第29話 盗聴

「っ、痛ててて」

 身体中震えるような痛みで、目が覚める。


「ここはどこだ?」

 ダブルベッドに寝かされていた。視線を動かしてみる。目の前に液晶テレビ、右に小さな部屋があって、そこに小さなテーブルと、窓。窓の外からは神戸の夜景を一望できそうだった。エアコンで室内温度は二十六度で調整され、暑くもなく寒くもないちょうど良い状態に保たれていた。


「俺、助かったのか、なんでホテルに泊まってる、誰と?」

 朧げな記憶をたどってみる。確か、昨日琴音を助けて、複数人から暴行を受けた。包帯が巻かれた手、身体、足。グルグル巻かれたミイラ男みたいだった。ズキリと強い痛みが身体中に広がる。この痛みが、ここが天国でないことの証拠だ。天国なら痛みなんてあるわけがない。あの車内からの奇跡的な生還。よく助かったなあ。九死に一生を得た気分だ。ただ助かった場所が、なぜホテルなんだ。疑問が幾つも浮かんだ。


 膝枕。目を閉じると広がる光景。夢というにはあまりにも現実的だった。夢とも現実とも分からない記憶の交差点。朧げな映像に琴音の姿が広がる。視線を上げると2つの膨らみがあった。あれは夢なのか。


「痛ッ……」

 今の状況を確認しようと身体を起こした。少なくとも身体を拘束されてはいない。間違いなく暴行を受けて連れ去られたのではない。最悪の事態は避けられたのか。


(何があったのだろう)

 周りを確認していると、扉が開け放たれる音が部屋に響いた。刹那、女子二人の明るい声が聞こえてくる。長い髪を後ろで結え、膝丈の白と黒のワンピースを着た琴音。もう一人は少し染めたショートボブで膝までの青いスカートとピンクの上着の茜だった。


「起きたらダメですよ」

「まだ怪我してるんですから」

 焦ったふたりが目の前に飛び込んできた。ふたりの腕で身体をベッドに寝かせられる。抗う必要もないので、静かにベッドに横になった。目の前数センチ琴音の顔があった。ふわりとした香水の香りと笑顔。心臓が大きな脈を打った。よくあの状況で助けられたな。歯車が一つ噛み合わなければ連れ去られていた。状況的に無事では済まなかっただろう。身体と同時に心も殺されたかもしれない。本当になにもなくて良かった。目の前のふたりからは、香水の匂いだけでなく、お酒の匂いもした。


「お前ら飲んでんのか」

「あははは」

 ほろ酔い気分を通り越していた。かなり出来上がっていると言っていい。今朝まで赤の他人だったふたりが、ここまで仲良くなれるなんて。一体なにがあったんだ。考えていると、お腹が鳴った。今日一日なにも食べてはいなかった。何か食べるものがあるといいのだが。


「お腹空いたでしょ。はい、これ」

 琴音が隣に置かれていた袋の中に手を伸ばし中身を取り出す。ホテルのサンドイッチ、自販機で買ったと思われるコーヒーがあった。


「食べやすいと思ってね」

「サンキュー」

 食べようと身体を起こそうとする。少し痛みがあるが食べれないほどでもない。手を使って食べようとすると、包帯が外れるといけないからと、琴音に止められた。顔が嬉しそうだ。


「はい、あーん」

 琴音がベッドの脇、目の前の場所に座って、ナイフで切ったサンドイッチを口元まで運んできた。膝上のスカートから伸びる脚に意識がいってしまう。無理やり現実に意識を戻した。


「ちょっと待て、これはさすがに」

「負傷者は負傷者らしくしとくのよ」

 予想通り羞恥プレイだった。ベッドの左手に座って茜がニヤリと笑う。流石に身体を動かすのも痛いし、琴音の手から伸ばされたサンドイッチを食べる。


「美味しいな、これ」

「でしょう、うちのホテルのお勧めだから」

 自分で作ったわけでもないのに、自信たっぷり言い放つ。


「よく助かったなあ」

「医者が奇跡だって。まだMRIで撮影した結果だけで、時間が経つと分からないけども、今のところ脳にも異常はないみたい」

 あの状況から琴音を助けられて、無傷とは言えないまでも五体満足に生きて帰られた。目の前の琴音を抱きしめたい衝動をなんとか心の内に押しとどめた。


「そういや、茜どうするんだ」

 テレビの電源をつけるとニュース番組が生放送中だった。このニュースは10時のニュースだ。明日の天気予報が流れる。神戸は晴天に見舞われそうだった。


「やはりわたし帰った方がいいですか」

「えっ……」

 茜に投げられた言葉に目の前の琴音が真っ赤になる。なぜ真っ赤になるんだ。茜を家に返したい彼氏未満の圭吾。家に返した後は話の流れからすると、夜の関係か。ここまで思考が流れて、顔が上気していくのが分かる。


「ちげえよ、茜には付き合ってもらって悪いと思ってな」

「なあんだ、そういうこと」

 常識的な答えに茜が興味を失ったようだった。


「ここまで知ってしまったのだから、最後まで手伝うよ」

「お前、それでいいのか」

 茜が静かに頷く。最近暫く会ってなかったけれども、昔と変わらずいざという時に頼りになる。判断に感情が入り込まない。だから頼りになるんだ。そう言えば……。


「さっき、お酒飲みながらなにを話したんだよ」

「秘密だよ」

「ねえー」

 ふたりの息はぴったりだった。これは教えてもらうことは無理だろう。俺はこの件に関しては考えないことにした。

 

「明日の朝食はバイキングだけど、難しいよね」

 茜が言いながら窓の席に座る。閉じた窓から下を覗いていた。

「うわっ、こっちは道路側だわ。夜景綺麗だよ」

「それは見たい! 後で見に行くね」

 サンドイッチを運びながら琴音が答える。身体の調子と言われても実感が湧かない。流石に明日、普通に歩くのは無理そうだと思うのだけれど。出来れば動けるのであれば動いておきたい。


「ホテルで良かったでしょう」

「そういやなぜ、ホテルに泊まることになってんだ」

 窓を見ていた茜が口角を上げてこっちに振り向いた。念のためと思って近くに来て囁く。

 

「となりの部屋の盗聴してるのよ」

 昼間に言った話を実行してくれていたのか。流石だと思う。この身体になった時に正直証拠集めは諦めてたいけれど、可能性が出てくる。茜が来てくれて良かった。


「ちょっと確認しとこうか」

「まだ、無理じゃない。今日は安静にして

て」

 身体を動かそうとすると止められた。振り返るとすぐに目の前の上目遣いの琴音がいた。俺に無理をさせないためか、後ろから身体を抱いてる。

 この体制は結構やばいかも。肩越しに感じる膨らみは人としての尊厳を陥落させる。


「わかったわかった。離れて大丈夫、とりあえず録音状況は明日確認するか」

「それがいいよ、それが」

 琴音がニッコリと笑う。香水のいい香りがした。


 身体の状態を確認する。まだ、鈍器で軽く叩かれているような痛みが全身を駆け巡っている。明日には、この身体動けるんだろうか。1週間とか流石に泊まってられないしな。  

 明日は無理してでも動かないと。

 身体が回復のために睡眠を欲していたらしい。安心した圭吾はやがて眠りに落ちていった。


「今ならキスしても気づかないかも……」

「琴音、ダメよ」

「わかってるよー」

 なんか意識外に心をざわつかせる会話が聞こえたような。そこで意識が途切れた。



―――


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