第7話 ありがとう。
俺は、カーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。
俺はまだ、彼女が亡くなったことに実感が持てずにいた。
もしかしたら、人違いだったのかもしれない。そんな一にも満たない可能性を俺は願っていた。
俺は何か昨日の事故のことで進展がないかとスマホを見ると、知らない電話番号から着信が来ていた。
普段なら、間違いなく無視していたことだが、彼女のことかもしれないと思い、電話をかけた。
「もしもし、どなたですか?」
『もしもし、私は佐伯 文音の母です。』
電話の相手は佐伯さんのお母さんだった。
そして、俺の中で少しの期待と不安感が残った。
「……佐伯さんは、無事なんですか?」
俺は一刻も早くそれを知りたかった。
昨日のニュースは誤報だったと俺は願っていたからだ。
『文音は……昨夜交通事故に遭って、亡くなりました……』
そうだ。わかっていたことなんだ。
ただ俺が信じなかった。いや、信じたくなかったことなんだ。
「やっぱり……そう……なんですね……。」
『それで……娘の遺書にあなたの電話番号と渡したいものがあるって書いてあったので……。』
渡したいもの? あのビデオじゃなかったのか?
『今から、家に来てもらうことはできるかしら。』
「はい。すぐに行きます。」
俺は彼女の母親に住所を教えてもらい、その住所に向かった。
道中、俺はずっと考えていた。どうすれば彼女を救えたのか。彼女は、悔いを残さなかったのか。最期を俺と過ごして、本当に良かったのか。
考え出すと、キリがなかった。
そうして、俺は彼女の家に着いた。
インターホンを押すと、彼女の母親が出てきた。
「こんにちは、どうぞ、上がって下さい。」
親子と言うだけあってとても似ているが、彼女の母親は、目に見てわかるほど疲れていた。
「座って下さい。」
俺は彼女の母親に案内され、テーブルの椅子に座った。
テーブルの上には、彼女の遺書らしいものと、カバーのかかった一冊の本が置いてあった。
「……あの子がね、もし私に何かあったら代わりに渡しといてくれって。」
彼女の母親は、カバーを外して本を見せてくれた。
「これ……。」
『マイブックー2022年の記録ー』彼女が最初に見せてくれた本だ。
「あなたに、読んでほしいって。」
俺は、本を手に取り、中を見た。
『これを読んでいると言うことは、私はもうこの世にいないと言うことですね。』
彼女の字で書かれている。
彼女は最期に、俺に何を伝えたかったのだろうか。
『私が伝えたいことはたくさんありますが、一番は、謝罪です。何も言わずにいなくなってしまって、本当にごめんなさい。私にとって、あなたと過ごす時間が私の生きる希望だったんです。だから、今の関係を壊したくなかったんです。
そして、二つ目は感謝です。前述した通り、あなたと過ごす時間が私にとっての生きる希望でした。
あなたと小説の話をしていると、自分の病気のことを忘れられる気がしたんです。』
彼女にとって、俺との時間がそんなにも大きなものになっていたなんてな……。
『最初は、私と同じ本が好きな人という認識だったんです。ですが、あなたの名前を聞いた時、私と同じ字が使われていれことに気づいて、運命を感じたんです。最初のきっかけは、私の好きな小説家の本を読んでいることでした。
そして、いざ話してみたあなたは、ドライで、落ち着いていて、そして、私が思っていた以上に、優しい人でした。
あなたには、色々と面倒をかけてしまったけれど、怒っていますか?』
そんなわけないだろ。
『私との時間は、楽しかったですか?』
楽しくなかったとでも?
ありえないな……。
『あなたがどう思っているのかは分かりませんが、私にとっては、最高の時間でした。去年の十二月に余命宣告を受けた時の私には、想像もできないような時間でした。』
何言ってんだよ。最高の時間をもらったのは俺の方だよ。
『ありがとう、文途くん。本当にありがとう。』
これが、彼女が最期に、過去の自分に頼んでまで、俺に伝えたかったこと……。
「……。」
読み終えた俺には、一気に色々な感情が押し寄せてきた。
実感、後悔、悲哀、そして、感謝。
気づくと、俺は泣いていた。机に大粒の涙をこぼして。
「ありがとうね。あの子のために泣いてくれて……。」
俺はもう、我慢できなかった。
彼女はもういない。何かできたのではないのか。何もできなかった。それでも、楽しかった思い出。
俺は泣いた。子供のように、声を上げて。
「ああああああああああ!」
俺は、伝えることができなかった。
彼女に、ありがとうと、ごめんと、そして、愛してると。
今の俺には、彼女を想い、泣くことしかできなかった。
そして、俺が涙を出し切り、顔を上げた。
「……また、お線香を上げにきてもいいですか?」
「ええ。もちろんよ。」
次来るときは、面白い小説でも持っていこうかな。
彼女が好きそうなものを。
そろそろ夏が終わる。彼女がいない日々が始まる。
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