第55話 ショッピングモール
昨日は泥のように眠った。何も考えたくなかった。琴音が二月になれば自分の元からいなくなる。胸が押しつぶされそうだった。彼女の年齢から考えると三年後くらいに結婚。付き合いの期間から逆算すると、もう次の相手を探してもいいタイミングだった。見合いだと思うが、やがて関係を持つ。こんな当たり前のことを考えてしまうのが、堪らなく嫌だった。
ラインの着信が鳴った。琴音からだった。(今日は空いてるかな、行きたいところあるんだけれど)
デートのお誘いだった。まるで昨日の別れ話がなかったかのようなセリフだった。琴音は辛くはないのだろうか。いや、彼女も辛いと言っていた。
(いいよ、行こう)
でも、このお誘いに抗うことなどできなかった。たとえ一月しかないにしても、今日はその大切な1日なのだ。一日も無駄にはしたくない。
待ち合わせ時間は10時。琴音の家にした。その方が目的地まで、歩く時間も話すことができる。琴音の今日の格好は、黒のパーカーにチェックのミニスカートだった。胸にネックレスをしている。真ん中にあるのは俺が昔あげた石だった。恐らく俺と会うからこのコーデになったのだろう。
琴音は昨日見ていた猫の番組を話題にしていた。そう言えば猫好きだった。
「それでね、猫がいきなり飛びついてきてね」
「可愛い猫だったの?」
「無茶苦茶、可愛かった。あー、思い出すだけで顔が綻びてしまう、また会いたいよー」
「猫飼ったらいいのに」
「そうだねえ、考えてみようか。猫でもいれば寂しさを紛らわせられるかな?」
琴音は口角を上げて笑った。
この言葉は圭吾の胸を射抜いた。それはやがて来る確実な別れを意味していた。
それでも、だからこそ圭吾は何も言えなかった。昨日の段階で琴音が結論を下した。ここで縋り付くような不恰好なことはできない。
「ここだよ」
圭吾が連れられてきたのは、宝塚にできたばかりの複合ショッピングモールだった。映画館、雑貨、衣服、各種フード専門店、など様々なショップが軒を連ねていた。
「実はね、わたしこう言う店来るの初めてなの」
「女の子って色々な店を探索するの好きだと思ったから意外だったな」
「わたしは、お父さんに囚われてたからね。いい加減この関係もやめて自立しないと。やっぱり同じ店しか行かないっておかしいしね」
朝から開店を待つ行列ができていた。本日は11時開店で、残り数分で開くが、列の後ろの方なので、店内に入るには少し時間がかかりそうだった。多くのお客さんのお目当ては正月三が日限定の福袋だと話しているのが聞こえた。
「琴音も福袋狙ってるの?」
「うううん、わたしは中に何が入ってるかわからないものは苦手、かな」
30分もすると列が動き出し、琴音と圭吾は店内に入る。並んでいる人の多くはカップルに見えた。きっと俺たちもそう見られているのだろう。
琴音が腕を組んできた。組んだ腕にいつもより力を入れられるのを感じた。
「そんなに力入れたら……」
「いいよ、圭吾に絶対忘れられないように、したい」
「忘れられるわけないよ」
「なら、良かった」
琴音が嬉しそうにはにかんだ。この横顔を圭吾はずっと見ていたかった。一月が終わるまで、その後はどんなに頑張っても、他人になってしまうのだ。街であってちょっと挨拶を交わす同士の関係に……。
そんな日が本当に来るのだろうか。
「ねえ、見てみて」
琴音は可愛いフリル柄の衣服を指差した。
「こう言うの圭吾は好き?」
「琴音、こう言うのあまり着ないだろ」
「うーん、今は圭吾の趣味を聞いてるの」
「俺は好きかな」
「じゃあ、これ着てみるよ」
暫く着替えコーナーで所在なげに待っていた。こういう風に待っていると本当に恋人同士なのを意識してしまう。それにしても、琴音は服なんか選びにきて、何をしてるんだろうか。
「……ジャジャーン!」
琴音が着替えスペースから出てきたのが見えた。圭吾の前でぐるっと回ってみせる。
「どうでしょうか」
とてもかわいかった。それはまるで地上に降りた天使のようにさえ見えた。この姿が手に届かなくなると言う意味でも天使だった。
「とても、かわいい」
「じゃ、これ選ぶね」
楽しそうに服を店員のお姉さんに渡している。彼好みの格好になりたいんです、と惚気ている声が聞こえた。ちなみにお金を出そうとしたら、やんわりと断られた。
「これで全部か」
「うーん、本当は他に選んで欲しいものがあるけど、とりあえず、……ご飯食べに行こう」
どこも満席だったので一階のフードコートにした。琴音と俺はスパゲッティを注文した。
「お金は俺が出すよ」
「ありがと、無理しなくていいのに」
琴音はニッコリと笑った。とても幸せそうに見えた。琴音はそれでいいの……。圭吾はその笑顔が悲しかった。
「で、ここのコーナーなんだけど」
意を決したように見えた。連れられたコーナーは下着売り場だった。
「えと、あの……琴音さん……」
ちょっと待って、頭が回ってなかった。このコーナーで何を選ぶんだ。
お構いなしに琴音はぐいぐいと中に引っ張っていった。
「恥ずかしいよ」
「他にもいるでしょ」
そう言えば何人かの男女が選んでるのが見えた。
「わたしを圭吾くん好みにしてよ」
それはつまりそう言うことだった。昨日琴音は確かに言っていた。関係を持てば男の子は少しは楽になるから、昨日言った台詞を心の中で反芻した。
「あのさ、俺今はそう言うの無理で」
「どうして?」
「そんな気になれない」
「抱きたくないの?」
「いや、そうでなくて、そんなわけないんだけれど、心が拒絶してしまう」
「どうして?」
「別れたく……」
琴音が悲しそうに笑った。人差し指と中指で唇を押さえられるのを感じた。
「それは言わない約束……だよ」
「行こうか……」
「えっ、うん」
「そっかー、まだ引きずってるのね」
「そらそうだよ」
「わたし今日は覚悟してきたんだけどな」
「ごめん、今日はその気になれない」
「圭吾くんって前に彼女がいた割にはヘタレだね」
「うるさいなあ」
琴音は、ニッコリと笑っていた。でも、俺は気づいてしまった。その微笑みの向こうに涙がひと滴流れたことを。
「あれ、おかしいね」
琴音が圭吾から視線を外してあわててハンカチでその跡を消すのが見えた。
「でも、優しいのは良いけれど、こんなことしてたら、すぐに時間経っちゃうよ」
そうかも知れない。それでも嫌なものは嫌なんだ。圭吾の胸が痛いほどに脈動していた。
―――
今回はデートでした。琴音と圭吾がなんとか以前のようになれたら、と思ったら星入れてください。
よろしくお願いします。
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