第4話 エスケラーン 2


「ようこそいらっしゃいました、伯爵閣下。このような狭い場所でのご挨拶、誠に申し訳ありません」


「いや、構わない。楽にしてくれ」


 宿の店主は女性だった。歳は三十くらいだろうか。赤いドレスを身に着けており、足の両側には深いスリットが入っている。


 肩と背中までガッツリ露出した、まるで高級娼婦のような恰好である。


 ウェーブの入った赤茶の長い髪は、この土地の人間に馴染むよう敢えて染めたのだろうか。それとも地毛だから選ばれたのだろうか。


 真相は不明であるが、俺はソファーに座って彼女と語り合うことにした。


「グレン・レッドウィード伯爵閣下、本日お求めになる情報をお聞かせ願えますか?」


 目の前に座った女性は俺のフルネームを口にした。まだ自己紹介していないのに。


「俺を知っているのか?」


 たとえ伯爵位を持つ自分であっても、情報部隊に関する事前情報は最低限しか与えられない。


 向こうは俺を知っているようだが、逆に俺は彼女を知らない。素性は一切知らないし、王都で会った記憶もない。


「当然にございます。燃えるような赤い髪、ルビーのような赤色の瞳。そして、レスティアン王国騎士団魔物討伐部隊の中でも特別な五竜騎士を示す竜のメダル。これだけ揃えば、騎士団に関わる者なら誰でも貴方様を思い浮べるでしょう」


 因みに三本の剣は伯爵位を示す印だ。


 俺の素性を知っているということは、俺が五竜騎士に任命された頃はまだ王都にいたのだろうか。


 もしくは、この地に長く赴任していても情報部の共通情報が回って来て知っていたのだろうか。


「閣下は有名ですから。特に女性の間では」


 フフ、と笑う彼女を見る限り、共有情報ではないらしい。どう有名なのか、別の機会に詳しく知りたいところである。


「君は?」


「申し遅れました。私の名はアンとお呼び下さい」


 当然、この名も偽名だ。この地を任されるタイミングで王国から「本名は捨てろ」と命じられたことを忠実にこなしている。


「アン。さっそくだが本題に入りたい」


 俺を知っているなら話は早い。


 対外交・国内情勢目的の情報が得たいのか、対魔物の情報が得たいのか。どちらを求めているか彼女も既に理解しているだろう。


「はい。かしこまりました」


 俺はアンにこの地へやって来た理由を語る。


 二ヵ月前、俺が王都で受けた任務は「大陸東側に生息する魔物情勢の調査」であった。


 祖国であるレスティアン王国は大陸の西側にある。大陸中央よりやや西に位置しており、西側の海までを占有した大国だ。


 周辺国との関係も良好。経済も安定している。人口も順調に増えていて、騎士団を筆頭とした軍備も常に整っている。


 しかし、そんなレスティアン王国にも懸念はあった。


 それが「人ならざる者」からの侵略だ。レスティアン王国は遥か昔から「魔物」と呼ばれる化け物と戦っており、国土の大きさから何度も化け物達からの被害を受けていた。


 そこで、近年になって王国内に蔓延る魔物達の大規模討伐が行われた。これによって王国内に生息する化け物の中でも特に猛威を奮っていた個体とその手下となっている魔物を根こそぎ殺した。


 だが、これによって新たに生まれた懸念は「王国内を牛耳る魔物勢力が衰退した事を他国の魔物が察知して、王国を新天地として目指して来るのではないか」という考え。


 この懸念が浮かび上がったのは、王国内にて猛威を奮っていた吸血鬼を討伐した際、皮肉にも殺した相手が放った言葉が切っ掛けだった。


「俺達は多大な犠牲を払いながら吸血鬼を討伐した。しかし、ヤツは死に際に言ったんだ。我々が死んでも新たな魔物が覇者として君臨するだろう――とな」 


 事実、吸血鬼を殺してから国内東側で魔物被害が増え始めた。


 騎士団ではお馴染みだったグール被害を始め、中にはこれまで国内に生息していなかった魔物の姿まで目撃されることも。


「我々は魔物に対して深く研究できていると思っていた。だが、足りなかった」


 見通しが甘かったと言われればその通り。だが、元々存在していた魔物達からの被害を野放しにすることもできなかった。


 結果、陛下と王国騎士団は「東から魔物が流れて来るのは確実」と結論付けて国境と周辺の警備を強化した。


 大量の騎士と兵士を配置して警備を厳重にすれば「人」の流入は監視できるだろう。同時に不法入国も防げるはずだ。


 だが、本当に進入を防ぎたい相手は「人」ではないのだ。人ならざる化け物である。


 先の村で戦ったグールのように人の社会に溶け込む化け物がいる。動物に擬態する化け物もいる。


 人が使う「魔術」ではなく、超常現象とされる「魔法」を使って姿形を変えたり、姿自体を消して視認できなくなる化け物だっているだろう。


 もっと最悪なのは超常現象を起こしながらも人と同等かそれ以上の知恵を持つ化け物、吸血鬼やそれと同等の化け物だ。そういった存在はいくら備えようとも完全に進入を防ぐことはできない。


「そして、グレン様が大陸東側の情報収集を任されたと」


「ああ」


 アンは小さく「適任ですね」と呟いた。


「レスティアン王国を出て東に向かい、クローベル王国に立ち寄った。魔物の噂は耳に入ったが、被害的にはそう大きくなかった」


 クローベル王国は最近滅んだ旧帝国、アーバン帝国の西側にある王国である。対帝国との戦争でエステル王国と同盟を組んで仕掛けた一国である。


 やや西側寄りにあるこの国は、現在滞在しているエジル王国より領土も大きく安定している。西側寄りであることもあって、魔物の被害はそう大きくなかった。


 精々、動物の形を持った化け物が森の中に生息してたまに人を襲うくらい。知性を持つ魔物を示唆するような噂は聞こえてこなかった。


 当初の推測では、魔物が発生するなら戦争直後の旧アーバン帝国だろうと本部でも言われていたこともあって、早急に旧アーバン帝国領に入るよう命じられていたのもあるが。


 次に向かったのは本部でも目を付けられていた旧アーバン帝国領土だ。


 しかし、旧アーバン帝国領土内ではまともに魔物の噂が収集できなかった。旧帝都にもエスケラーンのような情報収集用に設置された場所があるのだが、先の戦争で建物が半壊。再建中とあって赴任者も満足な情報を得られていなかった。


 独自の調査を進めるも、事件の起きた場所は魔物による被害なのか盗賊や山賊による人的被害なのか区別ができない。どこも食料庫が荒らされただとか、馬車が襲われて御者が惨殺されていたとか、そういった「よくありそうな話」ばかりだった。


 同時に領土内を横断している際も盗賊による襲撃が多数あった。旧アーバン帝国領土内では魔物とよりも人と戦った回数の方がダントツで多い。


「そして、エジル王国だ」


 情報収集が上手くいかず、埒が明かなかったこともあって一旦旧アーバン帝国を抜けることにした。


 しかし、エジル王国領土に入った途端に聞こえてきた噂は「森の中から化け物のような声が聞こえる」「血に塗れた馬が暴れ回っている」「山の麓にある村の住人が何か月も街にやって来ない」等の噂話だった。


 最後の噂話は山賊による被害かとも思ったが、前半二つは明らかに毛色の違う話だ。


 俺は件の森へと進入し、村の様子を見に行くついでに森の中を歩き回った。二日間探索したところ、グール化した馬を見つけることになる。落とし穴にハメて殺したグールホースだ。 


 見つけた当初、グールホースは人の遺体を喰らっていた。奴が離れたタイミングを見計らって遺体を調べると、遺体はグールであると判明した。


 グールホースと化した馬は吸血鬼の眷属として変異したのではなく、吸血鬼の眷属となった人間を喰らって天然のグールへと変異したのだ。


「となると、グール化した人間はどこから来たのか。どうして死んだのかと疑問が浮かぶ」


「なるほど。それで村を目指したのですね?」


「ああ。だが、実際は村人全員がグール化していた。村人のグール化は吸血鬼の仕業だ。しかし、グール共は主である吸血鬼に人間を献上していなかった」


 眷属化したグールを見つけたことで、俺は「当たりだ」と思った。東から流れ来るであろう魔物は知性を持った種類に違いない。


 その筆頭が吸血鬼だ。レスティアン王国を目指すなら、村人を眷属化させた吸血鬼に間違いないと思った。


 しかし、肝心の吸血鬼は眷属を放置して姿を消している。


「吸血鬼が傍にいない……?」


 アンの呟きに頷き、俺は独自の考えを告げる。


「考えられる答えは二つだ。まず一つ目は村人を眷属化させた吸血鬼が休眠したか」


 吸血鬼は一定の周期で長い眠りにつく。長さはその都度違うが、短くても四ヵ月から六か月は眠る。最長だと一年以上も眠っている時があるらしい。


 吸血鬼が眠っている期間は、当然ながら吸血鬼による眷属化は行われない。その間にグール共が捕まえた人間は彼等の餌となるだろう。


「もう一つは吸血鬼が移動している可能性だ」


 俺が訪れた村は、吸血鬼が万が一に備えて残したセーフゾーンである可能性。


 口にした通り、吸血鬼は人を眷属化させながら移動している最中。眷属を増やしながら移動しているが、思惑が失敗した時のために一部の眷属を残していたのかもしれない。


 よって、主が近くにいないから村人達は自ら人を喰らっていたということだ。


 どちらが最悪かと問われれば、後者であると誰もが言うだろう。後者であったなら移動ルート上に存在する人間が次々眷属化される、もしくはグールに喰われてしまう。


 しかし、エジル王国へ進む道中では吸血鬼被害の噂話は全く聞けなかった。


 エジル王国に入国してすぐ入手した噂話も、主が近くにいないからこそ隠蔽に漏れが生じて噂になったのだろう。


「最悪ですね……」


 俺の推測を聞いたアンはため息を零しながら首を振った。


「エジル王国内のどこかでグール被害が起きていないか情報が欲しい。西に向かっているなら追いかけないとマズイからな」


「グールに襲われたという話は入っていませんね。それどころか、他の魔物による被害も聞こえてきません」


「そうなのか?」


「はい。グレン様が訪れた村も初耳です。戦争の混乱に紛れて私の耳に届かなかった可能性が高いですが……」


 グールに襲われたという噂だけじゃなく、森の中に住まう他の魔物が現れた証拠――野生動物の腐乱死体だとか惨殺死体、食い荒らされた死体などの目立った情報も入っていないという。


 ここのところ得られる情報は、国内にいる盗賊や山賊の出没情報くらいなんだとか。


「魔物被害がゼロってのもおかしいだろう」


 魔物は世界中どこにでもいる。その数からしても、噂を聞かない方がおかしいくらいだ。


「至急、情報を集めてみます。情報を掴むまで宿に滞在して頂けますか?」   


「承知した」

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