Room3▫︎Eratosthenes



 ——夢を、見た。




 それは何てことのない、平和な日常。


 彼には自宅があり、学舎があり。

 温かな家族がいて、友人がいて。

 そして何より——未来があった。


 それが何だったのか、今ではもう思い出すこともできないけれど——それでも確かに。過ぎていく時間の果てに何かを夢見ていたという記憶だけは、意識の片隅に、消えることなく残っている。


 終わりの始まりは、ほんの一瞬の出来事だった。


 何の攻撃の気配もなく、痕跡もなく、半数が死んだ。そのあと「彼ら」がやってきた。この星の種族は、逃げ惑い狂乱するしかできなかった人類より、ほんの少しだけ賢く、学習能力があった。だからこれ以上被害が出る前に、取り返しのつかないところまで破壊が進められる前に、言葉巧みに交渉した。そして、一つの契約が結ばれた。「これ以上我々に手を出さないでいてくれるなら、こちらから幾人かを『素材』として提供する」と——


 


「……あ、れ?」




 瞼を開くと、見慣れた天井が目に映った。

 僕、は。何をしていたんだったか。


「おはよう、後輩くん」


 その声に、たちどころに状況を思い出した僕は、慌てて毛布を払い除けて起き上がる。吹き飛ばされた脇腹を見ると、七匹の子やぎの話に出てくる狼よろしく、空いた部分を埋めるように硬いハーシェライトが詰められていた。


「応急処置だ。見様見真似だがね」


 自分で攻撃しておいて何なのだ、と言いたかったが、喉が詰まってなかなか言葉が出ない。トーリは床に座って、こちらを見上げている。その腕は、人間のそれに戻っていた。


「やり方を間違えたらしい」


 砕けた鍵のかけらが、その手から差し出される。その言葉の意味を理解するのに、ちょっと時間がかかった。そうか。僕はギミックを食べていたのだ。いつもならすぐハーシェルで消化するのだが、あの時は、侵入者に気を取られて忘れていた。


「ええと、つ、まり……これを、胃から摘出するために?」


 そのために撃ったのか? 腹ごと? 


「うちらはそうするんだ」


 頷いてみせるトーリに、僕は少し迷ったが、こう尋ねた。


「うちら、っていうのは……奴らの侵略を止めさせるため、交換条件いけにえとして差し出された、君たちのことか?」


「ああ。でも、何で知ってる? そんなこと」


「夢で見たんだ」


「信じられない話だな」


 なぜそんな夢を見たのか、それは今はどうでもいい。僕はひとまず脇腹を元通りに修復すると、再びトーリに問いかけた。


「なあ、君たちは、何か知ってるんじゃないか。奴らの目的とか、弱点とか。もし知っているなら、僕に教えてくれないか?」


「そうだな、まず一つ。俺のことは『先輩』と呼べ、パンドラ。万策尽きて虚像の城に閉じこもる、なんていう君らの種の不出来さときたら、うちらもほとほと呆れてるんだぜ。もう一つは、期待をするな。侵略の目的やら弱点やらを知ることが救いになるとでも思ってるようだが、そんなのは勘違いもいいとこだ」


「なん……どうしてですか? トーリ先輩」


「よろしい。うちらは『端末』なんだ。複製コピーされた無数の自分がいて、そいつらと手分けして並行宇宙を探索するのが仕事でね。侵略の条件に足る生命体がいれば、端末が望もうが望むまいが自動オートで連絡が飛んで、破壊の始まり。だからこちらもできれば文明なんか見つけたくないが、サボったら自己破壊が起動する仕組みになっている。それに、例の契約もある」


「なら、今は? 大丈夫なんですか?」


「あくまで役目は『生命体の発見』だからな。俺は君らの言うところの『人類』担当だが、見つけた時点で仕事はほぼ終わったようなものだ。あとは結末を見届けるまで、その星に留まるだけさ」


 僕は釈然としないまま、その話を聞いていた。トーリが人類の破滅に加担したことについては、怒りはない。彼が仮に自己破壊していたとしても、遅かれ早かれ、人類は奴らに見つかっていただろう。だが、それでも腑に落ちないことがある。たとえば、こんなふうに自我や感情を持つ存在が、わざわざ端末として使われていること。何の意味がある? 


「……じゃあ、侵略の目的は?」


「……」


 トーリは言い淀み、立ち上がって部屋の中を歩き始めた。体内のハーシェライトのおかげでまだ声は小さいままだが、壁際の本棚の中から『なおして。はやくなおして』と幼児のような声がした。


「この死ぬほど無意味な学園を存続させるのに、どれほどのエネルギーがかかってるか、知ってるか?」


「え?」


「いくらパズルやゲームで気を紛らわしても、現実からは逃げられない。。真実を知ったのが自分だけだとでも思ったか?」


「な、」


「いいか? 親や家族なんてものも、人間の政府も、とっくにないんだ。奴らはただ知りたがっている。戦闘抜きで他者と共存できる方法を。優劣の誇示以外でわかりあう方法を。感情なんか持たないくせに——いくら破壊しても何の呵責も謝罪もなく、それなのに、愛とか友とか、美味しいところだけ欲しがる。そういう、どこまでも傲慢な奴らなんだよ」


 がんっ。派手な音を立てて、トーリが本棚を蹴り飛ばす。その拍子に、持ち手だけのドライバーが、ころりと床に落ちて転がった。


「破壊行為そのものが……コミュニケーションだって言うのか」


 いや、厳密に言えばコミュニケーションにすらなっていない。相手のことを考えようともせず押し付けるだけなら、それはただの自己満足だ。


「そうだ。言ってみれば、エウクレイデアここは奴らの養豚場さ。残った人間だけでこんなエネルギー供給を賄えるはずもない。あと、その短剣……ハーシェルだったか。それもまた、多様性を担保するための奴らのギミックに過ぎない。それでも大抵の人間は、真実を知っても信じようとせず、ハッキングも試しもしないで外に出て、死ぬだけなんだが……ここまでうまく籠城する人間は、きっと君が最初で最後だろう」


「……!」


 頭の中で、最後の頼みの綱が切れていくような感じがした。僕がここまで、何の希望もないこんな状況でも生きてこられたのは、両親の愛を信じたからだ。「息子にだけはどうにか生き延びてほしい」と、過去の記録と共に託されたのがこの短剣で、そのハッキングシステムは勇敢な宇宙飛行士だった父が土星の月から持ってきた物質を応用して作った技術なのだ——と、そう信じられたからこそ、5年も生きたのだ。先の見えない、この無意味な人生を。


「……はは」


 気づけば僕は、刃を自分の喉元に当てていた。


「何する気だ? パンドラ君」


「見てわかるでしょ。死ぬんです」


「そ。ご勝手に」


 数秒。数十秒。やがて、数分。


「……クソ!」


 渾身の力を込めて、ナイフを——フローリングの上に投げ捨てた。テーブルの上の動かない時計が、そんな僕を見てゲラゲラと嗤う。最初からわかっていた。わかっていたのだ。こんなことで死ねるなら、初めから素直に脱出にげていると。


 

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