第6話

 幸いなことに、西野はまだ公開捜査に到っておらず、落ち合うリスクはそれほど高くなかった。むろん警察に情報は行き渡っているだろうが、ちょっとした細工を施せば他人になりすますことは難しくない。達弘は高校のとき演劇部に属しており、人が自分以外に化けるのは驚くほど簡単であることを生で体験していた。おかげで東京と埼玉の県境にある駅へむかった彼は、相手のほうから声をかけるまで、西野の姿を見つけられなかった。


「悪ぃな、こんなとこまで足を運ばせちまって」

 馴れ馴れしい口調で肩を押す相手を見たとき、そこに西野の片鱗はなかった。付け髭とおぼしきヒゲをたくわえ、薄茶色のサングラスをかけている。西野は顔の彫りが深いため、外国の俳優といわれたら信じてしまいそうな容姿だ。


 西野は犯行後、土地勘のある街のビジネスホテルで暮らし、外出を最低限に抑えながら警察による捜査を逃れているらしく、移動の際はきょうみたいに別人に扮していると説明した。ヒゲ面になっても西野の軽薄な雰囲気は変わらず、彼はポケットに両手を突っ込んで達弘の隣を飄々と歩いている。どこに向かう気なのか聞くと、近くのファミレスだという。


「この辺はファミレスが五軒もあるんだ。毎日行く店を替えている。といっても昼間はほとんど出歩かねぇことにしてんだわ。変装のできは良いからバレる心配はなくても、万が一ってことがあるかんな」

 西野が向かったファミレスはやや敷居の高い店だったが、高校まではその店以外を利用したことがなく、馴染みのあるチェーン店だ。

「まだヨハネスブルグに発たないんですか」


 入り口に近い席を占めた二人は、メニューを広げながら雑談を交わす。電話では必要最低限の会話以外ろくにしてなかったため、達弘は西野の状況をほとんど把握していない。

「母親が倒れたっていったろ」と西野は憮然とした顔でいうが、その話は知っている。病院に行くべきか迷っているという話も。

「変装は完璧なんだから、こそこそせずに堂々と出国したら良いのでは? 時間は待ってくれませんよ」

「てめぇ、他人事だと思って適当いってんじゃねぇぞ」

「真面目な話です。幸いなことに鷹栖さんが自殺してくれましたから、捜査のパワーが分散してなおさら見つかりにくい。お母さんの入院先は?」


「ここからひと駅先にある。くも膜下出血でぶっ倒れて意識はもうねぇって話よ。親父が付き添いでいるらしいが、十分後に死んだといわれても驚かねぇ。おかげで逃亡先に向かおうにも後腐れがひどくてよ。捜査中の警察官に出くわしたら親父は正気を保てないだろうしな」


 西野は淡々と語るが、それは家族思いな一面にほかならない。彼にそんな顔があること自体に不思議さはないが、根本的な部分で違和感がある。家族か逃亡か、重要な判断を達弘に委ねるのは不可解だ。彼はそうされるほど親しくないし、これまで観察してきた西野のイメージともかけ離れている。

「病院に行きたければ行けば良いし、その気がなければいますぐ逃げるべきでしょう」と達弘はいった。

「簡単なことですよ、この程度のことで悩むのは西野さんらしくない」

「らしくねぇってお前、おれの何を知ってんの?」


 説得する構えを見せた途端、西野はイラついた声を出した。それを聞いて達弘は、西野が放った不可解な印象に答えを見つけた。

「もしおれが西野さんなら、たったいまから逃亡に頭を切り替え、ヨハネスブルグに向かいます。でもあなたはそうしない。きっと家族の存在に対する思いが異なるのでしょう。本気で悩んでいる西野さんに対し、おれは親がどうなるかなんて想像もしてませんでした。人殺しをすれば家族までマスコミにリンチされる。そんな情報は頭にあっても自分事として捉えていませんでした。現に家族にかかる迷惑を自覚したところで計画を変える気はないですし、おれは西野さんの気持ちを受けとめる相手にふさわしくないです」


「なるほどな。確かにそのとおりだわ」

 会話の途中、達弘はオムライス、西野は炭火焼ステーキを注文し、店員が去るのを見送って話を再開させた。

「おれも何事もなければさっさと日本を離れたさ。でも母親が死にかけてるって聞いたら戸惑いが生まれちまった。翻ってお前は、家族のことなんざ歯牙にもかけねぇって様子だ。逆に意外だったわ。まだ社会にも出てない大学生だから、周囲に振り回されるリスクがあるって勝手に思ってた。おれなんかよりお前のほうがよっぽど悪事に似合ってる」


 西野の声は乾いていたが、そこには情のようなものがあった。達弘は思いやりなど一切ないかのような目つきで考えを口にした。

「ご家族に会ったあとにもスムーズに逃亡できるよう計らいましょうか? おれにアイデアがあります」

「アイデア?」

「大臣を議員会館で襲うんです。捜査の目はそっちに向かうでしょうし、どのみち講演会で襲えば捕まるわけでしたし、おれの処遇は変わりません」

「バカ野郎。事前に殺る気ならお前を逃がす算段までつけたっつうの」

 険しい口調の西野だが、達弘に配慮があるのは明らかだ。

「こっちは一人だけ逃げ延びようとしてるから肩身が狭いんだ。お前にも鷹栖にも申し訳が立たねぇ。これ以上、おれを追いつめないでくれ」


 泣き言のようなものを洩らし、西野は頭を抱えた。殺害前に弱気を一切見せなかった男が罪の意識に苦しんでいる。理由は何だろう。

「いまさら罪悪感を抱く必要もないでしょ」と達弘はいった。まじりけない彼の本心だった。

 それでも西野の様子を目にすると、せめて犯行前に家族の顔を見ておくべきかもしれないと思った。愛情や未練にもとづかない、世間体を取り繕う打算に似てはいるが。

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