第5話
大学の後期がはじまった。達弘は不安を抱えながら通学を再開する。この頃になっても睡眠障害は改善せず、夜中に目の覚める日が続いた。
授業は午前中で終わり、この日の達弘は学生食堂に寄って昼食を摂ることにした。日替わりランチはチキン南蛮で、彼の好物だった。もっともその程度で達弘の気分は晴れない。学食のおばさんから受けとった皿をトレイに載せ、プリペイドカードで支払いを済ます。彼は一人になりたかったから、同期の仲間が集うテーブルを避け、窓際の席に座った。
山梨にある石井議員の地元から帰京した達弘は、翌日からニュースのチェックに憑かれた。当然のことながら、西野の犯行が報道されるのを今か今かと待ち構えていたのだ。
結論からいうと、帰京した翌日に犯行がおこなわれた。達弘はネットニュースとラジオで連日報道される事件の捜査を追いかけたが、実行犯である西野は捜査の網をかいくぐり、逃亡に成功しているようだった。石井議員を襲撃する際、西野は同行した秘書も傷つけ、連れ合いを全員殺害していた。こうした詳細な犯行予定を、達弘は東京に戻る途中で鷹栖から耳にした。殺害を終えた西野が、前もって準備した計画に沿って事件後は日本を離れ、ヨハネスブルグに向かう手はずであることも。
そんな鷹栖ではあるが、石井議員の暗殺後、彼女は死体となって見つかった。鷹栖は都内のパーキングで死んでいるところを発見され、石井議員暗殺と関連性を疑われていた。真っ先に疑惑の目を向けられ、報道までされた理由を達弘は想像できる。おそらく西野が犯行に使った車が防犯カメラによって特定されており、同じ車種を運転する鷹栖の映像もカメラに残っていたのだろう。
彼女は逃亡を断念しあえなく自死を選んだかたちだが、動画サイトに犯行声明を残していた。その動画は激しくバズり、いま現在一千万再生に届こうとしている。
「よう、株でもはじめたのか?」
携帯でラジオを聞きながら、チキン南蛮をナイフで切り分けていると、サークル同期の男が声をかけてきた。夏休み期間中、達弘を別荘に誘った張本人で、絵に描いたような御曹司だ。【大間】というその男は達弘の前に陣取り、そばを啜りはじめた。学食のそばはろくにそば粉も使っていない安物だが、大間はその辺に違和感を覚えないらしく、いつも美味そうにそばをたぐっている。
「そういえばタツ」
大間はそばを飲み込み、天ぷらに齧りついた。彼が何を話す気なのか、達弘はおおむね予想できる。
「相沢大臣、講演会出てくれるってよ。石井議員と同じく、プライマリーバランスの黒字化を掲げる財政緊縮派なのに度胸があるよな。犯行声明を踏まえれば与党の緊縮派はだれが狙われても不思議じゃないっていうのに、大臣まで務める人は肝っ玉が座ってるな」
案の定、話題は次の講演会に関わることだった。大間のいうとおり、相沢大臣の出方は微妙だった。鷹栖は犯行声明のなかで日本の財政赤字削減をめざし、二十年にわたるデフレ不況を招いた連中に罰を下すと宣言していたからだ。亡くなった石井議員に近く、緊縮財政の親玉である財務大臣は真っ先に標的にされる人物で、実際講演会の出席は再検討させて欲しいと秘書づてにいわれていた。
「石井議員を殺して満足したろ。マスコミが騒ぎ過ぎなだけだと思うぜ」
達弘はわざと抑揚のない声を出した。実際のところ、派閥の領袖でもある相沢大臣が、同僚のテロを目の当たりにして尻込みするとは思えない。彼にとって大臣の決断は想定内だった。
「でも犯行声明はこれで終わりとはいってないし、日本経済を凋落させた人間には罪を償って貰うとまでいってたわけだ。おれはデフレは意図的だと思うが、日本経済の体たらくは個々の企業がイノベーションを起こせてないからだ。大胆な財政支出がなされても、結局は似た感じに落ち着いたんじゃないか。生産性も上がってないし、国の財政政策が原因とはいえないだろ」
大間は育ちの良い若者らしく、日本の失われた二十年を教科書的に解釈してみせた。デフレが企業経営、特に投資を抑制し、生産性の向上にブレーキをかけていたこと。度重なる消費税増税に内需が痩せ細ってしまったこと。そうしたリアルが見えていない。
「お前、親は弁護士だっけ?」と達弘は何気なく聞いた。大間はそばを啜りながら首を縦に振る。優秀な弁護士は、そのとき儲けている企業の人間と一緒に仕事をする。つまり低迷する日本経済でもまだ宝石の輝きを失っていない部分を目にして生きてきた。その息子も十中八九、同類に育つ。
「そういえば相沢大臣さ、サークルの後輩だっていえばフォローしてくれるって話で持ち切りだぞ」
大間は急に話題を切り替えた。達弘が「交流アプリの話?」と聞くと、彼は嬉しそうに相好を崩した。
交流アプリには有名人とつながる醍醐味がある。特にミーハー気質の抜け切らない学生は、有名人にフォローされることを誇りに思ったりする。その心理は納得できるものであり、咎める気は達弘にない。彼が意識を向けたのはべつのことで、愛国者とつながっていた秘密のアカウントに関することだ。
鷹栖と西野が犯行に動くだいぶ前、それこそ計画に関与を決めた直後、達弘はそのアカウントを削除していた。鷹栖とのやり取りが残るアカウントは、たとえ削除しても意味はない。警察は必ず復元し、達弘を関係者と割り出すからだ。したがって彼の行為は、捜査の手から逃げ果せるためでなく、石井議員殺害から相沢大臣の襲撃までの間、時間稼ぎするのが目的だった。どうせ捕まるので放置していると、大臣の講演会までに逮捕されかねない。裏を返せば、講演会の日に襲わなくてもいつか警察には嗅ぎつけられてしまうだろう。
「じゃあな。お先」といい、大間は席を立ってトレイを手に離れていった。週末の金曜日には講演会が開かれる。サークルの仲間は浮き足立っているように見えて、どこか落ち着いている。その落ち着きは石井議員の殺害を自分たちの事として受けとめず、犯行に到った理由に無関心である事の証だ。出自や育ちという点では達弘も大差ないものの、彼は下級国民に甘んじる人々の苦しみを自分の事として受けとる感性を持っていた。理由はわからない。最初からそういうふうにできていた。
やがて昼食を終えた達弘は一緒に買った紅茶を飲む。明美が一緒なら、問答無用で喫煙スペースに連れていかれるところだが、幸い彼女の姿は見当たらない。そんなことを思っていると、テーブルに置いた携帯が震えた。着信があったのだ。紙コップを置いて画面を見ると、着信は切れており、かわりに不在着信を教える番号が目に入った。
察しの良い達弘は、その見慣れない番号の持ち主をすぐに割り出した。連絡をよこしたのは西野だ。間違いない。ヨハネスブルグに旅立つ前の彼からだ。
昼食のトレイを戻し、食堂の端にある出口から屋外へ出た。犯行後の西野とやり取りを交わせば、捜査の手は自分にも及ぶ。いまならまだ、勧誘されただけという言い訳がわずかに通用する状況だ。
しかし達弘は「もしもし?」といってリダイヤルした相手に話しかけた。西野とおぼしき声が「平気そうだな」といった。そして少々くぐもった口調で用事を告げる。
「ちょっくら話そうや。母親が倒れちまってさ。最期を看取りに病院行くか迷ってんだ」
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