第6話 悲惨な国
アンに馬を用意してもらった俺は、すぐにエジル王国王都を出発した。
王都から街道沿いに西へと向かい、一日掛けてエジル王国と旧アーバン帝国の国境付近に到着。近くの街で一泊して、朝から旧アーバン帝国領土内へと進入する。
国を跨ぐ旅は初めてじゃない。その度に俺は何度も色々な景色やその土地の事情ってやつを見てきた。
しかし、旧アーバン帝国は飛び抜けて悲惨な状態だ。
まずエジル王国側の国境を抜けてアーバン帝国側に入ると、主要街道には難民の列が出来上がっていた。
彼等は荒れる旧帝国から抜け出したい、エジル王国でまともな生活を送りたい一心でやって来たのだろう。中にはエジル王国側に親族がいる者もいるかもしれない。
だが、エジル王国側も「誰でも歓迎です」とは言えない。この長い列を形成する人間の何人がエジル王国側へと渡れるのだろうか。
難民の列を横目に主要街道を西へ西へと進んで行く。さすがに三時間も馬で走れば難民の列は見なくなった。
しかし、代わりに俺を出迎えたのは旧帝国国民の死体だ。
街道沿いに横たわる死体のほどんどが痩せ細っており、飢えて死んだのだと容易に想像できた。
死体は老若男女揃っており、特に老人と思われる人物が多い。満足に動けず、飢えて死んだか。それとも盗賊と化した元国民に奪われて死んだか。
「憐れだな……」
これは戦争での混乱もあっただろうが、最後まで無駄に足掻いた帝国軍が国民達から食料を巻き上げた結果だ。
結果、旧帝都を除く国内では食料の奪い合いが起きたという。今では小麦一袋で豪邸が建つとまで言われているが、その小麦を運ぶ商人すらいない。
仮にいたとしても盗賊に襲われる。簡単に結果が予想できるからこそ、他国の商人は危険を冒してまで旧アーバン帝国領に入って商売しようとも思わない。
周辺国も同様に無理矢理属国扱いされていたせいで「帝国憎し」の感情が溢れている。
エステル王国と共に帝国を追い詰めたクローベル王国は「帝国国民を助けて何の利益があるのか」といったスタンス。反対側のエジル王国も「もう面倒事は避けたい」といったスタンス。
両国とも救いの手は伸ばさない。
まぁ、これは旧帝国が両国の国民を攫って奴隷にしたり、無理難題な条約を強制したりと好き勝手したからなのだが。長年虐げてきたツケが回ってきたというわけである。
「戦争はよくない」
思わず呟いてしまうほど、戦争というものはよろしくない。
負ければ最悪、勝っても憎悪を生む。
我が祖国であるレスティアン王国の現王は領土拡大姿勢を見せず、現状維持と国内の安定を望んでいる。
旧帝国の街道を行き、この惨状を見たあとだと、穏やかで平和を愛する王族で心底良かった。我が王は聡明で正しいのだと改めて思ってしまう。
そんな想いを抱きながら馬を走らせていると、先に横転した馬車の荷台が転がっていた。すぐ傍には人の死体まで転がっている。
今度は盗賊に襲われたのか。そう思いながら近付いていき、念のため間近で様子を見た。
「ん?」
しかし、ここで違和感に気付く。
横転した荷台は盗賊がやらかしたのだろう。だが、問題は傍に横たわる死体だ。
女性と思われる死体の腕に「人の歯形跡」が残っていた。
まさか、グールが死肉を漁ったのか? そう思い、俺は馬を下りて死体を調べることに。
「歯形は……。人のものか」
歯形を見るに歯並びの悪い人間が噛みついたような跡だった。首元の肉は食い千切られているが、どう見てもグールの仕業には思えない。
グールが死肉を漁る時、奴等は絶対に「食い残さない」からだ。見つけた死肉は住処に持ち帰り、文字通り骨までしゃぶり尽くす。
街道沿いに堂々と放置されている時点でおかしい。仮にグールが死肉を漁ったとして、肉をここに残した理由は――
「誰かに抵抗された?」
グールを追い払おうとした誰かがいた場合だ。
殺された女性の身内か仲間が応戦したか? そうも思ったが、女性の死体を調べると背中に深い斬り傷があった。剣で斬られた跡だ。
背中から斬られ、横転した荷台を背に息絶えたのか。それとも何者かが死体を移動させたのか。
どちらにせよ、グールの仕業ではなさそうだ。
「街道沿いにグールの姿が目撃されたら、さすがに騒ぎになっているよな」
エジル王国へ向かう時は別の道を利用した。クローベル王国の国境を抜けて旧帝都に向かった際、情報部に属する仲間から「もしも、魔物が跋扈するなら領土の南側が怪しい」との情報を得たからだ。
結果的に空振りに終わったが、森や山の近くを通ったおかげで食糧も調達できた。
国の中心を突っ切る主要街道の様子を見るのは今回が初めて。それにしても、例の事件を追っているせいか、俺も少し気にしすぎてしまっていたようだ。
じゃあ、この死体にある歯形の跡はなんだって話になるが……。
「遂に人間でさえ、死肉を喰らうようになったか?」
ある意味、アンデットが蔓延するよりも最悪な状態だ。飢えた旧帝国国民が腹を満たすべく、遂に死肉にまで手を出したか。
ここまで来ると地獄としか言いようがない。特に再建中とされる旧帝都に通じる道でこのような事が起きているとなると、人が多い旧帝都も危ないんじゃないだろうか。
食料を巡って殺し合いに発展するのも時間の問題かもしれない。旧帝都に潜伏中の情報部に一時撤退させるよう本部に進言するべきか。
「ヒヒン!」
死体を観察していると、急に馬が鳴き出した。馬の様子を見ると、街道の脇にある荒地に向かって鳴いている。
今度は馬が見つめる方向に顔を向けると、そこには五人の男達がいた。全員ボロボロの服を纏い、服の上には死亡した兵士から剥ぎ取ったであろう胸当て等の軽装を身に着けている。
露出した腕はやせ細っていて、手には汚れた剣やナイフが握られていた。
……どいつもこいつも目が血走っている。俺に視線を向けつつも、チラチラと馬にも視線がいっていた。
あれは俺が逃げる心配をしているんじゃなく、馬を食料として見ている目に違いない。
「おい、お前ッ! 死にたくなけりゃ馬を置いてけッ!」
内心、やっぱりかと思った。
恐らくは盗賊に堕ちた村人か何かだろう。元帝国軍にしては剣の扱いがぎこちない。構えも素人丸出しだ。
「悪いが馬は渡せない」
「フザッけんじゃねえッ!」
盗賊の一人がイラつく様子を見せ、剣先を俺に向けながら必死に恫喝してくる。だが、残りの四人は今にも倒れそうなほどフラフラだ。
ろくに食べていないのが窺えた。俺から馬を奪い、馬の肉にありつこうという魂胆か。
「腹が減っているなら南に行ったらどうだ? 森には盗賊もいなかったし、木の実や野生の動物はまだ狩り尽くされていなかった」
間違いを犯すな、と諭すように告げるが――
「いいから、馬を、寄越せッ!」
相手も必死だろう。
人は食い物を食べなきゃ生きられない。水を飲まなきゃ生きていけない。
憐れだ。心の底からそう思う。
しかし、剣を振り被って向かって来られちゃ対応せざるを得ない。俺だって黙って死ぬわけにはいかないし、任務だってあるのだから。
だからこそ、俺は相手が向かって来る前に剣を抜いた。奴等が握る剣よりも上等な剣を。
「悪いことは言わない」
魔銀の剣を盗賊に向けると、恫喝してきた男が「うっ」と声を漏らす。
「お前達、人を殺して物を奪ったか?」
彼等は剣を向けられて躊躇いを見せた。同じ国の同胞を殺して食料を奪い輩なら、奪うことに慣れている輩なら、こんなにも躊躇いは見せないだろう。
「……殺してない。俺達だって、殺したくも奪いたくもない! でも、でも、やらねえと!」
先ほどから喋り続けている男は涙声でそう言った。ギリギリまで耐えて、ギリギリまで粘って、最終的に下した結果がこれなのだろう。
人を殺していないという男の言葉を信じることにして、俺は剣を向けながらも更に問う。
「馬はやれん。代わりにこれを分けてやる」
俺は盗賊達に武器を下ろせと命じた。彼等は素直に武器を下ろして従順な様子を見せる。
リュックから革袋を取り出し、彼等に見せたのは干し肉だ。エジル王国王都でアンが旅用にと用意してくれた一品。香辛料など使われていない、ただ塩しか使っていないような羊肉だが。
「これをやるから南に行け。他にも仲間がいるなら誘ってやれ」
俺は剣を下ろした盗賊に干し肉の入った革袋を投げた。男は慌ててキャッチして、中に入った干し肉を見るとゴクリと喉を鳴らす。
「い、いいのか?」
「食料が欲しかったんだろう?」
盗賊達は涙声で「ありがとう」と何度も声を漏らす。
……戦争はよくない。善良だった国民がこうも堕ちてしまうのだ。こうも不幸になってしまう。
「肉をやる代わりに話を聞かせてくれ。この辺りでアンデットが出没するとか、魔物が出没するなんて噂は聞いたことはないか?」
「すぐそこの林に潜んでいたが、アンデットなんか見ちゃいねえ」
男が指差したのは街道脇にある燃えた林の跡だった。他の者達も「近くでは見ていない」と語る。
「だけど、北東にある戦場跡地にはアンデットが山ほど出るって話を聞いた。絶対に近寄るなって」
そこはエステル王国と帝国軍が衝突した場所だろう。未だ大量の死体が放置されていて、グールや他のアンデットが近寄って来てもおかしくはない。
「あとは一週間前に死肉漁りを連れた男を見たって奴がいて――」
「なに?」
俺がその話に食いつくと、盗賊の男は慌てて「与太話かもしれない!」と言いながら干し肉の入った革袋を背に隠した。
「ちょっと前まで生きてた仲間が言ってたんだ! 夜中にクソしようしてたら、マントみたいなもんを羽織った男が死肉漁りの群れを率いていたって!」
目撃した仲間は急いで男達の元に戻り、慌てた様子で語ったそうだ。だが、自分達は「夢を見たんじゃないか」なんて言って聞き流したと。
「目撃したのは一週間前なんだな?」
「あ、ああ……。間違いねえよ」
目撃したマントを羽織った男、それは吸血鬼に間違いない。死肉漁り――グールを率いていたというのが何よりの証拠だ。
一週間前は丁度エジル王国に入国した頃だ。入れ違いになったか。
「助かった」
俺は急いで馬に飛び乗った。手綱を握ると、盗賊達に「南へ向かえよ!」と叫んで馬を走らせた。
一週間前にここを通過したとなると、既にクローベル王国内へ進入いているだろう。クローベル王国にいる教会連中がリベンジを目論んでいるのも確定だ。
「面倒な……!」
俺は旧帝国では貴重になる馬を潰さぬよう配慮しながら走り続け、三日掛けてクローベル王国に進入した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます