第13話 そして、病院から(琴音視点)

 朝、目が覚めると父親から病院へ行くぞ、とせかされた。学校は、と思ったけれど、何も言えなかった。

 悪い予感は当たる。

 病院に着くと、母親のいる病室まで連れて行かれた。


 心臓の音と呼応して心電図がピッピッと一定のリズムで音を鳴らす。琴音は父親の方を向き直った。いつもの精悍な顔つきではなく父親は明らかに疲れていた。


 お母さんはどう、と言うには琴音は知り過ぎていた。これからどうなるのか雰囲気からわかってしまった。知ったから怖くて聞けない。


 父親は医者と話していた。一言、二言話して戻ってくる。珍しく琴音の肩に手を置いた。その手は震えていた。


 心電図は今も、音を立てていた。これが生きている証拠なんだ。これが止まると死んだことになる。心電図はたまに危うい音を立てた。


 空気が重苦しく、時間だけが刻一刻と過ぎていく。心電図も今はまだ動いてた。


 まだ、生きてるんだ。


 ここへ来た理由がなんなのか流石に分かっている。


 頭では理解しているが、心がついてこない。

 気持ちが追いついてないのだ。


 この音はやがて……。


 あるひとつの結論に向かう。

 

 慌しく医師たちが出入りしていた。でも、この医師たちは何のためにここにいるのだろう。


「お母さんを助けてくれるの?」

 琴音の独り言に父親をはじめ多くの医師たちが目を見合わせる。

 そっか、だよね。


 もう、医師たちはこれが終わりだと言うことを理解してるのだ。


 そこに向かって今は時だけが流れていく。


「助け『ない』のではない」

「助け『られ』ないのだ」


 琴音の父親は遺伝子治療の最先端医師だ。

 その父親の奥さんが、普通の医療を受けていたとすればおかしな話だ。


 きっと最高の医療が提供されて来た。

 病院だって最善をつくして来たのだ。


「こと、ね……」


「痛い、痛い、身体中が痛い」


「鎮痛剤を投与してくれ」


 父親が辛そうに言い放つ。


 緩和ケア、末期癌の患者へ最後に行われる治療だ。癌は最期身体中痛みとなって現れる。それを鎮痛剤によって意識と切り離してやるのだ。


「ごめんな」


 父親は悲しそうに琴音を見た。もうどうしようもない、とその時悟った。


 母親が手をあげてくる。琴音はその手を掴もうとする。そして……。


 空を切った。


(もうお母さんは、何をしても助からない)

 

 何度かの鎮痛剤投与のためか心電図が弱々しくなってやがて途絶えた。


「ご臨終です」


 結末は来たときから、わかってた。

 知ってた。


(なのに、なんで止まらない、止められないの)


 目が熱くなって嗚咽があふれ出す。


 結末はわかってた。わかってたのお母さん嫌だ嫌本当のことは言えなかったのお母さん嫌だ嫌だお母さんのためと思って嘘をついたの嫌だ嫌だ嫌だ良い子にするからお母さん嫌だ嫌だ嫌だだからお願い死なないでお母さん


 行かないでお母さん!

 こんな残酷な結末なんて求めてない!


 お母さんの手が琴音の方に伸びた。


 琴音は手を伸ばす。

 

(琴音ごめんね、一緒にいてやれなくて)

 そんな声が聞こえたような気がした。


 琴音が泣いている間も葬儀の手続きやらで父親はひっきりなしに動いてた。

 人が死ぬとこんなに慌ただしく変わるんだ。もっとゆっくりとお別れを名残惜しむものと思っていた。


 お通夜の日が、明日に決まった。


 会場はお母さんの墓が作られる予定の霊園墓地だった。

 

 お通夜の日、私は憂鬱だった。山本くんも来るだろう。今までずっと言えなかった。冷たいやつと思われているかもしれない。

 仕方がないことだけれど。


 お通夜の案内に私も入る。父一人子一人だから、泣いててすむわけがないんだ。


 人前では泣きたくなかった。我慢するとどうしても目が厳しくなってしまう。怒っているようだった。


 でもそれは仕方がない。ちょっとでも意識を弱くしたら涙が出てくるんだ。


 あれから枯れるほど泣いたつもりだった。

 人は泣くと少し楽になると言う。

 本当だった。だから泣けない。


 わたしに楽になる権利はないんだ。


 夜に山本くんが母親と連れ立ってやって来た。母親が話している時に私の方に来る。


「こいっ」

 荒々しく手を握って歩き出した。

「ちょっと、わたしまだ」

「まだ、なんだ」

「受付とかしないと」

「俺の母親にやらせればいい」


 一言も言わずに山本は前を歩いている。

 握られている手首が少し痛かった。

 連れ立って歩き海の見える人気のないところまでやってきた。


「泣けよ、最愛の人が死んだんだ」

「我慢することなんかないんだ」


 山本くんはわたしのことを知っていた。

 何でこの人はこんなにもわたしのことがわかるんだろう。


 我慢なんかしてないと言いたかった。

 でも言えなかった。


 ただ、ただ、……。


「やまもとくん、わたし、わたし……」

「もういいんだ、お前には泣く権利があるんだ」

 はじめて山本の身体の中で泣いた。

 ずっと、わたしが泣いている間、目の前で何も言わずに立っていた。


「ごめんね」

「なにが?」


「わたし、ね。お母さんのこと何も言わなかった」

「本当はこんな病気だったことも」

「そんなに長く持たないことも知ってた」

「でも言わなかった」

「わたし、最低だよ、人でなしだよ」

「山本くんが悲しい目で見るのが嫌だった」

「それが理由で言わなかった」


「いいんだ、そんなこと当たり前だろ」

「人が死ぬんだぜ。そんな時のこと誰だって言えねえよ」

「お前はしっかりとその責任を果たしたんだ」

「胸を張ればいい」


――


過去編はもうちょっとだけ続きます。

みなさんのおかげで恋愛ランキング35位。

PV数も驚くほど上がりました。

本当に感謝しかありません。


今後ともよろしくお願いします。

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