第14話 妖精の庭
目の前が真っ暗だった。真っ暗で、痛くて、暑い。
感じられる全てに不快感が満ちていて、いい加減にしてくれと叫びたくて仕方なかった。頭を抱えて俯いていると、俺の体を後ろから抱きしめたのは穏やかで優しさに満ちている感触だった。
振り返ると髪の長い女性が笑っている。懐かしい顔と懐かしい雰囲気。
俺は彼女の名を告げようとする。だが、不意に体から感じられる感触が一変した。気付くと、大好きだったその人はガイコツに変わっていて、ボロボロになった髪がパラパラと落ちていく。
そして、俺の耳元で囁くのだ。
どうして、と。
「――ハッ!?」
目を覚ますと、視界に入ったのはキラキラと煌めく色とりどりの星と紫色の空。そして、聞こえたのは少女の笑い声。
「くっ」
上半身を起こすと、肩口に激痛が走った。顔を向けると白いシャツには赤い血が付着している。しかし、傷口を触って調べると粘り気のある粘液で覆われていた。
「ここは……」
そして、周囲を見やる。
星が輝く紫色の空の下、俺が寝ていた場所は広大な花畑。なんともファンシーな場所であるが、俺は場所と傷口の手当を見て「やられた」と漏らしながら舌打ちしてしまう。
「あ、起きましたか!?」
俺が目覚めた事に気付いて声を上げたのは聖女アリアだ。彼女の周りには小さな妖精がたくさんいて、彼女の周りを楽しそうに舞っていた。
やっぱりか。ここは妖精世界だ。
「最悪だ」
まだ崖の下に落ちた方がマシだった。
「最悪……? どうしてです? 私達は妖精さんに助けられたんですよ?」
確かにそうだ。崖に身を放り出された彼女を助けるため、俺も自ら崖に向かって飛んだ。普通なら崖の下に落ちて、当たり所が悪ければ死ぬだろう。最低でも体の骨が何本も折れたかもしれない。
そうならなかったのは、妖精が俺達を救ったからだ。地面に激突する前に妖精世界に連れ込み、落下のダメージから救った。加えて、怪我した俺の傷口を塞ぐ処置を行った。
ここまで聞けば「俺達は運が良かった」「妖精は優しい」などと思うかもしれない。
しかし、妖精が人を助けるのは善意からじゃない。ちょっとした気まぐれと、自分達の欲求に従っての行為だ。
「こいつらがどんな生き物か知っているのか?」
敢えて問うが、彼女の顔を見ると妖精について何も知らないのだろう。愛らしく小さい生き物に対して純粋な愛情を抱いているだけに違いない。
首を傾げて「わかりません」と言う聖女に教えてやった。
「こいつ等は自分達の欲求に忠実なだけだ。俺達を助けたわけじゃない」
「え?」
妖精とは俺達の世界とは別の世界に住む生き物だ。とある学者曰く、妖精は暇潰しに人間達の世界を覗いており、人間達の暮らしに憧れているという。
人間の生活や文化に憧れた妖精達は、気まぐれで人を助けたり、幼子を攫ったりと人間を自分達の世界に連れて来る。連れて来た人間と触れ合うことで、自分達の「憧れ」を満たしているそうだ。
俺を治療したのも連れて来た俺を長く生かすため。聖女を助けたのも可憐な少女と遊びたかったため。こいつらは善意で俺達を助けたのではなく、自分達の欲求を満たすために拉致しただけだ。
ただ単純にタイミングが良かっただけ。もしくは、妖精の目に留まっただけにすぎない。
「ここは俺達の世界とは違う。元に世界に帰してくれと言っても簡単には帰してくれないぞ」
「え? う、うそでしょう?」
動揺する聖女に「そりゃそうだ」と言ってやりたい。誰が「戦利品」を手放そうと思うんだ。俺達は今、妖精達に捕まった憐れな人間に過ぎない。
俺の話を聞いて妖精への印象が変わったのか、聖女はニコニコ笑いながら宙を舞う妖精に恐怖するような表情を向けた。
「ど、どうやったら戻れるんですか!?」
「妖精が満足する物を渡すんだ。タフな交渉になる」
元の世界に帰る方法は一つ。捕まった自分達に代わる物を差し出すしかない。
それは物であったり、人であったり。とにかく、妖精が自分達の身柄と「交換しても良い」と思う物を差し出さなければならない。
「な、何を渡せば……」
「まだいい。まずは傷を治してからだ」
俺は近くに落ちていたリュックとベルトを聖女に取ってもらい、リュックの中にあった水筒とベルトのポーチに入っていた丸薬型ポーションを取り出した。
「俺の剣は?」
「ありますよ」
ついでに剣も傍に持ってきてもらう。その間に丸薬を包んだ紙を解いて、水筒の口も開けておく。
妖精共が俺の行動を珍しそうに観察しているが気にしたら負けだ。
「くさっ!?」
しかし、聖女のリアクションは新鮮だった。彼女が思わず鼻を覆った理由は丸薬の匂いだろう。
レスティアン王国騎士団に所属する人間は丸薬の匂いを嗅いでも、もう何とも思わないくらい慣れている。聖女のリアクションは新人騎士時代を思い出す良いリアクションだ。
彼女のリアクションはさておき。俺は丸薬を口の中に入れて噛まずに飲み込む。これを三回。飲み込んだ瞬間、水筒の中に入っていた水を一気に呷る。
喉にあった異物感は消えたが、鼻から抜ける丸薬の匂いは消えない。これがとにかく辛い。
「な、なんですか、それ……」
聖女が鼻を法衣の袖で覆う。彼女の周囲に漂う妖精達も同じようなリアクションを取って笑っていた。
「体に良い薬草を組み合わせた丸薬だ。エステル王国にもポーションがあるだろう?」
「ありますけど……」
「ポーションを丸薬化させた物だ。世界一臭くて苦い薬だとも言われている。飲んだら三日間は口が臭い。吐き出す息まで臭くなる」
「うわあ……」
顔を引き攣らせながらも聖女は俺の隣に腰を下ろす。
「薬が効いて来たら妖精と交渉するんですか? すぐにここで出ないと皆が……」
「慌てるな。妖精の世界ってやつは俺達の世界と時間の進みが違う」
妖精世界での一日は、現実世界の一時間くらいだろうか。前に来て、戻った時はそれくらいだったはず。
丸薬の効き目が出てから交渉しても遅くはないだろう。
「でも、アルベルト様が」
「大丈夫だ。あいつが吸血鬼如きで死ぬわけない」
俺とアルベルトは現場で何度も鉢合わせた。凶悪な魔物と共に戦ったこともあるが、何度も互いに生還してきたんだ。
お互いに所属している組織は違えど、対魔物戦においては騎士団の仲間以外に信頼できる人間はアルベルト以外に存在しない。
「あの、少し聞きたいのですが」
「なんだ?」
「レスティアン王国ってどんな国なんですか?」
その質問にどんな意味があるんだろうか。しかし、ここには聖女を止めるアルベルトやバトルプリーストがいない。
「どうしてそんな質問を?」
「いえ、行った事がないので単純にどんな国なのか知りたくて」
話すべきか少し悩む。俺の言葉で聖女に掛かった教会の印象操作が解けないか心配だ。後々に問題になって、俺が原因だとは指摘されたくない。
「別にエステル王国と変わらない。聡明な王がいて、平和な国だ」
迷った末、当たり障りのない意見を口にした。
「レスティアン王国は竜を信仰しているんですよね?」
「そうだ。大昔、竜が住まう土地だったと言われている。竜が住んでいた土地に人間がやって来て、竜に土地で暮らす許可を得た」
まだ国が出来る前の話だ。大陸の北側から流れてきた民族が竜の土地に入り込んでしまった。しかし、そこは楽園とも言える豊かな土地だった。
民族の長は竜に土地で暮らす許可を得て、果ては国を興した。そういった経緯もあって、レスティアン王国人は祖先を迎えてくれた竜に感謝と崇拝の念を抱いている。
王国内には竜信仰を説く『竜神殿』が設立され、竜を称える巫女が存在している。
要は聖女と似た存在だ。しかし、政治利用されていない点や信者獲得に対して躍起になっていない点が違いと言えるだろう。
あくまでも信仰は人の自由。祈りを捧げる事を強制せず、お布施の徴収も行わない。レスティアン王国建国に至った歴史の一つとして大事にしている、といった感じだろうか。
騎士団にとってもそうだ。竜のように強くなり、人々を守りたいという理念を掲げている。
「ただ感謝しているだけだ。竜という存在に」
しかし、馬鹿正直に全ては話さない。竜信仰についても当たり障りのない範囲でしか語らなかった。
「なるほど。そうなんですね」
単に他国の信仰というものが知りたかっただけか。それとも如何に自国の宗教が優れているか再確認したかっただけか。
どちらにせよ、聖女はまだ幼い。まだ何も知らされていない。
これから自分が歩む運命に対して疑問を抱かずに人生を全うしてほしい。俺はそう思わざるを得なかった。
疑問を抱いた瞬間、天国に見えていた世界が地獄に変わるのだから。
「少し眠る」
俺からすれば憐れな少女にしか見えないが、せめて籠の中にいるうちは幸せであると感じていてほしいものだ。
「はい」
俺はそう願いながら横になって目を瞑った。
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数時間ほど眠ったあと、体を起こすと肩口の痛みは消えていた。傷口を見ると肉はくっ付いていて、血も完全に止まっていた。
肩を回すと少しだけ痛いが、これくらいなら許容範囲だろう。
さて、そうなると妖精世界からの脱出を試みないといけないわけだが。
「どうするんですか?」
「言った通り、交渉するんだ」
俺はリュックを開きながら「おい、妖精共」と声を掛けた。俺の周りに集まって来る妖精に対し、俺はただ一つの要求を行う。
「俺達を元の世界に帰せ」
要求を口にすると妖精達はクスクスと笑いながら両手で「バツ」を作る。
「タダとは言わん」
俺はリュックの中に手を突っ込むと、レスティアン王国金貨を取り出した。
「これは俺の国で使われている金貨だ。ピカピカ光って価値があるぞ」
「なんだか凄く興味を示していますね」
妖精は光物が好物だ。金貨や宝石に目がない。妖精達は俺から金貨を奪い取り、小さな体全体で金貨を抱きしめながら宙を舞う。
ただ、一番の好物ってわけでもないのだが……。これらの類で交渉が成立したら「大成功」と言ったところだろう。
「どうだ?」
興味は抱いているが、まだ足りない様子。妖精達は「出口」を作らない。
「次はこれだ」
次に取り出したのはクローベル王国金貨だった。こっちにも興味は抱くが、やはりまだ足りない。
次はどうしようかと悩んでいると、妖精達からリアクションを起こした。
「えっ」
妖精は聖女の周りをくるくると飛んで、彼女の首に掛けていたペンダントを法衣の中から引っ張り出す。
聖女が首から掛けていたペンダントは決して高級品とは言えない。真鍮製のペンダントであり、価値で言えば金貨の方が高いだろう。
しかし、俺は妖精が聖女の持っていたペンダントを要求した事に心当たりがあった。
「それは何だ?」
「聖女になる前、母から貰ったペンダントです。離れ離れになるからって……」
やっぱりか。
妖精は光物も好きだが、こいつらの大好物は人間が持つ「思い出」だ。その人間が大事にしている物ほど思い出が詰まっており、妖精達は物を通して人間が感じる思い出を追体験しているのではと言われている。
妖精達は聖女の思い出を嗅ぎつけて、少女の心の中にある純粋な家族愛を感じたいようだ。
一匹の妖精が聖女が首から掛けているペンダントを指差し、そして次は花畑の奥を指差す。恐らく、聖女のペンダントを渡せば元の世界に戻してやると言っているのだろう。
「…………」
正直言えば迷った。
聖女にペンダントを渡せと言うのは簡単だ。嫌がる素振りを見せても「アルベルト達と合流するため」だとか「世界を平和にするため」だとか「聖女の使命を果たせ」などと言えば妖精に思い出の品を手渡すだろう。
しかし、本当にそれで良いのだろうか。これから何も知らず、過酷な運命を歩む少女から家族の思い出まで奪ってしまうのは、人として正しいのだろうか。
もしも、彼女が辛い目に遭った時、教会の闇に気付いた時――家族の愛を示すペンダントが傍になかったら、心が壊れてしまうのではないだろうか。
「おい、妖精共」
迷った俺は、リュックから金のペンダントを取り出して妖精に見せつけた。
俺が取り出したペンダントを見た妖精は大興奮し始めて、それと交換だとジェスチャーを行った。
「早く出口を作れ」
妖精は花畑の先に元の世界へ繋がる出口を作り出す。
俺はリュックを背負い、剣を腰に差した。聖女に「出発だ」と言ってから、金のペンダントを妖精に投げつける。
「行くぞ」
「は、はい」
妖精共が俺のペンダントに群がっている間、俺と聖女は出口に向かって歩き出した。
「あのペンダントは高価な物なんですか?」
高価かどうかと問われれば、金で作られているしそれなりの価値はあるだろう。
しかし、俺にとっては……。金に換えられない大事な思い出の品だ。何十年も前に亡くなった、母親が身につけていたペンダントなのだから。
「そうだ。価値のある物だ」
後悔しているかどうか問われると、後悔の方が大きいのだろう。
しかし、語って聞かせるほどの事じゃない。
「あの、元の世界に戻ったら代わりにお金を――」
「いらん。早く脱出するぞ」
俺は聖女を急かし、元の世界へ続くゲートの中に足を踏み入れた。
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