サクラミ

Toa

本編

 桜を見に行こう。


 僕は呆然として、一体全体何を言っているのか理解できなかった。休日にしては珍しく親が不在で、リビングにてテレビを流しながら何もしないをしていた最中。誰かがチャイムを鳴らしたので渋々出ると、突然話しかけられたのだ。思い返しても、僕と訪れた彼との接点はクラスメイトくらいのもので、住所だって教えてはいない。恐る恐る、僕は尋ねる。


「私と誰かを間違えていませんか?」


 彼は眉一つ動かさないまま、間違えてない、早く桜を見に行こう、と僕に語りかけてくる。目を大きく開き、それでいて口しか動かない様は、壊れたラジカセを彷彿とさせた。迫力がある、というよりも、肝が冷えるような様相だ。ただならぬ雰囲気の彼に、僕は口を握った手で隠しながら


「ちょっと、待ってて」


と断りを入れて、外出の準備を急いで済ませた。



 彼が先を往くのを、僕は後から一歩一歩着いていく。自分の足で動いているのに、彼に行き先を導かれているようだ。後ろ姿からも、彼の必死さや真剣さ、強い意志の混ざった何かがひしひしと伝わってくる。彼について僕は知らない。朝の登校時間とか、出席番号だったり、仲のいい同級生だったりは知っているが、その情報のみで知っていると断ずるのは早計だ。親しくなくとも、彼を傍から眺めているだけで知り得る。彼について僕は知らない。反対に言えば、僕についても彼は知らない。知らない同士の彼と僕が一列に進むこの状況。僕にとっては、気分が落ち着かないばかりで、ゆっくりと手汗がにじむ。

 桜を見に行く。彼はそう言っただけで、僕はどこに行くのか聞いていない。ここから近くにある桜は……と地図を頭に浮かべながら考える。しかし考えてみると、どこに桜があるかなんていちいち覚えていないものだ。見かければ素直に感動するが、今更、わざわざ見に行くほどのものでもない。


 桜っていうのは、と彼が話し出す。桜っていうのは、ほとんどがソメイヨシノのことを指すよね。


「確かに、ソメイヨシノ以外の桜は出てこないね」


 ソメイヨシノは、誰でも知っている日本を代表する桜だ。現在植えられているソメイヨシノの全てはクローンで、開花時期もだいたい一致する。その特性を利用して、開花の指標となる桜前線はソメイヨシノを基準に作られているそうだ。全国各地に、たった一本のクローンが広まったというのも、なかなか壮観な話である。


 でも、他にも種類がある。


 頼もしげな彼の口調に、どんな種類があるんだろう、と純粋な興味をそそられた。


 例えばソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンザクラの交配種で、もちろんこれら二つの桜は現存している。他にも、シダレザクラはよく耳にするよね。マメザクラやヤマザクラなんてものもある。


 一方的につらつらと情報を並べていく彼に、新たに饒舌な印象を受ける。今まで消極派のインドアタイプだとか、真逆のキャラを想像していた。気持ち良さそうな語り口で、桜を特別に思っていない僕もどんどん飲み込まれていく。彼も、自分の言葉が受け止められていると信じてか、振り返らずに語り続ける。


 でも、やっぱり桜はソメイヨシノなんだ。どれもこれも似ていて面白みもないのに、みんなはこぞってソメイヨシノを取り上げる。


「それって、単にソメイヨシノが有名だからじゃないの?」


 違うね。卵が先か鶏が先か、なんていたちごっこな話じゃなくて、ソメイヨシノは美しいんだよ。もし他の桜の方が綺麗なら、テレビだってそっちを取り上げるさ。だって、珍しい上に綺麗って、視聴者によくウケそうだろう?


「言われてみれば。今どきは、個性のある方が流行りそうなのに」


 そこだよ、と自慢げに指摘する彼は、まるで僕の言うことを予想して待ち伏せしていたみたいだ。


 流行は、あくまで私生活の中で楽しむ娯楽の一部だ。奇想天外な流行の最先端に惹かれても、人間はそんな簡単に根っこを動かせない。みんなは土台の上で、個性を弄んでいるに過ぎないのさ。


 彼の力説に、僕も思い当たる節がある。流行の真っ最中には「最高だ」と口を揃えて屈託なく主張するのに、さあ今度はこれが流行るぞとなれば、「時代遅れ」とか「つまらない」とか、表立っては非難せずとも否定的な空気を作り出すのだ。せっかくお小遣いで買ったゲームも、仲間での流行が過ぎてしまえば一緒に遊んでくれない。時代の流れに上手く適応できない人たちは、彼らにとって仲間ではないらしい。あえて流されず、この川の中腹に居座っているのだ、と言っても、ただの頑固な時代遅れとして処理される。彼らがどこからやって来たのかは知らないが、進む先全てを貪り尽くし、枯れさせていく習性の生き物だ。

 そう考えていてふと、彼の力説は誰かも分からない世間へのちっぽけな愚痴なのだと理解した。


 どうしてか、みんなの土台は同じところにあるんだ。元々そこなのか、削ったり盛ったりして整えたのかは、本人以外には誰にも分からないけれど。


「きっと偽ってるんだ。そうでなきゃ、そんないっぱいの人たちが同じ土台なんて、おかしい」


 つい感情に身を任せ彼らのことを決めつけた僕を、彼はまぁまぁと優しくなだめる。


 みんなで作った世界だから、そこで生活していると、土台が似ることは、結構あるものだよ。もちろん、僕たちも、似た部分を持っている。そうだね……君はどこか、高級感のあるお店で食事をしたことがあるかい?


 首を縦に振る僕。僕を振り返らず、話を進める彼。


 そのお店の料理は、美味しかった?


 首を縦に振る僕。

 昔両親の結婚記念日か何かで、コース料理の出てくるところへ行ったことがあった。お世辞にも量が多いとは言えなかったが、食欲をそそる見た目や初めて食べる味に圧倒され、結果としては大満足と表現できる。


 そうか。きっと、凄く美味しかったんだろうね。じゃあ、その料理を毎日食べたい?


 首を縦にも横にも動かさない僕。少しして、彼がふっと笑った。


 高級な料理が美味しいのは、高級だからだ。高級で、新鮮で、特別な、画一的じゃない食事体験。受けた好印象は、言葉にすれば「美味しかった」になる。でも、たまにでいい。料理の美味しさを決めるのは、味とか見た目だけじゃなくて、場の雰囲気もあるからね。


 場の雰囲気、という概念を意識した途端、すとんと腹に落ちる感覚があった。


 場の雰囲気があるから、一番美味しいのは案外安いチェーン店だったり、お母さんの手料理だったりするんだよ。これも、流行と一緒だ。どれだけ素晴らしいものでも、みんな土台が 一番なんだ。


「だから、チェーン店はチェーン店になるんだね」


 チェーン店もソメイヨシノも、何の変哲もない、普通の存在だ。それは、みんなが好む、共通の土台と言える。特別なものと普通なものは、相容れないからこそ、どちらも楽しめるし、特別なものはすぐに変わっていくのだ。無性に腹が立ってくる。


 みんなの悪いところは、土台の形は一つしかない、って勘違いしているところだよ。


「土台は違って当たり前なのに」


 僕は、気づけば彼と同じ不満を持っていた。話している中で、ここに着くように誘導されていたのかもしれない。悪い気はせず、むしろ正しい批判を教えてくれたことに感謝をしたくなった。


 ほら、着いたよ。


 彼の声で僕は立ち止まって、辺りを見渡す。記憶にある公園だ。昔は友達と、よくここで遊んでいた。公園にはおなじみの鉄棒やブランコ、滑り台が一応隅に置かれてあって、真ん中が広いのでサッカーをするのにちょうど良い。周りは閑静な住宅街だが、騒いでいても注意されたことは一度もなかった。あとは、木登りしやすい、大きな木が一本ある。

 深く落ち着き、うぐいすのような色になった木皮は悠久の樹齢を物語っていて、その表面にある凹凸は手足を置く支えとなった。太い幹も斜めにかしいでおり、全体にみずみずしい若葉を携えている。古木を感じさせる幹と流転し生い茂った葉は、ちょうど時代の流れを強く思わされる対照的な構図であり、一本の大木として著しく調和していた。


 ヒガンザクラ。コヒガンザクラとも言われるね。このあたりだと、ここでしか見られないと思う。


 聞いたことのない名前だ。家の近くに珍しい桜があったとは。もし知っていれば、花見にでも来たのかもしれない。


「もうすっかり、葉桜だね」


 口から出た言葉が耳に入ってきた途端、僕は直感的な酷い後悔に襲われた。何を後悔したのか、と聞かれても答えようがない。言ってはならないことを言ってしまった、という感覚だけが僕の心に深く突き刺さっている。論理的な理解は明らかに超えていて、感情のみがそれを察知している。加えて確かなことは、もし今日、彼とここに来ていなければ思いもしなかった、ということだ。それ以上は僕の知らないからくりが働いているようで、謝る理由も分からない僕には、彼が原因を指摘してくれるのではないか、と期待する他なかった。僕はとっくに、彼の弁舌のファンになっていた。


 もう、じゃなくて、やっと葉桜なんだよ。花がなければ桜を見る意味がないみたいじゃないか。桜があるべき姿を決めるのは僕たちじゃなくて桜なんだ。その桜が、今自信を持って葉を見せているのなら、葉桜を「花のないもの」として判別する理由がどこにあるんだ。


 毎度、彼のあげつらいには驚かされてばかりだ。僕は桜を「満開の花を咲かせる木」として覚えていた。多くの側面があるのに、ただの一面を全面だと誤解して、その上押し付けていた。葉桜は決して終わった桜じゃない。花の代わりに、こんなにも立派に葉を生やしているのだ。僕はまた、彼に気づかされた。自分の過ちを今すぐ謝るよりも、更に彼の話を聞きたくなって、僕は嘘をつくことにした。


「でも、僕は満開の桜が一番だと思うよ。葉桜は地味で、春の桜は豪華な気がするし」


 そうだけどそうじゃないんだ、と意味を掴みにくい返し。語気はさっきよりわずかに強まっている。


 どれが一番なのか、っていうのは、僕たちが見て評価してもいい。それは個人の感性で、それに文句を言うことは誰にも許されていない。それで、同じように、僕たちも桜を否定しちゃいけない。何かがないから悪いんじゃなくて、何かがあるから良いんだ。


 彼が桜を見上げて、僕も顔を上に向ける。葉が太陽の光に照らされて、生き生きと輝いている。見ているだけで心が癒やされ、時間も落ち着いてゆっくりと流れていく。もし満開の桜だったなら、その美しさに胸を打たれ、激しい感動を覚えていただろう。同じ桜が花を散らし、葉を身につけ、今僕と彼の心は凪いでいる。葉桜には、人を優しく落ち着かせる力がある。

 おもむろに、彼が口を開く。


 僕は評価する側というより、実際は評価される側のことが多かったんだけどね。みんなはどうやら、僕のことをない人間に仕立て上げたほうが都合がいいみたいで。


「多分、善意の人もいるんじゃないかな。断定はできないけど、最近はよくバリアフリーとか、障害者の平等とかが騒がれてるし」


 道徳教育でも、困っている人には手を差し伸べる、ということが徹底されている。可能な限り平等な社会にする風潮があるし、不自由が不平等に直結するような状況は忌むべきものだろうから、当然は当然だ。それらを望んでいるのが不平等を被っている人ではなく、恵まれた環境にいる人に移りつつあることに目を瞑れば。


 あいつら、僕が頼んでないことまでやってくるし……。いちいち感謝するのも面倒だよ。


「科学的な観点からしても君は足りない人間だし、皆はそういう、自分よりできることの少なそうな人間に手を差し伸べたいんだろうね」


 表面的、だね。足がないから歩けないし走れない、なら自分より劣っているじゃないか、って。


「同意見。僕は君より車椅子の操縦が下手だろうね。日本人は謙虚って言われるけど、あくまでそれは足し算の時だけな気がする」


 じっくりと、葉桜を見つめる。だんだんと、幹を這っていく虫や、枝に留まる鳥がくっきりしてくる。ふと、僕はただの風景に生命を見た。等しく強い光だった。一瞥したが、彼は分かっていないようだった。

 やがて、一羽の鳥――藍色の羽にお腹が赤っぽい、どこでかは覚えてないが頻繁に見かける鳥だ――が羽ばたき、青い空へと飛んでいった。隣の心が喪失感に傷つけられたことを、時を同じくして僕の心が汲み取った。


 ああ、そうだね。僕も実際、他の人みたいに走ってみたいと思ったことはあるよ。ただ、望めば翼が手に入るなんて、信じていたのはせいぜい幼稚園くらいまでだ。義足をつけたところで、砂に沈んでいく足、蹴飛ばしていく地面、その温度。自分の体が地球と接触して力を貰っていく感覚には程遠い。僕は走りたいんじゃなくて足が欲しかったんだ。多くの人はそれを聞いて、僕が人間になりたいんだと思って、協力してくれた。違う。僕がなりたかったのは、人間じゃなくて鳥なんだ。


「鳥になりたい、か。なれるわけがないじゃないか。そもそも、鳥になったところで、それは『鳥になった人間』であって『鳥』じゃない。まぁ、今は君も分かってるんだろうけどね」


 もちろん、昔はバカみたいなことを考えたものだよ。でも、夢を見ることに罪はない。


「そういえばつい最近、催眠術の特集をテレビでやってたっけ。催眠術、信じてる?」


 ちょっとだけ、かな。人間の思い込みには、よく驚かされているし。


「じゃあ催眠術かけてもらえば、歩けるかもな」


 確かに、ちょっと誰かにやってもらおうかな。でも、それって歩けないけど歩いてる気がする、ってだけになるんじゃない?


「それもそうだな……。自分が知らない感覚を呼び起こすのも難しそうだし」


 歩けそうには、ないね。


「しょうがないね」


 あーあ、残念。


 彼との会話は、なんでもない空気の中だった。話しても得られるものはない、そもそも話す予定のないことで、別に喋らずとも生きていける。でも、ふとなんでもない空気を感じ取ると、口を動かしたくなる。不必要な会話だからこそ、必要性が際立つ気がする。話題を喋っているようで、本当は喋っていないのかもしれない。そんな不安定な行動のまどろみが、どうしてか狂おしいほど求めている。誰かと喋っていることが大事で、そう思えれば夢であっても構わない。ただ心地がいい。


「鳥ってさ、」

 

「なんで空に向かって飛ぶんだと思う?」


 白昼夢の中、僕は自分が何を話しているのか、話そうとしているのかが分かっているか分からない。話の流れに関わらず、どこからか来たインスピレーションによって今思いついたことだった。投げかけられたぞんざいで曖昧な質問に、君は少しの逡巡のあとで答えようとする。それだけで、僕にとっては十分だった。答えようとしたことと、答えることに、もはや特別な境界はなくなっている。話さなくても分かる、なんて超能力者じみたことでは決してなく、ただ僕にとって君が話すと思えたことが、限りなく現実に肉薄しているだけだった。


「僕は、最初に空を見たからだと思うんだ。ほら、鳥って最初に見たものについていく習性があるって言うだろ。彼らは生まれてすぐに、どこまでも広くて、近いような気がするのに遠く、ずっと流れ続ける空を見たんだ。だから翼を生やして、頑張って飛んでいる。僕たちからすればそんな鳥も空の一部だけど、そんなことには気づくはずもなく、ただ上に向かって、羽ばたいてるんだ」


 空に憧憬を見て、努力唯一つで飛び立ち、自分が誰かにとっての「空」に到達しても、まだ上の空へと向かう。自分の目指した空はまだ上に広がっている、ここはまだ「空」なんかじゃない、そう盲信して、いつまでも届かぬ空へ馳せていく。それが鳥の一生。哀れではなく、それこそが鳥にとっての幸せなのだ。


「僕は、そう思うよ」


 君は知らぬ間に、僕の前から消えていた。

 八月十五日の出来事だった。

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サクラミ Toa @oAkaki

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