第3話 何のための食事

「ねぇ、アイン」

「なんですか?」

「次の街にはいつ着くのかな?」

「……少なくとも今日は無理そうですね」

「うへぇ……」

 隣を歩いているアインからの返答に未来が顔をしかめる。

 今二人が歩いているのは林道であった。

 訂正、おそらく林道であった場所である。地面のアスファルトはひび割れ植物が侵食している。おそらく脇道であった場所には草木が生い茂り野生動物しか通過できない文字通りの獣道になっていた。

 元々は山を越えるための車道あった場所、しかしすでに徒歩での通過ができるだけの荒廃した歩道になり果てている。車などで通過しようものなら損壊した路面に車輪を取られてすぐに斜面に落ちてしまうだろう。そんな道を二人は歩いていた。

「まだ登りですから。今度は下りですよ」

「はぁあ……」

 アインからの捕捉に未来は大きなため息を吐く。幸い気温はそこまで高くなく、日光も頭上の木々に遮られている。登山を楽しむのであれば好都合な気候であった。しかし都市間を徒歩で移動している未来にとっては、ただただ登り道が辛いだけだ。

「……けれど少し不味いかもしれませんね」

「だよねぇ、今日の寝床どうしようか」

「いえ、それもですが」

「え、何?」

「そろそろ食事をとった方が良い日なので」

 アインの言葉に未来が足を止める。そしてそっと視線を隣に立つ人物から反対方向に逸らした。

「……い、いや。まだ良いんじゃないかな? ほら別にお腹が空いてるわけじゃ」

「空いてからでは遅いんです。もう以前手に入れた保存食は食べきってしまったので」

「だ、大丈夫だって。明日にはきっと別の街に」

「未来」

 なんとかこの場での食事を回避しようとする未来にアインが優しく、けれど真剣に声をかける。彼女の真剣さを理解して未来の少し観念したような表情になった。

「……駄目?」

「駄目です」

 アインは少し申し訳なさそうに、しかしどこか語尾が弾むような声で未来の要望を却下した。


「今日はここで休みましょう」

「ここ、って? 何ここ?」

 二人がたどり着いたのは木が生えていない開けた土地だった。草などの植物こそ生い茂っているが周囲一帯だけ森の空白地帯のようになっている。ここいら一体だけ木が生えなかったのか、もしくは誰かが切り開いたような場所だった。

 そして朽ちかけてはいるが近くに小屋と崩れかけの看板があるのが確認できた。

「元キャンプ場、だと思います」

「あ、そういう場所」

 アインが文字の判別すら怪しい看板に視線を向けつつ未来の疑問に答える。

 未来が周囲を見渡しながらこの場所に納得する。ここだけ木々が存在しない理由を理解したようだった。

「草、ばっかりだね」

「そうですね」

 しかし木が無いだけで周囲が草で生い茂っているのは変わりなかった。おそらくもっと広いスペースがあったのだろうが森林がどんどん侵食してきたのだろう。奥の方は未来の伸長を覆ってしまうような雑木林になっており、結局二人が使用できるのは朽ちかけた小屋近辺の空間だけであった。

「とりあえずこの辺りを整えてテントと焚火の準備をしましょう」

「うん」

「それから食事の準備ですね」

「……うん」

 肩を落としている未来を尻目に、アインはバックを地面に下して括り付けていた折り畳み式のテントを取り出す。

「未来、お願いが」

「分かってる。乾燥してる枝ね。あとはあれば松ぼっくりや葉」

 未来がアインの言葉を先読みして発言する。

「ふふっ。手慣れたものですね」

「まぁ、毎日やってればね」

 アインからの称賛に未来は諦めたようにつぶやく。これらの事は最初こそアインが行っていたが、未来のやることを覚えると分業するようになっていた。

「そういえば近頃は町や研究所など建築物も多かったですね」

「……そんな事言われるとベッドが恋しいなぁ」

「落ち葉のベッドなら」

「絶対寝ずらい」

「だと思います」

 少しの間軽口を楽しんだ後に二人はそれぞれの行動に移る。アインはテントの組み立てを。未来は焚火の燃料探しを。

「じゃあ、行ってくるね」

「見える範囲にいるんですよ」

「子ども扱い……」

「いえ、野生動物や自然の危険が」

「この辺りで探しているよ」

 未来はアインからの言葉に一瞬だけ不貞腐れたような表情をするが、続くアインからの言葉ですぐに表情を引き締めた。

「ふふっ」

 アインはそんな未来の反応に満足そうに微笑むとテントの組み立てを再開した。

「さて、私も行かなくちゃ」

 未来は踵を返して木々が多い場所に狙いを定めて燃料集めに繰り出した。


「アイン、テントはもう終わったの?」

「えぇ、未来。こちらは終わりです」

 未来が何往復か目に戻ってくるとテントの設置を終えたアインが焚火の準備をしていた。未来が集めていた木々から少し離れた場所の地面を掘り返して落ち葉を敷き詰めている。その横で彼女は何本かの枝をナイフでそいでいた。

 そうして細かく刻まれた枝を落ち葉の上に並べていく。

「あ、そうだ。アインこれって燃えやすい奴だったよね」

 着々を焚火の準備を進めるアインに未来が丸いものを手渡す。

「あぁ、はい。これが松ぼっくりですね」

 アインは手を止めて未来が手渡してきたものを受け取る。傘が開ききっていて乾燥したそれは着火剤としても使えるものだった。

「これは何処に?」

「小屋の裏の方にあったよ、あとこれも」

 さらに未来がアインに手渡してきたのは大きめの薪だった。

「これは、今日の焚火には困らなさそうですね」

「いつもはアインが火の番をしてなくちゃならないもんね」

「……ふむ」

「アイン?」

 未来と会話をしていたアインが顎に手を当てて何か考える仕草をする。そして疑問気に声を掛けてきた未来の顔をじっと見つめてきた。

「どうしたの?」

「いえ、少し試してみたいことが」

「何?」

「未来。着火をしてみましょう」


「こ、これでどう?」

 数分後。アインが設置していた焚火の準備を全て片付けた後に未来が設置を始めていた。とは言っても初めての事なのでアインがやっていたことを見よう見まねでしてみただけである。おっかなびっくり、という風で不安げにアインを見上げていた。

「はい、大丈夫ですよ」

 アインはというと未来が行った準備に満足げに頷く。そうして彼女にマッチを手渡した。

「あとはマッチに火をつけて、敷いた松の葉の部分に火を移してみてください」

 アインは未来にマッチを手渡しながら先ほど拾ってきた茶色になった松の葉を指さす。火口として作られたそこには松ぼっくりや先ほどアインが削っていた枝が敷き詰められている。その上に囲むように薪が重ねられていた。

「う、うん」

 恐る恐る未来がマッチに火をつけようとする。しかしその動作は明らかに慣れていない物で数度擦ってみても全く火が付かなかった。

「あれ? えと、そりゃ!」

 未来が気合を入れるように声を出して擦るも火花が散るのみだ。

「んん?」

「未来、手はそのままで」

 何故火が付かないのかと困惑している未来、をアインが背後から抱き締めるように手を回す。そうして未来の両手に優しく手のひらを当てた。

「マッチは擦って摩擦で火をつけるんです。勢いよく当てなくても大丈夫ですよ」

「う、うん」

 アインの手の動きに導かれながら動かされたマッチに火が付く。

「う、うわ!? え、えと」

「落ち着いてください。マッチは横にしたままで。縦にすると危ないですから。そこの松ぼっくり目掛けて入れてください」

「こう?」

 慎重に投げ入れられたマッチの火が松の葉に引火する。そして徐々に周囲の枝や松の葉からも煙が出だした。

「つ、着いた?」

「ふふっ、まだ火口だけなので油断しないでくださいね」

 嬉しそうな声をあげながら驚いている未来の横でアインがどこかからか取り出した扇で火を扇ぎ始める。酸素を含んだ空気を送られた焚火はさらに燃える範囲を広げていき、組んでいた薪からも煙が上がり始めた。

「さて、では後は未来に任せますね」

「え?」

 薪に火が燃え移った事を確認するとアインが立ち上がる。

「私は食材を取ってきます。登ってくる途中に鴨を見かけたので周囲にもいるかと」

「こ、これどうすればいいの?」

 荷物からエアライフルを取り出しているアインに未来が焚火を指さしながら訪ねる。その表情は不安げに揺れていて一人で焚火の管理などできるわけがないと表情が告げていた。

「火が弱くなってきたら松の実や葉を加えてください。薪が無くなりかけたら薪や枝を。火が消えてもこれだけ整っていればすぐに再点火できるので気楽に」

「気楽に、って言ったって……」

「大丈夫大丈夫」

 アインはにこにこと未来を安心させるような笑顔で狩猟の準備を進めていく。

「未来、ではこれを」

 そうして自らの準備が終わるといつかのように未来に拳銃を渡す。

「いつもの護身用に使い方は覚えていますね」

「う、うん」

「ではちょっと行ってきますね」

 未来の表情を確認するとアインはエアライフルを持って森の中に入っていった。


 アインが森の中に入っていった後、未来はパチパチと燃える焚火を放心したように眺めていた。

 薪を使用している焚火はすぐに燃え尽きるようなことは無く、あと数時間はゆうに燃え続けるだろう。アインが任せていったのも薪があり本当にしばらくは見ているだけで良いからなのだと未来もすぐに気が付いた。

「早く戻ってこないかな」

 火の番をしながらも未来が考えているのはアインの事だった。

 目が覚めてから初めて、そして唯一出会った人物。自分と二人で生き残っている数少ない人間。そしてこの旅の同行人。とは言ったものの実際は生活にかけてアインにおんぶ抱っこの状態だった。

 廃墟と化した町からテントなどの必要な機材を集めて、日々生活に必要な物を収集する。今でこそ未来も手伝いを行うことができているが、アインが居なければそもそも目が覚めてから生き残ることすらできなかっただろう。

「そういえばアインってもともと何してたんだろう」

 自らの記憶を遡ってみても良く思い出せなないがおそらく学生だったのだと思う。年齢も十代前半だったはずだ。具体的な記憶はないが何となくそんな感じだったな、としっくりくる。ならばアインは。

 ふとアインの以前の状況を考えてみる。

 年齢はおそらく十代後半くらい。未来が機械から出た時目の前に居たのがアインだったのだが、その時から彼女はメイド服を着ていた。だからメイドだろうか。

「いや、それはさすがに」

 未来は独り言をつぶやきながら自らの考えを振り払う。いくら何でもあり得ないだろうと思うのだが。

「あ、でもアインは確か2160年以降の生まれだったっけ?」

 以前話した眠る前の年代の話を思い出す。アインが生活していたのはその位の年代だったはずだ。そして私の記憶は2040~50年代の物。私とアインの生まれには100年ほどの開きがある可能性がある。もしかして100年後には日本にもメイドが存在していたのだろうか。

「うぅん」

 そもそも未来には100年後の生活が想像できなかった。

「というかそもそもアインはなんでサバイバルの知識なんて持ってたんだろう」

 私にとっての未来の生活も想像できなかったが、もう一つ分からないのがこれだった。趣味でキャンプをしていた、というには技術力がありすぎるような気がする。メイド、キャンプ、さらには動物の狩猟など分からないことが多かった。

「アインって何者なのかな?」

 そんな風なことを考えながらぼーっとしていると何かの音が耳に入り込んできていた。

「アイン?」

 草木をかき分けるような音を感じ、周囲に声をかけてみる。しかし返答は無かった。そして一瞬止まった音も再び聞こえ出す。

「……」

 そもそもアインならばこちらに声を掛けながら近づいてくるはずだ。嫌な予感に心臓の鼓動が早まる。嫌な汗が噴き出してきた。

 未来は視線を手に持っていた拳銃に向けてしっかりとそれを握りしめる。

 その間も音はどんどん近づいてくる。ゆっくりと、けれど確実に。

「はぁ、すぅ」

 未来は呼吸を落ち着けるために大きく息を吐いた。吐いた反動で空気を肺に取り込むとわずかに息を止める。

 そうして、引き金を引いた。


「未来!!」

 銃声を聞き、アインが取り乱しながらキャンプ場に戻ってきた。

「あ、アイン……」

 駆け寄ってくるいつもの見慣れたメイド服の姿を見ると未来は腰を抜かしたようにへたり込んだ。

「何が!?」

「い、いや、たぶんなんかの動物だと思うんだけど……」

 未来はアインの質問に近くの藪の方に視線を向けた。

「銃を空に向けて撃ったら犬の鳴き声みたいな声が聞こえて逃げていったよ」

「怪我は!? どこか痛めたとか!?」

 安心した様子で呟く未来だが、アインの心配そうな様子は終わらない。未来の全身を両手で触って確認していく。

「あ、アイン?」

 さすがに奇妙な相方の様子に未来は困惑した様子で呟く。しかしアインはそんな事気付かないように未来の頭、腕、体、足と全身をくまなく調べていく。

「嚙まれたり、引っ掛かれた等もありませんか!? 些細な傷でも言ってください!!」

「う、ううん。そもそもすぐに逃げたから」

「本当に?」

「本当だよ」

「良かった……」

 未来に何も怪我がない事の確認が取れるとアインは大きく肩を落とす。

「アイン?」

 何故彼女がここまで心配しているのか理解していない未来が首をかしげる。アインはそんな彼女の様子を見て、少し思い悩んだような表情する。しかし意を決したように話し出す。

「恐ろしいのは野生動物そのものもですが、感染症です」

「感染症?」

「はい。念のためいくつか抗生剤は持ってきています。しかし手持ちの物でどうにもならなかった場合、最悪の事もありますから」

「……死ぬの?」

「最悪の場合は」

 顔色を変えた未来に対してアインは一つ一つ説明を行っていく。

「人同士ですと接触、飛沫、空気や体液を経由して感染することが多いです。動物はさらに爪や牙なども感染源に含まれます。またその動物に寄生しているダニなんかも危険な感染症を媒介します」

「あっ」

 未来がアインの言葉の意味を理解する。つまりは先ほどの状況は傷つけられればそれだけで死ぬ可能性があったのだ。

 肩を震わせ始めた未来をアインがそっと抱き寄せる。

「何事も無くて、本当に良かった……」

「……うん」

 いつもより力強く抱きしめてくるアインを未来はそっと抱き返した。


「さて未来。焼けましたよ」

「うん……」

 火の前に座っていたアインが手に持った皿を未来に手渡してくる。その上には良く焼けたお肉と何かの木の実が盛られていた。未来はそれを諦めたように受け取る。

 お肉は綺麗に骨が抜き取られていた。渡された部位はもも肉だろうか。よく火の通ったそれは肉汁を滴らせながら食されるのを待っている。

 未来は意を決したように肉にかぶりついた。

「どうですか?」

「うん、まぁ、その。お肉だね」

 アインからの感想を求める質問に未来は何とも返答しずらそうに応える。そもそも味についての返答になっていなかった。

「まぁ、味付けも塩しかありませんからね」

 そんな未来の言葉にアインも予想が着いていたように苦笑いで返した。

「えと、美味しくないわけじゃないんだよ?」

「分かってます」

「……ごめん」

「いえいえ、お腹が空いていない時の食事は美味しくない物だと誰かが言っていましたから」

 しゅんとしている未来を慰めながらアインは自分の分を食べながら焚火の上のスキレットを動かす。折りたたんで収納もできるそれが彼女らの数少ない調理器具だった。それとそばに置かれているナイフが食材を捌くための物だ。後は水分補給に使用する鍋とコップ。これらを使用して調理をしていた。

「ごめんね。栄養のためにも食べなきゃいけないことは分かってるんだけど、前に食べたのがまだ4日前だから」

「えぇ、理解してます。ですので無理の無い程度に食べてください」

「うん……」

 アインの言葉に未来はチマチマとお肉を切り分けながら少しづつ口に運んでいく。

「……そういえばこれは何のお肉なの?」

 しかし沈黙になるのが耐えられないという様に未来はアインへの質問を行った。

「こちらですか? 鶏肉です。鴨ですね」

「へぇ。初めて、だっけ?」

「旅を始めてから、という事ならそうかと」

「それから……」

 アインは視線を手元のスキレットに移して中で鳥の油でいためていたものを一つフォークで刺してみる。中まで火が通っている事を確認するとそれをアインの顔の前まで持ってきた。

「山芋です、どうぞ」

「山芋……」

 前の目にあるそれを未来はしげしげと眺める。

「実はこれを見つけていたから少し遅くなってしまったのです。少し旬からは外れてしまっているかもしれませんが」

「……んっ」

 未来はアインの手元のフォークに刺さっているそれをそのまま食べてみる。

 何度か咀嚼したのちに彼女の表情はほころんでいった。

「あ、食べやすい」

「良かった」

 未来の久しぶりな味の感想にアインが安心した表情をする。

「もう少しどうぞ」

 アインは綺麗に切り分けられているそれをいくつか未来の皿の上にのせる。未来は先ほどよりは調子よくそれらを口に含んでいった。

「本当は穀物などもあればいいのですが」

「穀物ってお米とか麦とか?」

 アインの少し残念そうな言葉に未来が食べるのを止めて口を挟む。

「はい。特にお米などはお粥に、小麦はうどん等にすれば消化にも良いですから食べやすいかと」

「あぁ、ご飯にうどんね。アインの時代にもあったんだ」

「料理の知識はそこまで変化はしてないと思いますよ」

「けど今まで通ってきた道の途中に稲穂みたいなの無かったけ?」

 未来は今までの道中を思い返しながら言葉を発していく。たしか雑草まみれだったが田んぼや畑の名残のようなものはあった。その中に稲穂のようなものをあったと思う、と表情が告げていた。

 しかし、そんな未来に言葉にもアインは浮かない顔のままだった。

「あるにはあったのですが……」

「何が問題だったの?」

 アインは悩むような表情のあと、ため息を吐くようにしてつぶやいた。

「……あれを食するためにはまとまった量を収穫し脱穀などしないといけないのですよ」

「脱穀?」

「もみ殻。つまりは外の皮を取るわけです。全部の粒の」

「……うっわぁ」

 アインの言いたいことを理解して未来も顔をしかめる。

「道具があればまた違うでしょうが、現在の私達では効率的な方法なんて取れません。また野生化して雑草まみれになっている場所から稲穂だけ収穫して数を集めないといけないのです」

「……ご飯一杯って何粒くらい?」

「数千、はあるのではないでしょうか?」

「ご飯は諦めるかぁ」

 アインの説明にご飯を食べるためにしなければならないこと理解して絶望する未来。そうして諦めたようにお肉と芋を口に運んだ。


「ご馳走さま」

「ご馳走さまでした」

 食事を終えた二人は使った物の片付けを始める。

「うぅ。あと一週間くらいは何も食べなくて良い……」

 しかし最後の数切れを何とか口に放り込んだ未来は苦しそうにお腹を押さえていた。

「本当に一週間食べなくて、お腹がすいたからと急に食べすぎると身体を壊しますよ」

 アインは食後の水分補給のためにお湯を沸かしながら笑顔で未来を窘める。

「えぇ、でも本当にあと一週間食べなくても問題無いんだけど」

 未来はそんなアインに至極真面目に返答した。

「栄養的には問題ないでしょうね」

「でしょ?」

「けれど消化器官はそうでは無いんです」

「んん? どういう事?」

 未来はアインのいう事が理解できずに聞き返す。

 アインはお茶をコップに移しながら口を開く。

「簡単に言えば。消化管が空っぽの状態が続き、使用しない状態が続いた後。一気に食事をとると胃腸が上手く働かないのです」

 なるべく未来が理解できるように言葉を選びながらアインは未来にお茶を淹れたコップを渡す。未来は受け取ったコップを自らの吐息で冷ましながらアインの言葉を咀嚼していった。

「つまり、お腹が空かなくても定期的に食べなくちゃいけない? お腹を動かし続けるために」

「はい。そういう事です。そうでなくても一週間何も食べなければ、腸内環境の変化などが起きて体調が悪くなると考えられます」

「……人間の体意味不明すぎない? 食べなくても平気だけど食べなくちゃ問題が起きるって」

 未来はアインの説明を聞き、自分の体を見下ろしながら顔をしかめる。しばらく食事をとらなくても問題は無いが、定期的に取らなければ不調を起こす。まるで矛盾しているかのような発言だった。

「未来の時代にもありませんでしたか? 時折一週間以上食事をとるのを忘れて、空腹のままに暴飲暴食を行い入院する人」

「えぇ……? さすがにいなかったと思うけど」

 アインの言葉に未来は信じられないといったように驚く。

「そうなのですか? まぁ、最悪死んでしまうのであまり起きる事ではありませんでしたが」

「それ、どう対応するの?」

「点滴などで栄養を確保しつつ、重湯などで少量づつ消化管に負荷を与えていきます」

「重湯?」

「お粥の上澄みです」

「……うわぁ」

 状況の悲惨さを理解して未来がさらに顔をしかめた。今未来の頭の中には病院のベッドで点滴をされながら薄いスープをすすっている病人が想像されている。

「自分の行動のせいでそうなるのはかなりきついね」

「まぁ、ですので水分を除いてだいたい3から5日に一度は食事をとるのが望ましいですね」

「善処します……」

 未来は軽く肩を震わせつつ、手元のお茶を一口飲み込んだ。

 お茶はとても暖かかったが、嫌な想像のせいでお腹の奥が冷え込んでいるような感じがした。


「さて」

 お茶を飲み歯磨きを終えたのち、いつものようにうとうととしだした未来。彼女をテントに寝かしつけたアインは焚火のもとに戻ってくる。そうしてしばらく燃料を投下しなくてもいいように薪をいくつか入れると、立ち上がって周囲の森を見渡した。

「まぁ、しょうがないですね」

 これからしなければいけない行動にため息を吐き、いつも背負っているバックの中から必要な物を取り出していく。

 糸、鈴、ナイフ、それからいくつかちょうどよさそうな薪と枝。それらを使用して未来が寝ているテントの周辺に簡単なトラップを仕掛けていく。内容は糸に触れると鈴の音が鳴るというただそれだけのものだ。けれど、これから少しの間この場所から離れなければならないことを考えるとこれは必要な事だった。

 もしかしたら、起きた未来が足を取られてしまうかもしれないが背の腹には代えられなかった。彼女の先ほどのため息はこのためである。未来が怪我をしてしまう可能性を考慮しても、それ以上の危険に備えるためには必要な事だった。

 なるべく音を立てないように設置を終えた後、アインは未来が寝ているテントの中を覗き込む。中ではいつの模様に未来が安らかな吐息を漏らしつつ寝息を立てていた。その顔は安心しきったようにとろけている。

「ふふっ」

 アインはその未来に表情でつい、笑みをうかべてしまう。

「んんぅ?」

 その時に反応したかのように未来が寝返りをうつ。アインは慌てて両手で自らの口を押えるが未来が起きた様子は無かった。再び安らかな寝息が漏れ始める。

「……未来?」

 アインが念のため小声で声をかけるも反応無かった。彼女はそのことに胸をなでおろす。

「ちょっと、行ってきますね」

 未来が熟睡している事を確認したアインはテントを閉めて暗い森の中へと歩き出した。


 暗い森の中をアインは一人で歩んでいく。光源は時折木々の切れ間から差し込む月光と星明かりだけであり、まともな人間なら足を取られるような場所だった。しかし彼女は迷いなく、体制を崩すことなく足を進めている。そして時折立ち止まり周囲の様子の観察を行う様に視線を動かしていた。そうして森の中にある微かな痕跡を頼りに目的地を探している。

 10分ほど歩いただろうか。アインは不意に足を止め左側の木々の先に顔を向ける。傍からは何か存在しているようには見えず、また物音も感じない。周囲には風に揺れる枝葉の音と時折響く虫と動物の鳴き声が遠くから聞こえるのみだ。

 しかしアインはそのまま視線を動かさず暗闇の方を見つめ続けている。そうしてぽつりとつぶやいた。

「あぁ、そういえばあちらでしたね」

 何かに納得したようにつぶやいたアインはそちらの方向に歩みを進めていく。

 しばらく歩みを進めるとアインが昼に訪れていた場所にたどり着く。すなわち、狩猟した鳥の血抜きを行った場所だ。そこは小川が流れており、鳥の血抜きそして肉が傷まないようにしばらくそこで冷やしていた。だからきっと、その匂いに釣られたのだろうというアインの予想は当たっていた。

 アインが昼間も訪れた場所に彼から居た。

 森の中から現れたアインに対してそいつらは一気に振り向く。そして低いうなり声でアインを威嚇し始めた。

「狼、なわけありませんね。野犬の群れですか」

 昼間に未来に起きたことから予想はしていた。未来は大柄な方ではないが、それでも彼女を狙う動物となれば限られる。ここが日本であることを想定すれば最悪熊や猪、野生化した外来種の大型動物。そして可能性が高かったのは野犬だった。

 計10数匹の群れがアインの目の前にたむろしている。そしてアインが微動だにしていない間にも体格の大きい数犬がうなり声をあげながらじりじりとアインを囲むように近づいてきていた。

 そんな目の前の状況に対してアインは別段慌てて様子は無く、両手にも何も握らないままにだらりと下したままであった。

 ただ視線だけを目の前の近づいてくる野犬たちに向ける。

 数秒間お互いに睨み合うだけの時間が続いた。

 そして。充分にアインに近づいた犬たちがアインに飛び掛かった。


「あれ、アイン?」

 テントの中で目覚めた未来は怪訝そうな声を出す。その理由はテントの出入り口にあった。

 閉めるのはいつもの事だが今日に限って何かのロックが罹っているようだった。未来が中からいくら操作しようとも動かない。ただテントが揺れるのみだ。

「アイン? ごめん。テントにロックが掛かってるみたいなの? 開けてくれない? ……アイン?」

 いつもと違う様子に未来は続けて相方の名前を呼ぶ。その声には徐々に徐々に真剣みが混じり始めていた。

「アイン!?」

 我慢できないように未来はアインの名前を叫ぶ。

「あぁ。すいません、未来」

 数度呼んだ後にアインの声が返ってくる。安心する未来の目の前でテントのファスナーが開けられていった。

「いつの間にかロックされていたようですね。ごめんなさい。今水を汲んできていたので」

 そうして朝日を背にいつもと変わりのないアインの姿が未来の目に入ってくる。

「え、あ、そうだったんだ。こっちこそごめんね。閉じ込められたのかと……」

「まさか」

 未来の言葉をアインは笑いながら否定する。

「そんなことしませんよ」

 起き上がろうとしている未来にアインは手を貸して引き上げる。

「おはようございます、未来。今お湯を沸かしているので待ってくださいね」

「うん、おはよう。アイン」

 未来はアインに手を引かれながら外に出る。少し先ではアインが熾したのだろう焚火があり、その上でアインの言う通りにお湯が沸かされている。

「ふぁあ、うむぅ。ん?」

 そんな時、朝日を全身に浴びて大きな欠伸をしいていた未来が何かを見つけた。

「何だろう?」

 未来が地面に落ちていたそれを拾い上げるとそれが小さな鈴だった。

「鈴?」

 それは錆びてもいなければ損傷もほとんどない。まだ使用できそうなものだ。しかしという事はこれは自分たちが持ってきたものという事になる。けれど。

「……こんなもの持ってたっけ?」

 鈴なんて持ち歩いていたっけ、と未来は頭を悩ませた。

「未来、どうしました?」

 立ち止まって何かをつまんでいる未来にアインが気付いた。そばに寄って来て未来の手に顔を近づける。

「アイン。こんなの持ってたっけ?」

 未来も手のひらの鈴をアインに見せた。

「えぇ、持ってますよ。熊避けですね」

「熊避け?」

「えぇ、別に熊に限った話では無いのですが山に入る時なんかに野生動物を避けるために使うのですよ」

「へぇ」

 アインからの説明に未来はしげしげと鈴を眺めた。

「昨日も持って行ってたの?」

「えぇ、とは言っても幾つか持ってますし、そのうちの一つを落としていたのでしょう」

 アインは未来の手のひらの上の鈴をつまむとメイド服のポケットの中にしまう。

 その時に未来がもう一つ妙な事に気付く。

「あれ、アイン。スカートの裾が少し裂けてるよ」

「え? あぁ、本当ですね」

 アインは未来に言われて気付いたという風に自らのスカートを見下ろした。

「やはりメイド服で森の中は無理でしたか」

「アインも別の服に着替えたらよいのに」

「とは言っても、これが着慣れているのですよね」

 アインはくるりと自らの体を回転させながらメイド服の裾を確認するように見回す。

「メイド服が?」

「それなり強固な作りですし、ブーツも悪路に耐えるのですよ?」

「……絶対それ以外に問題があると思うんだけど」

「似合ってませんか?」

 なぜかメイド服にこだわりを持っているアインに未来は半眼でアインを見上げる。しかし良い答えが思いつかなかったのか、すぐに諦めたようにため息を吐いた。

「まぁ、アインが良いなら良いんだけどさ」

「なら問題は無いですね。とはいえさすがに出発する前に補強しておきたいですね。水分を取った後、出発前に時間をもらってもいいですか?」

「それはもちろん。というかアイン裁縫もできるの?」

「服を作ったりなど実際に行ったことはありませんが、まぁできるかと」

「本当にアインってなんなの?」

 むしろ何ができないのかと未来はアインの方を見つめる。しかし当の彼女はこちらの視線に気づいても笑顔で見つめ返してくるだけだった。

「けどまぁ、本当にアインが居てくれて助かるよ」

「そうなのですか? ありがとうございます」

「いや、むしろお礼を言うのはこっちの方なんだけど……」

 そんな会話をしているうちに二人は焚火の前までやってくる。アインは手早くお茶の準備をするとアインへと手渡した。

「では、飲み終わったら片付けなどを済ませて出発しましょう。今日にはなるべく山から下りたいですしね」

「今日こそはベッドがあるといいなぁ」

「あるといいですね」

「……絶対に無いと思ってるでしょ」

「確率は少ないかと」

「だよねぇ……」

 その時、近くの茂みが揺れ草木が擦れ合う音がした。その音に昨日の事を思い出したのだろう。未来の肩が勢いよく上げる。

「大丈夫です、未来。ただの風です」

 アインはそんな未来の肩を抱きつつ安心させるように背中をなでる。

「昨日怖い目にでもあったのでしょう。数日は近寄らないのではないかと」

「そ、そっか。昨日の銃の音で」

「えぇ、一応念のため早めに出発しましょうか」

 アインは未来がお茶を飲み干すまでの間に焚火の後処理やテントの収納などを始める。メイド服の裾は後で簡単に縫うつもりなのだろう。それよりも出発の準備を優先させたようだった。

 未来がお茶を飲みながら昨日何かがいた茂みに視線を向けるも、そこから何かの気配を感じる事はすでにできなかった。

「昨日のは結局何だったんだろうな」

「何の事ですか、未来?」

 未来が呟いた言葉にアインが反応する。

「ううん。なんでもない」

 しかし未来は首を振りながらアインに答えると手元のお茶を飲み干した。

「アイン、私も手伝うよ」

 そういてこの場所から出発すべく、アインの手伝いを始めた。

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