第5話 何時かの図書館
「博物館に動物園、美術館にプラネタリウムに図書館、ですね」
「色々あったんだねー」
二人の言葉とは裏腹に目の前に広がっているのはうっそうと生い茂っている木々である。アインは目の前に立っている看板の言葉を一つ一つ読み上げていた。
どうやらこの辺りは複合施設だったようだ。おそらく以前は公園として近隣の住民の憩いの場所であったのだろうが、現在は足を踏み入れるのにも躊躇する雑木林になっていた。かろうじてアスファルトや石畳で舗装されていた箇所は通路として機能していたが、歩けるのはそこくらいだ。
そのさらに外側には大きなビル群が周囲を覆っていた。おそらくこの場所は公園や文化的、教育的施設が集約されていたのだろう。都心の緑として設計されていたであろう場所は人の管理を離れた事で森と化している。
「遠目からビルの隙間に森が見えた時は何かと思ったけど」
「野生化した公園、のようですね。もしかしたら植物園や温室なんかもあったのかもしれません」
「……戻る?」
目の前の光景に足を進める事を躊躇した未来がアインを見上げる。アインは少し考えて首を振った。
「そうですね。さすがにこれは危険すぎます。ですが念のため外周を中に入らないようにして回ってみましょうか。何か収穫があるかもしれません」
「賛成。何にもなければ近くのビルや店の探索すればいいしね。これだけ大きな町なら食料もあるだろうし」
「はい。それでいいかと」
二人の話はすぐにまとまり足を進め始めた。ビル前の道路まで戻り、公園の外周を歩き出す。
そのまま進むと大きな池が見えてきた。しかしそこの水の流れが停滞してしまっているせいか淀んで水草に覆われている。池の中央付近まで伸びていたであろう桟橋も橋足のみが残っていた。
「この池、何かワニでも住んでそうだね」
「まさか、と言いたいところですが動物園で飼育していた可能性もありますね。さすがに全滅しているとは思いますが……」
全域を通して薄気味悪い雰囲気となっている元都心の緑を前に二人は眉を寄せながら足を進める。
その時、池の近くの森から猪が出て来た。それは鼻を鳴らしきょろきょろ首を動かしながら水辺に近づいていく。
「あっ」
「あら」
猪に気付いた二人がそれぞれ声を出す。二人に見守られながら猪は池の縁までたどり着いた。そのまま水を飲もうとしたのか口を水面に近づける。
その瞬間に猪は水面に引きづりこまれた。
「あっ……!?」
「あら?」
猪がいた目の前の水面ではしばらく水しぶきが上がっていたがそれも次第に収まる。その後には猪なんていなかったような風景が残された。
「……アイン、見えた?」
「詳細には見えませんでした。しかし……」
「うん」
「池には近づいてはいけませんよ、未来」
「言われなくても、もちろん……」
真剣な表情で警告をしてくるアインに未来は真剣な表情でうなづいた。
その後、二人は一周数キロはあるのではないかという公園を回った。だいたいの建物は森の中から建物の残骸や一部が覗くだけであったが、一つだけ公園の外縁付近あり雑木林を通過せずとの入れる場所があった。図書館である。
「これは……」
二人が正面玄関の前まで行くと自動ドアが反応する。どうやらここも太陽光発電設備が生きているようだった。
「電気系統も生きているようですね。そのため本も無事だったようです」
「凄いね」
中に入った二人を出迎えたのは一階部分のフロント、そして吹き抜け部分から見える二階より上の階の大量の本である。正面入り口から上の階の蔵書の一部が見えるその場所は入ってきた人間を本が出迎えているようでもあった。
『Bonvenon. Al Biblioteko Sintoshin. La kliento estas la 115286-a vizitanto.』
「うわっ!?」
足を進めていた未来が急エスペラント語による音声に驚いて足を止める。
「な、何……?」
そして怯えるように周囲を見渡した。
「未来、ただの音声案内ですよ」
そんな未来にアインが優しく捕捉を行う。
「お、音声案内?」
未来はアインの言葉に半信半疑な様子だった。
「はい。このような施設なら珍しくなかったですよ」
「そ、そっか。さすが未来の技術……。けどいきなりエスペラント語は止めてほしいなぁ」
『音声を旧日本国語に切り替えます。ようこそ。森都心図書館へ。お客様は115286人目の入場者です』
ため息を吐いていた未来を尻目に音声案内の言語が日本語へと切り替わった。急な変更に未来はさらに驚く。
「へっ!? そ、そんな事も出来るの!? てかどうやってるの!?」
「可能ですよ。どこかで音を拾っているのでしょう」
『御用があればフロントまでお申し付けください』
音声案内は最後にそんな言葉を発した後に何も言わなくなる。その後には先ほどまでのような静寂の図書館が残された。
「……フロント誰もいないよ」
「行ってみればわかりますよ」
未来は胡乱気な視線を誰も居ないフロントへと向ける。アインはそんな未来をどこか微笑まし気に眺めていた。
「アイン、なんだか私の反応を楽しんでない?」
そんな相方の視線に気づいた未来が咎めるような視線でアインを見上げる。しかし視線を向けられている彼女は楽し気な様子を隠すつもりも無いようだった。口元が綺麗な三日月を描いている。
「申し訳ありません。反応が新鮮な物で」
「アインより百年は前の生まれだろうからね!」
未来はアインは何処か胸を張りながら、冗談交じりの態度で声を上げた。
「えぇ。ですので、楽しみにしていて良いかと」
アインは未来を先に進むように手をかざした。未来は半目でアインを眺めながらも、すぐにため息を吐いてフロントまで進んでいく。
『ようこそ、森都心図書館へ。御用件をどうぞ』
「うわっ」
「ふふっ」
もう驚かないぞ、と意気込んでいた未来だが目の前に現れた立体映像に目を見開く。よく見ると時折ノイズが走り不安定な様子もあったが、克明なエプロン姿の司書風の女性の映像が投影されていた。
やはり驚いた未来の様子をアインは楽し気に見つめる。
「立体映像です。労働力削減のためですね」
「な、なるほど……」
未来は恐る恐る手を目の前に差し出す。当たり前だが、映像の女性を掌は突き抜ける。
『要件はございますか?』
「え!? あー、えっと。じゃあ、日本語の本とかありますか?」
未来の動作に反応したわけでは無いだろうが、映像の女性が口を動かして音声を発する。自分の行動に後ろめたさを感じた未来はしどろもどろに返事を返す。
『日本語の本は二階の81番の棚にございます。ルート案内は必要ですか?』
「は、はい。お願いします……」
『人型、動物、昆虫等がありますがどうなさいますか?』
「……はい?」
しかし向こうからの訳の分からない質問に未来の思考は止まった。
なんだその『ご一緒にサイドメニューはいかがですか』的な質問は。人? 動物? 昆虫? 何を聞かれている?
そんな頭が真っ白になってしまっている未来にアインが横から耳元に顔を近づける。
「おすすめ、でよろしいかと」
「え、何それ?」
未来は耳打ちしてきたアインに小声で言葉を返す。しかしアインはにこにこと笑顔のまま、それ以上言葉を発することは無かった。
「……おすすめ、でお願いします」
未来はまるで意味が分かたなかったがアインの言葉をそのまま復唱する。
困惑している未来で変化が起きた。フロントと未来の間の空間に数匹の蝶の群生が出現する。ひらひらとまるで本物と見まがう人工の蝶はそのまま階段の方へ移動を開始する。しかし未来から一メートル程前の空間で止まった。そのままこちらの行動を待つかのように羽ばたいている。
「……え、えぇ?」
その様子に言葉を失っていた未来がようやく言葉を発する。もう何が何だか分からない、という表情だった。
「では、行きましょうか未来」
アインはにこにこと笑みを隠す様子も無いままに未来の手を引いて歩き出した。
「なんなのあの無駄機能は……」
蝶による案内の先で日本語の本の配架場所にたどり着いた未来は頭を抱えていた。
立体映像による案内やこちらの音声を認識する事等、かなり技術力が発展していたように思う。しかし。しかしだ。何故、そこまでして行うのが案内なのだ。
「一種のお遊び、というかお楽しみ機能ですね」
「……凄いは凄いんだけどそれでやるのが館内の案内なのが、ね?」
「人員削減のためですね」
「これの方がコストかかると思うんだけど」
未来は信じられないという様に床の下にあるだろうフロントの方を見つめた。
「まぁ、いいや。ここも太陽光発電が生きてるってだけでもありがたいしね」
もう考えないようにしようと、気持ちを切り替えた未来は周囲の状況を見渡す。中はほとんど荒れておらず本が綺麗に並んでいる。おそらく空調設備が生きているためだろう。また時折周囲を小型のロボットが移動していた。床掃除をしたりや床に落ちている本を元の場所に戻すなりしている。
おそらく人の手が入らなくて管理できるように設計されているのだろう。だからこそ、この人類が滅びた世界でも存続することが出来ていた。
「あとは、ここから何か分かるといいだけど」
顔を上げた未来の視線の先には懐かしく感じる日本語の本の背表紙が並んでいた。
未来はそのうちの棚の一つに近寄り無造作に一冊の本を抜き出す。本には『日本語の成り立ち』とあった。
「ん?」
何かがおかしいと思った未来は近くの本の背表紙を見渡してみる。周囲には『日本語辞典』『日本語の語彙・文法』『作文の作り方』などがあった。
「あぁ、これは」
アインもどうやらすぐに理解したようだった。未来とは別の棚を見ながら納得した様子を見せている。
「ここ、日本語で書かれた本の場所じゃなくて日本語についての本がある場所じゃん!!」
未来は先ほどのフロントとの会話を思い出す。たしかに自分は日本語の本と言っていた。言っていたが。
「意味が違うんだよ……」
未来は再びうなだれる。もう全身を疲労感が襲っていた。
「えと、未来? 少し休みましょうか?」
彼女の様子を察したアインがいたわるような笑みで未来に休憩を進めてくる。
「ここまで歩き詰めでしたし、休んでから探索を行いましょうか」
「……そうする」
アインが進めた椅子に未来は腰かける。アインも背負ってきた荷物を近くに下して彼女の向かい側に座った。
「ねぇ、アイン」
「何ですか、未来」
席に座ったのちに一息ついて、未来が頬杖を突きながら話し出す。
「……変なこと聞いてもいい?」
一拍置いたのちに、さらにワンクッション置きながらアインへ話しだした。その顔はこの先を言葉にすべきかどうか迷っているようだった。
「? どうぞ?」
アインは未来の様子に少し不思議そうな顔をしながら先を促す。彼女が何を言いたいのか考えもつかないようだ。
「前に、さ。もう一人にしないで、とか言ってなかった?」
「……え?」
しかし、次に未来が口にした言葉で表情は消える。
「えと、研究所だったかな? 夜中何か言って無かった?」
「……起きていたんですか?」
「あ、やっぱり夢じゃなかったんだ?」
アインの言葉に未来は少し安心したように肩を落とす。しかし。当のアインの顔は悩まし気にゆがめられていた。
「ごめんね? 最初は夢かと思ったんだけど」
「いえ、起こしてしまった私が原因なので気にしないでください」
アインはそう返事をしながらもどう答えたものか迷っているようだった。少し悩んだのちに口を開く。
「……未来は、誰か大切な人を亡くした、という感覚はありますか?」
「え?」
おもむろに話し出したアインの言葉に未来が目を丸くする。
「記憶がないのは理解しています。けど、大切な物を失ってしまった感覚や一人きりになってしまった感覚は分かるでしょうか?」
「……ごめん、アイン。それはちょっと分かんないや」
真剣な表情で話し始めたアインの言葉に未来も真面目な表情で返す。
「眠る前の記憶はほとんどないし、起きてからはアインとずっと一緒だったから。アインは感じてるの?」
「……分かりません」
アインは顔を伏せた。
「分からないのですが、もう一人になりたくないとは思うんです。ずっと、そう感じているんです」
「……そっか」
未来もアインの言葉に短く相槌を打つ。そして少し悩んだ後に口を開いた。
「私も分かんないけど。でも、うん。アインと離れ離れになるのは嫌だなって思うよ」
「……本当、ですか?」
未来の言葉にアインが顔を上げる。
「そもそも、アインがいないと私すぐに死んじゃうと思うし。……いや、違うね。そういうのを抜きにしても一人で生きていくのは嫌かな。こんな広い世界で一人きりとか耐えられないし」
「だ、駄目です!!」
「わっ」
テーブル越しにアインが両手で未来の手のひらを握りしめる。アインは鬼気迫る表情で未来を引き留めようとしているようだった。
「お願いです、未来。それだけは……」
「だ、大丈夫だって」
恐怖に駆られているアインを未来は少し動揺しながら慰める。アインが取り乱すという予期していない事態に驚いていた。
「けど、そっか。アインは目覚める前に何かあったのかもね」
「……そう、ですね」
「けど大丈夫だよ。さっきも言った通り私アインがいないと生きていけないから。私が居なくなることは無いよ」
「本当に?」
「もちろん。まぁ、さすがに死んだらどうしようも無いけど」
「……そうならないように頑張りますよ」
アインが真剣な表情を崩さないままに未来に力強く返答する。
「ん? まぁ、そんなわけだから。少し気になっただけだったんだけど、話しづらい事話させちゃったならごめんね」
「いいえ。話す機会が無いだけでしたから」
未来はアインの言い方に引っかかりを覚えない訳でも無かったがそのまま話を切り上げる。珍しく彼女が取り乱した事からあまり踏み込まない方が良かったかな、と少し後悔もしていた。
そうしてしばらくアインが落ち着くまで未来は彼女の手を握りしめ続けていた。
落ちついたアインは未来と別れて一人で図書館の中を歩いていた。未来には一人で何か役に立つ本は無いか探してくる、と伝えてある。サバイバルや狩猟に着いて何か本は無いか、とキャンプ関係の本を探していた所だ。
歩きながらアインは先ほどの未来との会話を振り返る。
発言に嘘は無かったか。無い
怪しまれるところは無かったか。あったが何とかごまかすことはできた。
彼女へ繋がる情報は無かったか。無い
「大丈夫、なはずです」
先ほどは未来の急な発言でありもしない肝が冷えた。まさかあの時の発言を聞かれているとは思わなかったのだ。おそらくかなり言葉に詰まりながらの返答になってしまった。
なにより恐ろしかったのは彼女はすべての真実に気が付くことだ。私の事。世界の事。そして、彼女の事。
どれも未来に知ってほしくない情報である。
「
不意に思い出した彼女の名前を呟く。
私はこの感情の先ほど分からないと言った。そのはずだ。人間の思考に近く設計されているはずだがこの思考は機械的な物だ。寂しい、など感じるはずがない。感じてはならない。その結果どうなるか、私はじかに見ている。
「さて、どうしたものでしょうか」
しかし実のところいつまで隠し通すことができるのかを考えると、おそらく長くは持たないだろう。いづれ未来も気が付く。ゆえにそれまで何か対処を考えなければならなかったのだが。
「いっそ、全て、え?」
アインがこれから行動すべき事を考えているとそれが不意に目に入った。
図書館内の書架の間。窓から光が差し込んでる箇所にそれはあった。
「これは……」
アインはそれに速足に駆け寄る。それはロボットの一種だった。アインと容姿こそ違うが人型の機械である。フロントの立体映像と瓜二つの機械人形だった。それが無残に破壊されている。
アインはそれに近寄り状況を観察した。破壊されてしばらくたっているようだが館内の状況もあってか風化はしていない。おそらく同じロボットであるから掃除ロボットにも放置されていたのだろう。
そして問題は破壊方法だった。何かを突き立てられたような傷と引き裂かれたような傷が混在している。まるで鋭いものを突き立てられて振り回されたような損傷で、そんな事ができるものの選択肢は多くなかった。
「未来っ!!」
アインは立ち上がり、一目散に駆け出した。
「んー」
未来は再び日本語についての書架で本の背表紙を眺めていた。
先ほどはあんまりと言えばあんまりな勘違いに脱力してしまったが、それでも一応は確認してみようと思ったのだ。
しかしやはりというかその場の本は日本語についての本ばかりだ。本棚の外国語と一緒にそれが収まりきっている様子はこの言語が日本の公用語では無くなっていたことを想起させる。
これならばまだどこかにあるだろう日本史や統一言語の成り立ちなどを調べたほうが有益かもしれなかった。
ゆえに場所を移動しようかとも思ったが、アインに何も言わずに行動するのは気が引けた。先ほどあれほど取り乱していたのだ。姿が急に見えなくなる行動は止めた方が良いだろう。
「……一人は嫌だ、かぁ」
先ほどの、以前のアインの様子を思い出す。普段は落ち着いていて頼りになるアイン。彼女があんなにも取り乱すなんて考えもしなかった。きっと過去の事が関係しているのだろう。そして。
「アインは、たぶん何かを思い出してる……」
以前のコーヒー然り、そして、もう一人にしないでと言った事しかり。確証はないが、おそらく。
けれど。アインが話さないという事は話さないなりの理由があるのだ。無理に聞き出すべきではない。……いや、それよりも。
「はぁ、アインの事言えないなぁ」
それが原因でアインとの関係が壊れてしまう事が嫌だった。ならば。このまま、これまで通り全て成り行きに任せたままでも。
そんな風に考えていると、近くから本が落ちる音がした。
「ん? アイン?」
もう彼女が戻ってきたのかと背後を振り向く。そこにそれは居た。
「……っ!」
その姿が視界に入った瞬間、体は強張り声にならない悲鳴が上がる。それは未来でも知っている動物だった。
こちらを視界に収めたライオンが未来に近づいてきていた。未だ書架2列分ほどの距離はあるが確実にこちらを見定めている。
未来は視線を一瞬、荷物の方へ向ける。銃が入っているそれは近くに無造作に置かれていたが、取り出すまでに確実に襲われるだろう。こちらの動きに合わせて飛び掛かってくるのが彼女にも容易に想像できた。
いつの間にか噴き出していた汗が額から顎まで伝い落ちていく。心臓は痛いほどに脈打ち、膝も震えていた。
アインの名前を叫んで助けを呼びたかったが、その行動で目の前のライオンが飛び掛かってくるのが恐ろしい。
しかし、そんな事を悩んでいる間にもそれは徐々に近寄ってくる。
焦燥感に駆られ、未来は手に持っていた本を全力でライオンに向かって投げつける。その勢いのまま、リュックサックに向けて走り出した。
「っ!!」
リュックサックから銃を取り出し、ライオンに向けて引き金を引く。やるべきことは単純だが、それには絶望的に時間が足りなかった。
未来が駆け出した瞬間にライオンも飛び掛かってきていた。未来が荷物にたどり着く前にいっきに距離をつめる。そこまでたどり着くことはできても銃を取り出すことは絶対にできないだろう。
「――アインっ!!」
未来は耐えきれずにアインの名前を叫ぶ。
「未来っ!!」
その声は上から振ってきた。
三階から吹き抜け部分を飛び降りてきたアインが未来とライオンの間に落下する。そのまま右腕から刀身を展開し未来を背に立ち向かう。
「逃げてください!! 早くっ!!」
アインの方も余裕が無いのか未来へ叫ぶように声を発した。その声に導かれるように走り出そうとした未来が何か気付く。
「アインっ!! もう一匹!!」
「っ!?」
未来が警告をするが遅かった。目の前のライオンとは別方向から迫ってきていたメスライオンがアインに飛び掛かる。牙による噛みつきはなんとか刀身で防ぐことができた。しかしその巨体による突進を止めることができずに、転落防止柵を突き破って吹き抜けから落下する。
「アイン!!」
未来が再度アインの名前を叫ぶがすでに何もかも手遅れだった。アインは未来に視線を向けるも落下は止められない。メスライオンの方はアインをクッションにするように落下の勢いを軽減し、彼女は頭から地面にたたきつけられた。
地面に倒れたまま動かないアインに対してメスライオンが近づいてくる。まだ生きている事を警戒しているのか体はわずかに沈めたままだった。
アインはというとまったく動けないでいる。正面の入り口から入り込んできている日光の元で微動だにせずにしていた。
そのままメスライオンはアインの首筋へを顔を近づけようとして。
『Urĝa peto:Transdono de aŭtoritato por uzi funkciojn』
アインの口から何かが呟かれた。その言葉に相手は警戒して距離を取る。それがアインにとってと幸運だった。
『Akcepto. Translokigaj permesoj.』
その言葉はアインでは無く、周囲から発せられた。
次の瞬間。メスライオンの周囲に人間や別の動物の立体映像が多数展開される。
メスライオンは立体映像を偽物だと判断できずに混乱する。取り乱したように爪を振り回したり、飛び掛かったりするが当たり前に空を切るばかりだった。
その隙にアインは立ち上がる。さすがに落下の衝撃で無傷とはいかなかったのか緩慢な動作だ。爪でもかすったのか顔の一部の人工皮膚が剥げて機械の面が覗いていた。それでも。
「『Tutfunkcia sekureca, liberigo……!!』」
太陽光を経た事によって動力の問題は解決できた。図書館の機能使用権限を緊急コードで移行し時間を稼ぐことができた。未来を救うためにすべての機能を解除する。視界端で残り3分のカウントダウンが始まった。
動力炉の全力稼働。脚部フィン。電磁ホバークラフト。圧縮空気解放。加速開始。
アインは滑るように駆け抜け、メスライオンの横を通り抜けて階段までたどり着く。階段下から一気に脚部のブースターから圧縮空気を開放して飛び上がる。電磁ホバークラフトの反発力も利用したそれは一息に二階部分まで駆け抜けた。
着地と同時に再度ブースターを使用。未来とライオンの元へとかけていく。
落下の損傷と全力稼働、そして急激な加速でアラートが鳴っていたが全て無視する。それよりも、未来が死んでしまう事態だけは避けなければならなかった。
たどり着いた先では一階と同じような光景が広がっていた。無数の蝶がライオンにまとわりついている。彼は身をよじって振り払おうとしていたが、どだい立体映像である。無駄な行動だった。
そしてこちらの姿に未来が気付いて目を見開く。そんな彼女の反応に気を使っている余裕などない。残り2分30秒ほど。
未来の事を視界から外して再びライオンを見据える。そして再びの加速。蝶を影にして超音波ブレードでライオンの両目を切り裂いた。
ライオンが苦痛の声を上げる。そのままの勢いで駆け抜け、未来を何も展開していない左手で抱きかかえた。
「ア、アイ」
「まだです……」
アインは呻くようにつぶやきながら未来を少し離れた荷物のある場所まで移動させる。
「隠れて、いてください」
未来を地面に下すとアインは再びライオンを見据える。両目を切り裂かれたライオンは悶え苦しむように暴れていた。振り回した腕に巻き込まれた書架が何列も倒壊する。
その様子をタイミングを見図るように眺めがながらアインは左腕に銃身を展開した。屠殺用の圧縮空気銃。キャプティブボルトピストル。空気の力で鉄杭を射出し動物の脳や脊椎を打ち抜くための物。
アインはそれを構えて暴れるライオンを見据える。残り2分を切った。
けれど、焦らず。冷静にライオンの動きを見据えていく。そしてその時が来た。
ライオンは腕を大きく振るい、顔が正面を向く。
その瞬間にアインは再度加速を行った。左腕をストレートパンチを放つように構えたまま突撃していく。そして腕を振りぬいた。
「Injekto!!」
放たれた鉄杭はライオンの眉間を打ち貫いた。
「アインっ!!」
ライオンは動かなくなったことを確認した未来がアインへと近づいていく。しかしアインは手で彼女をとどめた。
「まだです、未来。もう一匹……」
アインはそういって階下の映像に惑わされているメスライオンの方を見据えた。
「けど、アイン、体が!!」
「大丈夫ですよ、未来。見ての通り。私は人間では無いので」
アインは諦めたような笑みで全身を未来にさらす。顔の皮膚の一部は剥がれ機械が覗いている。右腕からは刀身が、左腕からは銃身。脚部にはフィンとブースター。どう見てもそれは機械人形だった。
「そんな」
「だから未来。下がっていてください。時間もありませんので」
アインの視界の数字は1分30秒まで迫っていた。未来の言葉を遮って、アインは先ほど自らが落下した場所から身を乗り出す。
「もし、間に合わなかったら逃げてください。手傷だけは何に変えても負わせてみせます」
そうしてアインは欄干から身を投げ出した。
「アインっ!!」
叫ぶ未来の残して再びアインは落下する。
落下した目の前のメスライオンは音に反応したのかアインの方へ視線を向ける。しかし立体映像による攪乱はまだ効いているようで、周囲へ眼球を動かしていた。
アインは一気に勝負をつけるために再び左腕のキャプティブボルトピストルを構える。そして加速して一気に肉薄した。しかし。
「Injek ――!?」
本能的に危機を感じ取ったのか、メスライオンは直撃の瞬間に後ろにはねる。そして空ぶった鉄杭を警戒するように身をかがめ呻きながら見つめていた。
そして今の行動で確実にアインを見据えている。さきほどのように視線が泳ぐことは無くなっていた。残り1分ほど。制限時間は刻々と迫っている。
太陽光による動力供給が確保できても全力稼働には限界があった。カウントが無くなった瞬間に自分はただの人形と化す事をアインは理解している。ゆえに、早急に仕留める必要があった。
アインは左腕を下げて、右腕のブレードを構える。そして脚部ブースターの圧縮空気装填率を確認した。
「ならば」
アインは再びの加速を開始する。断続的にブースターを使用して不規則な動きでメスライオンに肉薄していった。
視線が揺れた瞬間に側面を駆け抜け、足を切り付けていく。切られたことに気付いたメスライオンが悲鳴を上げた。
これで、いざという時には未来が逃げる時間を稼ぐことができるだろう。そして一撃で倒すことができないのならば弱らせるまで、とアインは方針を切り替えた。超音波ブレードで隙を見て切り付けていく。致命傷を与える事はできなかったがメスライオンは徐々に傷が増えていった。
このまま、とアインが考えた一瞬の隙だった。メスライオンが鋭い視線でアインを見据える。アインが警戒したが遅かった。
メスライオンは牙でも爪でも無く、その巨体で突っ込んでくるアインへぶつかる。
「っ!?」
その衝撃にアインは吹き飛ばされた。再び地面に転がる。なんとか立ち上がろうとするが、次の瞬間にアインの視界のカウントが0になった。
メスライオンが恐る恐るといった様子でアインに近づいてく。そして今度こそアインが動かないことを確認して彼女の首筋に牙を突き立てようとした。
その瞬間。号砲が鳴り渡る。メスライオンが身をすくめた。
2階からは未来が未だ煙が出ている銃を構えていた。それはもちろん当たるものでは無く、弾丸は掠りもしないで外れている。結果として一瞬時間を稼ぐことができただけである。
そしてその時間でアインの再起動が完了した。
『Finiĝis ŝanĝado al rezerva potenco.』
予備電源への切り替えのメッセージがアインの視界に出現したと同時にカウントが1分まで戻る。倒れ伏していたアインは未来へ視線を向けているメスライオンの喉元に左手を当てた。
「……Injekto」
再度放たれた鉄杭はメスライオンの喉から脊椎までを貫通する。
脳幹を貫かれて倒れたメスライオンを見届けると、アインの再び地面に倒れこんだ。
アインが再び目を開けると、誰かが名前を呼んでいた。逆光で顔は見えなかったが、誰であるかなどすぐにわかる。
「……未来」
「アイン……、良かったぁ……」
アインが言葉を発した瞬間、優しく顔を抱き締められる。
「あれから、どのくらい時間が経過しました……?」
アインは目の動きだけで周囲の様子を観察する。近くには先ほど撃退したメスライオンが横たわっている。
「す、数分、位……。さっきここに降りてきて、アインに声をかけ始めた」
「……そう、ですか」
未来から状況確認を終えると、アインはすぐに立ち上がろうとした。
「アイン、無理は」
「問題ありません」
まだ寝ているように引き留める未来に対してアインは問題無く立ち上がる。
「未来、先ほどのとおりです。私は人間ではありません。損傷は」
「問題ないわけ無いでしょ!!」
自らが機械であることを冷静に説明するアインに対して未来が我慢できなくなったように叫んだ。
「……未来?」
「お願い、だから……。一人になるのが怖いのはアインだけじゃないんだよ……っ!!」
未来が泣きながらアインを抱きしめる。
「……すいません。けれど本当に稼働に問題はないんです。動力も太陽光で回復できました」
アインの方も一瞬驚いたように目を見開いたが、優しく未来を抱きしめ返す。
「……嘘。さっきふらついてた」
「落下の衝撃で姿勢制御機能の一部が不調だっただけです。もう回復しました」
「……本当?」
「えぇ。私は……。そう、ですね。改めて、伝えておきます。私の正式名称はシュワルツ社製長期稼働型警護兼生活介助ロボット一型、となります」
そうしてアインは数秒悩むように言葉を切ったのち、自らの正体を話し出した。
「……ロボット」
未来がアインの顔を見つめながら茫然と呟く。アインはそんな未来に対して皮膚の損傷した顔でほほ笑むのみだった。
そのアインの言葉は未来にとって信じられない物だったが、先ほどの光景から信じない訳にはいかなかった。
「なんで、黙ってたの?」
「……もう、この世界に生き残っている人類は貴方しかいない可能性が高いからです」
「――っ」
アインの言葉に未来が小さく息の飲む。その顔は信じたくなかったという表情であり、そしてどこか納得した表情だった。未来はそのまま顔を伏せると、小さく声を絞り出す。
「全部、説明してアイン」
「……はい、未来」
アインも覚悟を決めたように目を伏せ、答えた。
「全て、お話いたします。何故人類が滅びたのか。そして何故貴方だけが生き残っているのか。貴方が望むのなら全て……」
アインはそこで言葉を一度区切る。そしてその先を続けた。
「そして、どうか。未来。希望を知ってください」
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