第4話 何処かの温泉地

「ぅう……」

 未来は蹲りながら苦悶の声を上げていた。痛みをこらえるために体を縮こまらせおり、顔には深い皺が刻まれている。

「未来、鎮痛剤です」

 アインの言葉に未来はうっすらと目を開ける。彼女は体温を保つために寝袋に包まったまま、ぼんやりとした目付きでアインを見上げた。

「ごめんね、アイン……」

「貴方が謝る事なんて何もありませんよ」

「けど……」

「無理に話さないで下さい。辛いんでしょう? 飲めば少しは楽になりますから。少し起きれますか?」

「……うん」

 未来は辛そうに緩慢な動きで上半身を起こす。そうしてアインの持っていた錠剤を受け取った。

「んっ」

「どうぞ、白湯です」

 アインから受けった錠剤を口に含んだ後に白湯で流し込む。その一連の動作すら辛そうに行う未来はすぐに再び横になった。

「未来……」

 辛そうにしている未来の体をアインがさする。

 ふと、アインが外に視線を向けると未だに空は厚い雲に覆われていて大ぶりの雨が降っていた。この様子ではしばらくやみそうになく、今日は曇天が続くだろう。

 今二人が避難しているのは鉄筋コンクリートの建物の二階部分であった。中はさほど綺麗では無かったがこの天候ならば天井を壁に覆われた空間があるだけでも二人にとっては充分な環境である。

 未来の不調も重なり、このような建物が見つかり早急に対応ができた事はとても幸いだった。

「未来、少し待っていてくださいね」

「……アイン?」

 不安そうに見つめてくる未来にアインは笑顔で頭をなでて立ち上がる。そうして少し離れた場所で緊急時に使用するはずだったガスバーナーを使用して沸かしたお湯を金属の水筒の中に入れる。それをタオルで覆った後に未来のもとに戻ってきた。

「未来、これを抱いていてください」

「これ、は?」

「即席の湯たんぽです。体を冷やさないようにしてください」

「うん……」

 未来の体の不調の原因。それは女性特有の月のもの、そして急激な低気圧の発生による体調不良によるものだった。


「さて……」

 未来の呼吸が落ち着いてきたのを見計らい、アインは再び立ち上がる。未来は寝てしまったのか今度はアインに声をかけてくることは無かった。

 バックまでやってきたアインは手持ちの薬の在庫の確認を行う。念のため、と町に寄った際に持ってきてたものが役に立っていた。このままならば鎮痛薬の数は問題なさそうだった。

「今度から鎮痛薬はもっと数を集めておくべきですね」

 今は安らかにしている未来の様子を見ながらアインは呟く。もともとは未来が怪我をした時のために持ってきていたのだが予想外の使用になってしまっていた。

 未来と旅を始めて一月ほど。このような事態は初めてだったのでアインとしても予想外の事態だった。

「とりあえず、いくつか知識はありますが」

 鎮痛薬を使用する。体を温める。知識と元に対処をを未来へと行い、なんとか彼女は落ち着いてきた。

 いきなり未来がうずくまり、血を流しだしたときはアインの方がパニックになりかけていたが未来が落ち着いた事で何とかなっている。雨が降り出す前にこの建物に入れたのも幸運だった。

 アインが窓の外を眺めると、眼下には小さな街並みが広がっていた。草木が生い茂っているがまだ建物の原型は分かるほどの廃墟だ。町の中央部らしき部分には大きな川が流れており、川に沿って上流部分にはまだ街並みが続いていそうだ。

 けれどアインが見渡した限り目に見える範囲に薬を取り扱っているような場所は見当たらなかった。

「雨が止んだら探しに行かなければ」

 おそらくこの規模の街なら薬局などがあるだろうとアインはあたりをつける。あとはそこの薬品が使用可能な状態で残っている事を願うばかりだ。

「それと衛生状態もですね」

 先ほどまで苦しんでいた未来は汗をかいていた。また生理に伴う出血もある。普段もなるべく体の清潔を保つようにはしているが今の環境では特に重要な事だった。

「……入浴設備でもあれば」

 最悪お湯を沸かしてタオルでの清拭を行う事もできるが、体を冷やさず全身を洗う事のできる設備があれば最適だった。

「んんぅ……」

 アインが今後の行動を考えていると後ろから未来のうめき声が聞こえる。

「未来?」

 アインが振り向くと未来は未だ目を閉じたままだった。しかし使用している寝袋から手が出て、何かに縋るように伸ばされている。

 アインはそんな未来に近づき、彼女の手をもとに戻そうとする。しかし未来の指がアインの手をつかんだ。

「……大丈夫、大丈夫ですよ未来。私が何とかしますから」

 アインは表情を緩めるとそんな未来の手をさする。未来はそのまま僅かに表情を緩めると再び眠りに落ちていった。


 幸い、というべきか雨は夕方前には上がった。曇り空は続いているがまだ日も落ちていない。

 アインが未来の方を向くと彼女はまだ眠ったままである。アインは少し考え込むような動作の後に立ち上がった。

「未来、少し周囲の探索を行ってきます」

 未来を起こさないように小さな声で囁く。念のため、メモ用紙を一枚未来の枕元に書き置ていおいた。

 火だけはきちんと消したのちにアインは建物から出て、街の中に歩みだす。

 建物から出たのちにまず彼女は二階から見えていた川まで向かった。

 それからの選択肢は上流に向かうか下流に向かうかになるのだが。アインはとりあえず上流に向かう事にした。

 アインは雨により濁った濁流となっている川に沿って川上へと向かっていく。せめて薬局でもあれば、と視界を巡らせながら歩み続けた。するとあるものがアインの視界に入り込んできた。

「あれは……」

 アインは近くの塀の裏へと移動し目の前にいるそれを観察する。体格は1m超。体重は推定100kgほどだろうか。鼻をクンクンと鳴らしながら視界の先を熊が歩いていた。

 アインはこのままどうするか考える。あちらはまだこちらには気付いていないようだった。このまま避けて進む事もできるだろう。

 しかし、この熊が進んだ先でどういう進路をたどるかが問題だった。一番の懸念事項は今の未来が血を流しているという事だ。おそらくあれは餌を探しているのだろう。このまま進んでいった先で血の匂いを嗅いだ熊がどのような行動をとるか、など想像に難くなかった。

 アインはチラリと上空の空を見上げる。未だ雲は厚くかかっており、日の光はほとんど指していない。数秒どう行動すべきか考えるも、取るべき行動はすでに決まっていた。

「まぁ、しょうがありませんね」

 ため息を吐くような動作の後に、アインは隠れていた場所から熊の視界へと飛び込んでいった。


 視界に入り込んできたアインに熊が気付く。何かを探るように鼻を鳴らしていた熊が彼女を見据えた。

 警戒するように四足歩行になり近づいてくる。アインも熊を見据えながら距離をつめていった。彼女は今何も持っていない。銃なども全て荷物は未来の所に置いてきている。そんな状態で熊と戦うなど、人間であるのならば自殺行為にも等しかった。

「言葉が通じるとは思いませんが、念のため」

 しかしアインは全く恐怖する様子も無く歩みを進めていく。そうして気でも狂ったのかのように熊へと説得をはじめた。

「このまま森へと帰ってくれませんか? 今、貴方を狩猟しなければいけない理由も無いんです」

 しかし、当たり前のようにそんな説得が通じるわけがない。熊は意にも介さずどんどん近づいてくる。よほど腹が減っているのか、アインへの躊躇や恐怖など何も見られなかった。

「この先に居るのは死んではいけない人なのです。貴方が彼女を狙うのならば私はあなたを撃退しなければなりません。そしてさすがにその巨体が相手ならば加減する事もできません」

 二人は距離をつめ続け、いつしか数メートルの距離まで来ていた。アインの方もさすがに言葉では無理があると気づいているのか、すでに表情は真剣な物になっている。ただ、現状を把握するように言葉を紡いでいた。

「最後にもう一度。彼女を狙うのならば容赦も慈悲もできません。だから」

 アインが言葉を話している途中で熊が一気に距離をつめてきた。地面を蹴り上げ突撃をしてくる。

 ゆえにアインはスイッチを即座に切り替えた。

 100kg超の巨体の突進を正面から殴り返す。見た目が20歳いかない程の華奢な女性にしか見えないアインの拳が熊を弾き飛ばした。

 さすがに致命傷には至らなかった。熊はすぐさま体制を立て直し、警戒するようにうめき声をあげながらアインと距離を取る。しかし逃げる様子は無かった。じりじりと動きながら目の前に立つアインの様子を観察している。そうやら彼女をただの餌から警戒すべき敵だと見定めたようだった。

 アインはというと振りぬいた腕を調子を確かめるように数度動かす。指を握ったり開いたりして損傷が無いことを確認すると再び拳を構えた。そうして視覚と聴覚からもたらされている情報を読み込んでいく。

『Movas la sistemon de normala reĝimo al batalreĝimo.』

『Liberigu potencan sekurecon.』

『Dekstra brako:Aktivigo de klingo.』

『Maldekstra brako:Aktivigo de Kaptita riglilpistolo. Komenco de kunpremita aero-ŝarĝado』

『averto:Ne eblas certigi energion de sunlumo. Atentu la nivelon de la kuirilaro. Overdrive konsumas pli da potenco. Oni rekomendas uzi ĝin en medio kie sunlumo povas esti sekurigita. averto:Ne eblas 』

 アインは必要な情報だけ確認し、後の意味の無い警告文を全てシャットアウトする。もうすでにやらなければならないことは決まっているのだ。アインは目の前の熊を打倒するために必要な動作を行っていく。

 動力炉の全力稼働に合わせて脚部や背部のハッチが展開し余剰排熱を開始した。またアインの右腕前腕部からは刀身が、左腕部前腕からは銃身が展開される。

「では、せめて苦しまないように」

 警戒している熊に向かい、今度は機械人形であるアインが距離をつめた。


 アインは全力で熊の側面を駆け抜けながら右腕の刀身で切り付ける。熊はアイン目掛けて腕を振るうもアインを捕らえる事は無かった。しかし。

「やはりこれでは無理ですか」

 アインの刀身も体毛にはじかれて相手の体を傷つける事ができなかった。分厚い体毛とその内側も強靭な筋繊維の塊である。彼女も予想はしていたが戦闘モードを起動しての全力の馬力でも斬撃では通らないらしい。

 ならば熊を殴り殺すか、もしくは別の狩猟手段が必要になってくる。アインは自身の左腕に視線を向けるがすぐに熊の方に向き直る。

「ふぅ……。Klinga sekureca liberigo」

 アインが何かを呟くと同時に彼女の視覚情報に変化が起きた。

『Konsento』

 再びアインの視界に統一言語が表示された後にアインの右腕の刀身が小刻みに振動を始める。

 超音波カッター。電力消費が激しいのでアインもなるべくは使いたくなかったが、そうも言っていられる状況では無かった。

 構えたアインに今度は熊が突っ込んでくる。大きく振り上げた右腕でアインを巻き込むように振りぬいた。

 アインは両腕で体を守るもそのまま吹き飛ばされる。

 熊が吹っ飛んだアインにさらに追撃を加えようとした。そうして彼は自らの振りぬいた右腕が切り裂かれているのを自覚する。先ほどは刃が通らなかった肉体から血を吹き出した。

 熊が自らの右腕に意識が逸れた瞬間にアインは転がりながら四肢で地面を打ち付け軌道を調整する。勢いが落ちたのを確認すると再び熊に肉薄した。

 状況が理解できない熊は残った左腕を振りかぶる。アインはそのまま姿勢を低くして、頭上を通り過ぎる爪をかいくぐった。そのまま川べりの堤防を利用して熊の体の上に飛び乗る。熊が振り払おうとするもすでに遅かった。左腕の銃身を熊の首に押し付ける。

「Kaptita riglilpistolo. ――injekto. 」

 そして引き金を引く。屠殺用の鉄杭が圧縮空気によって射出され、熊の脊椎を正確に打ち抜いた。


「……システムを通常モードへ移行」

 熊の傷口から血が噴き出し、動かなくなったのを確認するとアインは再び呟く。その言葉に合わせて両腕の武器は収納され、全身のハッチも閉じた。先ほどの熊との戦闘を行う前の状態まで戻る。しかし。

「あっ……」

 そのまま横の堤防にもたれかかるように倒れこんだ。

『Bateria malplenigo. Ŝaltu al standby potenco.』

 再びアインの視覚と聴覚に情報が入ってくる。しばらくするとアインは再び立ち上がった。しかし先ほどと比べて動作はややぎこちない。

「……予備バッテリーなんて何時ぶりでしょうか。アラート解除」

 そうして彼女は自身のシステムからの充電を求めるアラートを切った。そして予備電力での稼働可能時間を確認する。

 どうやら夜間の間は持つようだ。動力が切れれば太陽光が当たるまで機能が停止するだろうが、もう一度戦闘システムを起動しない限り大丈夫だろう。小型の動物なら現状でも問題は無かった。

 そのまま自身の両腕を軽く振ってみる。熊の一撃を受け止めたが損傷はほとんどなかった。衝撃の瞬間に自ら横に飛んだのもある。メイド服の方も戦闘システム時には電気が流され強度が増加している。僅かな汚れだけで傷なども見られない。

「さて」

 アインが自らの体の確認を終えると懐からナイフと取り出す。そのまま体よく血抜きもほとんど済んだ熊へと近寄っていく。

「いただきますね」

 アインは熊の首筋にナイフを当てると解体を始めた。


「とりあえずタンパク質や鉄分は何とかなりそうですね」

 アインが熊の解体を終える事にはすでに夜になっていた。しかしこれで今の未来に必要な栄養素はある程度確保することができただろう。必要な分だけ確保し残りは未だ濁流の川へと流す。

 あとは薬と衛生状態を改善できる設備だとアインは周囲を見渡す。そうすると不意にアインの嗅覚情報にある物質が入り込んできた。

「これは……」

 鼻を鳴らすようにしてその物質の方向を確認していく。匂いを頼りに歩みを進めていった。

 川をさらに上った先。そこには様々な香草、そして硫黄の香りの源があった。


「うぅんぅ?」

 意識が覚醒しだした未来は自分が揺れているのを感じた。まだ意識が朦朧としているのかと思ったが違う。自分の前面に何かが密着しており、何かに運ばれているのだと徐々に理解できた。

 そこまで分かれば後は単純だった。誰が自分の事を運んでいるのか等、考えるまでも無い。

「……アイン?」

「未来。起こしてしまいましたか」

 その名前を呼ぶとすぐに返事が返ってきた。そのことに安心感を覚えるも、すぐに再び下腹部の鈍痛を自覚する。感覚からしてまた血が流れだしたようだった。

「すいません。けれどすぐに到着するので」

「……どこ、に? いや、そもそも、アイン服に血が」

「洗えばいいだけの話です。黒色なので汚れも目立ちません」

「そう、いう話じゃ、ない……」

「えぇ、今はそれよりも重要な事があります」

 未来はアインとの会話が上手くかみ合っていない事を自覚しながらも、倦怠感と痛みで訂正することができなかった。

 そもそもアインは何処に向かっているのだろうか。未来には見当もつかなかった。

「着きましたよ、未来」

 未来がぼんやりと考えているうちに目的地に到着したらしい。未来は視線を上げるもすでに周囲は暗闇になっており、そこがどこかは分からなかった。

「ここ、は一体?」

「温泉です」

 アインは優し気に、どこか嬉しそうに答えた。


 そこから先のアインの行動は速かった。あれよあれよという前に未来の衣服が脱がされる。未来はすでに抵抗する気力も無く、されるがままになっていた。

 裸の未来をお姫様だっこでアインは抱えて浴場へと向かう。自然湧出している場所を露天風呂に改装したであろう温泉は、多少植物で覆われていたが十分に使用可能であった。絶え間なくお湯があふれ出ており、お湯の汚染なども見られない。湯温も入ることが可能な温度だった。

 そこはアインが事前に宿内でかき集めたであろう蝋燭がいたるところに配置されており、夜の帳の中でも光源が確保できていた。

「本当に温泉なんだ……」

 気けだるそうにしていた未来のさすがに周囲の状況に驚いたらしく、きょろきょろと周囲を見渡す。アインはそんな未来を優しく温泉の近くに下した。そうしてどこからか持ってきていた風呂桶でお湯をふんだんに未来に浴びせる。

「わぷっ」

「さてさて」

 そうして今度はタオルと使い捨ての石鹸を使い泡を立てる。そのままびしょ濡れになった未来の全身を洗い始めた。

「あ、アイン? 体くらい自分で……」

「嫌です」

 未来もさすがに気恥ずかしくなったのかアインの手からタオルを奪おうとするが、アインは巧に躱して洗身を進めていく。すぐさま未来の体は泡だらけになってしまった。そのころになると未来もあきらめたのか抵抗を止める。

 未来の全身を泡だらけにしたのちに、アインが再びお湯で洗い流す。そして自らも服を脱ぎ始めた。

「あ、アイン?」

 急なアインの行動に未来が目を白黒させる。服を自らの衣類を近くの濡れないところに置いたアインは、裸のまま未来を抱きかかえる。

「いや、アイン!?」

「はい?」

 もう何が何だか分からない状況に未来が自らの体調不良も忘れて叫んだ。しかし当のアインは何故彼女が叫んだのか理解できていない様子だ。

 狼狽えている未来をよそにアインはそのまま湯舟へと入って行く。未来と二人で温泉につかった。

「どうですか、未来?」

「いや、どうって、あの、その」

「気持ち良くないですか?」

「いや、気持ち良くないかどうかで言えば気持ちいいけど。肌すべすべだし」

「肌? 温泉では無く?」

「え? あ、あぁ、そっちね……」

「そっち?」

「……何でもない」

 自らの想像に羞恥を感じて未来はアインから顔をそむける。なんだか一人でいたたまれない表情をしていた。

「いや、それよりも血とか」

「はい。ですので綺麗にするためにこの場所です」

「いや、そうじゃなくてアインも汚れちゃうんじゃ?」

「大量にお湯が沸出し続けているようなので大丈夫でしょう」

「……嫌じゃないの?」

「何がですか?」

 そもそも機械であるアインに血液への忌避感などあるわけが無いのだが、そんなこと知る由もない未来は一人複雑そうな表情をしていた。

「はぁ、まぁいいか」

 しかしすぐに未来は諦めて現在の環境を楽しむことにした。緊張してこわばらせていた四肢を伸ばして伸びをする。

「んんぅーー」

 鼻から大きく息を吐いてリラックスをする。そして温泉の縁に頭を載せて頭上の星空を見上げた。

「……星空が綺麗だね、とか言おうとしたけどまだ曇ってるや」

「え? あぁ、そうですね。日中は酷い雨でしたから」

「風情ないなぁ……」

「けれど、ここには未来が居ます。私にはそれで充分です」

「え、急に何?」

 いきなりの告白まがいの台詞にアインがぎょっとした表情でアインの方を向き直る。アインは未来の方を笑顔で見つめたまま言葉を続けた。

「今回はさすがに驚きました。急に未来が体調を崩したんですから」

「あぁ、そうえいば目が覚めてからは初めてだったっけ?」

 未来がアインの言葉に自らの下腹部をさする。

「えぇ、知ってはいましたが実際に目にすると混乱しますね」

「そんあ大げさな」

 未来はアインの言葉に笑いながら答える。

「女性なら誰でもある事でしょ?」

「……えぇ、そうですね」

 アインも未来の言葉に笑みを浮かべながら返答した。

 その時に雲がわずかに晴れる。切れ間からは満月がのぞいていた。

「あぁ、未来。星は未だ見えませんが月が出てきましたよ」

「え、ほんと?」

 アインの指さした方向へ未来が顔を向ける。

「少しは風情が出て来た」

「そう、ですね」

 楽し気な未来を眺めながら、アインは自らの体を見下ろした。そして未来に気付かれない程にわずかに眉をひそめながら、自分の下腹部をなでた。


 その後、二人は温泉施設に保管されていた浴衣を着た。そして比較的損傷の少ない部屋に保管されていた布団を敷く。

 圧縮袋に保管れていた布団はこの時代でも問題なく使用する事ができた。

「温泉に入って、布団で寝れるって旅行みたいだね」

 アインに促されて布団に入った未来が隣に寝ているアインに声をかける。

 しかし少し待ってもアインから返答が返ってくることは無かった。

「……アイン?」

 不思議に思った未来がアインの名前を呼ぶ。しかしまたも返事は帰ってこない。

「大丈夫?」

 もう寝てしまったのかと思った未来が軽くアインの肩をたたいた。

「……え? 未来? どうかしましたか?」

 その軽い衝撃にアインが今気づいたかのように反応する。

「あ、ううん。返事が返ってこなかったから。ごめんね。もう寝ちゃってたかな?」

「あ、あぁ。そうですね。少し眠いかもしれません」

 アインはなんだかぼんやりしたように答える。

「それで、未来。何かありましたか?」

「あ、ううん。大した事は無いんだ。寝ちゃって良いよ」

「いえ、まだ未来が起きていますから」

 アインは未来の方を向き直り、何とか覚醒したままの状態を維持しようとする。

「ふふっ、なんだかいつもと逆だね」

 そんな彼女の様子に未来が笑いながら答えた。いつもは眠い未来の相手をアインがしていたのだ。

「いつもは私が眠そうにしているのに」

「そう、ですね」

 昼間に寝ていて目がさえている未来とは対照的にアインの方は今にも意識を失ってしまいそうだった。返事がとぎれとぎれになっている。

「明日に備えてアインは寝ちゃいなよ」

 そんなアインを安心させるように未来はアインの頭をなでる。

「未来の体調が戻るまではここで休養をする予定です……」

「そうなんだ。ありがとう、アイン」

「いえ、これくらいは……」

「けど、今はアインが休む番だよ」

 未来がアインの頭を抱きしめる。

「いつもありがとう、アイン。けど、今日くらいは私に寝顔を見せてほしいな」

「そ、れは」

「お休みなさい」

 未来がアインの言葉を遮りながら眠る際の言葉を言う。

「……えぇ、未来。おやすみなさい」

 アインはその言葉に諦めるように瞳を閉じた。


「……んん?」

 朝、未来が目を覚ますとすでに日は高いところまで登っていた。二人が寝ていた部屋に強い日差しが入り込んできている。彼女もアインがの眠るのを見届けたのちにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 未来が隣に視線を向けるも、すでに布団の中は空だった。どうやらアインはすでに起用しているようだった。

「ふぁぁあ」

 未来は大きく欠伸をして伸びをする。低気圧が解消されたためか、だいぶ体調も落ち着いていた。まだ本調子ではないが、昨日と比べたら大違いだ。

 周囲を見渡してアインが近くに居ないことを確認した未来は布団から立ち上がる。そしてアインを探して部屋の外に出た。

 温泉宿のようになっている施設内を見て回る。しかし室内には彼女は居なかった。

 未来が玄関から出て外に出る。来たときは暗くて分からなかったが、この場所は川に面しているらしい。そいて目の前の川の付近から煙が上がっているのが見て取れた。

「いた、かな?」

 少し自信なさげにしながらも未来は川の堤防に近づいていく。上から川を覗き込むと、川べりでアインが居るのが見て取れた。火を起こして何かを焼いているようだった。何かの香りが未来の鼻先をかすめる。

 はて何の香りだろうか、と未来が鼻を鳴らすと何かの匂いに混じって嗅いだことのある匂いを感じた。それを理解した瞬間、彼女は顔をこわばらせる。とりあえず見なかったことにして部屋に戻ろうとしたのだが。

「あぁ、未来。おはようございます」

「……おはよう、アイン」

 アインの方が未来に気が付いた。さすがにばれてしまってはしょうがないので未来も返事を返す。

 そうして複雑気な表情をしている未来に対してアインは笑顔で告げてきた。

「もうすぐ食事の準備ができますよ」

 

「どうぞ、未来」

「いただきます……」

 アインが未来の目の前に肉を差し出す。お腹が空いてさえいれば美味しいだろうそれは、今の未来取っては口に含むのが億劫な食べものだった。

 彼女はなんとか食べないでやり過ごすことはできないかと考えるが、隣ではアインがにこにこと笑顔を浮かべながら視線を向けてくる。観念した未来はフォークを手に取り、一口食べてみる。

「……あれ?」

 しかし口に含んだとたんに彼女の表情が変わる。食べられないと思っていたそれは、以外にもすんなり飲み込むことができた。

「あぁ、良かった。成功しましたか」

 未来の様子を見てアインが安心した様子で言葉を出す。未来はそんな彼女の方に疑問気な視線を向けた。

「アイン。これって、何かした?」

 未来はいつもより食べやすいお肉を指さしながら疑問を口にする。そんな未来に対してアインは傍らに置いていた瓶を持ち上げた。

「これです」

「……何かの草?」

 未来の言葉通りに瓶の中には何かの植物が入っていた。

「正確には香草、ハーブですね」

 アインは答えを言いながらさらに別の瓶を取り出す。その中には先ほどとは違う植物が詰められている。

「この宿の裏にハウスがありまして。中も荒れていましたがいくつかハーブが残っていたんです」

「へぇ。それが入ってるの?」

「はい。臭みも消えているでしょうし、味も爽やかに感じるかと」

「確かに。いつもより食べやすい」

 アインの言葉に納得しながら未来はさらに肉を口に運ぶ。

「今の未来には栄養が必要でしょうから。食べられて良かった」

「気を使ってもらってごめんね」

「いいえ。気にしないでください」

「うん。本当に食べやすい。けどこれって何の肉なの?」

 何の気なしに質問をした未来。しかしすぐに返ってくると思っていた返事は無かった。

「え、アイン?」

 念を押すように未来は隣にいる女性の名前を呼ぶ。しかしアインは笑顔を顔に張り付けたまま何も言わなかった。

「え、ちょっと!? 本当に何の肉なの!?」

「……動物のお肉、です」

「それは分かってるよ!?」

 何か気まずそうにやっと返事を返したアインに未来が驚いたように答える。

「大丈夫です、未来。食べても害は無いですから。毒などもありません」

「……動物の種類は?」

「哺乳類、です……」

「よし、鶏肉は除外だね!! じゃないよ!!」

「ま、まぁまぁ。今の未来にはタンパク質や鉄分が必要ですから」

 未来の珍しいノリツッコミにもアインは複雑そうな表情で返す。

「……いや、この状況でえり好みできないのは分かってるんだけどさ」

 未来は先ほどとは一変して手元の謎肉(仮)を食べずらそうにフォークでいじっていた。

「……熊です」

「ん、はい?」

 その時にアインがぽつりとつぶやいた。その言葉を上手く理解できなかったように未来は聞き返す。自分の聞き間違いだろうか、という表情をしていた。

「……え、本当に?」

「ですので熊肉です。すいません。さすがに熊を食べるのは抵抗があるかと」

 なので黙っていました、とアインは申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、それよりも熊を狩猟したの?」

「怪我をしていた、動けなくなっていたなどの条件があれば可能ですよ」

「あ、あぁ。そういう……」

 アインの言葉に未来は胸をなでおろす。

「びっくりした。まさか普通に熊を仕留めたのかと」

「……さすがにそれは普通の人間には無理ですね。マタギなどであれば話は別ですが」

「だよねぇ。襲われたらひとたまりも無いもん」

「えぇ、そうです。運が良かったです」

 未来の言葉にアインが同意する。

「本当に、運が良かった」

「ん? 何が?」

「いえ、なんでもありません」

 アインは顔を上げ、未来を笑顔で見据える。

「というわけで、未来。しばらくはお肉を食べながらここで療養しましょう」

「うん。そうだ、……待って」

「はい? なんでしょうか?」

 機嫌よく提案をしたアインを未来が何かに気付いたように遮った。嫌な予感がする、と未来の表情が告げている。

「わ、私、もうしばらくは食べなくても……」

「……今後の経過次第ですね」

「いや、さすがに毎日は食べれ」

「経過次第ですね」

 未来の言葉をアインが食い気味に遮る。

「えと」

「経過次第、ですね」

 笑顔で詰め寄ってくるアイン。未来は視線を逸らしつつ何とかごまかそうとするも、アインに許すつもりは無いようだった。

「勘弁して……」

 未来はもうどうしようも無いことを悟りながら、とりあえずお肉を再び口に運び始めた。

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