第10話 やっと気づく
「おじゃまします」
「空くん! いらっしゃい!」
「こんにちは」
土曜日の午後、約束通り空が青山家にやってきた。美蘭の母がケーキを焼くと伝えておいたが、彼は律儀に日持ちのしそうなクッキーを持参していた。受け取った美蘭の母はキャッキャと喜び、彼女の中でまた空の株は上がったと美蘭は思っていた。
母のケーキを食べるにはまだ早かったので、美蘭は先に空と自室で白雪姫の台本を出して練習を始めた。練習とはいえ劇に出るのは小学校の時の木の役以来なので緊張する。美蘭が途中セリフを噛んだり、空が他人のセリフを読んだりして笑い合い、和やかに二人の時間を過ごしていると、美蘭のスマートフォンの通知音が鳴った。
「あ、空、紗夜がこれからうちに来ていいかって」
「梅田さん?」
「うん。私たちの採寸しておきたいんだって、衣装係だから」
「そっか。うん、わかった」
空が笑って頷いたので、美蘭は「ありがとう。返事しちゃうね」と画面操作をして紗夜に返事を返した。
そして一時間後、紗夜が到着した。美蘭が玄関ドアを開けて出迎えると、彼女の後ろからクラスメイトがもう一人ひょっこりと顔を出した。
「坂井ちゃん?」
「私これから材料買いに行くの付き合うから、それで……」
坂井が眉を下げ「急にごめんね」と顔の前で両手を合わせている。美蘭は笑顔で軽く首を振り、彼女たちを招き入れた。
「気にしないで。入って入って」
美蘭の部屋で採寸を済ませた後、四人はダイニングで美蘭の母お手製のシフォンケーキを食べていた。来客が増えたことに大喜びの母は、ケーキを切り分けホイップした生クリームを添え、ミントの葉を飾ってから、嬉々として会話に混ざっていた。
「そういえば空くん、最近背が伸びた?」
「実は、一ヶ月で三センチ伸びたんです」
「あら、よかったわね」
「体育のストレッチとか、家でも筋トレしてるからですかね」
美蘭の母の問いかけに、空は嬉しそうに返事をした。美蘭は残念ながら気づいてあげられなかったことを心の中で彼に詫びた。
「あ、空くん来週から体育フルで出るんだよね? また背が伸びるかもね」
幸せそうな表情でケーキを飲み込んだ坂井に「うん」と空が頷く。美蘭は自分の知らない情報が耳に飛び込んできたことに驚きを隠せない。
「私、保健委員だから聞いてて。青山さんも来週から出るの?」
美蘭は斜め向かいに座っている坂井に条件反射のように視線を送っていた。それは思いの外鋭かったようで、彼女が少し気まずそうに補足した。美蘭も問いかけに対して「えっと……」と言い淀んでしまう。
「美蘭? 体育出てないの?」
会話を聞いていた美蘭の母が、日頃の娘の話と噛み合わない部分に首を傾げている。美蘭と空はうまく切り抜ける言葉が思い浮かばず、紗夜と坂井は美蘭の母の質問から状況を把握するために黙り込んでいた。
それを見た美蘭の母は自分がした質問の答えを察し、娘に「後にしましょう」と言ってから全員にケーキを食べるよう促した。
「美蘭、ごめん! 僕うまくフォローできなくて」
「ううん。私が悪いの。いつもごめんね」
四人で重苦しい空気の中ケーキを食べてから、美蘭は帰宅する三人を見送る。家の前で空が泣きそうな顔で謝っていた。彼は何も悪くない。むしろ今まで母を誤魔化すのに付き合わせてしまって申し訳なかったという思いでいっぱいだった。
せっかく来てくれた紗夜と坂井にも申し訳なかったなと「二人もごめん」と頭を下げた。紗夜が「私たちのことは気にしないで」と爽やかに笑っている。
「じゃあ美蘭、また学校で」
「またね、空。紗夜と坂井ちゃんもまたね」
手を振ってから、歩いていく三人の背中を眺め見送る美蘭。だいぶ姿が小さくなったところで、坂井が振り返り走ってくる。
「坂井ちゃん?」
「空くんと紗夜には忘れ物したって言って先歩いてもらってる。一言言いたくて」
戻ってきた坂井の表情は険しく、声は若干低かった。美蘭はこの後続く話があまり良いものではないのだと感じ取り「うん……」と小さく頷き身構えた。
「今まで、空くんにも嘘つかせてたの?」
「うん」
まさにその通りだった。美蘭は今まで自分の保身のために大切な友人に嘘をつかせていたんだと、突き刺すような坂井の視線で今更ながら自覚した。空よりもさらに小柄な彼女は、顔を上げまっすぐに美蘭を見つめていた。
「私なら、そんな事させないな。空くんみたいに優しい人に嘘なんかつかせたくない。好きな人に……そんな事させたくない」
思いがけない坂井の告白に、美蘭の目が見開き瞳が揺れる。
「え、酒井ちゃん、空のこと」
「好きだよ。そのうち本人にもいうつもり」
「…………」
「とりあえずそれだけ。親には話してもう空くんに嘘つかせるようなことしないでほしい。それじゃ」
美蘭は再び自分に背中を向けて小さくなっていく坂井をただ黙って眺めているしかなかった。
◇◆◇◆
「美蘭」
「お母さん」
美蘭が家の中に戻りダイニングを覗くと、母が座って待っていた。彼女の表情は硬い。美蘭は入学後クラスに馴染めず自習室登校をしていた事や保健室での空との出会いなど、これまでの経緯を説明した。そして、空と過ごす保健室での時間に、どれほど救われたのかということも。
「美蘭、じゃあ空くんがいたから保健室にいたの?」
空に同情したのかという口調の母に、美蘭ははっきりと「違う!」と否定した。これは美蘭の問題であって、決して空のせいではないのだ。自分なりの言葉で丁寧に説明する。
「空がいたから、空との時間があったから私は学校に行けてた。空が行こうって言ってくれたから、私は教室に戻れたの。今、友達ができてクラスに馴染めたのも、全部空がいたからなの。嘘ついてごめんなさい」
出会って、一緒に過ごしてきた時間を思い出しながら、美蘭の目頭は熱くなり視界がぼやけていった。今まで心の奥に押し込めていた何かが、決壊するダムのように涙となって溢れ出る。締めくくりに、美蘭は「空のせいなんかじゃないから」と言葉を絞り出した。
「美蘭……。わかった。私が干渉しすぎて、嘘をつかせてしまったのね」
「お母さん、ごめんなさい」
母は自分より大きな娘の肩をポンポンと優しく手を乗せて撫でた。
「いいのよ。話してくれて嬉しい。空くんにはちゃんと謝るのよ」
「うん」
その後、美蘭は母に淹れてもらった紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせてから、顔を洗って自分の部屋に戻った。
美蘭は母に話せたことですっきりした頭で、改めて考える。
坂井の気持ちを今日まで知らないでいた。けれど思い返せば彼女の行動の一つ一つに、空のことを好きだと考えると気づけるポイントは何度かあったような気がする。
いつか坂井が告白した時に、空はなんと返事をするのだろう。美蘭が一番気になったのはそのことだ。空が彼女を受け入れ、あの人懐っこい笑顔を一番に向けるようになるのだろうか。それは嫌だ。それはどうしてだろう?
美蘭は考えて、ここ最近の胸のもやもやの原因についに辿り着く。
「私……空のことが好きなんだ」
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