第2話  すれ違い




「 青先輩ーー!!」


次の日、トラックでビルドアップの練習を終えた青に、一年の真衣がそう呼びかけながら走ってきた。


ギョッとしたのは青の周りの部員だった。

突然、青の名前を呼びながら走り寄る新入部員に周囲の注目は集まった。


「 青先輩、お疲れ様でした!水分です、どうぞー!」


青は首に掛けたタオルで汗を拭いながら、怪訝そうな顔で真衣を見た。


「 何のつもりだ?」


青の無感情な言い方に、真衣はキョトンと微笑む。


「 水分の差し入れですよ!」


「 そうじゃない、俺の名は月城だ。二度と馴れ馴れしい呼び方はするな。」


青特有の冷たい突き放すような言い方に、周りが息を飲んだが、当の真衣は首を傾げただけだった。


「 高宮先輩も、そう呼んでませんでした?」


青はそれには答えなかった。

すると、近くにいた瑠里と同期の青年が口を開いた。


「 高宮は、いつも月城さんって呼んでるはずだよ 」


昨年のルーキー、橋垣だった。

青はそう答えた橋垣に軽く眉を顰めた。


「 そうですか?なんか聞いた気がしたんですけどー 」


「 勘違いだろ?高宮はいつも礼儀正しいよ 」


まるで瑠里を擁護するような橋垣の言葉に、青の眉間の皺はもう一段階深くなる。

なんでこいつが答えてるんだ?


「 じゃぁ、月城先輩!自主練の時、私にフォームを教えてください!私、月城先輩のような走りがしたいです!」


真衣は、ニッコリ笑いながら、頭を下げた。


「 は?断る。」


「 えー!?なんでですかぁ?高宮先輩にはコーチングしてるじゃないですかぁー 」


真衣は不満を口にしたが、青は取り合うことなくその場を後にした。

そんな青の背中を口をへの字に曲げながら、真衣は拗ねるような目で見送った。




次の日、瑠里は講義の合間に一人、オープンテラスで二年生になっての授業の組み立てスケジュール用紙と睨めっこしていた。

必修科目は元より、選択必修科目や自由科目も組み合わせなくてはいけないし、クラブの競技会や記録会を優先しないといけない月は、科目数も調整しないといけない。

一人で悶絶していると、丸いテーブルの前に誰かが立った。


「 高宮?どうかしたのか?」


陸上部同期の橋垣だった。

左肩にリュック、右手にコーヒーのトールサイズを持っている。


「 あ、橋垣君。」


去年の駅伝での一件から、なんとなくたまに会話するようになった。

とは言っても、彼の方が瑠里に挨拶やお疲れを言ってくれるレベルではあったが。


「 ここ座っていい?」


「 え?……あ、うん、いいよ。」


瑠里が戸惑いがちに答える前に、彼はもう目の前に座っていた。


「 ははーん、授業の組み立てで悩んでるの?」


「 うん、そう。なかなか上手く組み立てられなくて… 」


「 遠くから見てたら、どこか痛いのか、体調でも悪いのかと思ったよ 」


橋垣は、コーヒーを揺らしながら面白そうに笑った。


「 え!?そんなに?」


瑠里が驚いて聞き返すと、橋垣はうんうんと頷いた。


「 うわっ、恥ずかしい…… 」


「 アドバイスしようか?俺、もう組み終わったから。」


橋垣はそう言いながら、瑠里の前に広げられた用紙を覗き込んだ。


「 え!?あ、ううん、大丈夫、たぶん。」


「 たぶん?」


変に突っ込まれて、瑠里は首を振りながら手も振った。


「 いえ、大丈夫、絶対。」


橋垣は、瑠里の仕草にクスクス笑った。


「 絶対ね、ならいいけど。」


なんだか気恥ずかしくなって瑠里も思わず吹き出して笑ってしまった。


その時、テラス横の校内通路を歩いて来る青の姿が目に入った。

青だ!

瑠里は思わず立ち上がった。


だが、青は瑠里をチラッと一瞥いちべつしただけで、そのまま通り過ぎてしまった。


え!?えぇ!?なんで?

気づいたはずなのに、スルーされた?

なんで?


橋垣も瑠里の視線を追って、通り過ぎた青に気づいた。


「 月城さんだね。」


立ち上がったまま心細げに見送る瑠里に、橋垣は励ますように微笑む。


「 相変わらずクールな人だよね。走りは凄いけど。」


橋垣のその言葉尻に、瑠里は椅子にストンと座ると、思わず嬉しそうに頷いた。


「 そう!月城さんの走りって本当に凄いよね!橋垣君もそう思う? 」


「 いや、事故のことも後から聞いたけど、凄い人だと思うよ。未だ進化し続けてる走りは、今年の出雲も狙えるんじゃないかって先輩達も期待してるしね。」


その青の評価は、瑠里にとっても百点の評価だった。


「 そうだよねぇ!うん!月城さんの走りって見てるだけでなんか風を感じるよねぇー 」


ニコニコ顔の瑠里に、橋垣は小さく溜め息をついて苦笑した。


「 なんか……ちょっと悔しいなぁ。」


「 ん?なんで?橋垣君も6月の出雲駅伝予選会出るんでしょ? 」


橋垣は、気を取り直すようにしっかりと頷いた。


「 当然。去年の丹後駅伝のミスを取り返さないとな。」


そう、彼は昨年の関西駅伝でルーキーとしての気負いや緊張で、調整に失敗し、結果を出せなかったのだ。


「 大丈夫だよ!橋垣君はルーキーって言われる実力の人だから!」


「 もうルーキーじゃないよ、二年になったから。」


「 そうなの?」


キョトンとする瑠里に、橋垣は思わず吹き出した。


「 いや、高宮の言葉にあの時救われたからさ、本気で取り戻すよ。」


「 私……何か言ったっけ? 」


「 明日からのことは、明日起きてから考えればいいって、言ってくれただろ?……あれ、マヂで救われたんだ 」


瑠里はおでこを指でトントンしながら記憶を辿った。


そうだ!

青が不機嫌になった事件の時だ!


「 あれね!あの時、私も失敗したところだったから、なんとなくわかる気がしたの。」


「 今さらだけど、サンキューな。出雲出場、本気で狙うから月城さんのついでに応援してくれよな。」


席を立ちながら、そう言った橋垣に、


「 もちろん!ついでとかじゃなくて全力でチーム応援するから!」


瑠里は親指を立ててニッコリ笑った。


橋垣の背中を見送りながら、さっきの続きの記憶を思い出す。


あの時、橋垣を庇ったと言って喧嘩になり、大学に帰った後も気まずくて、青に会いたくなくて大雨の中に飛び出し………

瑠里は、そこで記憶に蓋をした。

悲しい記憶は、思い出したくない。


それにしても……

さっきの青のスルーが気になる瑠里だった。

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