第5話  わかってない




二日後、授業の組み立ても終わり、瑠里は久しぶりに自主練をしようと練習後サブグラウンドに姿を現した。

あの夜、青からのメールが返って来なかったから、今日からまた自主練に参加するというメールも送れないでいた瑠里だった。


グラウンドへ降りる階段の中程で目にした光景に、瑠里の足はピタリと止まった。


青が真衣と走っていた。

いつものように、真衣が追いかけるように走るのではなく、二人で走っていた。

真衣が何かを青に話しかけながら走り、青は時々軽く頷いたりしていた。

その仲睦まじく見える姿に、瑠里は凍りついた。



「 嘘……なんで…… 」


駅伝チームの合同ランや練習の時に青がメンバーと並走することはあっても、個人的に走る時に誰かと肩を並べて走る姿を見るのは初めてだった。


なんなら、その場所は、自分だけが許されている場所なのだと思い込んでいた。


瑠里の顔が泣きそうに歪んだ。

そして、そのままUターンをしてその場を走り去った。



その夜、三日振りに青からメールが来た。


ーー 今日、サブに来たよな?なぜ帰った?


自分がサブを訪れたことも帰ったことも、青は知っていたんだ……


ーー 自主練に戻る時は連絡するはずじゃなかったのか?


だって、そっちがメールスルーしたじゃん。

瑠里は携帯に向かって文句を言った。


結局、その夜、瑠里は青にメールを返さなかった。




次の日、駅伝チームは休養日だった。

他の競技は、通常練習があり、瑠里は5000メートルグループでのラン、真衣は数日前から三千メートルのチームに入れられてのランをしていたから彼女と接触することなく部活を終われたことに瑠里はどこかホッとしていた。

真衣のことだから、昨日の青との自主練をあれこれ報告したがるだろうし、それだけは聞きたくなかった。



練習後、皆がそれぞれに帰ったあと、ずっと晴れないモヤモヤを胸に、瑠里は一人サブを流すように走っていた。

せっかくの合同ランでも調子が出ない。

大好きな走る事に集中出来ないでいた。



その時だった。

何周かジョグしていると、後ろから誰かの足音が聞こえ、スッと横に並ばれた。


「 は、橋垣君!? 」


瑠里の横にピタリと並んだのは、橋垣だった。


「 よぉ!」


「 ど、どうしたの!?駅伝チームは、休養日でしょ?」


「 今日は、軽めのトレーニングだけジムでやって帰ろうとしたら走ってる高宮が見えたからさ 」


そう言って橋垣は、瑠里のスピードに合わせ走る。

瑠里は、個人的に青以外と走ったことが無かったから、戸惑いが大きかった。


「 実はさ、最近の高宮の走りが元気が無いように見えたから、気になってたんだ。」


「 え?私の……走り?」


「 そう、高宮の走り。」


橋垣は、瑠里を見て微笑む。


「 高宮の走りって、楽しそうなんだ。走るのが好き!って感じが見てて伝わってくる。」


自分の走りがそんな風に見えていたなんて知らなかった。


「 それが最近、たまに見かける女子の合同ランの高宮の走りがいつもみたいに楽しそうじゃなくて、ちょっと心配してた。」


それは意外な言葉だった。

自分のことを走りを通して見ていてくれた人がいたなんて。

それも元気が無いと心配してくれていたなんて。

青でもそんな風に言ってくれたことは無い。


「 なんかあったの? 」


橋垣の問いかけに、瑠里はうん、とは言えない。


なんかは、あった。

ここのところ、青と気持ちがすれ違う日々だ。

自主練のこと、というより真衣の存在。

それに、なぜか二人きりの時は気まずい雰囲気に支配される。

メールもぎこちなさが目立つ。

あんなに青と一緒にいることが楽しくて幸せだったのに、今はちょっと辛い。


「 高宮?」


黙り込んだ瑠里に橋垣が顔を覗き込むように見た。


「 あ、大丈夫、ありがとう。」


瑠里は首を振って微笑む。


「 なんか、私の走る姿をそんな風に見ててくれる人がいてなんか嬉しい、ありがとう。それだけで、元気が出るかもー 」


瑠里の素直な感謝の言葉に、橋垣はちょっと照れ臭そうに笑った。


「 そっか、元気が出たなら良かったよ。」


二人は、その後もジョギングペースでたわいも無い話題を話しながら走った。



二人でそんな風に何周か走っていると、サブグラウンドへの階段を降りて来る人物がいた。

青だ。

青は、グラウンドに入ると止まることなく走っている二人にどんどん近づいて来る。


「 おっと、月城さんだ。」


青の姿に二人同時に気づくと、走りをゆっくり止め、青が向かって来る方向に歩き出す。

瑠里の顔は無意識に強張った。


「 橋垣、今日は休養日だったよな?こんな所で何をしている?」


向かい合った瞬間に、青の冷たい声が飛んだ。


「 お疲れ様です。軽めのトレーニングした後、どうしても軽く走りたくなってしまってジョグしてました。」


橋垣は、悪びれることなくそう答えて笑った。


「 また調整失敗するつもりか?去年のように?」


青の蔑むような眼差しに、橋垣の顔から笑みが消える。


「 まさか!二度とそんな事にはなりませんよ。全ては順調ですよ。」


「 高宮、おまえもこいつが休養日だと知っていて誘ったのか?」


そう言って瑠里を見た青の眼差しは、怒りを抑えているようだった。


「 高宮は、誘ったりしてませんよ。僕が勝手に彼女の自主練に参加させてもらっただけです。」


橋垣の瑠里を庇う言葉に、青はうんざりと目を閉じると


「 もう帰れ。」


短くそう命令した。

橋垣は、その青の一言に睨むように見上げ、何かを言おうと口を開きかけたが、瑠里が遮った。


「 橋垣君!私はもう大丈夫だから!ありがとうね!」


瑠里の必死な様子に、橋垣は口を閉じた。


「 高宮、また走ろう。何かあればいつでも言ってくれよな、付き合うから。」


橋垣は、瑠里にそう言って笑いかけると、青を無視するようにサブグラウンドを出て行った。



瑠里は橋垣の背中を見送りながら、その場を動けなかった。

かといって、目の前にいる青の顔も見れない。


痺れを切らしたのは青だった。


「 なんで俺じゃなくてあいつと自主練してるんだ? 」


「 ……別に、自主練とかじゃないし…… 」


「 だが、一緒に走ってたろ?」


青の声に怒りが見え隠れしているのがわかったが、瑠里は頭の中に甦った青と真衣の走る姿を盾に顔を上げた。


「 私が橋垣君と走っちゃいけない理由を教えてよ!なんでそんな責めるような目で見るの!?」


突然の瑠里の怒りに、青は少し驚き、目を細めた。


「 青が高木さんと走るのはよくて、私は橋垣君と走っちゃダメなの?」


「 なんだ、それ?」


「 は、橋垣君は、私を心配してくれたの!私に元気が無いって、私の走ってる姿を見てそう感じてくれたの!」


青は黙ったままだった。

怒りなのか苛立ちなのか、何かを抑え込んでいるようだった。


「 青は……そんな風に気づいてくれた?メール送っても無視するような青が、私が元気無いとか気づいた?」


ここ数週間のイライラやモヤモヤが怒りに変わって瑠里を攻撃的にさせた。


「 メールなら、おまえもスルーしただろ?」


「 なんで……なんでスルーしたのか、考えてくれた?理由があったんだよ?」


「 なら、瑠里は考えてくれたのか?俺がなぜメールを送り返さなかったのかを。」


今度は瑠里が黙り込んだ。

あの時、もちろん気にはなったし、考えもした。

でも、全くわからなかった。



「 だから、橋垣なのか?」


青から意味不明な言葉が飛んできた。


「 ……どういう意味? 」


「 おまえの走る姿から元気の無さを感じ取ってくれて、心配もしてくれて、なんなら一緒に寄り添って走ってくれる。だから瑠里は俺じゃなく、橋垣がいいのか?」


青の声にはハッキリとした苛立ちが表れ、少し早口でそう聞いた。


「 ……なにそれ?私は……そんなこと一言も言ってない…」


「 ここ暫くの瑠里の様子が、そう見えるんだよ 」


「 なら!ここ暫くの青は、私じゃなくて高木さんと走るのがいいみたいに見えるよ!」


これはもう、売り言葉に買い言葉だった。

しばらくの間、瑠里は睨むように、青は少し淋しそうに、お互いを見つめ合った。


「 ……瑠里は、俺をそんな風に見てたのか…… 」



青のその残念そうな声色に、瑠里はドキッとして目を丸くした。

こんな風な青を見るのは初めてだ。

淋しそうな、虚しそうな、それはなんとも言えない表情だった。


それから小さな溜め息を吐くと、青は瑠里を真っ直ぐ見た。


「 これだけは言っておく。ここ暫くの俺の行動は、全て瑠里の為のものだった。おそらく伝わらなかったんだろうがな。」


「 ……… え? 」


「 瑠里、ゆっくりでいいから考えろ。おまえが考えた末に出した答えなら、俺はどんな答えでも受け入れるつもりだ。」


何を!?

何を考えるの!?

聞き返したいのに、言葉達が喉の奥で固まってしまった。

背中を向けて歩き出した青を今すぐ引き止めたいのに、全身が固まってしまった。


答えって何!?

…… 私達が別れるか別れないかってこと……?

なんで私が考えるの?

青は?青はどうしたいの?

私のためって何?


喉の奥で固まって出口を失った言葉達のせいで胸が締め付けられるように苦しい。


瑠里はポロポロと泣きながら、すがるように遠ざかる青の姿を見つめた。

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