第56話 映画館
三が日以降、暫くバイトを入れていたため、圭吾は琴音と会っていなかった。シフトが入っていたため、自由に動かせなかったのだ。琴音と会うと当然に意識してしまう別れ……。俺はそれを忘れるためにバイトに打ち込んでいたのかも知れない。
琴音のことが気になり出した時には1月10日になっていた。琴音からのLINEや電話は毎日のように続いた。ほぼデートの約束だった。用事があるからと言う理由で、ずっと先延ばしにしてきたのだ。会えばきっと辛くなるから。
今日も家に帰るとスマホが鳴った。少し躊躇してからスマホのボタンを押した。
「もしもし、琴音か」
「どうして会ってくれないの。もう僅かしか時間がないのに……」
電話の向こうから嗚咽が聞こえた。色々な理由を使って避けてきたことで、結局泣かせてしまったのだ。
「辛いんだよ、本当に……」
「わたしが辛くないと思ってる?」
「思ってないさ、けれど琴音が決めたんじゃないか」
「わたしは決めてないよ。別れた方がいいとは言ったけれども」
同じことだと圭吾は思った。どこに行っても袋小路で先がなかった。父親と何度も話そうとした。俺に会うと父親はあからさまに逃げた。こっちの意図が分かってるから避けているのだ。
琴音との大切な時間は、ただの引き伸ばしにしか感じられなかった。そんなことをしても別れが辛くなるだけなのだ。
「ねえ、明日は映画に行かない?」
琴音は珍しく会話の必要が少ない選択肢を選んだ。恐らく俺が拒絶しにくい選択だったのだろう。映画なら上映中は話さなくてもいい。圭吾も少しは紛れると思いデートの約束をした。
「楽しもうね」
気丈にも電話から、琴音の明るい声が聞こえた。圭吾には何も悩みなどなさそうな風にさえ感じられた。
映画館で何を見ようかと悩んでいると琴音からこれが見たいと指を指してきた。少し昔に映画館で上映されたリバイバル上映と書かれていた。
パンフレットを見ると主人公が突然電車の中で恋に落ちる話だった。小説が原作で一時期かなり人気になっていたのは知っていた。見ていなかったので、いいよと二つ返事をした。映画館に入るとジュースとポップコーンを2人分買った。
圭吾は最初、意味もわからないところで涙脆くなるヒロインを不思議に思った。ヒロインが主人公に、わたし涙もろいから、しかも変なところで涙脆いの気にしないで、と断っていたので気にはならなくなっていった。物語中盤でヒロインが異世界の住人で逆の時間を生きていると聞かされる。それ以降は、主人公はなぜ限られた時間をノートに書かれた通りに生きなくてはならないのか、悩むのだ。
最初と最後がお互い助け合うために絶対必要なプロセスなのだが、途中で彼女も悲しんでいたことに気づき、涙がでた。物語序盤はじめて主人公が彼女と手を握った。彼女にとっては最後に手を握った瞬間だった。彼女をはじめて下の名前で呼んだ、彼女にとっては最後に下の名前で呼ばれた瞬間だった。そうして主人公は一つずつ階段を登るように増やしてきた経験は、彼女は一つずつ階段を降りるように失っていった経験だった。彼女はそのひとつひとつで涙を見せた。
琴音が小さな声で泣いてるの、って囁いた。うん、と答えるとギュッと身体を抱きしめられた。
「この二人に比べたら幸せだよ」
そうかも知れない。でも、それでもこの1ヶ月を終える頃には、俺と琴音は知り合いに戻ってしまう。圭吾は二度と出会えないことはないけれど、他人に戻ってしまう。自分達がこのお話の二人と繋がっているように感じた。
上映が終わると、琴音は平気そうだった。
「なぜ、悲しくなかった?」
「うん、何度も見たから……、今回はね。圭吾くんに見せたかったの。なんかわたしたちと似てるね、って思ったから」
琴音は舌を出して、笑っていた。
「そんなに何度も見た映画ならつまらなかったんじゃ?」
「うううん、圭吾くんの表情を見てたかったから」
琴音は俺の表情を見るためにこの映画を選択したようだった。映画なら悲恋ものはいいけれど、現実では堪らない。後、20日間もすれば琴音と話すこともなくなる。やはり琴音の気持ちは理解できなかった。
映画を見た後、琴音はショッピングモール3階でお昼ご飯を食べようと言ってきた。オムライス専門店で、色々なトッピングが選べる店だった。圭吾はデミグラスソースの載ったオムライスを頼んだ。琴音はケチャップオムライスを注文していた。
「美味しいね」
美味しいけれど、普段より数段味が感じられなかった。ふたりの関係がやがては無くなっていく、映画を見た後だけに、それを意識せざるを得なかった。
「あー、難しい顔してるー」
琴音が無理して笑った。
喉がからっからだった。琴音の顔を見れば嫌でも別れへのカウントダウンが思い出された。
「ね、圭吾、今日しちゃおっか」
琴音が明るく顔を近づけて言った。
圭吾は琴音が何を言ってるのかわかった。それは琴音なりの俺への優しさなのだ。琴音は間違いなく処女だ。その彼女をここまでアピールさせているのは、琴音も言った俺に絆を作って別れたいからなのだ。そもそも、俺は別れたくないのだ。性交渉をすれば、きっと今より遥かに琴音のことを我慢できなくなる。無理難題を言って困らせてしまうことが分かっていたので、簡単に受けられなかった。
「今日はいいよ」
「また、そんなこと言うー、そんなこと言ってるとすぐに過ぎちゃうよ」
「ごめん、俺が無理言ってるのはわかる。でもこれを抱えたまま、抱きたくないんだ」
「圭吾くん、壊れちゃうよ」
琴音への気持ちという意味では、もう壊れてしまっていたかも知れない。ずっと琴音からの別れ話以来、どうすれば良いのか。それだけがおうむ返しのように繰り返してきた。
「圭吾、ごめんね。苦しませて」
「いいよ、琴音が悪いわけじゃないし」
琴音は辛そうな表情をして圭吾をじっと見つめていた。握られた手が震え瞳は大きく揺らいでいた。
「圭吾、もう一回だけデートして。それを最後に別れよ」
「琴音、俺は別れたくない」
圭吾の言葉に対してゆっくりと首を振る琴音。
「このままじゃ、圭吾が壊れちゃう。1ヶ月と言ったけど、見てたら辛すぎるから。だからね、後一回。行ってみたいところがあるの」
琴音は笑った。とても綺麗に感じられた。
「デートには、この前買った服を着ていくね。絶対、絶対来てね」
琴音は走り出した。宝塚だから大丈夫だろうけども、それでもいつもなら追ってでも送っていった。でも、圭吾は追えなかった。圭吾は地面に手を着いた。目頭が熱かった。涙は優しい、でもそんな優しさを受ける権利なんてないと思った。圭吾は泣かないように目頭に力を入れた。
「いやだよ、別れたくないよ」
どうすればいいのか、どうすれば止められるのか。もうどうしようもないのか。何も分からなかった。
―――
辛いね。書いてて本当にそう思います。
なんとかならないの、と思ってくれたら星いただけると喜びます。
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