第7話 社長室
「鳴沢社長、山本圭吾と白石琴音を連れて参りました」
「そうか、ご苦労」
25階にそびえる社長室は、大手企業の社長室にしては簡素なものだった。社長机の脇に秘書机。全面ガラス張りの窓からは、神戸の景色が一望できた。ただ圭吾にとっては美しさというよりは怖さが先になる。
「圭吾、わたしが呼んだ理由は分かるよな」
「わたしと白石さんのことですよね」
圭吾は琴音の方に目を向ける。ぎゅっと結んだ両手、両くちびるに、少し上がった眉根。整った顔だちには、決意の色を感じた。
「そうだ」
「由美が君達ふたり浮気関係にあると伝えてきた」
「もちろん恋愛は個人の自由だ。ただしお前と由美は許嫁に近い関係にある」
「浮気をしているのならば、考えをあらためなければならない」
由美に泣きつかれたのは間違いない。浮気は決定事項という認識だろう。ただし大企業の社長である限り、恣意的な理由でクビにはできない。話をする機会が与えられるはずだ。
「わたしが話してもいいですか」
琴音がこちらを見て微笑む。涙脆い琴音ではなく今は芯の通った力を感じた。
「白石さんかね。どうぞ」
社長は意外そうな表情をした。視線の先の琴音への猜疑心の感情が見て取れる。由美からの報告から良い印象は抱いてないようだった。まるで男をたぶらかす女を見るような。
「わたし、大学三年生まで山本さんと同じサークルにいました」
「山本さんは頼りがいのある優しい人でした。その厚意からたまに相談に乗ってもらっていました」
琴音は、ゆっくりとした調子で話す。過去の出会いから今までをハッキリと分かりやすく。勿論不利になることは伝えていなかったが。内容そのものは彼女らしく嘘偽りのないものだった。
「本日、彼と別れ話をしていた時に偶然そちらの山本くんが近くで寝ていました」
「耐えきれず泣き崩れたところ、山本くんに声をかけられました」
「山本くんの優しい声を聞いて、思わず抱きついてしまいました」
「その現場を由美さんに目撃されたのです」
嘘が全くない琴音らしい告白だった。由美から聞いていた話と違うのか社長に動揺が広がる。
「それは本当か、そうであれば浮気にはならないと思うが」
圭吾は琴音の顔色を伺う。はにかんだ笑顔にアイコンタクトを取ってくる。そこには大丈夫、私が守るからと言ってるように見えた。圭吾は、今社長と喧嘩をするのは得策ではないと感じる。
「由美、お前の意見はどうだ」
社長は目の前に立つ由美の方に向き直る。厳しい表情をいっそう強くした目で圭吾を睨む。
「このふたりは下の名前で呼び合ってたのよ」
この報告は予想ができた。少なくとも同級生くらいの間柄の男女が名前で呼ぶ可能性は低い。ただ、それが絶対かと言うと必ずしもそうではない。
「親しくなくても名前で呼ぶこともあると思いますが」
男女の呼び方に関しては、アバウトなところもある。確かに社長も、同意見のようだった。ただ、ここから先に出て来る話が厄介だった。
「それだけじゃないわ、このふたり後ろから抱き合ってたし」
「それにお互い好きとふたりとも言ってた」
この話は出ると思った。琴音の独白に関しては、俺を単純に守ろうとしてのことだった。やり過ぎたのは俺だったのだろう。
あまりにも俺が琴音に好意を抱き過ぎていたのだ。琴音もこの話を聞いて、項垂れている。正直な琴音では嘘は、無理だ。琴音は明らかに狼狽してるようだった。俺のさきほどの言葉の意味を何度も理解して、弁解しようとしているようだった。
「圭吾く、いえ山本さんは由美さんのことが好きなのですよ」
「いや、それが本当であれば、先ほどの話と辻褄が合わない」
ああ、そうか。隣の琴音にとっては、俺の今置かれている事情は分かってはいない。ただ、由美との関係を壊さないようにとの気持ちから出た言葉なんだ。
今それを俺は否定することはできない。
琴音は自分の言っている話では理解が得られないと悔しそうな目をしていた。社長の方を見ると何を言ってるんだという表情をしている。
「そうであれば、少し考えないとならないな」
もう聞く必要もないな、とでも言いたげな表情で社長がまとめようとしていた。
俺は琴音の方をいちべつする。大丈夫だと、琴音だけが分かるように。琴音の二重の瞳にはどうするのと言う感情が浮かんでいた。
「社長、確かにそのような事を言いました」
「ただし、浮気疑惑をかけられた白石さんを助けたい一心で本意ではありません」
「そんなわけないでしょ!!」
由美の刺すような視線を感じる。
俺は由美の視線は無視して社長に話を続けた。
「では、社長が浮気を疑われるのであれば、白石さんとは今後一切連絡は勿論。話もしないと誓います」
これには社長、由美、琴音三人全く異なる表情をした。
「本当だな、それが本当なら今回だけは不問としよう、ただし次はないぞ」
社長はそれだけ告げると社長室から出ていく。
「私は信用したわけじゃないわ。もし、一度でも会ったらその時はあなた終わりよ」
由美は全く信用していないのか、こちらを疑いの目で見て来る。
「けい、……いや山本くん、ごめんね。私が頼りなくて……」
琴音はその場で、動けなかった。泣き崩れなかったのは、彼女が必死に頑張ったからだろう。琴音はいつもの彼女らしく責任を感じているようだった。ぎゅっと抱きしめたい強い欲望が頭をもたげた。圭吾は琴音の姿を一瞥する。弱々しくニッコリとした微笑みがあった。圭吾はその表情に何も交わさずに部屋を出た。
敵を騙すにはまず味方から。琴音を助けるために一番いい方法がこれだと思った。もう、圭吾には一部上場企業も、マンションもどうでも良かった。琴音の望まない―鈴木との結婚―これだけは阻止してやる。
とりあえず証拠集めだ。由美に怪しまれないように集めなくてはならない。
そうだ、データーを消す前に送ろう。
「琴音、共同戦線だ。鈴木の証拠を集めてくれ。俺は由美の証拠を集める」
「また、後日別のスマホから連絡する。このスマホは調べられる可能性が高い。琴音からは絶対連絡しないこと」
「それでは、また」
送信を押すとすぐに琴音からメールが届いた。
「それでいいの?」
琴音は由美との関係をまだ心配してるようだった。
これだけ送って、スマホから琴音のメールアドレス、履歴全てを消去した。着信、メールも拒否にもした。
由美を騙すためにはこのスマホではダメだ。俺は別のスマホをレンタルするために携帯ショップに向かった。
――
悩みました。
ここのお話で今後の展開がガラリと変わるんですよね。
どっちかというと恋愛要素を盛り込みたいのですが、今回は無理ですね。
今後ともよろしくお願いします。
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