第7話 クローベル王国国境


 クローベル王国に入国した俺は、国境近くにある街に立ち寄った。


 馬を休ませる目的もあったが、盗賊達に干し肉を上げたせいで食料がカツカツだった。国境に到着する一日前には食料が尽きてしまい、丸一日食わずに旧アーバン帝国を駆け抜けた。


 別に後悔はしていない。憐れと感じた自分の感情に従っただけだ。


 ただ、腹が減ったのも事実である。クローベル王国王都まで馬を使って三日掛かる事もあり、まずは腹を満たしてから動き出そうと決めた。


 石の城壁に囲まれた街に入り、木造の家が並ぶ道を真っ直ぐ進む。道行く人達はエジル王国に比べて随分と健康そうだ。旧アーバン帝国とは比べるもない。


 男も女も顔色も良いし、子供達は元気に走り回っている。クローベル王国内には食料も水も行き届いているのだろう。


 道端でワインの小樽を抱いて眠る男までいた。


 クローベル王国の西側ではワインの製造が盛んであり、レスティアン王国にも輸出されている。対外国用の商品としてではなく、国内需要にもしっかり満たせていると見るべきだ。


 そう考えると、国内情勢的には祖国であるレスティアン王国に近いものがあると感じられた。


 先の戦争でようやく障害を取り除けたこともあり、クローベル王国王家も国内安定に注力したいとの情報も耳にしたが真実なのかもしれない。


「ここで待っててくれよ」


「ブルル」


 酒場兼宿を見つけた俺は、宿の馬房に馬を預けた。一日預けてクローベル王国銅貨六枚だと馬の世話を行っている少年に言われ、リュックの中にある財布からクローベル王国銅貨を取り出して手渡した。


 財布の中にはまだ各国の通貨は残っているが、この街で食料を調達したら少し心許ない。王都にある情報部の拠点で通貨を仕入れておこう。


 リュックを背負い直し、宿のスイングドアを押して中に入った。宿泊目的ではない事を従業員に告げて酒場へと直行する。


 酒場は昼間から大盛況だ。店の中を見渡すと、休憩中らしき兵士が数組。他は領土内を行く商隊と街に住んでいる住人達だろう。


 酒場の中心には樽が置いてあり、そこに腰掛けながら歌う吟遊詩人がいた。リュートを奏でながらクローベル王国騎士団の活躍を称えた詩を歌っているようだ。


 彼の歌を聞きつつも、俺はカウンター席へと向かう。


「いらっしゃい」


 酒場の店主は横幅のある人物だった。肩にタオルを掛けながら「何にする?」と問うてくる。


「水をくれ」


「酒じゃなくて?」


「ああ」


 店主は「酒場だぜ?」と言いながらも水を出してくれた。


 彼には悪いが、生憎とまだ酔えない。


「酒を頼まない代わりに食事を注文する。何かオススメはあるか?」


「羊肉のステーキとパンだな」


 羊肉は朝に仕入れたばかりだからオススメ、と店主が言う。それを注文して待っていると、香辛料の良い香りが漂ってきた。


 ジュワッと油の跳ねる音が鳴って、食欲がそそられる。


「あいよ。お待ち」


 ドカンと置かれた皿の上には随分と大きな羊肉のステーキが乗っていた。そこに追加で三切れのバケット。


 普段なら「多いな」と思うかもしれないが、今は逆にありがたい。できればバケットにかけるオリーブオイルが欲しいところ。


「店主、オリーブオイルはあるか?」


「おお、あるよ。もしかして、レスティアンの人?」


 レスティアン人はバケットにオリーブオイルを軽くかけてから食べる文化がある。店主はそれを知っていたようだ。


「クローベルは砂糖をかけるんだったか?」


「ああ。ほらよ、オリーブオイル」


 小皿に注がれたオリーブオイルを引き寄せて、バケットの端にちょこんと付ける。そのままバクリと齧ってから羊肉のステーキに取り掛かろうとした。


 しかし、ナイフが無い。横にいた男が同じ羊肉のステーキを食っていたが、豪快にフォークをぶっ刺して食っている。


 俺もそれに倣い、フォークをぶっ刺して肉を噛み千切った。


 口の中で羊肉の肉汁がジュワッと溢れ出す。確かにこれはワインが合いそうだ。急いでなければ是非ともワインも頼みたかった。


「店主、最近のクローベルはどうだ?」


 食事を終えたあと、残った水を飲み干しながら店主に問う。


「あん? そうだなぁ……。ようやく戦争も終わったし、行商や商隊も行き交うようになってきたな。西のレスティアン王国や南のアンギル王国からの商隊も増えて来たって話だぜ」


「平和か?」


「そりゃもう。帝国は滅んだし、クローベルで大きな顔してた帝国人は全員処刑されたからな」


 店主曰く、帝国が滅んだことで搾取されることがなくなった。物もきんも帝国に奪われなくなったおかげで国内の発展に注力できる。


 同時に国民を虐げ、我が物顔で歩いていた帝国人は全員処刑されたらしい。首吊りにされ、虐げられたクローベル王国人全員が石を投げてこれまでの鬱憤を晴らしたという話だ。


 国内各地で行われた処刑はショーのように扱われたと聞き、これまで国民が溜め込んでいた鬱憤のガス抜きとして使われたのだろうと推測した。クローベル王国の政治を支える者達も考えたものだと感心してしまう。  


「あと、王都にエステルの~……。なんだったか? 教会が~」


「聖徒教会」


「そう。王都に新しい教会が建設されたって話だ」


 店主は王様も通っているんだってよ、と笑いながら語る。


 なるほど。エステル王国は帝国からクローベル王国を解放したついでに信徒として抱き込もうってことか。ますます東側での勢いが強まりそうだ。


「魔物についてはどうだ?」


「魔物? ああ、旅人だもんな」


 旅に魔物との遭遇はつきもの。まぁ、街道沿いを行っていればそう出会うこともないのだが。


 野営中に低級アンデットであるグールが近寄って来るか、昼間にゴブリンが寄って来るかの違いくらいだ。早々大物と遭遇することもない。


「国の南はゴブリンの集落が多い。北にある湖の近くにはケルピーとバンシーが出るって有名だね」


 南側の話は事実であり、実際にゴブリン達が人の住む村を襲って何度も被害に遭っているらしい。後者の北にある湖の話は、あくまでも噂だとのこと。


「他には? グールの話は聞かないか?」


「グールってぇと死肉漁りか? ここらじゃ聞かないね。帝国なら耳が馬鹿になるくらい聞けるんじゃないか?」


 店主はエステル王国とやり合った戦場跡のことを言っているのだろう。


 やはり近隣でグールを見たという話は出ない。クローベル王国に滞在しているという教会の工作が効いている証拠か?


「そうか。助かった」


 俺はカウンターに料理代に加えて情報料も置いて席を立つ。


 宿の従業員に旅用の食料を買いたいと前置きしてから、街にある市場の場所を教えてもらった。


 宿を出てから道を真っ直ぐ進み、二番目の路地を右に。家と家の間にタープを張って作った露店市が見えてきた。


 クローベル王国王都まで必要な分の食料を買い、宿に戻ってから馬に積み込む。再び馬を引いて街を出ると、西を目指して出発した。


 休憩を挟みながら走り続け、一日目の夜を迎える。


 街道から外れ、林の前で野営の準備を行う。といっても、テントなどは設営しない。馬の世話をしたあとで拾ってきた枝を積み上げ、焚火をしながら夜を越すだけだ。


 枝を積み上げたあと、俺は剣を腰から外して地面に座り込む。剣を足の間に抱き込んで首から掛けていたタリスマンを握り締めた。


「火の恩恵」


 小さく魔術を唱えると積み上げていた枝に火が点いた。


 パチパチと爆ぜる枝を確認したあと、俺は静かに目を閉じた。目を閉じてリラックスしつつも、周囲に対する警戒は疎かにしない。


 水面の上に浮かぶような感覚を体に感じさせながら、音や気配を感じられるよう耳を澄ませる。


 幼い頃、父親から受けた訓練の時は連日酷い睡眠不足に襲われたが、歳を重ねるにつれてすっかり慣れてしまった。騎士団の任務で旅が増えてからは、こうして疲れを取るのが当たり前になってきている。


 それ故に王都にある実家へ帰った時はぐっすり眠ってしまうのだが。


 今夜も問題が起きなければ良い。そう願いながら目を閉じていると――


 パキ。


 隣にある林の中から枝を踏む音が鳴った。音の位置は遠く、枝を踏んだ者も俺には聞こえていないと思っているだろう。


 だが、それが間違いだ。レスティアン王国騎士団、中でも魔物討伐部隊に属する者なら聞き逃さない。俺が所属する五竜騎士の者達なら猶更だ。


 さて、問題は人か人ならざる者かだ。前者なら盗賊。後者ならグールが妥当か。


 どちらにせよ、敵意を向けて来るなら斬るだけであるが……。感じられる気配は三。三人か三匹か。微妙な人数だ。どっちでもあり得るな。


 ――キュッ、キュッ。


 次に聞こえたのは金属と革が微かに擦れる音だった。この音はブーツから鳴る音だ。


 ――シュッ。


 今度は鞘から刃物を抜く音。


 なるほど、人か。


「やめておけ」


 俺は目を瞑ったまま、独り言のように告げる。口にした瞬間、動いていた気配が止まった。


 俺が気付いていることで退いてくれれば良かったが……。


 ――キリキリ。


 今度は矢を番えて弦を引っ張る音が聞こえた。


 旧帝国で出会った盗賊とは違い、殺し慣れている相手か。もはや、他人から奪うことに何の躊躇いも思わぬようになってしまった者達か。


 ――シュッ!


 忠告を無視して矢が放たれた。


「…………」 


 俺は少しだけ体を後ろに倒すことで矢を躱し、体の位置を戻す勢いを使って立ち上がる。


 のいる林に体を向けて、鞘に納められていた魔銀の剣を抜いた。


 剣を下段に下げたまま林の中を見つめる。聞こえていた音の方向から敵の位置を割り出して――見つけた。


 俺と目が合ったのは黒い頭巾を被った男だった。目が合った瞬間にハッとなって、太い木の陰に隠れる様子が目に映る。


 木の陰に隠れている他の二人も同じく黒い頭巾を被っているが、どこぞの盗賊集団の一味だろうか。


「…………」


 俺はジッと相手を見つめ続けた。相手が夜の闇に紛れ、背を低くして別の木の陰に移動しようとも目で追い続ける。


 どれだけ隠れようとも、どれだけ目を欺こうとしても無駄だと伝えるように。


 すると、遂に相手が痺れを切らした。


 身を晒し、握った剣を向けながら俺に向かって歩いて来る。剣先を少しだけ揺らして、今にも飛び出すぞと言わんばかりのポーズ。


 しかし、そう見せる魂胆は分かっている。身を晒した男から斜め右方向、そちらから矢が飛んで来たのだ。


「バレバレだ」


 俺は飛んで来た矢をグローブをはめた手で掴み取ってやる。目の前で剣先を揺らしていた男の目が見開いて、驚いた様子を見せる。


「キェェェッ!」


 もう小細工は無駄だと悟ったか。男の一人が突きの構えを取って突っ込んで来た。


 俺は下げていた剣をくるりと回し、中段に構えながら男を待つ。間合いに入る瞬間に身を屈めて突きを躱し、同時に剣を振り上げた。


「ぎゃああああ!?」


 男の両腕を両断して、その勢いのまま前へと出る。今度は手前側、木の陰に隠れたナイフを持った男に狙いを定めた。


 走って距離を詰めていると、前方から矢が飛んでくる。剣で躱すまでもない。首を横に傾けて矢を躱し、スピードを緩めず前進。


「くっ、チッ!」


 男は身を晒してナイフを構えた。剣とナイフじゃ話にならない。いや、仮に剣であってもだが。


 男は素早くナイフを突き出す。俺は体を横に傾けながら下段から剣を振り、突き出した腕を斬り飛ばす。


「ぎゃああああ!?」


 絶叫する男の体に隠れながら、そのまま男の腹に剣を突き刺した。背中から飛び出す剣を見て、後方にいた弓使いの男が短く悲鳴を上げるのを聞き逃さない。


 男の体を蹴飛ばしながら剣を抜き、今度は弓使いの男に向かう。仲間を簡単に殺されてしまったからか、男は弓矢を捨てて逃走を始めた。


 面倒だ。そう思った俺は腰のベルトから投擲用のナイフを抜く。逃走する男の背中目掛けて投げつけ、当たった瞬間に男が悲鳴を上げながら地面に倒れた。


 倒れた男に追いつき、俺は背中を踏みながら顔の横に剣を突き刺す。


「貴様等、何者だ?」 


 返答次第では更に問題が増えそうだ。特に俺をレスティアン王国の人間だと知ってたら。


「お、俺達は、カスティン盗賊団の……」


「カスティン?」


 どこかで聞いた名前だ。なんだったかと脳内を検索すると、クローベル王国内で暴れ回っている巨大盗賊集団だと思い出した。


 クローベル王国騎士団も手を焼いている盗賊団であり、構成人数は五百を越えるとか。人数の多さから、クローベル王国全域で悪事を働く集団だ。


「どうして俺を襲った?」


「お、お頭から! 実入りが少ないと叱られて……!」


 誰でもいいから襲い掛かり、金になりそうな物を集めてたと真相を語る。


 なるほど。盗賊の世界も上下関係が厳しく、組織が大きくなるにつれてノルマが発生するのか。


 そんなシステムは初めて聞いたが。盗賊界隈も世知辛いものだ。


「ど、どうか、助けてくれ! 見逃して――」


「いや、ダメだ」


 これが善良だった国民が堕ちたばかり、堕ちた瞬間だったら見逃したかもしれない。まだ反省の余地はあったろうし、引き返せるとも思えるから。


 しかし、こいつ等はダメだ。本人が口にした通り、もう既に何人も手にかけているのだろう。問答無用で俺に襲い掛かったのがいい証拠だ。


 もう引き返せないところまで進んでしまった者達だ。


 故に俺は突き刺していた剣を引き抜き、男の首に剣を突き刺した。


 男からは短い声が漏れ、首から血を噴き出しながら痙攣が始まる。背中から投擲用のナイフを引き抜き、男の着ていた服で血を拭った。


 剣を鞘に納めると、男の片足を持ち上げて引き摺りながら焚火のある方向へ戻っていく。焚火から離れた場所に男の死体を置き、他の二人の死体も同じ場所に積み上げた。


 最初に両腕を切断した男を最後に引き摺って来たのだが、その際に服の隙間から胸にある入れ墨が目に映った。


「これは旧帝国軍の入れ墨?」


 男の鎖骨から少し下の位置に描かれていたのは鷹の紋章だ。これは旧帝国軍を象徴する紋章である。


「……戦場から逃げてクローベルの盗賊団に降ったのか?」


 何にせよ、この男の人生は碌でもなかったということだ。


 ため息を零しつつ、男達の死体に火を点けた。死体を焼かずに放置していて、グールの餌になるのも疫病の原因になるのも面倒だ。


 着火した死体を背に焚火へと戻って行く。


 俺は焚火の傍に座って、再び目を閉じた。

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