事に遭遇するか分かりません。特に海外で生活していると何も分からずのまま 時間だけが虚しく過ぎていくのです。何かが起きた時、自分の事は自分で守らなければ誰も助けてはくれません。いい勉強になったと言うには悲しく辛く苦しい経験であり、過ぎていった時間だけでなくとてつもなく高い授業料を収めたと思います。

 私の知り合いにFBI に勤務をしている人がいました。彼の仕事はジャパニーズヤクザ係です。ひょんな事からOCCC ではインスタント親分になりましたが、私の事ではないです。彼たちは日本とアメリカ本土からハワイに流れてくる東洋系のマフィアを監視しています。夢の島ハワイという楽園にはその手の組織は欲しくないのです。「ケースは終わったのか。大変だったなあ。私もできる事なら助けて上げたかったけど、連邦政府の我々がハワイ州の警察の事件には口を挟むことは何か特別な理由がない限りは出来ないからな、まあ終わって良かった。大分お金も使っただろう。どうだい一ついい仕事があるが手伝う気はないか?」以前私はこの彼を例の川勝先生に紹介したが2人は意気投合して先生がハワイに来ると今でもよくお会いしていると言っていた。「どんな仕事ですか?」と聞くと「此処だけの話だが実は FBI では追っている奴がいるのだがどうしてもこの男のシッポが掴めない。 もしお前が我々に協力してくれるなら30万ドルの報酬を払う。ケースが終わった後はアメリカのパスポートをやるのでどこか好きなところに行って新しい人生を歩めばいいじゃないか?」これが俗に言うおとり捜査であります。この彼との出会いですが以前私がショウや芸能関係の仕事をしていた関係で周りからみる人にはとても派手に見えていた様です。彼はそのような私を見て日本とアメリカ本土をハワイで結ぶ組織の人間と勘違いしたそうです。「貴方は一体何者ですか?」それが彼との出会いでした。彼は日系三世ですがとても思いやりのあるいい人でした。このおとり捜査も特別私でなくてもいいのですがあの事件後で私が一文無しになったことを心配してこの仕事を紹介してくださったのです。FBIが追っている彼の事は私も見て知っています。そんなわけでFBI も私ならうまく人間関係が築けると思ったのでしょう。ワイキキにある一流コンドミニアムのペントハウスに住み何万ドルもする高い高級車を乗り回し、毎晩ハワイの高級クラブで遊び回っている人でした。誰が見てもその道の大物とわかるような人でした。「あなたの友情は大変にありがたいですが、私にはそれをする勇気はありません。」丁重にお断りしました。何故なら万が一このことが彼に分かれば、私自身も身の危険にさらされる事にもなり兼ねません。

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