第11話 雨降って地固まって


「おはよう、美蘭」

「おはよう、空。土曜日はごめんね」


 週明け、美蘭は校門に着いて早々、まずは空に頭を下げた。メッセージでも連絡はしていたが、やはり直接話したいと思っていた。

 空は驚いた様子で「ううん。僕もごめん」と首を小さく横に振った。


「空は悪くないよ。私が悪いの。空に嘘つかせて……本当にごめん。お母さんに全部話したよ。自習室登校のことも、体育ができなかったことも」

「そう」


 美蘭の話を空は柔らかい声で相槌を打ちながら頷いていた。校舎に入る前、美蘭は改めて隣にいる空に体を向けて、目一杯の感謝の気持ちを込め、にっこりと笑ってみせた。


「話せてよかった。すごくすっきりしたんだ。体育も出るつもり。もしダメだったら病院のカウンセリングも受けるよ。こう思えたのは空のおかげ。空がいてくれて、教室へ連れてってくれたから。みんなにも馴染めて、勇気が出たんだよ。ありがとう」

「僕だって、美蘭がいたから元気になりたい、手術しようって思ったんだよ。こうして普通の高校生活を送れているのは、美蘭のおかげ。ありがとう、美蘭」


 美蘭は空の明るい笑顔と、気を抜くと泣いてしまいそうなくらい嬉しい言葉を噛み締め、そっと上を向いてそれらを飲み込んだ。彼を好きだと気づいた途端、感情の振れ幅が大きくなった気がして少し恥ずかしかった。


 教室に着くと紗夜と坂井がすでに登校していて、紗夜の席の前で二人で立ち話をしていた。美蘭が「おはよう」と挨拶すると、紗夜が開口一番に「美蘭、本当にごめんねー」と申し訳なさそうに眉を下げた。


「ううん。二人ともごめんね、変な空気なっちゃって。ちゃんとお母さんに入学からの話はした。いいきっかけになったよ」

「ならいいんだけどさあ」


 紗夜が安堵の表情を浮かべ、坂井は美蘭の後ろを通って自分の席へ向かった。

 美蘭は「あ、坂井ちゃん」とすれ違う前に彼女を呼び止めると「何?」と坂井が美蘭を見上げた。


「親に話せたの、坂井ちゃんが話してくれたからだと思ってる。ありがとう」

「ううん。私もちょっとキツくなってごめんね。でも、本心だから、全部」

「うん、わかってる」

「私も遠慮はしないから、青山さんもいつも通りでいてほしい」


 美蘭は自分から一切目を逸らさない彼女の表情に先日の厳しさはなく、いつもの明るい声と表情に安堵した。ただただ真剣な坂井のその眼差しに美蘭は「わかった」と真剣な眼差しで返した。


 週明け早々、今日は体育の日だった。美蘭は着替えをして体育館に入っていく。そこにはすでに着替えが済んだ空が待っていた。


「男子もバスケなんだ」

「そうみたい。美蘭、大丈夫?」


 美蘭は心配そうに顔を覗き込む空をみて、不安よりも喜びが大きくなってしまう。

 美蘭が「うん。頑張ってみる」とわずかに口角を上げると「僕も頑張るから!」空に手を握られる。彼の触れた手が熱くなるのを感じた。


「集合ー!!」


 号令を合図に、男女に分かれ授業が始まる。

 教科担任が出席確認後、美蘭を見据えた。


「青山さん、今日は参加?」

「……はい!」


 美蘭は力強く頷き、準備体操を始めた。そのまま授業は平和に終わり、心地よい汗をかいて気分が高揚していた。

 美蘭は競技だけではなく、体育の授業も好きだったことを思い出した。怪我をしたことのトラウマというよりは、怪我をして高校生活のスタートがうまくいかなかったことが、スポーツをすることへの嫌悪感になっていたのかもしれない。

 これもきっと空との時間があったから思えることなのだと、美蘭は彼の存在に心から感謝した。


「美蘭、シュートしてたね!」

「ああ、うん」


 授業が終わり昼休み、二人は並んで弁当を食べる。空は今日も青山家の玉子焼きを美味しそうに頬張っていた。話題は直近の体育の授業だ。


「飛んでる間、時間が止まってるみたいですごくかっこよかった!」


 空は授業の様子を見ていたらしく、いつもよりさらに大きな身振り手振りで語るので、美蘭は出会ったばかりの頃を思い出しながら「ありがとう」と返した。


「高跳びもあんな感じになる?」

「そうだなあ、もっと高く、空と同化するような感じになるよ」

「いいなあ。美蘭が飛んでるところ、見てみたいなあ」


 空が「あ、ごめん!」と言って口を手で押さえている。少しあざといとも言えるその姿は美蘭には可愛くて仕方がなく「ううん。いいの」と自然に言葉が出てきた。


「なんか今日の体育も平気だったし、復帰も考えてみようかな」

「本当? 僕、応援に行くよ!」


 美蘭は自席から身を乗り出してくる勢いの空を見て「それは心強いな」と目を細めた。


◇◆◇◆


「ただいま」

「おかえり、美蘭。今日は?」


 帰宅時の母との会話。美蘭が干渉しないようになのか控えめに声を掛ける母に空になった弁当箱を渡し「体育に出たよ」と伝えると、彼女は「大丈夫だった?」と心配そうに美蘭の顔を覗き込んだ。


「うん。なんで休んでたのかわかんないくらいにね。お母さん……」

「なあに?」

「競技復帰……考えてる」

「まあ!」


 ポツリと呟くような美蘭の言葉を、母は拾い上げ声高らかに「お祝いしなくちゃ!」とポケットからスマートフォンを出した。おそらく父と弟に連絡しようとしている。

 美蘭は興奮する母に「気が早いよ」と苦笑しながら自室へ戻った。

 着替えてベッドに転がる。思い浮かぶのは今日の昼休み。競技復帰なんて考えてすらいなかったのに、空の「見てみたい」というたった一言で母に報告までしている。

 空が応援してくれるなら、頑張ろうと思えた。

 美蘭は彼の存在が自分の中でずいぶん大きなっていたこと、それについ最近まで全く気づけていなかったことに驚き、恥ずかしくもなった。


「私……鈍かったんだなあ」




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