第57話 海遊館
「一度行ってみたかったの」
琴音は最後のデートを海遊館に選んだ。鈴木と行ったデート先だ。琴音はずっと俺と来てみたかった、と言っていた。
魚好きの琴音には、確かにちょうどいいデート先だった。近くにある観覧車も心を引いたのだろう。10時に琴音を迎えに行くと楽しそうな表情で出てきた。
今日の服装はこの前ショッピングモールで選んだヒラヒラのついた衣装だった。
「最後くらい圭吾くん好みの格好をするんだ」
はにかんだ表情で琴音は言った。彼女の表情は少し疲れたように見えた。俺が追い込んでしまった、と圭吾は思った。まだ、1月14日だった。もし、圭吾が伸ばしたいと願えば琴音は二月までは一緒にいてくれるかも知れなかった。ただ、圭吾は苦しかった。琴音が苦しんでるのも今までの話から分かった。これ以上引き伸ばすことがお互いに良い結果を生むとは思えなかった。
「今日は思いっきり楽しもうよ」
最大の強がりで琴音は笑ってるように見えた。吹っ切れてないことは圭吾と同じだった。
圭吾と琴音は宝塚からJRに乗って大阪駅に出た。大阪駅から弁天町を経由して大阪港に進めば、海遊館はすぐ近くにあった。
海遊館に入って、すぐのエスカレーターで降りていくと大きな水槽の中に入ったような気持ちになった。たくさんの魚がいた。キラキラと輝くエンジェルフィッシュから、食べられそうなマグロまで。
琴音は、ペンギンが好きなようだった。海の中では魚のように素早く動くが、陸に上がるとよちよち歩きのような可愛い姿勢で歩く。そんな愛くるしい格好が可愛いと言っていた。
ちょうど水槽の一番下、大水槽の中には海遊館の主役のジンベイザメがいた。とても大きかった。琴音はジンベイザメを見ながら、圭吾の手を握った。その手は汗ばんでいた。琴音の横顔を見ると、その瞳が揺れていた。琴音も苦しんでるんだな、と当たり前のことに気付かされる。
「ごめんな、琴音」
「うううん、圭吾のせいじゃない。これも運命……だよ」
こんな運命を二人に選ばせるなんて、神様というのはとても残酷な存在なのではないだろうか。圭吾はそう思った。
「今度は観覧車に乗ろうよ!」
そう言えば、ハーバーランドでも乗りたがっていたな。思い出して圭吾も快諾した。今日で最後になってしまうかもしれない。だからこそ、今日くらいは悩ませることなく楽しませてあげないと。
観覧車の列は10ペア20人くらい並んでいた。多いのか少ないのか分からない。ただ、ちょうどいい並びに見えた。
「乗るよ」
「うん」
観覧車がゆっくりと上昇していく。これが終わってしまえば、ふたりの関係も終わってしまうのだ。琴音が慌てて圭吾の指を握った。恋人繋ぎだった。
はにかんだような表情をしながらも、それでいて瞳には明らかに悲しみの色を湛えていた。
外の景色はやがて大阪港を一望できる高さにまで達する。太陽の光が水面に照らされていた。
「綺麗……!!」
その光景は神々しいというほど、綺麗だった。そして、悲しかった。
「琴音、別れたくないよ」
「そだね、わたしも一緒」
琴音が圭吾の指に力を入れたのが分かった。
「圭吾くん、今日、わたしね。ホテルを予約したの」
琴音の瞳は決意の色に揺れていた。ここで終わらせたくない。それは強い意志の現れだった。
「なんで……」
「最後だから、圭吾くんとの想い出が欲しい。ダメかな」
本当のことを言うとこんな状況で、琴音を抱きたくなかった。頭の中はぐるぐると今も別れたくないと言う言葉が回っているし、酷く気分が悪かった。
でも、ここで拒めば琴音を辱めてしまう。だから、圭吾は嘘をついた。
「俺も琴音と一夜を過ごしたい」
琴音はニッコリと微笑んだ。その微笑みはとても憂に満ちていた。
海遊館にはホテルはない。ユニバーサル方面に琴音はホテルを予約していた。ホテルユニバーサルヴィータというホテルだった。
二人は一駅乗ってユニバーサルヴィータに入った。赤を基調としたエントランスが特徴で、ロビーに入るとすぐフロントがあった。琴音がフロントでカードキーをもらう。
琴音の差し出したカードキーには802と書かれていた。圭吾は喉が乾くのを感じた。夢を見ているようだった。今日、俺は琴音と一夜を共にする。それが現実とは思えなかった。そして、その後は他人に戻る。それはさらに現実味がなかった。
802号室に入ると琴音がシャワールームの方に行った。
「シャワー浴びてくるね」
圭吾はぐるぐると未だに答えの見えない解決策を考えていた。目の前の琴音を抱くような気分ではなかった。
暫くすると琴音がシャワールームから出てきた。バスローブを身に纏って、その下はおそらく何も身につけてない、と感じた。
「あんまり見ないで……」
「ごめん」
伏し目がちに恥ずかしそうな表情を琴音がしていた。唇に力が入って行くのが見えた。
「やっぱり……、いいよ、見ても」
圭吾が振り返ると琴音はバスローブを脱いだ。下には何も身につけてなかった。覚悟の色が見てとれた。綺麗だった。特徴的な胸、贅肉が見当たらない身体。胸は誰にも触られていないことを表すようにピンク色だった。少し前の圭吾ならすぐにでも抱きたいと思っただろう。しかし今の圭吾には、ただ辛かった。
「琴音、ごめん」
圭吾は琴音から視線を外した。限界だった。こんな状況で琴音を抱きたくはない。圭吾はバスローブを取って琴音に着せた。
「どうして?」
「こんな状況で、琴音を抱けない。抱きたくないんだ」
「ごめん、ごめんね、圭吾くんをここまで追いつめて」
「いや、悪いのは俺だ。今日は何もできない。ごめん」
結局、琴音に服を着るように促した。帰りの電車は会話もなかった。やがて琴音を家まで来た。最悪だった。確実に終わったと言っても良かった。
「さよなら……」
いつものバイバイではなく、琴音はさよならと言った。琴音が見えなくなると、圭吾は走り出した。どこへ向かって走ったのか覚えていない。ただ、誰かに助けを求めていた。いつのまに降り出したのか。大粒の雨が圭吾を濡らした。圭吾はびしょびしょになりながら走った。
「はあはあはあ……」
どんなに苦しくても許されない気がした。このまま、死んでしまっても良かった。でも、人間の身体には限界があった。
力尽きた。どんなに走ろうとしても疲れて身体に力が入らなかった。さっきからの雨で川に飛び込んだように濡れていた。
「圭吾、何してるの?」
気がつくと由美のマンションの前にいた。無意識に圭吾は助けを探していたのだ。
「どうしたの、こんなにびしょびしょになって!」
きっと由美は笑ってるだろう。俺がこんなに酷くなって、どうしようもなく惨めだった。
「笑えよ」
「なんで?」
「俺が琴音と別れたって聞いたらお前なら笑うと思ってな」
「はあ、なんであんたが別れて笑うのよ!」
「そりゃ、理由はともあれ俺に仕返しされて、なのに別れたって聞いたら、楽しいだろ」
「そんなの悪趣味よ、それより琴音と別れたって本当?」
「こんなこと、嘘言っても仕方ねえだろ」
俺は心の中から泣き叫んだ。
由美は悲しそうに俺をマンションの内に連れて行った。
――
これからどうなるんでしょうか。
琴音と圭吾を応援してくれるなら、星つけてくれると喜びます。
よろしくお願いします。
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