翼のない鳥たちは何を見たか。

桑鶴七緒

前編

高校2年生の夏休み。今にも唸りそうな声をあげて誰かに助けを求めたい。

そんな気持ちを抱きながら、自宅の縁側で積乱雲の塊を見上げていた。


山口日和、17歳。高校2年生。


何の変哲もない平凡な名前と人柄。

彼女自身はいつもそう感じながら日々母親と暮らしていた。

父親は10歳の時に交通事故で亡くなり、それ以来母親と二人で生活してきた。


ある日、日差しが強くなっている昼間に、日和は目を覚まし、ベッドから起き上がり背伸びをして部屋を出た。

1階の居間へ階段で降りて、台所の冷蔵庫の中の水の入ったペットボトルを出して、コップに水を注いだ。


卓上のリモコンに手を取り、テレビをつけた。テレビのニュースは事件の事ばかり。正直つまらなく感じていた。テレビをつけたまま、2階の自分の部屋に入り着替えをした。携帯を開き、クラスメイトから何件かメールが届いていたので、暫くの間返信をしてはやり取りで夢中になっていた。


そういえば親戚の従兄弟たちが遊びに来ているんだとふと頭の中に思い浮かんだ。彼らとはそんなにも親しくはしていなかったので、外に遊びに行こうと声を掛けられたが、行きたくないと即答で返した。彼らはそのまま出掛けて、3時間くらいは行っていたような気がしていた。


やがて従兄弟たちが公園から帰ってきて、家の中が一気に賑やかになっていた。母の愛美は予め用意していたスイカを等分に切り分けて、皆に卓上に集まるよう声を掛けていた。


従兄弟「叔母さん、いただきます。」

従兄弟「うわぁ甘い。全部食べたい感じ。」

愛美「一気に食べたらお腹壊すから、ほどほどにしてね。」


日和も母親から呼ばれて、2階から降りてきた。従兄弟たちの横に座り、一口スイカをかじったが、それほど甘味は感じなかった。


愛美「もう明日帰っちゃうんだもんね。あっという間だったわね。どうだった?」

従兄弟「やっぱり東京って楽しい。暑いのは勘弁してほしいけどさ。叔母さん家来ると和むって言うか、良いよね」


日和は正直毎年彼らが来るのがうっとおしく感じていた。年もほとんど変わりはないから、いい加減にして欲しいという思いが強かった。


従兄弟「ねぇ日和。来年受験だよね。もう大学決まったの?」

日和「うん、まぁね。」

従兄弟「第一志望藤応大にするんだっけ?頭いいよな」

日和「そうだよ。でもそんなんでもないよ。」

愛美「そう言えば日和、進路相談、休み明けになるんだっけ?お母さん都合着くかわからないんだよね。また近くなったら話してもいいかしら?」

日和「いいよ。急いでないから」


時刻は20時を回っていた。従兄弟が宿泊先のホテルへ帰って行くと、愛美もホッと一息ついた。


愛美「ほんとあの子たち元気よね。大分顔も引き締まってきた感じだし。姉に似てきたのかしらね…」

日和「あいつらまだまだ子供だよ。成長も遅いんじゃないの?」

愛美「あのね…そんな事言わないで。あの子たちだって頑張っているんだかららさ。貴方も来年の受験に向けて色々やって行かなきゃいけないこと沢山あるでしょ?」

日和「そうだ。お母さん、何か私に話があるって言ってたよね?何?」

愛美「あぁ…ちょっと椅子に座ってくれる?」


そう言われると日和はソファに腰を掛けた。


愛美「あのね、貴方に紹介したい人がいてね。知り合いの人から介してもらったんだけど…私、再婚しようと考えていてね」


日和「は?再婚?…ずいぶん急だね。それで、何処で働いて居る人なの?」

愛美「私の今パート先で行っている工場の社員の人なの。私が働き始めてから3年立ったでしょう?今年に入ってからなんだけど、社長さんから一緒になったらどうだって話を進めてくれてね。私も彼と話しているうちに再婚を考えたの。それで休み明けになるんだけど、今度家に来させようと思ってね。日和、一緒に会ってくれる?」

日和「うん。…いいよ」


突然の母親の再婚話。正直日和は驚いていた。父親が亡くなってから7年は経っていたが、まだ最近の出来事の様に捉えていた。

父親の事、大好きだった筈なのに、どうして他の男の人と一緒になりたがるんだろう…いつも冷静な日和はいつしか心境が複雑になっていた。


夏休みが明けて、数日経ったある日の午後に、愛美は日和が待つ教室に行き、担任の先生と3人で進路相談を受けていた。


担任「今のところ、日和さんはこのままの偏差値でいけば志望校には受かる見込みです。成績も学年内で上位にいますし。安心しても良いかと。」

愛美「ありがとうございます。それを聞いて安心しました。あの、他に変わったことはありませんか?」

担任「今は同級生の方たちとも上手く付き合っていますし、人間関係もそれほど悪くはありません。お母様も期待していてはいかがでしょうか?」

愛美「そうですか。私、普段パート勤めだからなかなか会話があまり家ではしていないので、気にはなっていましたが、この子が安定しているなら大丈夫かと」


暫くの間は担任と母親の雑談で話が盛り上がっていた。その横で日和は作り笑いをしながら二人のやり取りに交えていた。


数日後の金曜日の夜、自宅に愛美が以前話していた工場の社員のある人物を呼んで3人でソファで座りながら会話をしていた。


愛美「こちら、工場で一緒に働いているまなぶさん。…もう、貴方も娘に挨拶してよ」

覚「どうも。はじめまして…覚です」

愛美「この人ね、ちょっと人見知りなところがあってね。口調がこんな感じだけど悪い人じゃないから。こちら、娘の日和です」

日和「こんにちは。」

覚「…どうも」


音橋覚は年の頃で38歳だと言っていた。

愛美とは10歳の差があるのか…第一印象としては無愛想で、不精髭を生やして前髪も目にかかるような髪形をしていた。


本当に何を考えているのか分かりにくい人物だという印象だった。二人が決めたことだから自分はそうそう影響もないだろうなとこの時ばかりは軽い気持ちで考えていた。


日和「そういえば、籍はどうするの?」

愛美「それなんだけど、まだ具体的にいつにしようか決めてなくてね。貴方は何か考えてる?」

覚「別に…いつでも良いんじゃないかな。」

愛美「取り敢えず考えてはいるから、またそのうち、日和にも話すね」

日和「わかった。」


覚は日和ともあまり目線を合わせずに居間の壁側を見ては、視線を下ろして淡々とした雰囲気だった。


覚「タバコ吸ってきても良いか?」

愛美「あぁ…台所の換気扇の前でお願い」


覚はそう言うと、卓上から席を外して、台所でタバコを吸い始めた。日和は覚の野暮ったい身なりにあまり良い印象は持てなかった。むしろこの人が父親になるなど、興味も関心も抱けなかった。


翌日の土曜日、午後2時を過ぎた頃、日和は路面電車(荒電)で、愛美の働く工場に置き忘れた書類を届ける為に1人向かって行った。電車から降りて、公園通りを過ぎた広い道路の信号を渡り、右に曲がった小道に入ると工場に到着した。2階建てのトタン屋根の古びた外観が目に入り、引き戸の開いた1階の整備室から、大人達の声が聞こえてきた。引き戸の窓から顔を覗くと数人の男の社員らの姿が見えた。日和は扉を開けて大きな声で挨拶をすると、1人の男性が近付いてきた。


日和「山口の娘です。この書類を持ってきたんですが…」

社員1「あぁ。山口さんの。今、呼んでくるから待ってて」


男性が出ていくと、暫くしてから2階の階段から降りてくる足音が響いてきた。振り返ると、愛美が明るい表情で出迎えてくれた。


愛美「日和、本当にごめんね。お母さんうっかりしてた。持ってきてくれてありがとう。今、お茶出すから、皆んなとここで掛けて待っていて。」

日和「いや、お母さん。あたし帰るよ」

愛美「折角来たんだから、皆んなに挨拶だけでもしていきなさい。」


そう声を掛けられると、周りの人達が日和に向かって話しかけてきた。


社員2「君が山口さんの娘さんかぁ。こういうのも何なんだけど、あまり似ていないね?」

日和「そうですか…?あぁ、もしかしたら前の父親に似てるかもしれないですね」

社員3「日和ちゃん、今何歳だっけ?」

日和「17です」

社員1「確か来年大学受験だろ?大変だよなぁ。俺なんて大学なんて縁がないままここまで来たからなぁ。」

社員3「本当偉いよなぁ」

日和「そんな…あまり凄い事じゃないですよ。あたしもギリギリのラインで受けるつもりなんで…」


会話が続くなか、奥の部屋からもう1人こちらへ近づいてきた。覚だった。紺色のツナギの服装にあちこちシミの様な黒のシミが付いていた。


社員3「あぁ、覚。日和ちゃん来てるぞ。この子来年受験だから、皆んなで話盛り上がってたんだよ」

覚「…そう。和気藹々と。…俺、2階行ってくるから」


そう言うと、すぐさま引き戸を強く開閉して、2階の事務室へ上がって行った。


社員1「日和ちゃん、あいついつもあんな感じなんだ。あまり気にしないでね。ったく、無愛想にも程があるよな」

社員3「いや、しゃーないっすよ。昔からああいう性格だし。」

社員2「あいつさここに来てもう10年くらい経つよな?一向に笑った顔とかあんまり見た事ないなぁ。」

社員1「悪い奴じゃない…って言いたいけど、本当昔から何考えてるのか分かんないんだよ。なぁ?」

社員2「俺らの輪の中に入っても、一言二言しか言わなくて。たまにかな?愛想笑いしてくる事があったりしても、すぐに無言になったりするしさ」

日和「そう…なんですね」


会話が進んでいると愛美がトレイに乗せた麦茶を持ってきた。


愛美「皆んな、お茶持ってきたから、飲んで飲んで。日和、貴方も飲んでいって」


愛美がお茶を差し出すと、皆が熱さを和らげる様に一気に飲んではすっきりとした表情を見せていた。普段社員達も覚とは付き合いが長いと言っていた。


工場自体も社長夫婦が祖父母の代から続いているところだと、日和に話していた。皆の会話にはそれなりに耳を傾けていたが、日和はどうも早く家に帰りたい気持ちの方が強かった。もう1人の社員が日和の表情を見ていたので、彼女も伺う様に目を見開いた。


社員2「日和ちゃん、今日も家に帰ったら勉強かい?」

日和「えぇ。まぁ」

社員1「だっら、もう帰っても良いよ。ここでうろついていても何にもならないしさ。なぁ?」

日和「そしたら、私…帰ります。お茶ご馳走さまでした」

社員3「気を付けて帰れよ」

社員1「じゃあまたね」


日和は飲みかけの麦茶をトレイに置き、皆に会釈をしてから工場を後にした。自宅に着くと17時を廻っていた。


日和は静まり返った居間に入り、エアコンの冷房をつけてソファに座り、深くため息をこぼしていた。その1時間後くらいに、愛美が帰宅して、夕飯の準備をしていた。ぼんやりと、テレビを見ていると愛美が日和に声を掛けてきた。


愛美「日和、もう少ししたら出来上がるから、盛り付け手伝って」

日和「はーい」


支度が全て整ったところで、2人は夕飯の惣菜などに手を付けた。

愛美「日和、そんなに詰め込んで食べないで。もっとゆっくり噛んで食べなさいよ」

日和「早くお風呂入りたいから。」


いつもこの調子で母娘の会話のやり取りをしていた。ただ2人はこの時間が1番家族だと言う実感が強いんだと感じていた。


日和が先に夕食を済ませると、台所の食洗機に茶碗などを入れて片付けた。浴室の脱衣所に衣服を脱ぎ、シャワーで身体を洗った後、浴槽に張った湯船の中に入っていた。その後、浴室から出て、洗面台で髪を乾かしていると、愛美が入ってきた。


愛美「日和、もしかして私のシャンプー使ってる?」

日和「あ…ごめん。自分の詰め替えるの忘れてた。」

愛美「もう…ちゃんと気づきなさいよ」


愛美がそう言って再び脱衣所から出て行った後、日和はそのくらいで来ないで欲しいと少々機嫌を損ねていた。


翌週、日和は電車で学校に向かい、駅の改札口を抜けて、人通りの多い歩道を歩き、学校に到着すると、早速同級生たちがおはようと声をかけてきた。日和も挨拶を返して、教室へと入って行った。


生徒1「日和、おはよう」

日和「おはよう」

生徒1「もう朝から暑くて嫌になるよね。1限目現国だよね。寝ていようかな…」

日和「すぐ先生にバレるよ。とりあえず聞くふりでもしていたら?」

生徒1「それしかないかぁ」

生徒2「日和、おはよう。ねぇこの間のリスニングさ分かんないところあって…見てくれないかな?」

日和「いいよ。」


日和はクラスでも上位の成績にいる事もあり、たまにこうして勉強を教えあっていた。朝礼のチャイムがなり担任の先生が入ってきて、挨拶を終えると、先生から皆に報告があった。


担任「おはようございます。来月の個別授業ですが、英語から数学2に変わりました。なので、各自準備をしていてください」


担任がそう告げるとクラス中がやや声が上がったので、静かにする様に促された。1日の授業が全て終わり、日和ら同級生は駅の近くまで一緒に帰っていき、改札口へ入ると、それぞれ挨拶を交わした。


電車の中に入ると丁度座れるくらい数カ所空いていたので、日和はドア出入り口の傍の椅子に座った。今日授業で使ったノートを開き、復習をしていた。

やがて、下車場所の駅に着き、徒歩で20分ほど歩いて家に着いた。玄関を鍵を開けてドアを開くと、愛美の靴が置いてあった。


日和「ただいま」

愛美「お帰りなさい」

日和「今日早かったね。買い物も行ってきたの?」

愛美「うん、今週会社の都合であまり出勤が長く出れなくてね。それで早く上がれたの」

日和「そうなんだ」

愛美「日和、これから勉強?」

日和「…する、つもりだけど。何?」

愛美「あのね、ちょっと話したい事があってね。今、時間つくれる?」

日和「すぐ終わるなら良いよ」


日和は卓上の椅子にかけて愛美と向かい合わせで話をした。


愛美「…急な話で何だけど。来月に覚が家に引越して来る事にしたの。私達と一緒に暮らす事になったのよ。」

日和「なったのよって…なんで急に決めたの?もっと早く私にも言ってよ…」

愛美「気が早くなって申し訳ないけど、日和にもあの人と1日でも早く仲良くなって欲しくて。貴方が平日学校に行っている間に荷物が来る事になったから」

日和「別に…それは構わないけど…来月は私、個別授業があるから、集中したいんだよ。あまりバタバタされるとはかどらないしさ。出来るだけ、早く済ませて」

愛美「分かった。貴方の邪魔にならない様にするから、早いうちに片付けするからね。」


日和は部屋の蒸し暑さと愛美から告げられた事にやきもきしていた。


数週間が過ぎて月日が変わった頃、日和はいつも通りに学校へ向かった。その頃、1台のトラックが自宅の前に着いていた。

運転席から覚が降りてきて、引越しの荷物を家の中に入れて置いて行った。愛美も作業を手伝い、ひと通り終わると覚はトラックを置きに工場へ向かった。


2時間後再び覚が自宅に来て、1階の寝室に荷物が積んである段ボール箱から、物を取り出してタンスやクローゼットの中に自分の衣服など入れていった。

ひと段落着いたところで、覚が居間へ来ると、愛美が昼食の支度をしていた。覚はソファに座り、テレビを付けて暫くぼんやりと観ていた。愛美が呼びかけると、2人は昼食を取った。


その日の夜、日和が愛美と買い物から帰ってきて、夕食の準備をし、3人が揃ったところで食卓に並ぶ惣菜などに箸をつけて食べた。


食器の後片付けが終わり、日和は先にお風呂に入っていた。中に入ってから石けんが無いことに気がつき、浴室の引き戸を開けて、愛美に向かって大声で持ってきてほしいと呼んだ。


暫くすると、浴室の引き戸から人影が写っているのに気がつくと、そこには覚が来ていた。何の躊躇もなく、覚は日和が中に居るのにも関わらず、引き戸を開けた。


日和は驚いて、浴槽に浸かっている身体を見られない様に両脚を両腕で丸くうずくまった。


覚「石けん、ここに置いておくから」

日和「…うん」


覚が裸足で入ってきて、無言で引き戸を閉めて出て行ったが、日和は動揺が隠せず、口が開いたまま唖然としていた。

日和が浴室から上がって、髪を乾かし衣類を来て、台所の冷蔵庫から麦茶を出し、グラスに注いで飲んでいる時、愛美が話しかけてきた。


愛美「さっき覚が浴室に入ってきたんでしょ?…もうびっくりしたわよ。軽く叱ってやったから安心しなさい」


日和は頷いて、2階の自分の部屋に入っていった。机に座り、学校の宿題に取り掛かっていた時、ドアを叩く音がしたので、それに応えると、覚が入ってきた。


覚「これ、愛美が夜食に持っていってって。机の横に置いていいか?」

日和「うん…ありがとう」

覚「勉強してるの?…数学か?」

日和「そうだよ。…解るの?」

覚「高2程度までなら、勉強は解るのかな」

日和「そう、そうなんだ」


日和は心臓が鼓動を打つのが早くなってきているのに、何とかして抑えようと平然とした態度で振る舞っていた。覚が部屋から出て行こうとした時、日和は彼を呼び止めた。


日和「あのさ、さっきのお風呂の事なんだけど…今度何か持ってくる事とかある時は…脱衣所に置いておいていいから。…わざわざ中に入らなくていいから…」

覚「…あぁ。分かった」


覚はややうつ向きながら、部屋を出て行った。日和は彼の常識がどのくらいの程度なのか、この時ばかりも疑っていた。


翌朝、日和は目覚まし時計が鳴る前に起きて、あくびをしながら1階へ降りていくと、覚の姿は無かった。


愛美「おはよう。あの人、もう工場へ出かけたわ。日和も顔を洗ったら、ご飯食べてね。私も支度するからさ。」

日和「2人とも、早いね」

愛美「あの人、前に住んでた所よりも、こっちの方が少し遠くなったのよ。だから、早く出たの」


日和は相槌を打ち、洗面台で顔を洗った後、朝食を食べた。愛美も工場へと出向き、日和も身支度を整えて、家を出た。


学校では体育館で体育の授業の時に、日和はバスケットボールの練習を同級生らと楽しみながら打ち込んでいた。

昼食後のお昼休みの時間に、日和は廊下で幼馴染みで男子生徒の島崎柚樹と話をしていた。


柚樹「日和の新しいお父さんってどんな人なの?」

日和「なんかね、兎に角無口かな。喋っても一言くらいしか答えてくれない事が多いよ」

柚樹「ふーん。日和の事は自分の子どもだって自覚もない感じ?」

日和「そうだね。無関心じゃないと思うけど、愛想っ気があんまりないから、まだ良く分からないな」

柚樹「つーかさ、おばさんも籍はまだ入れないなんて、可笑しく無い?そりゃあ亡くなったお父さんの事も考えてるのかもしれないけど…このままじゃ家族の意味ってあるのかな?」

日和「多分そのうち考えるんじゃない?2人の問題だから、私側がどうこう言える立場じゃないしさ」

柚樹「ねぇ、今度さお前の家に遊びに行っても良い?おばさんに久しぶりに会いたいしさ」日和「えぇ?面倒臭いなぁ…」

柚樹「良いじゃん。勉強を兼ねて行きたいよ」

日和「勉強なら図書館で良いじゃん」

柚樹「その新しいお父さんにも会ってみたいしさ」

日和「それは止めておいた方がいいよ」

柚樹「俺も同じ男だしさ。何か共通点見つかるかもよ」

日和「…まぁ、取り敢えず考えおくね」


そう2人が話していると始業のチャイムが鳴ったので、各自教室に戻っていった。


日和は1人で家路の通り沿いを歩いていた。自宅に帰ると2人が居る…あの人もいる。


おぼろげにそう考えながら空を見上げて、信号を待ち、車が目の前を通り過ぎていくのを眺めていた。自宅に着くと居間の中は誰も居なかった。


2階の部屋に入り、暫くすると1階の玄関のドアが開閉した音が聞こえてたので、部屋のドアを開けて除く様に片目で見ていた。下から階段を覚が登ってきたのであった。


慌ててドアを閉めて鍵をかけようとした時、ドアノブを思い切り引いてきたので、驚いて手を離した。

ドアが勢いよく開けられて、日和は顔を強張らせながら目を見開いていた。覚がドアを閉めて、無言のまま日和を見ていた。


日和「帰って…きてたんだね。早かったね…」

覚「体調が優れないから、今日は早退してきた」

日和「お母さんは、知って要るの?」

覚「あぁ、伝えたよ」


覚はそう言うと日和の目の前まで迫る様に近づき、日和はベッドの脇に膝の裏をつまずいてそのまま座り込んだ。覚は日和の顔に大きく目を開けながら近づいてきた。


日和「何…?」

覚「お前…男とヤったことないだろう?」

日和「ちょっと。何の話?いきなり入ってきて何なの?」


覚は日和の両腕を強く掴み、そのまま仰向けに押し倒していった。日和も抵抗しながらなんとか離れたいと必死に逃げようとしていた。


覚「おい!…大人しくしてろ…叫んだらつぞ」


覚は怯える日和の頭を撫でて、制服の中に手を入れてきた。彼女の胸を揉み始めてから、その片手でスカートの中に手を入れて尻を触っていた。

彼女の下着の中の陰部に手を入れようとした時、日和は止めてほしいと言ったが、覚は表情を変えることなく無言で陰部を弄り始めた。


日和は、男性から初めて触られたので、何が起きているのか分からないまま、覚の顔を見ていた。やがて、覚は自分の性器にも触ってほしいと言ってきたので、嫌だと言ったら、手を揚げる素振りをしてきた。


このまま暴力を振るわれるのが怖くなり、言われるままに彼の性器を握り締めた。すると、覚はうっすらと微笑みかけてきた。


日和は背筋が凍るような感覚になり、何も抵抗ができなくなっていた。やがて日和の両脚を覚の身体に乗せる様に身体を寄せて、覚は日和の陰部に自分の性器を挿入し腰を上下に振ってきた。


日和は身体ごと揺さぶられているのに酷く怯えながら、涙目になり、何度も腰を突いてくる覚の表情を見ているしかなかった。


やがて、体の中にある鼓膜の様なものが破れた感覚がしたので何が起きたのかさえ、検討がつかなかった。頭の中が眩暈の様に回り始めていた時、気が付くと覚は下ろしていたズボンを上げてチャックを閉めた。


覚「また…来るから。これの事、愛美には絶対に言うな」


硬直した身体を動かそうとしても、腕や脚が戻らなくただ涙が流れてくる一方だった。


数十分仰向けになったままだったが、次第に手脚の力が抜けていき、日和は上がった息を整える様に深呼吸した。

乱れた制服や下着を治して、起き上がると、すぐに部屋着に着替えた。枕元に置いてあるタオルを顔を覆う様に涙で滲んで乾いた目元や頬を拭った。


まだ頭の片隅に先程の行為が離れず、ただただ覚への不信感が募るばかりだった。

咄嗟に携帯を開き、柚樹に電話をかけようとしたが、話す事は何も無い事に気づいて、机の上に置いた。


暫くして愛美が帰って来たのに気づき、覚との会話が微かに聞こえて来た。愛美の携帯にかけて、部屋に来てもらおうとも考えたが、覚から何も言うなと言われたので、結局誰にも話せない状態に陥っていた。


夕食時、日和は誰とも目線を合わせずに黙ったまま、茶碗のご飯に箸を付けていた。


愛美「日和?どうしたの?」

日和「何ともない」

愛美「あまりご飯進んでいないけど、あまり食欲無い?」

日和「そうじゃない…ゆっくり食べたいだけ」

覚は日和の表情を見ていたが、すぐに目線を外らせた。

愛美「あまり無理して食べなくてもいいわよ。ずっと暑さも続いてるしね。ねぇ覚?」

覚「…まぁ食いたく無いなら残してもいいんじゃ?…」


日和は卓上に箸を置き、愛美にあの事を話そうと口を開いたが、その横で覚が目線を日和の方に向けて無表情で見ていた。


日和「お母さん、進路の事で話したい事があるの。ご飯終わったら、そこのソファで聞いてもらえないかな?」

愛美「えぇ。いいわよ。なんだ、食欲無いのその事だったの?」

日和「うん。なんとか食べるよ」


日和はその場を凌ぐ様に愛美に声を掛けたが、胸の中に鉛がこびり付く様に引っかかる感覚と共に、居間の中が重たい雰囲気で充満している気にも覚えていた。


深夜の24時近くになり、日和は自分の部屋で明日の授業の予習をしていた。時計に目をやりそろそろ寝ようかとしていた時、携帯の着信音が鳴ったので開けてみると、柚樹からメールが届いていた。


近いうちに日和の家に遊びに行きたいという文面だった。日和はもう少し待っていてほしいと返信をした。柚樹からの何気ないメールが来た事に少しだけ安心したのか、日和はゆっくりと身体に廻る睡魔に漂いながら、ベッドに入り眠りについた。


翌月の蒼々とした晴れ間の土曜日、日和は柚樹を自宅に招き、2階の部屋で勉強をしていた。


柚樹「日和、何か話したい事があるって言う話。あれ何だったの?」

日和「何だっけ?」

柚樹「お前さ、自分から言っておいて何なんだよ。忘れるのも早いなぁ」

日和「柚樹はお父さんの事、あんたどう思ってるの?」

柚樹「どうって…まぁ、たいした喋らないけど、そんなに嫌な人でもないかな。日和は?今のお父さんはどうなの?」

日和「たまに、勉強の事聞くと、教えてくれる事があるよ」

柚樹「えっマジで?俺の親父さ勉強苦手だから全然頼りにならないんだよ」

日和「でもお父さん好きでしょ?」

柚樹「好きか。…まぁ好きといえば好きな方かな。何だよ、変な事言わせるなよ」

日和「あーまた暑くなってきたね。窓開けるわ」


そう言ってベッドに上がり、窓を開けて、空気の入れ替えをすると、少しだけ冷たい風が部屋の中を漂わせていった。


柚樹「もう10月かぁ。来月の期末テストで偏差値決まってくるよな。日和は自信ありありだろ?」

日和「ありありって。先生が言うには今の調子だと、藤応大の偏差値のラインから離れてしまう事もありそうだから、慎重にしろって言われたよ」

柚樹「日和さ、なんか顔色良くないよね。風邪か?」

柚樹「あたし?そう…かな。風邪は引いてないよ。寝不足はあるかな」

柚樹「そっか。あぁ俺も一緒の大学にしたかったけど、ワンランク下げないとギリだって言われたからさ…お前と一緒に藤応大行きたかったよ」

日和「まぁ、別々でも会える事会えるじゃん。ねぇ、ここの続きなんだけど…」


2人は幼い頃からいつも兄妹のように慣れ親しんでいるだけに、お互いの事を分かっているつもりだった。


日和は覚とのあの日の出来事を振り返る事をせずに、出来るだけ柚樹や親しくしている同級生たちと気を紛らわせる様にしながら、受験に向けて励んでいた。


夕食の時間になり、1階の階段から愛美が2人を呼びかけ、下に降りてくると台所で愛美が卓上に座る様に声を掛けた。3人で食事を摂ろうとした時に、覚が帰ってきた。


愛美「お帰りなさい。今貴方の分も出すから、座ってて」

柚樹「はじめまして。島崎柚樹と言います」

覚「確か…日和の幼馴染みの?」

柚樹「はい。そうです。よろしくお願いします。」


柚樹は挨拶をしたが、覚は無言で頷いて椅子に座った。


愛美「柚樹ね、日和と付き合い長いから、兄妹みたいに仲が良いの。ご両親も暫く会ってないもんね。お二人とも元気?」

柚樹「はい。相変わらずです」

愛美「覚も折角だから何か話したら?」

覚「日和と付き合い長いっていくつから?」

柚樹「幼稚園からです」

覚「じゃあこいつの事、それなりに知っているんだ」

柚樹「まぁ、そうですね。こう見えて日和そそっかしい所もあるんですよ。普段しっかりしてるから、周りからあんまりそう見えないけど」

覚「それだけ親しいなら、やった事あるんじゃない?」

柚樹「何をですか?」

覚「初体験の相手。」

柚樹「えっ?」

覚「セックスだよ。日和とじゃないの?」

愛美「ちょっと…何いきなり言ってるの?この子達そんな仲じゃないのよ?謝って!」

覚「…悪い。」


そう告げると覚は冷蔵庫から、ビールを2本取り出した。


覚「はい。」

柚樹「あの。俺、酒は飲めないです」

覚「高校生ならもう飲めるだろ?タバコも?」

柚樹「吸わないです」


愛美はつかさず覚の腕を叩いた。


愛美「さっきから何やってるのよ?いい加減にして。まだ未成年だから、駄目に決まってるでしょう。ビール閉まってきて」

覚「いいよ。俺飲むから」


覚は片手でビールの蓋を開けて、グラスに注いで一気に飲んだ。柚樹は惣菜に箸をつけながら、覚の表情を伺っていた。


愛美「勉強はどう?来月テストあるでしょう?順調?」

柚樹「はい。なんとか平均値まで取れそうです」

日和「柚樹に分からないところ教えたら、納得してくれたし。私より成績良さそう」

愛美「日和も順調そうで良いわね。」


覚は先に食べ終わり、席を立って、台所の換気扇の前に行き、タバコを吸い始めた。


愛美「ごめんね。無愛想で。変な事を言われて気を悪くしたと思うけど、気にしないでね」

柚樹「はい」


日和と柚樹は夕食を済ませて、2階からバッグを取りに行った後、柚樹は玄関で靴を履いた。


日和「今日来てくれてありがとう。」

柚樹「うん。ご飯ご馳走さまでした。おばさんのご飯美味かったよ。また食べに来たいって言っておいて。」

日和「うん。帰り気をつけてね。またね。」


柚樹が出ていった後、日和は台所にいる愛美に柚樹が話した事を伝えると、愛美が微笑んでくれた。


日和「あれ?あの人…お父さんは?」

愛美「あぁ。寝室よ。もう構わなくていいから、貴方も2階に行きなさい」


日和は部屋に入り、携帯を開いて同級生から来たメールのやりとりをしていた。先程の覚が柚樹に言っていた話を思い出していた。


日和「何であんな事言ったんだろ?柚樹、傷ついたかな…こう言う時何も言えないのがなぁ…メールしておこうかな」


深夜1時。周りの住宅も静まり返っている頃、日和はふと目を覚ましていた。ベッドの照明をつけて携帯のメールを見ると、柚樹から返信が着ていた。覚から言われたことは気にしていないよという文面を見て、日和は安心していた。


すると、2階の階段から誰かの足音が聞こえてきたので、素早く照明を消して、目を瞑ると静かにドアが開いた。そこには覚の姿があった。


日和は寝たふりをしていて様子を伺っていた。覚が日和の眠るベッドの前に座り、暫く日和の寝顔を見ていた。彼は彼女の頬に手を添える様に触れてきた。日和は目を覚ました。


日和「どうしたの?」

覚「ちょっと、寝れなくて。お前の顔見に来た」

日和「お母さんが来るよ。だから、部屋に戻って」

覚「もう少しだけ、ここに居る」

日和「駄目だよ。お願い。戻って」

覚「…目、瞑って寝てていいよ」


日和は言われたままに目を瞑った。覚は彼女の寝顔を眺めてから、その後部屋を出ていった。

再び日和は目を開けて身体を起こした。何を企んでるのか彼の心理が全く読めない。


照明をつけてオーディオ機器のCDを再生して、ヘッドフォンをつけた状態で音楽を聞いていた。いつの間にかうとうととしてきたので、ヘッドフォンを外して日和は眠りに付いた。


翌週、学校の帰り道に、電車を待つ駅のホームに立っていた。すると携帯が鳴ったので開くと、愛美の会社から着信が来ていたので電話に出ると、社員の人からかかってきて、愛美が貧血で倒れたので工場まで来てほしいという連絡だった。


不安に思いながら、電車に乗り、乗り換えの駅に着くと一気にエスカレーターを下りていき、路面電車に乗った。

工場について、2階の階段を上がり、事務室へ行くと愛美の姿があった。


日和「お母さん、大丈夫?」

愛美「ごめんね。なんか急に眩暈みたいにクラクラ来てさ。私も自分で驚いたわ」

社長夫人「あら、日和ちゃん。来てくれたのね。学校帰りにわざわざありがとうね。」

日和「こんにち。お久しぶりです」

社長夫人「前に会った時よりも大人になったわね。お母さんそっくり」

日和「いえ、そんなことないです」

愛美「そう言えばお父さん…覚は会った?」

日和「いや、会ってない。呼んでくる?」

愛美「うん。ちょっと呼んできてくれる?」


日和は社長夫人に会釈をして、1階の整備室へ行った。中に居た社員が日和の姿に気づいて近づいてきた。


社員「日和ちゃん、こんにちは。お母さんどう?」

日和「こんにちは。大分落ち着いたみたいです。あの、父は何処に居ますか?」

社員「あぁ。奥の方に居るよ。呼んでくるね」

日和「お願いします」


工場の中は機械音で天井まで突き抜ける様に耳に鳴り響いていた。奥に居た覚が手を振ってるのに気が付いたので、少し身を乗り出していくと、覚はもう一度日和に向かって、手招きをしていた。設置してある装置に触れないように気をつけながら、覚の元へ行った。


覚「愛美が?俺を?」

日和「うん。だから今すぐ2階に行って」

覚「日和。耳貸して」


そう言うと覚は日和にある事を告げた。今手招きをしたのはある合図だと言った。


日和が何かと尋ねると、彼は“お前としたい”という合図だと耳元で囁いた。


ふざけた事を言わないでほしいと告げて、日和はその場を離れて、整備室を出た。咄嗟に社員の1人が追い掛けてきた。


社員「日和ちゃん、もう帰るの?」

日和「はい、母に宜しく伝えてください」


日和は一礼をして工場を後にした。


その晩、夕飯を済ませた後、日和はお風呂に入り呆然としながら浴槽の中で湯気が立ち込めて消えていくのを眺めていた。


その後脱衣所で衣服を着ていた時に、夜間の開いていた内科のクリニックに行っていた愛美から電話が来ていたのに気づいて、急いで居間の電話と取ろうとしたら、覚が先に電話に出ていた。


日和は頭にタオルがかかったまま出てきたので、それに気づいた覚が横目で見ていた。彼が目線を反らすと、再び洗面台に行き、髪を乾かした。部屋に上がり、念のためにと鍵を掛けようとした時、覚が階段を登ってきた足音がしたのでドアを閉めようとしたら、強くドアノブををひいてきてその反動で日和は手を離してしまった。覚がドアを閉めると、日和の顔を見つめていた。


日和「何?どうしたの?」

覚「愛美、これから帰ってくるみたいだよ」

日和「そう…だから何?」

覚「さっき工場に来た時に行っていた合図の事さ…今、さっさとしないか?」

日和「もう、訳分かんない。出ていって」

覚「日和。逆らったら、また手を上げるぞ」

日和「打ってもいいよ。その代わりお母さんにその事言うから」


すると、覚はすわった目をして日和の顔を見てきた。日和の腕を掴むと思い切り離されたので、もう一度日和の両腕を掴んできた。


日和「こんな事する父親っている?頭可笑しいよ。どうしてあたしばかり狙ってくるの?」

覚「日和が…お前の事が気になってしょうがないんだ」

日和「理由は?それを言ってくれたら多少は受け入れるよ」

覚「ただ…したいんだ。身体がお前を求めているというか」

日和「それなんて理由にならないよ。腕離して!」


覚は日和に抱き着いてベッドに倒れ込んだ。日和は嫌がりながら右脚を覚の腹に当てると、衝動的に覚は日和の頭を打って来た。

覚は日和の首元に唇でかじる様に触れて、衣服のボタンを外そうとしたが、日和が覚の手首を掴み何としてでも止めさせたいと、抵抗をした。


日和「お願いだから、触らないで。これ以上触ったら叫ぶよ!」

覚「だったら、叫んでみろ。この姿を見られたら、あいつがどれだけ怒るか、お前だって想像つくだろ?良いから大人しくしろ。」

日和「嫌だってば!」

覚「痛くしないから、暴れるなっ。黙っていれば、誰にも気づかれない…」

日和「アンタ、頭可笑しいよ。」


日和は枕を覚の身体に思い切り叩き、ベッドから部屋に出ようと身体を起こしたが、後ろから覚に背中を鷲掴みされて、きつく抱きしめられ、片手で日和の口を塞いだ。


覚「前みたいに、激しくしないから…頼む。させてくれ。」

日和「(口を塞がれながら)うぅっ…!」


日和は込み上げる怒りの涙を流して、逃げようとしたが、次第に心身の震えが治まり、息は上がっていたが、覚の言われた通りに、大人しくした。覚は抵抗を止めた日和の頭を撫でて、ベッドの上に彼女を仰向けに寝かせ、彼女の下半身の衣類と下着を一緒に足首まで下げて、自分の脱いだ下半身をくっつける様に寄せて来た。日和の頬に両手で覆う様に触れて、彼女の顔を見つめて来た。


日和「…何?」

覚「言わないって約束してくれるか?」

日和「言わない。だから、早く終わらせて…」


日和は目が虚ろになりながら、覚の表情を見ていた。覚は日和の胸や背中を弄り、彼女の下半身の陰部に手の中指で摩り始めた。


覚「日和、何か感じる?」

日和「分からない…くすぐったい感じ…かな」


覚は摩っていた中指を日和の陰部の中にそのまま入れて、激しく摩り始めた。日和は暫く続く彼の中指の摩りがいつしか痛みに感じていたが、覚が止めるまで無言でいた。


その後、覚は自分の性器を日和の陰部の中に挿入し、腰をゆっくりと突いてきた。

覚の荒い息が部屋中に響いているのを日和は微かに耳に入ってきていた。

彼の表情を見つめながら、何故これほど自分の身体を求めてくるのか、揺れる振動と共に考えていた。


やがて、覚は行為を終えると、日和の下半身の衣類を腰まで上げて、自分の乱れたズボンも元に戻した。彼は何も言わずに部屋から出ていった。日和は衣類のボタンをつけて、ベッドの上に膝を抱える様に座っていた。


日和は憶測だが、覚がこれ程自分に寄ってくる理由が、愛美との間に何か埋まらない溝でもあるのかもしれないと、考え始めた。


翌日の休日に日和は1人で図書館の個室で期末テストに出題しそうな範囲を参考書を貸し出して、勉強に取り組んでいた。集中しているうちに書き綴るノートのペンが止まった。


覚の事がふと頭によぎった。


日和は彼の心理に何かしらの不安定さが溜まって、自分に向けて寄ってくるのではないかと、考えていた。すると、携帯のバイブレーションが動いていたので、開いてみると、同級生からのメールが届いていた。


内容は付き合っている彼氏と喧嘩をしたから、話を聞いてほしいので、これから会えないかという内容だった。日和はため息をつき、待ち合わせ場所と時間を伝えた。


図書館から出て、待ち合わせ場所のカフェに到着した。店内の出入り口付近の席に先に同級生が座って、ドリンクを飲んでいた。


同級生「ひよ!」

日和「随分急な話だったね。2人ともあれだけ、仲良かったのにさ。何あったの?」

同級生「あいつ私の知らない間に、他の女子校の子と関係持ってやったって。マジ最悪だよ。」

日和「それ、いつの話?」

同級生「先週だって。通りで付き合い悪くなってるなって思ってたら、そうだったんだって。」

日和「やるってさ…どういう気持ちで、お互いしたくなるんだろうね。」

同級生「それなりに、雰囲気的に求めたくなるんだろうけど。何、日和って、あんたまだした事ないんだっけ?」

日和「…内緒だよ。私、まだない。」

同級生「そっかぁ。クラスの半数はやってるって噂で聞いた事あるよ。日和はまだだったかぁ」

日和「あたし今の状態でしていないのって可笑しい事かな?」

同級生「可笑しくはないけど…そろそろ彼氏とか欲しいとか思わない?」

日和「なんか、好きな人ってなかなか出来なくてさ。受験の事もあるし。」

同級生「何言ってるの?今からでもまだ間に合うよ。何だったら紹介する?他の男子校でも良いしさ」

日和「いやいや。ともかくあんたの彼氏の事なんだけど…ねぇ、彼と初めてした時の事って覚えている?」

同級生「は?何よ急に…まぁ最初はやっぱり痛かったよね。勿論ゴムも付けているよ。だけど回を重ねていくうちにさ、感じてくるんだよね」

日和「感じる?」

同級生「なんか、身体の奥から気持ちいいって感じが湧いてくる。だから、日和も体験したら、分かってくるよ。ってか、何で私にそんなに聞いてくる訳?」

日和「体験者の話を聞いたら、何となく分かってくるものなのかなってさ。こう言うのあんたくらいしか聞けないからさ」

同級生「日和も彼氏ができて、やる事になったら、分かってくるんじゃない?人それぞれだからね」

日和「人それぞれ…」

同級生「てか、あんた何携帯にメモっているの?」

日和「何もメモしてなんかいないよ。彼氏とはどうするの?」

同級生「兎に角呼び出すしかないよね。まだ気持ち聞いて無いしさ。あいつ携帯つながらなくてさ。ホントずるいよね」

日和「逃げているのには間違いないよね」

同級生「捕まえたら、叩き落としてやるわ」


同級生の怒りが収まらないなか、日和は覚の男性の心理が同級生の彼氏の行動と似ているのでは無いかと、思い込んでいた。


同級生「ねぇ、そういえば柚樹は?」

日和「柚樹?」

同級生「うん。あんた達、付き合う意識ないの?」

日和「あのねぇ、マジそれはあり得ないから。これで2人目だよ…」

同級生「誰かに言われたの?」

日和「…今の新しい父親に」

同級生「そいつもヤバいよね。まだ来て半年も経ってないのに、そんな事聞かれたの?」

日和「もうその人も何考えてるのか、分かんない」

同級生「あんたのお母さん、よく再婚に踏み込んだよね。亡くなった前のお父さんの事、どう考えてるんだろうね?」

日和「知らない。向こうの話だし。私から口出しできるものじゃないな」

同級生「慣れるまで、あんたも大変だね。何かあったら、相談乗るよ」

日和「分かった」


カフェに2時間程滞在した後、2人は別々の電車に乗って帰って行った。


期末テストが終わり、翌月の12月、街頭がイルミネーションの灯りで包まれる中、日和は愛美と一緒にデパートの食品売り場でクリスマス用のオードブルなどの惣菜を買い出しに来ていた。


家に帰宅して、愛美が予約していたクリスマスケーキを買い忘れたことに気が付いて、覚に日和と一緒にお店まで行ってくれないかと頼んできた。

2人は覚の運転する車で、ケーキ店に行き、日和が店内へケーキを取りに行き再び車に戻り、自宅まで走らせた。


覚「日和は、クリスマス好きか?」

日和「うん。なんかワクワクして楽しい気分になるよ。お父さんは?」

覚「俺は、そんなに好きでもないかな」

日和「そうなんだ」

覚「クリスマスにプレゼントとか交換することがよく分からない」

日和「そう?子供の頃は楽しかったなぁ。中開けるまで寝る前までいつもドキドキしていたもん」

覚「へぇ」

日和「お父さん、クリスマスにプレゼントとかってもらった事無いの?」

覚「あるよ。でも昔の話だから、何も覚えていない」

日和「聞きたいことあるんだけど、お父さんの両親は何処に居るの?」

覚「長野だよ」

日和「連絡取っているの?」

覚「知らない。あんまり話したくない」

日和「元気なら、今度電話でも掛けてみたら?」

覚「日和。…俺の親の話はもうするな」

日和「どうして?」

覚「お前には関係ない」


覚の運転する横顔を見つめながら、日和は彼の出生の事も気になり始めていた。


自宅に到着すると、日和は愛美に笑顔でケーキを渡すと、愛美もそれに応えるように微笑んだ。日和と愛美が夕食の準備をしているなか、覚は1人でテレビを見ていた。


覚「事件」

愛美「え?」

覚「事件だって。地方のショッピングモールで刺殺されたって。テレビで流れている」

愛美「クリスマスなのに、嫌だね。物騒でさ。」

日和「そうだね。お母さん、こっち並べ終わったよ」

愛美「覚。ご飯出来たから、テレビ消して。テーブルに来て」


3人が卓上に揃うとグラスに注いだ炭酸飲料を持ち、乾杯をした。今年初めてのクリスマスを祝うことができて、愛美は2人の表情を見ては安心した気持ちになっていた。


新しい年が明けて、3が日のある日に3人で初詣に西新井大師へ訪れていた。参拝が終わり、御札や破魔矢などを購入して、込み合う参拝者の参道の中をかき分けながら、商店街通りを抜けて、電車で自宅に帰った。


翌日、愛美と覚は工場へ出勤して、年始の挨拶を終えるとそれぞれ持ち場に就いていた。休憩時間になり、整備室の脇で社員たちが初詣の話や親族の話で盛り上がるなか、覚は相槌を打ちながら話を聞いて、その後再び持ち場に戻っていった。


数か月が経過して、4月の新年度、日和は高校3年生へとなった。桜の樹々の花びらを風で散っていくのを見届けるように、日和は学校の帰宅途中に図書館へ参考書を返すことに気が付いて、電車で図書館のある駅まで乗って行った。


到着後借りた本を返却して、再び家路へ向かった。自宅に着いた後、2階の部屋へ行き、直ぐさま受験に向けて勉強をし始めた。


月日は流れ、8月の夏休みの真っただ中、日和は個別授業のために学校へ行き、教室で、数名の生徒らと共に座席に座って授業を受けていた。窓のカーテンが強い風で大きく揺れて、窓側に座っていた日和の顔を撫でるように熱風が教室に入ってきた。


校庭の部活動の生徒達も外気の暑さで唸り声を上げながら練習に励んでいた。授業が終わり、日和は冷房が付けられた冷たい空気の中、電車で自宅に向かっていった。窓の外に目をやると、荒川の河川敷で大人数の大人たちや子供らがバーベキューを楽しむ姿が目に入って来た。


この時、日和は小学生の頃、前の父親と山梨のキャンプ場で遊びに行った事を思い出していた。楽しくはしゃぐ日和を両親が嬉しそうに見守る中、焚火や花火をして一緒に居た事を思い返していた。


生前の父親が今生きていたらまたどのように楽しんでいたか…夕焼けが差し込む電車の窓の光を見つめながら、日和は家路へ帰って行った。


更に2か月が過ぎた10月の中頃、センター試験への準備をして部屋で机の前へと勉強に励む日和の元に、ドアを叩く音がしたのでそれに応えると、覚が中に入ってきた。


日和「ごめん。今忙しい。話すの後にしてくれる?」

覚「愛美が呼んでいるから、下に来てくれ」

日和「もう少し待っていて。後で降りるから」

覚「急ぎの様だから、早く来いよ」


そう言って覚は部屋を出て行った。日和はドアを見つめた後、再び勉強の続きを行っていた。

暫くすると、階段の踊り場から愛美が呼ぶのに気が付き、日和は駆け足で下に降りていった。


日和「あのさ、今センター試験の準備でマジで忙しいんだ。話って何?」

愛美「とりあえずテーブルに座って。」

日和「どうしたの?」

愛美「あのね、覚と二人で話していたんだけど、今月に私達、婚姻届を出しに行くことにしたの。」

日和「婚姻?」

愛美「うん。正式に夫婦になることを決めたの。ね?」

覚「…あぁ」

日和「そのことだけ?それなら二人で勝手に行って来ればいいじゃん」

愛美「日和。籍を入れることは大事なことなのよ。私達も良く話し合って決めたことだから、貴方にも大きく関わることなのよ。これで、私達家族になれるの」

日和「そう…そうだね。一応大事なことだね。ごめん。」

愛美「試験近いのに、急がせる様に話してごめんね。部屋に、戻っていいわよ」


そう告げられると、日和は直ぐに部屋に戻って行った。二人の籍など正直どうでもよいと考えていた。家族としているなら籍を入れなくても良いと日和は複雑な思いに駆られていた。


翌週の土曜日の午前に、愛美と覚は区役所の区民生活課の戸籍係の窓口に婚姻届けを出しに訪れていた。

番号順で呼ばれてから、用紙をもらい、それぞれ必要事項に記入を済ませて、再び呼ばれるのを待っていた。


愛美も緊張した面持ちでいたが、覚は窓口のカウンターの隅に目線を見つめていて、何かを考え事をしていた。


番号が呼ばれたので二人で窓口に行くと、覚が捺印をしていなかったことに指摘されたので、覚はポケットから印鑑を取り出そうとしていた。

愛美は覚が一点の所に視線を見ていて立ち止まっている事に気が付いたので、声を掛けると、覚は印鑑をポケットにしまい、用紙を持って、その場で婚姻届を破りちぎった。


愛美「ちょっと?何しているの?」

覚「申し訳ないのですが、まだ夫婦になるのにもう少しだけ時間が欲しいのですが、今度改めて来てもいいでしょうか?」

愛美「覚、何があったの?」

覚「娘が…大学受験を控えているんです。その後に届けを出しに来ても良いですか?」

戸籍係「はい…では、こちらの用紙は破棄してもよろしいでしょうか?」

覚「お願いします」


そう告げて覚は先に一人でエレベーターの前まで行ったので、後を追う様に愛美も駆け付けた。


愛美「ねぇ、日和が受験終わってからって…どうしてあんなことしたの?」

覚「さっき言ったとおりだ。日和が大学が受かって落ち着いてから、改めてここに来よう」


途方に暮れる愛美の横で、覚は淡々とした表情で目線を下にそらしていた。


翌年、センター試験の会場である第一志望の藤応大に日和は着いていた。座席を確認した後、席に着いて、参考書などを見て最終確認をしていた。試験官が会場に入ってきて、開始のベルが鳴ると、一斉に答案用紙を渡された。


試験が始まり、日和は懸命に解答用紙に記入をしていった。3日間の全ての試験科目を終えて、会場から出た後、校内の様子を見ることをなく、日和は電車に乗り自宅へと帰って行った。気が付くと辺りは暗くなっていて、20時頃に家に着いた。


愛美が帰宅したのに気づき日和に声を掛けたが、彼女は無言で2階の部屋へと入って行った。日和の様子に心配をして、部屋のドアをノックした。すると、中から日和が顔を覗き込むように愛美の顔を見つめていた。


愛美「日和、試験どうだった?」

日和「結構、手応えあったよ。周りの受験しに来ていた人達も、なんかすごい勢いで用紙に答え書いていく鉛筆の音が耳に入ってきてさ。なんか疲れた。」

愛美「ご飯、食べれそう?」

日和「少しだけなら。悪いんだけど、部屋まで持ってきてくれる?」


いつもの日和の表情とは違ってどこか悲しい顔をしていた様に見えた。愛美は直ぐに下に降りて、夕食の支度をして、その後日和の部屋に持って行った。

彼女の浮かない表情を見て、愛美もまた何処となく不安な気持ちになっていた。


合格発表の当日、日和は1人で大学に訪れていた。人混みで集るなかをかき分けながら、合格者の看板に自分の受験番号を探していた。


すると、手に持っていた番号と看板の番号の一致した物を見つけて、日和は次第に笑顔を取り戻していた。


会場の正門前に人目を気にしながら、携帯に愛美に電話を掛けた。合格したことを告げると、愛美も電話の向こうで嬉しそうに返答をしていた。


帰宅後、日和は愛美と覚に改めて大学生になることを告げると、愛美は涙目になりながら彼女の表情を見ていた。


愛美「日和、おめでとう。頑張った甲斐があったね。お疲れさまです」

日和「ありがとう」

愛美「覚、貴方も声を掛けてあげて」

覚「おめでとう」

日和「うん、ありがとう」

愛美「夕飯の支度するから、日和手伝ってくれる?」

日和「うん」


この時も覚はあまり顔を合わせようとしなかったが、覚は日和の明るい笑顔を見つめながら、心なしか安堵の気持ちになっていた。


更に歳月が過ぎて、4月の大学の入学式を終えて、日和は晴れて大学生になった。


ある日の土曜日に、高校の同級生らと通学用に使うバッグや筆記用具などを買いに、渋谷の複合施設の雑貨店に訪れていた。


買い物を済ませると近くのカフェに立ち寄り、会話が楽しげに弾むように日和たちは笑い合っていた。


夕刻の時間となり、それぞれ駅の構内で別れを告げて、重たい荷物を抱えながら、電車に乗った。

帰宅すると、2階へ自分の部屋に荷物を置き、再び1階の居間のソファに腰を掛けた。

窓の外に目をやると、空が少し雲に覆われてきたので、何気なく雨が降るのかと考えていた。テレビをつけて報道番組を見ていたら、愛美が帰ってきたのに気が付いた。


日和「お帰りなさい」

愛美「ああ、ただいま。買い物沢山買えた?」

日和「うん、友達も凄い盛り上がって楽しかったよ」

愛美「そっか。あれ?覚は?」

日和「あれ、そういえば居ないよ」

愛美「おかしいわね。さっきまで家に居たのよ。何処かで掛けたのかしら…」

日和「寝室にいるかも」


日和は寝室へ行くと、覚がベッドの上で横になっているのに目が入って来た。


日和「お父さん?」

覚「…あぁ、帰ってきてたのか?」

日和「うん、さっき。寝ていたの?」

覚「うん。少しな」

日和「疲れている?」

覚「別に。何ともないよ」


寝室から出ようとした時、覚は日和の手首を掴み、身体を抱き寄せて来た。


日和「お父さん?」

覚「お前にお父さんって呼ばれるの…慣れないな」

日和「私達、義理の父娘になってから、まだ2年しか経ってないしね。」

覚「きっと慣れるまで、時間がかかりそうだ」

日和「…あのさ、もう離してくれない?お母さん来たらヤバいよ」

覚「静かにしていれば大丈夫だ」


覚は日和をベッドの上に座る様に促して、彼女の頭を撫でた。その間もない時、覚は日和の唇にキスをしてきた。


日和「何で?」

覚「入学祝いだ。大学、楽しめよ」


日和は慌てる様に覚から身を離れて、寝室の外に出て行った。覚は頭を掻いて、再びベッドに眠り込んだ。この時、彼は日和に対する態度に自分のして来た事が、どこまでが本心でどこまでが罪があるのかと、1人で悩み始めていた。


翌月、日和は講義を終えて、校内の歩道を歩いていると、1人の学生が彼女に近づいてきた。

同じ学部の柳井颯多だった。


颯多「日和!」

日和「颯多。そっちも講義終わったの?」

颯多「どう?リスニング難しくなかった?」

日和「途中で寝そうになった」

颯多「お前、そのくらいで眠そうになるなよ。まだここに入って来たばかりだよ?」


颯多は日和より1つ上の2年生で、入学式の後に行われた学内サークルの新入生の歓迎の担当をしていた時に、日和に声を掛けてきた1人だった。それから2人は直ぐに意気投合して親しくなった。傍の講堂の中にあるコンビニの隣の広間で椅子に掛けて会話をしていた。


颯多「日和の父さん、あれから仲良くなった?」

日和「今年で2年になるんだけど、相変わらず無愛想で、少ししか喋んないよ。」

颯多「まぁ、そう言う人も中に入るからね。籍もまだ入れてないんだっけ?」

日和「そこなんだよね。私が入学してから入れるって話して以来、まだお母さんからも返事来ないんだよ」

颯多「不思議な関係だよね。俺なら潔く白黒つけて決めそうだもんだ」

日和「えぇ?颯多ってそんな性格なの?初耳だし」

颯多「今、初めて話したし」


2人の会話が弾んでいると、颯多の携帯から電話がかかってきた。アルバイト先の会社からだった。出勤の予定を変更してほしいという話をしていた。


日和「バイト順調?」

颯多「うん。日和はバイトはしないの?」

日和「そうだなぁ。サークルとかも気になっていて迷っているんだよね。」

颯多「やりたい事あるなら、今の内に決めてさ。バイトして貯金して貯まったら、好きなことに使いたいじゃん。色々考えてみたら?」

日和「そうだね」


2人は正門で別れて、日和は地下鉄に続いている階段を下りて、構内を歩いていき、改札口のところにあるベーカリーの前を通りかかり、店内の美味しそうなパンに目をやり、中に入って、クロワッサンとパンオショコラを買って店を出た。


手提げ袋に入った香ばしいパンの香りで顔がほころんでいた。


地下鉄に30分ほどかけて乗り換えの駅まで乗り、改札を出て更に別の駅の改札を抜けて、電車に乗った。


自宅に着いて、愛美が先に帰ってきた。日和はパンを買ってきたことを話して、愛美の分だと差し出すと彼女も喜んでいた。


季節は7月。日和は大学生になり初めての長い夏季休暇に入った。久しぶりに工場へ足を運び、社員の人達に会いに行ってた。


「日和ちゃん、また大人っぽくなったよね?」

日和「あぁ。少しメイクするようになったです。」

「そうっか、それで前より垢抜けた感じになったんだね。良いよ、似合っている」

日和「ありがとうございます。」

「大学どう?授業楽しい?」

日和「はい。難しい所もあるけど、なんとかやっています」

「日和ちゃん勉強できるから得することばっかりだよなぁ。いいな大学。俺も行きたかったわ」

「そう言えばあいつ…覚も元々大学行くつもりだったんでしょ?」

日和「そうなんですか?初耳だ」

「あれ?話していないんだ。あいつも勉強割と出来た方みたいでさ。なんで進学しなかったのは知らないんだよね。」

日和「意外な話ですね」

「あぁ。向こうに覚が居るから、行っておいでよ」

日和「はい」


いつのも持ち場に居る覚の傍に行くと、彼は製鉄のプレスに金属を入れる作業をしていた。

作業を終えると、タバコを一服吸い始めていた。日和の姿に気が付き、暫く彼女の顔を眺めて、片手を上げて、手招きをするあの合図を送っていた。日和は首を横に振ると、覚は彼女に近づいてきた。


覚「なんで嫌がる?」

日和「なんでって…もういい加減に止めた方がいいんじゃない?」

覚「したい時にしちゃいけない?」

日和「私じゃなくて、お母さんとすれば?」

覚「馬鹿かよ。年齢的にどうだろう…」

日和「夫婦なんだし、多少のそう言うこともありじゃないの?」

覚「その神経がわからないな」

日和「それはこっちの台詞よ。あんたも何考えているのか分かんないし」


暫く二人で話していると、愛美が整備室に入って来た。社員の人とこれから外勤に出るからと告げて、足早にまた出ていった。覚は工場の外の場所に日和を連れていき、備蓄室の様な室内に入って行った。


日和「ここ、使っている場所なの?なんか埃が凄い立っている…」

覚「日和、ここは誰も来ないから、叫んでも気付かれないよ」

日和「何を?」

覚「決まってるじゃん。分かっているくせに…」

日和「何言っているの?」


すると、覚は日和の背後から肩を掴み両腕で彼女の身体を抱きしめた。

日和「もう…止めよう。私、彼氏ができたの」

覚「関係ないよ」

日和「いいから離して」

覚「俺の言うこと聞いてくれ」


覚は日和の下半身の中に手を入れて、彼女が嫌がりながらも弄り続けた。


覚「日和…お前、濡れてるじゃん」


日和は振り返り彼の顔を睨み付け抵抗をしたが、覚は室内の上り場に日和の身体を押し倒して、彼女の上にまたがる様に乗った。


日和は、何か彼を打てる物がないか辺りを探していたが、それに気づいた覚が抵抗するとまた強く反抗するぞと告げてきた。

覚は首に巻いていた手拭いを彼女の口にしめつける様に縛り、暴れる彼女の両腕を押さえつけた。


覚「すぐ終わるから、大人しくしていろ」


やがて日和は覚にされるがままに情交を受け入れた。

行為が終わると衣服を直して、何事もなかったかの様に、整備室へ戻った。日和はうつむいたまま社員の前に立っていた。


社員「日和ちゃん?顔色悪いよ?どうした?」

覚「さっき暑さで立ちくらんだみたいで。外の備蓄室に休ませたんだ」

社員「そうか。もう帰った方がいいね」

日和「…はい、そうします。また、来ますね。失礼します」


日和は自宅へ着き自分の部屋へと入って行き、部屋着に着替えて、ベッドの中にもぐる様に布団を被った。


今までもいくら抵抗しても止めてくれない覚の心情が解らなくなり、自分がこの世から消えていなくなってしまいたい気持ちに陥っていた。


だが、覚が自分の身体に触れてくると、何故気持ちよくなってしまうのか、心身が追い付かない状況になっていた。


日和が2階の部屋で眠りについた頃、愛美は覚にある話をしていた。


愛美「最近日和の様子が変なのよ。この間、貴方が外勤で夜遅くに帰って来た時にね…突然私に刃向かってくる様に大声をあげたり、柚樹の事を聞くとあいつの事は知らないって言ってきたし。今の大学で親しくしている男の子で、颯多くんだったかな?その子の事について2人で話していたら、同じ様に言葉を荒げるみたいにね。…話したくないって。覚、何か心当たりある?」

覚「知らないよ。…反抗期みたいな感じじゃないか?」

愛美「それだけで治るならいいけど…念のためクリニック連れて行った方がいいかな?」

覚「流石にそこまでしなくてもいいんじゃ?」

愛美「そうよね。もう少し様子、見ようかしら…」


その数日後、日和は学校が午前で終わり、その足で荒川区の警察署の前に立っていた。

残暑が続いているなか、建物を見上げては、今にも立ち眩みを起こしそうな不安げな眼差しで空の雲も追いかけるように見ていた。


中に入り受付である事情を相談したいと話すと、更に奥の窓口に案内された。天井を見ると生活安全課のカウンターの前に居た。係員に個室の様な部屋に入る様に促されて、暫く待っていると、男女2人の職員らしき人物が入ってきた。


刑事「私、刑事課の松井です。」

職員「生活安全課の職員の保村です。」

刑事「先程窓口の方でもお話をされましたが、今回はご家族の方から被害を遭われてるという事で?」

日和「はい。」

刑事「2年前の夏頃から、義理の父親に当たる方から、性的な関係を持っていて、未だにそれが続いていて、貴方自身が抵抗をしても収まらないと言う事ですよね。結論から申しますと、それ…立派な性犯罪ですよ。」

日和「犯罪?」

刑事「えぇ。必要であればご家族の方を署にご同行いただきまして、取調べを行いますが。山口さん自身はどうされたいですか?」

日和「まだ、どうしていいのか、分かりません。ただ…以前より回数は減ってきているんです。暴力的に殴られる事もありません」

刑事「手を挙げることをされなくても、性的関係を要求されてくる事は、わいせつ罪もしくは強制性交等罪に当たります」

職員「お母様には何故ご相談されないんですか?」

日和「母に言うと、また要求すると。口答えしないで欲しいと義父から口止めされています」刑事「そこが難しいところになりますね。今日こちらに来てくださってお話していただいた事には、ご安心になられていますか?」

日和「少しは…」

職員「山口さん。義父の方が居ない時にでも、お母様にまた改めてご相談なさってはいかがですか?そうでないと、進展がないまま、貴方が一生抱えてる傷を背負っていく事になるんですよ。」

日和「分かりました。また、母に話してみてから、こちらに行きます」

刑事「テレビ等での報道で見受けられるように、時折性犯罪の事件というのも、多発しています。ご自身の命も守るために良くお考えになって、また、私達にご相談に来て下さい。」

職員「あとはお話しておきたい事はありますか?」

日和「あの…ちょっと話しにくい事なんですが、もしこれが私が合意の上で関係を持っているならば、義父はそれでも犯罪者になるんですか?」

刑事「場合によっては、そうなり兼ねます。性犯罪は再犯率が高いため、初犯であるか、または再犯であるかの事情により量刑が課せられて来るんです。」

職員「貴方が合意で関係を持っていても、罪は罪なのです」

日和「分かりました、また考え直してきます」


日和は警察署を出た後、刑事は職員に日和の家族が再び署を訪れる可能性が高いという事で、記録書に保管する様に命じた。


日和は北千住駅に下車し、大学通りの狭い路地を1人で歩いていた。入り乱れる様に各店が連なる通りに入って、店内の商品などを眺めては、また外へ出て行った。


しばらくの間彷徨いながら、人集りの中を雑踏で満たす様に歩き疲れるまで夜半近くまで居た。慌てて愛美に電話をして、終電まで間に合わないかもと伝えると、覚が近くまで車で迎えに行くから、自宅近くの駅まで乗ってきて欲しいと返答された。


言われた通りに日和はある駅に下車して、改札口付近の構内の出入り口の脇で待っていた。やがて、覚の車が来て、2人で自宅に向かった。


覚「どこで、うろついていたんだ?」

日和「北千住」

覚「あまり降りないところだろう?」

日和「たまには行ったって良いじゃん」

覚「何かあった?」

日和「行かない場所に行きたかっただけ」

覚「そうか」


数少ない会話の中、今日警察署で相談した事が過ぎる度に、日和は横目で見ては、覚への意識が募っていた。


翌週、大学では午前の講義が終わり、昼休みに入っていた。日和は学食で昼食を取っていると、颯多が声を掛けてきて、一緒に食べようと言い椅子に座った。


颯多「日和、なんか顔色悪くない?」

日和「え?またかぁ…今日朝出掛ける前にもお母さんにも言われたんだよ。」

颯多「なんか根詰めている?予習や復習とかでさ…」

日和「いいや。夜もいつも通りの時間で寝ているから、寝不足とかでもないし」

颯多「そうか。まぁ、元気そうだし食欲もあるから大丈夫か」


2人が昼食を済ませると、校内の中央にあるベンチに座り、晴れた気持ちの良い風を感じながら、会話をしていた。


颯多「ねぇ日和、お前好きな人とかいる?」

日和「どうして?」

颯多「うん…俺らそれなりに仲いいしさ。好きな人、居ないなら、俺と付き合ってくれない?」

日和「颯多…」

颯多「俺、日和のこと好きだよ。なんていうか…一緒に居て楽しいし、そっちから色々教えてくれる事もあるしさ。俺、いつもお前といて…優しい気持ちになれるんだ。」

日和「私もだよ。…好きだよ。颯多と居て楽しいし。馬鹿みたいにふざけあう事も出来るからさ」

颯多「馬鹿みたいは余計だろ?」

日和「そうだね。…ねぇ、今度何処か遊びに行きたいね」

颯多「そうだなぁ。あぁ、遊園地行かないか?」

日和「遊園地?」

颯多「うん。2人だけだと、気まずいかな?」

日和「そんな事ないよ。」

颯多「俺、車持っているから、近くの所に行こうか?」

日和「うん!行きたい。連れてって」


午後の講義が終わり、日和は颯多と駅で別れてから、真っ直ぐに自宅に帰っていった。

家に着くと、玄関に靴を脱ぎ散らし、2階へ駆け上がり、部屋のドアを閉めるとベッドに飛び乗った。

颯多から告白されて日和はいつになく嬉しさで身体がうずうずとしていた。


夕食後、愛美と食器類の洗い物を片付けている時、颯多からの誘いの事で日和は顔が綻んでいるのを愛美は気が付いた。


愛美「日和、何か嬉しそうね。どうしたの?」

日和「あのね、今度の土曜日に颯多と遊びにドライブしに行くんだ」

愛美「2人で?」

日和「うん。もうなんか…何着て行こうか迷ってるし。ふふっ」

愛美「そっかぁ、貴方の好きなの着ていけばいいじゃない。天気、晴れると良いね」

日和「そうだね」


片付けが終わると、日和はお風呂へ入りに脱衣所で衣服を脱いでいた。ふと鏡を見ると、左の二の腕に直径は3センチくらいであろう、アザがついていたのに気がついた。

いつ付いたのかは覚えていなかったが、それほど気にならなかったので、そのまま浴室に入った。


入浴後、身体をタオルで拭いていると、左腕のアザが腫れているのに気づいてヒリヒリと痛みが走っていた。


日和「何だろう?何処でぶつけたかな?」


居間のソファに座っている愛美に声を掛けて、腕を見てもらったが、大事には至らないと話がついたので、お湯で温めたタオルで腫れを抑えて、様子を見る事にした。


その晩、日和はベッドの上で唸り声を上げて苦しそうに汗をかいていた。1階に降りて寝室に寝ていた愛美に声をかけ、腕が腫れて痛いと言った。


愛美は急いで夜間の救急病院に連絡を取り、近くの内科医院へタクシーで出かけた。病院に着き診察をしてもらうと、アナフィラキシーショックだと告げられた。原因は血圧の低下によるものだった。日和は時々貧血を起こして、目眩が止まらなくなっていた事を思い出した。


自宅に戻り、愛美は一先ず寝なさいと促した。


翌朝、日和の腕は腫れが治まっていたが、念の為、午前の講義に出るのを止めて、午後から学校に行く事にした。携帯から颯多からメールが来ていた。日和は次の休みの日に遊園地に行くのが楽しみだと返信をした。


その日の夜、日和は自分の部屋でオーディオ機器にヘッドフォンを付けながら音楽を聴いていた。腫れて痛いと感じていた左腕を捲って見ていると、ドアを叩く音に気がついて返事をしたら、覚が中に入ってきた。


日和「何?」

覚「腕は、治ったのか?」

日和「うん、とっくに腫れは引いたよ。なんで?」

覚「いや、何でもない」


そう告げて、覚は部屋をすぐ出て行った。また何かされるのかと、少しだけ怯えていた。すると再び覚が入ってきたので何かと尋ねると、飲料水の缶を日和に手渡した。


日和「なんで飲み物を?」

覚「愛美からだ」

日和「ありがとう」


覚は日和の顔を見ずに部屋を出て行った。


翌朝、日和は起床して、1階の台所にいた愛美の元へ駆け寄り、昨日は飲料水を持ってきてくれてありがとうと告げると、愛美は私は差し出していないと返答した。


おそらくだが、覚自身が自発的に日和の腕を心配してわざわざ部屋まで飲み物を渡しに来てくれたに違いないと思った。

何気ない覚の優しさを垣間見ることができて、日和は以前よりも彼の意識が変わってきているのかと考えるようになっていた。


数日後の土曜日。日和は朝早くに目が覚めて、颯多が来るまでの間、朝食を済ませた後、身支度をしていた。携帯の着信音が鳴ったので開いてみると、颯多からだった。


午前8時。日和は颯多の車で2時間かけて遊園地のある場所へと向かった。家族連れが多い中、日和たちはアトラクションなどに乗り、楽しんでいた。


時間は13時を回っていたので、昼食をとることにした。日和の座っているテーブル席に颯多がランチやドリンクを持ってくと、二人は早速手を付けた。

日和が美味しそうに食べる姿と颯多が携帯の写真で撮ると、日和は照れくさそうに笑っていた。


颯多「良かった」

日和「えっ?」

颯多「前よりも元気になって、こっちも安心したよ」

日和「さっきまで色々アトラクション乗っていたら、気持ちがすっきりしてさ。パーッと晴れて気分転換になったよ」

颯多「そっか、良かった。そういや、あれから、お父さんとは喋っている?」

日和「いいや、あまり変わりないよ。なんかお父さんの事気になる?」

颯多「俺さ、近いうちに日和のお父さんに会いたい」

日和「マジで…言っているの?」

颯多「うん。今度会いに家に行ってもいいかな?」

日和「多分大丈夫だと思うけど、本当にあんまり話さない人だからね」

颯多「会ったら分かると思うよ。取り敢えず会わせてよ」


日和は覚とのあの出来事を誰にも話せずにいるので、実際に会うとなると颯多に余計不安にさせてしまったらどうしようと考えていた。帰り道の車の中で颯多は日和の顔に近づき、二人はキスをした。


自宅に到着すると、玄関の前に覚が立っていた。彼は2人の乗る車に近づいて、日和に先に家に入る様に促した。


覚「君が颯多って人?」

颯多「そうです」

覚「少し話したい事がある。中に入っていいか?」

颯多「…いいですよ」


覚はそう言うと車の助手席に入り座った。


颯多「今日日和と、遊びに行かせてくれてありがとうございました。」

覚「今のうちにそっちに伝えたい事がある」

颯多「何ですか?」

覚「お前が日和と親しくするのは構わない。ただ仮の話だが…俺があいつと血が繋がっていないのにも関わらず、彼女に好意を持って手を出したら…お前、俺をどうする?」

颯多「そう…ですね…きっと刃向かうと思います。日和を安全な場所へと…」

覚「お前みたいなガキに何ができる?!…あいつの何を守れる?生半可な気持ちで付き合うなら、さっさと別れろ」

颯多「どうして、そこまで言うんですか?」

覚「俺はあいつの父親だ。守る義務がある。家族以外の人間に何がわかる?」

颯多「それなら、僕も正々堂々と日和さんを守ります。認めてもらうまで、そう簡単に絶対に別れません」

覚「…何があっても後悔するなよ」

颯多「どう言う意味ですか?」

覚「そのうち分かる」


覚が時折見せたやや挑発的な口調に、颯多は彼に対して疑心暗鬼の念を感じていた。


10月。日和は1階の居間のソファで膝を抱えながら、テレビを見ている時に、携帯のメールの着信音が鳴った。

颯多から連絡が来ていて、近いうちに渋谷に行かないかと言う内容の文面だった。

日和はカレンダーを見て、直ぐに一緒に行こうと返信をした。


その週の金曜日の夕方、日和と颯多は渋谷にあるCDショップに来て、各コーナーの音楽の試聴をしながら、楽しそうに会話をしていた。

ショップを出た後、宮下通りの狭い路地を入り、カフェで夕食を取る事にした。3時間後、外に出ると、辺りは既に暗くなっていた。


颯多「日和」

日和「何?」

颯多「手、繋ごう」


渋谷駅までの道のりを2人は手を繋ぎながら、歩いていた。


日和「まだ人、多いね」

颯多「金曜日だし、これからもっと増えるよ」

日和「私、あまり人混み得意じゃないしね」

颯多「そうなんだ。平然と歩いているから、そうは見えないよ」

日和「颯多は人混みは?」

颯多「慣れたかな。実家は立川市だけど、あまり気にはならなくなったかな。日和はずっと今の家にいるんだっけ?」

日和「うん。ずっと荒川区。」

颯多「一人暮らししようとか考えた事ないの?」

日和「今のところはないかな。ただそのうち就職とか決まったら、場所によっては引越したいな」

颯多「もう就活の事、考えているんだ」

日和「いやいや。まだだけど。来年の成人式が過ぎたあたりから、考えていかないとね。あっという間に3年になりそうだし」

颯多「そうだな。今就職難だから、俺らの時も大変かもな、きっと」


暫く会話をして歩いていると、渋谷駅付近の大通りに出て、信号機が青に変わると、人混みをかき分ける様に2人は駅へ向かった。ハチ公口前の改札口に着いて、日和が帰ろうとしたら、颯多が自宅に来ないかと誘ってきた。


日和は少し考えて、1時間だけなら行っても良いと承諾した。井の頭線がある構内のエスカレーターを上がり、電車に乗って、永福町駅に下車し、颯多の自宅に到着した。玄関で靴を脱ぎ、1DKのやや広い部屋の中を見渡しながら、日和は胸を膨らませていた。


颯多「日和、何か飲む?」

日和「お茶とかってある?」

颯多「紅茶でもいい?」

日和「お願い」


コンロのやかんの水が沸くまで、2人は無言でいた。


日和「何か喋ってよ」

颯多「そっちこそ、何か話せよ」


お互いに意識しているのか、なかなか会話の中身が出てこない状態で暫く部屋の中は静まり返っていた。颯多が紅茶の入ったカップを日和に渡し、彼女が飲み始めると、少しだけ舌を熱そうにしている仕草を見て、颯多が微笑んでいた。


日和「周り、結構静かだね。隣とか上とかって人は住んでいるの?」

颯多「隣は居ないけど、上は居るよ。今日は静かな片付けかな。」

日和「私まだ一人暮らしした事ないから、実際住むと、どんな感じになるのかなって」

颯多「日和、音に敏感?」

日和「いや。多分大丈夫だと思う」


また沈黙が続き、なかなか会話が進まないので、颯多がCD機器に音楽をかけた。日和が積み上がっているCDのケースを取ると、何枚かがバラバラに崩れ落ちたので、慌てて積み直そうとしていた。颯多は日和の右手を握り締め、日和が颯多の顔を見上げると、彼は彼女の頬に手を添えてキスをした。


日和「ねぇ、何か話をしない?」

颯多「1時間だけなら、良いんだよな?日和、こっち来て」


颯多は日和の手を引き、ベッドの上に座らせた。


颯多「日和、今日俺としない?」

日和「…良いよ。早くしよう」


颯多は日和の身体を抱きしめて、何度も彼女の唇を交わしていた。日和は上半身の衣類を脱ぎ、颯多もまた自身で上着を脱いだ。日和は仰向けに寝て、颯多の顔を見つめて彼の首の後ろに両手を廻してキスを交わした。


颯多が日和の衣類の中のブラジャーのフックを外して、彼女の胸の上に顔を埋めながら、唇で身体を舐め始めた。日和は目を瞑り、颯多が触れてくる唇の感触に鳥肌を立てながら、彼の仕草を時折見ていた。颯多が日和の下半身の下着を脱がせて、彼女の陰部に手を触ると、既に出た分泌物で濡れていた。


日和は早く入れて欲しいと颯多に要求してきた。颯多も下半身の衣類を全て脱いで、コンドームをつけた。

日和の右の太ももを自分の肩に乗せて、彼は自分の性器を彼女の陰部に入れた。


日和「颯多…最後までしてね」

颯多「あぁ。」


2人は身体を抱き合い、お互い見つめ合いながら暫く身体を揺さぶっていた。日和は頭の中でおぼろげに何かがこちらを見ている気配を感じたが、再び目を瞑り颯多の背中に手を添えて身を任せる様に委ねていた。時間が静かに過ぎていく中、日和はふと目を覚まして、颯多の顔を見た。


日和「颯多、寝てるの?」

颯多「いや、起きているよ。日和、痛くなかった?」

日和「少しだけ痛かった、でも気にしないで」

颯多「気持ち…良かった?」

日和「うん。気持ち良かったよ」

颯多「時間、大丈夫か?俺、送っていくよ」

日和「うん、お願い」


2人は衣服を着ると、外に出て、暗い夜道の中、颯多は運転する車で日和の自宅まで送って行った。玄関に入り台所の冷蔵庫を開けようとした時、愛美が傍に寄ってきた。


愛美「日和、遅かったね。何で連絡してくれなかったの?」

日和「ごめん。ずっと外で出回っててさ。何か色々夢中になってしまって…」

愛美「今度遅くなる時は連絡する様にしてね」

日和「分かったよ」


愛美と話をしていると、奥のソファに座っている覚がこちらを見ていた。日和もまた覚の顔を見ては直ぐに視線を逸らした。2階の部屋に入って、部屋着に着替えて携帯を開き未読のメールを見ていた。颯多の自宅での出来事をふと振り返り、日和は自分を抱いてくれた彼の想いに受け入れたいと強く願っていた。彼女はいつもより穏やか表情をしていた。


月日は流れ、日和は大学2年に進学した。季節が八十八夜を過ぎた頃、工場では社員達が小休憩を取っていた。


社員2「最近日和ちゃんここに来るの減ってきたなよな。学校忙しいのか?」

社員3「どうなんすかね。愛美さんに聞いてみるのも良いかもな」

社員1「なぁ、覚。お前さ日和ちゃん工場に連れてくる事って出来そうか?」

覚「分からない。あいつ次第かな」

社員3「お前さ、何でそんなに彼女に会いたいんだ?」

社員2「何かさ来てくれるだけで、テンション上がるっていうかさ。あの子可愛いじゃん」

社員3「確かにな。小柄でさ、小動物みたいで可愛がってやりたい気もするしな」

社員1「小動物かよ。まぁ、覚には似ても似つかないとこもあるしさ」

社員3「お前、まさか狙っているのか?」

社員2「ここだけの話…俺、日和ちゃんとなら付き合いたいって考えることある。」

社員1「マジかよ?お前ヤバくね?」

社員2「だってさ、誰も彼氏とかいないなら…俺、あの子とヤりたいし。どんな声出すのかなってさ。見てみたいし」


すると、覚が社員が言い放った言葉を耳にして、彼の元に近づき、突然社員の後ろの襟首を鷲掴みして、引きずる様に身体を引っ張っていった。


社員2「おい!何するんだよ」

覚「いいからこっち来い」


覚が製造機のスイッチを押すと、ベルトコンベアーが動き出し、金属を流す入口の所に、社員の頭を無理矢理押しつけて、顔がすれすれになる所まで近づかせた。ベルトが流れ動くまま、更に交互するローラー付近の溝口に頭を片手で固定させた。


社員2「覚…止めろ。このまま行くと、俺の身体が…!」

覚「お前…日和に何したいって?」

社員2「じょ、冗談に決まってるだろ?だから機械停めてくれ!マジで潰れるぞ」


覚は大きく目を鋭く見開いたまま、社員の頭を押し付けて行き、更にベルトが動いている所まで社員顔を擦りつけた。


社員1「覚!止めろ!お前、そいつ殺す気か?!」


社員達がざわついている中で、覚は我に返った。慌てて他の社員が機械のスイッチを停めて、覚の肩を摘みかかり、握り拳で顔を殴った。覚は社員を睨み返し、殴られた口元に手を当てた。騒動の様子に気が付いた社長が1階に降りて来て、その光景を見て覚に近寄っていった。


社長「お前っ…またやらかす気だったのか?2階に来い!」


社員は覚の腕を掴んで、2階の社長室へ上がって行った。事情を聞いた社長が口を開いた。


社長「覚、機械に頭を突っ込ませる真似をするなんて…お前、何があったんだ?」

覚「すみません。娘の事をからかってきたので、ついカッとなって…」

社長「それにしても、いくら何でもやり過ぎだ。取り敢えず今日はこのまま早退しなさい。頭を冷やせ」


覚は社長の苦言を聞きながら下を向いたまま、日和の事を考えていた。

暫くして、愛美が外勤から工場に戻ってくると、社員達が騒然としているのが目に入った。


事務員「愛美さん。ちょっと上に来くれる?」


愛美が2階の社長室へ入ると、社長が神妙な面持ちで話をしてきた。


社長「呼び出して済まない。さっき覚が、社員に突然腹を立てて製造機の切り口に頭を突っ込ませて、危うく大怪我をさせるところだったんだよ」

愛美「どうしてそうなったんですか?」

社長「社員がからかい半分で日和ちゃんの話をしてたらしく。それをあいつが耳にして行動を取ったらしい。」

愛美「そうだったんですね。主人がはしたない真似をして申し訳ございませんでした」

社長「取り敢えず大事に至らなかったから良かったんだが…ここに来る前の工場でも似た様な事をやらかした事があってね」

愛美「どんな事で?」

社長「同僚たちに冗談を言われて、からかわれた挙げ句、その仕返しに殴り合いの喧嘩になって。覚はその調子に、相手を工具で頭を数十回殴って怪我をさせてしまったんだ」

愛美「じゃあ前職を辞めた理由ってその事だったんですか?」

社長「私も、そこの社長ともお得意様で親しくさせてもらってたんだ。まぁ、何かしらあったみたいだが、怪我をさせた事が全てではない。暫く大人しくしていたのに、今日の様な事があって、私も気が動転してしまったよ」

愛美「そうでしたか。今後その様な事がない様に私からも注意しておきます」

社長「日和ちゃんは元気かい?」

愛美「はい、お陰さまで。大分学校にも慣れてるみたいです」

社長「それは良かった。さぁ、持ち場に戻りなさい」

愛美「失礼します」


愛美は覚の過去の話をあまり聞いた事がなかったので、彼女も暫くは動揺していた。


覚は自宅へ着くると、まだ誰も帰ってはいなかった。居間のソファに倒れ込む様に横になって、天井を向くと、ふと日和の事が頭を過ぎった。2階の日和の部屋へ上がり、ドアを開けて、机の前に立った。


壁にかかっている写真を眺めていると、幼い頃の日和の姿を見つけて、隣に並ぶ父親らしき人物を見ていた。屈託の無い家族の笑顔を見ているうちに、覚はある場所へ行こうと考えていた。


ある日の晩、愛美が浴室へ行っている間、覚は日和にある事を話してきた。


日和「今日は休みだったの?」

覚「あぁ。年次休暇を使ったんだ」

日和「何?何か顔に付いている?」

覚「ソファに座って」

日和「どうしたの?」

覚「話がある」

日和「早く済ませて。予習あるから。」

覚「お前、来年の成人式の後、学校休めるか?」

日和「何処か行くの?皆んなで?」

覚「俺と2人で。予定空けておいて欲しいんだ」

日和「旅行…とか?」

覚「そう、みたいな感じだ」

日和「私に何も手を出さないって約束してくれる?」

覚「状況による」

日和「良い加減にしてよ。それなら、私行かない」

覚「頼む。それきりにするから。」

日和「考えさせて」

覚「今、答えてくれ」

日和「突拍子に言うから、直ぐに返事なんか出来ない。学校の単位も落としたくないし」

覚「愛美に、言ってもいいのか?」

日和「それ、脅しじゃない。もっと良い嘘とか付けない訳?」

覚「うるさい。一緒に行けないなら、愛美にあの事を話す」

日和「…分かった。成人式の後のいつから?」

覚「翌日からだ」

日和「そんなに急ぐの?」

覚「あぁ。早いうちが良い。お前が来年、二十歳の成人式を終えた後、一緒に来てほしい所がある。」

日和「何処?」

覚「まだ教えない」

日和「教えてくれたっていいじゃん」

覚「まだ、待っていて。いずれ言う」


日和が講義を受けている時、携帯のバイブレーションが鳴ったので、机の下で開いてみると、颯多からメールが届いていた。講義が終わったら正門前の側にあるカフェテリアに来てほしいという内容だった。


90分後、講堂から急足でカフェテリアへ向かい、中へ入ると、颯多が壁側のカウンター席に座っているのを見かけて、声をかけようとした時、もう1人見慣れない女子学生が颯多の隣に近づいて、話しをしていた。


日和「颯多。待った?」

颯多「あぁ、日和。呼び出してごめんね。紹介したい人居てさ。こっち、同じサークル仲間の早坂さん」

早坂「はじめまして、早坂です。」

日和「あ、山口です」

早坂「ねぇ、颯多。私もこの子と一緒で良いの?」

颯多「みんなでさ、一緒に飯食いに行こうかって話していたんだ。日和はどう?」

日和「あぁ、良いよ。皆で一緒に行く方が良いしね」

颯多「じゃあ行こうか」


3人は表参道沿いの雑居ビルや店舗が並ぶ通りを歩いて行き、中通りの脇の多国籍料理のカフェに入って行った。


颯多「何を食べようか?」

早坂「あたし、パエリア食べたい。頼んでも良い?」

日和「あぁ。良いよ。私も食べたい。あとパスタにしようかな?」


3人が注文をしている間、ある会話に日和は言葉を詰まらせていた。


早坂「ねぇ、この間うちに遊びに来たでしょ?これバングル。忘れてたよ」

颯多「あぁ、悪い。無いって思っていたのに、やっぱお前ん家にあったか」

早坂「今度いつ来るの?」

颯多「バイトのシフトが決まったら、行く日教えるよ」

日和「あのさ、ちょっと気になる事あるんだけど、2人って友達なの?」

早坂「そうだよ。セフレ?って言えば分かるかな」

颯多「また言った。お前冗談よせよ。」

早坂「何で?合ってるじゃん。…あっ来たよ。うわぁ美味しそう!」

颯多「あぁ、皆んなでシェアしよう。俺、取るね」

日和「ありがとう。」

早坂「はい、日和さん。美味しそうだね」

日和「うん。そうだね」


2人が何気なく会話のやり取りをしている中、日和は何処となく不安な気持ちになってきていた。


日和「ねぇ、2人に聞きたいんだけど…もしかして付き合っているの?」

早坂「ううん。そうじゃないよ。まぁ体の関係はあるけど、そんなに深い仲じゃない。一応友達は友達だよね」

颯多「まぁ…そうだな。友達だよね」

日和「私この間、颯多の家に行ったよね。あれって何だったのかなってさ。」

早坂「何の話し?」

颯多「遊びに来ただけだよ。色々話してから、その後帰り送ったよな?」

日和「そうだったね。楽し…かったよね」

早坂「2人とも、私に何か隠しているでしょう?」

颯多「何を?」

早坂「付き合っているんでしょ?見ていれば分かるよ」

日和「そう、だよ。私達付き合ってるんだ」

早坂「いいじゃん。2人仲良さそうで」

日和「あ、家から電話来ているし…ちょっと席外すね」


日和はテーブル席から離れて、レジカウンターの横の空いてる場所で自宅に電話をした。愛美に帰る時間を伝えて電話を切り、再び席に戻ろうとした時、2人が寄り添い合いながら、楽しそうに会話をしていた。その光景を見つめて日和は2人の仲を疑う様に無表情のまま、傍まで寄って行った。


日和「ごめん。自宅から電話したら、親が用があるから早く帰ってきて欲しいって言われた」

颯多「そっかぁ、もう少し一緒に居たかったよな」早坂「また今度、ランチでもしようよ」

日和「うん。今日はありがとうね。またね」


日和はオーダー表をテーブルから取り、急ぎ足でレジへ行き、3人分の会計を済ませると、店を出た。表参道駅の地下の階段を降りて、駆け足で改札口まで行き、地下鉄に乗り、その後快速電車に乗り換えて、自宅へ帰って行った。


家に到着した後、部屋へ入りベッドの上に座り込んだ。携帯に颯多から着信があったので、折り返し電話をかけてみたが通話中だった。


ある快晴の凍てつく寒さの風が吹く中、日和は愛美からある事を告げられた。


日和「法事?いつから?」

愛美「明日から静岡の叔母の家に。急で悪いんだけど、私、家を空けるから、覚と2人で留守番お願いしたいの。」

日和「そっか。どのくらい行ってるの?」

愛美「多分2日くらいかな。貴方の成人式の時に限って、重なるなんて思いもしなかったわ。」

日和「私は大丈夫だよ。お父さんも一緒だし。取り敢えず気をつけて行ってきてね」

愛美「うん。あぁ、あとそれからなんだけど、日和テーブルに座ってくれる?」

日和「何?」

愛美「法事が終わったら、次の週に区役所に行ってくるから。」

日和「何の話?」

愛美「…時間かかったけど。私と覚、正式に籍入れる事にしたから。」

日和「前に、区役所行ったよね?籍入れてなかったの…?」

愛美「黙っててごめん。貴方が成人になってから、籍を入れようって、2人で決め直したの。遅くなったけど…やっと私達、家族になれる」

日和「分かった」


明くる日、日和は自宅で愛美の帰りを待っていると、覚が先に帰ってきた。お互いが顔が合った時、覚は彼女に声を掛けて、話があると告げてきた。


覚「日和。成人式の次の日に、俺と旅行に出かけるぞ」

日和「その日はまだお母さんが帰って来ない日だよ?旅行に行くって何処へ?」

覚「長野だ。実家に泊まることにした」

日和「1人で行かないの?」

覚「向こうにお前を連れて行きたいって言ったら、親族になるから一緒に会わせてくれって」

日和「私と一緒で良いの?」

覚「いいから、さっさと荷物の用意だけしておけ」

日和「何泊くらい?」

覚「3日間だ」

日和「分かったよ。取り敢えず用意するね」

覚「…どうして?」

日和「何が?」

覚「どうして断らないんだ?」

日和「私も…気分転換に旅行に付いていきたいし。長野は確か、お父さんの故郷だもんね?」

覚「そうだ。」

日和「だったら、私も親戚の人に会いたいな。楽しみにしているよ」


成人式の翌日、日和と覚は東京駅の構内を歩いていた。長野県まで行く北陸新幹線のホームに入り、暫く待っていると、新幹線が入ってきた。早速乗車して、席についた。


15分後、ホームに始発のベルが鳴り、新幹線は出発した。東京から約3時間かけて長野へと向かった。行きの車両の中で覚が日和にある事を話していた。


覚「日和、俺の事もうお父さんって呼ぶな」

日和「何て呼べば良い?」

覚「…覚で良いよ」

日和「1週間後には、お母さんと届け出出すんだよね?」

覚「いいから。長野に居る間は、下の名前で呼んでいろ」


日和は暫く車窓の外を眺めていると、次第に建物は無くなり、農地が連なる一面の雪景色が広がっていた。時間は14時を過ぎた頃。2人を乗せた新幹線は時刻通り長野駅に到着した。


下車後、急ぎ足で先に歩く覚の跡を着いて行く様にしていると、改札口の所にある人物が手を振って待っていた。覚の父親の敏樹だった。俊樹は直ぐに2人を車に乗せて、長野駅から目抜き通りを抜けて、車は1時間程走らせていた。


敏樹「あんたが日和ちゃんだね。俺はこいつの父親だ」

日和「はい。はじめましてこんにちは。」

敏樹「覚にこんな可愛らしい娘が出来たなんて、信じられないな」

覚「余計な事言うなよ」

敏樹「お母さんの愛美さんは、元気か?」

日和「はい。今、静岡に法事で出ているんです」

敏樹「そうか。今回こっちに来れなかったのが、残念だったな。愛美さんは、まだ工場にいるのかい?」

日和「はい。今年で5年になります」

敏樹「3人とも、仲良くしているか?」

日和「えぇ。お陰で。」

敏樹「覚も日和ちゃんが可愛いからって、手ぇ出すんじゃねぇぞ」

覚「変な事ばかり言わないで、前見て運転しろよ」

日和「名前はおじいちゃんって呼んでいいですか?」

敏樹「俺はお前の爺さんじゃねぇ…敏樹おじさんって呼べ」

覚「日和?何か可笑しいか?」

日和「いや、何でもない。やっぱり2人とも親子だなってさ。ウケる…」


日和は俊樹の言葉に心の中がチクチクと針が刺さる様に感じていたが、その場を笑って誤魔化していた。


市街地を抜けて、小さな一軒家がぽつりぽつりと並ぶ農道に入ると、俊樹の自宅に到着した。トランクから荷物を取り出して、家の中に入ると、居間の中は薄暗く窓から隙間風が入っていた。


敏樹「今、ストーブを焚くから、もう少し寒いの、我慢していて」


暫くすると、ストーブから出てくる暖かい熱で居間の周りが温まってきた。

部屋の中央にあるコタツが置かれたテーブルに腰を掛けた。ぬくぬくと暖かいコタツに嬉しそうに入る日和の表情を見て、台所に立つ敏樹もまた顔が綻んでいた。俊樹は2人に緑茶の入った湯呑みを差し出してくれた。


敏樹「日和ちゃん。大学生活はどうだい?」

日和「凄く楽しいです。友達とも増えて満喫しています」

敏樹「彼氏は?」

日和「あっ…えっ?」

敏樹「彼氏はいるのか?」

日和「はい。居ます」

敏樹「…今の子達は自由で良いな」

日和「あの、おばあちゃんは…敏樹おじさんの奥さんは?」

敏樹「2年前に亡くなった」

日和「だったら、どうしてお父さん…葬儀に行かなかったの?」

覚「母さんの遺言に俺は葬儀に来るなって言われたんだよ」

日和「なんで?」

敏樹「俺とこいつは、血が繋がっていないんだよ。そういった色んな理由でな。こいつは顔を出さなかったんだよ」

日和「そうなんですね。あの、お仏壇って何処ですか?」

敏樹「向こうの奥の間だ。どうした?」

日和「お父さん、仏壇に手を合わせてあげて。ほら、行こうよ」


そう言うと日和と覚は仏壇の前に行き、手を合わせてお祈りをした。


日和「うわっ。奥の間…寒かった。コタツが凄く暖かくて心地いい」

敏樹「日和ちゃん、素直で良い子じゃねぇか。覚、大事にしてやれよ」

覚「あぁ。…そうだ、今夜から泊まるあの古民家は行っても良い?」

敏樹「あぁ。それなりに片付いているから大丈夫だ。寒いから、着いたら早く暖めろよ」

日和「古民家?今日ここに泊まるんじゃないの?」

覚「去年まで親父が経営していた、古民家を改造した小さい旅館がある。そこにこれから泊まるんだ」

日和「2人で?」

覚「あぁ。…あと、親父。この間言っていた車の件なんだけど…」

敏樹「これ。貸してやるから、大事に使えよ」


俊樹は覚に向かって自家用車の鍵を放り投げるように渡した。家の玄関先で靴を履いた後、俊樹は気をつける様に行ってこいと、2人に声を掛けて見送ってくれた。


2人は古民家のある一軒家に向かった。車が信号待ちをしている時に、運転していた覚が、夕飯を食べて行こうと言い、10キロ程走らせた先の焼肉店に入って行った。


店内に入り、日和はメニュー表を見て食べたいものを探して、店員が通りかかったので、呼び止めて2人は注文をした。暫くして何種類かの肉類がくると、早速トングで熱が付いた網の上に肉を並べて焼いた。

日和が一口食べると美味しそうな顔をして、それを見ていた覚が鼻で笑った。


日和「覚も食べようよ。焦げちゃうよ」

覚「お前、喰うの早いな」

日和「そうかな?」


暫くして2人は無言になりながら肉を焼いていた。すると、覚はゆっくり口を開いて日和に話しかけた。


覚「俺らさ、周りから見たら親子に見えるか?」

日和「黙っていたら、そう見えるし…下手したら、カップルにも見えるかもよ」

覚「カップル…歳、かなり離れているよな」

日和「20は違うもんね。やっぱり親子かなぁ」

覚「俺はどう見られても良いけどな。日和は?やっぱり親子が良い?」

日和「私達、ここまで来たら…もう親子じゃないよね」

覚「そうかもしれないな」

日和「私、覚の事好きかもしれない。」

覚「…」

日和「周りにどう見られてもいい。…覚が好き。」


日和がそう伝えると、覚は暫く彼女の表情を物憂げに眺めていた。どうしたのかと問うと覚は何でもないと返答した。


店内を出ると、辺りは暗くなっていた。車を走らせること1時間、今夜から泊まる一軒家に到着した。中に入ると俊樹が言っていたように冷たい空気が家中を包んでいた。覚はストーブをつけて、日和も前にしゃがみ込んで、着火したストーブの筒を眺めていた。覚は襖の押し入れから布団を取り出した。


日和「え?もう布団敷くの?」

覚「ああ。今の内に出しておいて温めたほうがいい。お前も敷くの手伝え」


2人は布団のシーツを敷いて枕も出して上から毛布と掛け布団を掛けた。二人並ぶように敷かれた布団を見て、日和はいつになく嬉しそうにしていた。


覚「何か楽しい?」

日和「二人で並んで布団敷いたの初めてだよね。なんかドキドキする」

覚「なんでドキドキする?お前…青いよな。」

日和「ええ?それどういう意味?」


2人が部屋着に着替えて、それぞれ布団に入ろうとしている時に、日和は覚に携帯を見せていた。


日和「ねぇ。成人式の写真、携帯に少し撮ったんだけど、見る?」


日和が携帯を覚に渡して、彼は暫くいくつかの写真を眺めていた。


覚「晴れ着、似合ってるな。七五三みたいだ」

日和「何よそれ?マジ酷いし」


日和が携帯を強引に取り返すと、覚の顔が綻んでいるのを気付いて、彼女も同じ様に笑みを浮かべた。覚が居間の照明を消して、布団の中に眠りにつこうとしていた。日和は覚と身体が向かい合わせになっているのに、布団を顔半分に被りながら彼の顔を見ていた。


覚「何?」

日和「初めてだよね。こうして並んで寝るの」

覚「お前、さっきも言ったばかりだろう。早く寝ろ」


覚が目を閉じると日和はまだ彼の顔を見続けていた。


日和「そっちに、一緒に入ってもいい?」

覚「何の気だ?」


日和が布団から起き上がり、覚の傍に近づいてこう告げた。


日和「私を女にして欲しい」


覚が目を開けて日和の顔を見ると、彼女は涙を流して泣いていた。覚も起きて彼女の頬の涙を手で拭くと、日和は彼の肩に両手で廻して身体を抱きしめた。


日和「私、可笑しくなってるかもしれないけど、覚に抱かれたい気持ちが強い。…ねぇ、私の事が好きなら抱いて…」


日和がそう告げると、覚も彼女を抱きしめた。お互いに目が合うとキスをして、日和は覚の口の中に舌を入れてきた。


覚は日和の上半身の衣服を脱がせて、キャミソールとブラジャーの肩紐を外した。日和の肩を舐める様に唇でなぞっていき、彼女が覚の上に乗る様に彼の腰に両脚で組んだ。日和はうすら笑みを浮かべながら、覚が身体を弄っていく仕草を見て、全身が悶える様になり喘ぎ声を上げていた。


日和「もっと…覚、もっと強く抱いて」


覚は彼女の唇に何度もキスを交わして、身体を潰れてしまうかの様にきつく抱きしめていた。


翌朝、日和が目を覚ますと、台所で覚が朝食の支度をしていた。日和は彼に近づき、手伝うと言って、卓上に出来上がった品物を並べていった。


日和「まさかここまで作れると思わなかった。やるじゃん」

覚「愛美に出会うまで、独りが長かったからな」

日和「今日は何処へ?」

覚「母さんの墓参り。どうする、付いていくか?」

日和「うん。行く」


食後、身支度を済ませると、2人が滞在している古民家から30分車で走らせると、左側の山間の手前から、墓石が何体か見えてきた。


到着すると、覚が先導に膝まで浸かる雪道を掻いていく様に歩いて行き、日和がその跡を追いかけていくと、覚の母親が眠る墓の前に着いた。


積み上がる様に重なる雪を掻き分けて、墓石を綺麗に拭き、予め生花店で買った仏花を添えた。覚が両手で拝むと、日和もまたしゃがんで拝んだ。


覚「遅くなって、悪かった。」


覚が一言呟くと日和は彼の顔を見上げて顔色を伺っていた。2人が車に戻り、古民家へ向かう道を走っていった。


途中、市街地に出て車が渋滞しているのを見兼ねた覚は、その場から近道という事で別の農道に入り、暫く車を走らせていた。次第に空から雪がちらつき始めてきた。信号機のない停止路で覚は急に車を止めた。


日和「ここ…何処?なんで停めたの?」

覚「色々気持ちに引っかかる事があって。」

日和「どうしたの?」

覚「来週、愛美と区役所に婚姻届出しに行く」

日和「そうだったね。覚はそれで、本当に良いの?」

覚「何度も考えたけど。ここまで来た以上、日和との関係を断ち切るのは嫌なんだ。」

日和「私も、覚とは続いていたい。ずっと一緒にいたい。だから、このまま引き下がる訳にはいかないよ」

覚「籍は…取り止めにして、愛美と別れようと思う。俺さ、お前の父親にはなれない。どうあがいても周りに分かってもらえないしさ。結局…俺達だけの問題だろ…」

日和「お母さんには何て言わせる気なの?こういう関係だって、はっきり言った方が…」


すると覚は日和のジャケットの襟元を引っ張り、握りしめて威嚇する様に告げてきた。


覚「お前な…!まだ何も言うんじゃねぇ。俺から折り合いをつけるようにしたいから、まだ口出しするな…分かったな?」


2人が話しているその時だった。ボンネットの上から何か人らしき物がドンという衝撃音の様な当たった音がした。


日和「今の…何?」

覚「外見てくるから、お前中で待っていろ」


後編へ続く。

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