サイクロプスの眼〜その8
見覚えのある瓦礫の山を進む、一人称視点の映像が映し出された。
先頭を行く羽賀根のカメラがとらえたものだ。
昼夜の違いはあるが、私たちが日中に訪れたあの廃工場に間違いなかった。
揺らぐ懐中電灯の灯りと、人の微かな息使いが画面から確認できる。
「上から行くか」「いや、まずは一階だ」といったやり取りが聴こえる。
どうやら、羽賀根と風間の話し声のようだ。
合間に「ホントね」「怖いわ」と女性の声も入る。
こちらは鮎川香澄の声らしい。
その後も時折、三人の音声が流れた。
「行くぞ」という羽賀根の声と共に、カメラは女子トイレ内へと侵入した。
たちまち、例の白い粉塵が視界を遮る。
「いかにもって雰囲気だな」と言う羽賀根の声に続いて、視点が室内を一巡した。
ライトに照らされたそれは、私たちも見慣れた光景だった。
左右に三つずつ並んだ個室──
扉が半開きになった最奥の一室──
亀裂の入った天井──
垂れ下がった蛍光灯──
追従していた白いマスク姿の風間が頷く。
そして鞄から器材を取り出すと、羽賀根の前に進み出た。
映像はそのまま、定点カメラを設置する風間の後ろ姿をとらえていた。
不意に、風間が辺りを見回した。
背中越しからでも、かなり驚いているのが分かる。
そして
「どうした!?風間っ!」
羽賀根の叫び声と共に、映像が途絶える。
動画を観終えた後、暫しの沈黙が流れた。
どの顔にも、興奮と緊張と困惑の色が現れている。
「ご覧の通りだ」
やがて、沈黙を破るように羽賀根が口を開いた。
「怪物の姿は、どこにも映ってはいない。風間は、まるで発作を起こしたかのように突然倒れてしまった。僕も一瞬訳が分からず硬直したが、何とか気を取り直して彼を病院に運んだんだ」
眉をひそめ、伏し目がちに語る羽賀根。
その時の情景を思い出すのも辛そうだった。
「……分かりました」
しばらくして、私は抑揚を抑えた声で言った。
「確かに、風間さんの件を怪物の仕業とするのは無理があるようです。それが、この動画でよく理解できました」
それだけ告げると、私はメンバーの方を
皆、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
何か言いたいが、うまく言えない。
そんな顔だった。
「ありがとうございました。大変参考になりました」
私は事務的に礼を述べ、頭を下げた。
「いやいや、納得してもらえて良かったよ」
そう言って、羽賀根は片手を上げた。
その声に潜む嘲笑の響きを、私は見逃さなかった。
「失礼します」
揃って会釈した後、私たちは早々に退出した。
************
「全く、いつもながら強引ね」
【異常心理学研究会】の研究室に戻った途端、クイーンが声を上げる。
私が動画を観るため、羽賀根と駆け引きした事を言っているようだ。
「あれは『損失回避バイアス』の応用だ」
「またそれ!?どうせ、『あの人は問題の動画を観せるより、公開済みの動画を
すかさずクイーンがツッコむ。
そう言えば、以前にも同じ会話をした覚えがある。
「まあ、いいわ……それよりあの動画、どう思う?」
ため息をつくと、クイーンは話題を変えた。
「加工された可能性は高いな」
「やっぱそうだよね!羽賀根さんのあの態度、なんか引っ掛かるんだよなあ」
私の答えにかぶせて、ドイルがしたり顔で言い放つ。
「どうだ?クリス」
そう言って、私はうつむいて座るクリスに目を向けた。
少女は自分に集まる視線に気付くと、恥ずかしそうに口を開いた。
「……あの程度の映像であれば、編集加工はさほど難しくはありません。不要部分をトリミングし、必要部分を繋ぎ合わせるだけですから」
「つまり情報工学科の者であれば、【黒い影】など
クリスは一瞬、ハッとしたように目を見開いたが、すぐに小さく頷いた。
私の言葉の意味するところを、その場の全員が瞬時に理解した。
あの動画に手を加えたのが、他ならぬ羽賀根であるという事を──
そしてそれは、今回の事件に彼が深く関与している事を意味する。
「でもあれじゃ、あの動画から手掛かりを見つける事はできないね」
ドイルが椅子にのけ反りながら、悔しそうに呟く。
その言葉に誰も反論できぬまま、時間ばかりが過ぎていった。
************
メンバーが帰宅した後の研究室で、私はいつものように熟考の深淵に沈んでいた。
羽賀根が今回の一件の主犯と見て、まず間違いない。
廃墟に出没する怪異の噂を利用し、罠を仕掛け、風間を手にかけたのだ。
問題はその理由と方法だ。
方法については、あの女子トイレを見た時すでにイメージは浮かんでいた。
それが正解なら、自ら手を下さずとも風間に傷を負わす事ができるはずだ。
だが……それを立証するには、合理的な根拠がいる。
あの場に仕掛けが
頼みの綱である動画が改変された今、それを見つける事は可能だろうか。
さして価値の無いものに成り果てたあの映像に、そんなものが残っているだろうか。
……いや、待て!
先入観は推理の天敵だ。
色眼鏡で物を見る事は、自分の最も嫌悪するところではないか。
もっと
何か見落としていないかを……
何か……些細な事を……
私は閉じていた瞼を開けると、手元のノートパソコンを起動した。
画面に幾つかの写真を映し出す。
先日、廃工場へ調査に訪れた時に撮ったものだ。
「……これは!?」
女子トイレ内の風景を確認していた私の目が、一枚の写真にとまる。
「……そうか、そういう事か!」
私は思わず声を出して頷いた。
これまで見聞きした情報が、目まぐるしく脳内を駆け巡った。
暗闇の廃墟探索──
投影された黒い影──
風間の頭部損傷──
そして
サイクロプスの眼──
なるほど!
これで、あの女子トイレで起こった事は全て説明がつく。
だが……問題はその動機だ。
ヤツはなぜあんな事をしたんだ?
風間さんへの恨み?
なぜ、二度もあの廃工場を利用した?
恐らくそれは、風間さんが怪物の件を隠したがっている事と関係しているはずだ。
それは何だ!?
あの二人の間に、一体何があったんだ?
最後の疑問を解けぬもどかしさで、胸中が熱くなる。
その答えも、あの動画の中にあるだろうか?
私は目を閉じ、天井を
砂浜から宝石の貝殻を探すように、この事件の細部を再考してみる。
どのくらい、そうしていたか……
目を開けた私は、再びパソコンを操作した。
ネットを検索し、とある動画サイトを見つける。
『廃墟の謎を解け!』のタイトルを検索すると、幾つかのサムネイルが表示された。
私は、今回の事件以前の動画を選択した。
再生すると、見覚えのある顔が映し出された。
風間と羽賀根、それにロングヘアの華奢な女性──恐らくは鮎川香澄だろう──が、カメラに向かって喋っている。
風間がこれから行く廃墟の概略を説明し、他の二人が深妙な顔で相槌を打つ。
話終えた三人がカメラから外れると、背後に古びた家屋が姿を見せた。
どうやら、これから探索する廃墟らしい。
やがて三人は、それぞれ懐中電灯片手に、その中へと踏み込んで行った。
時折起こる不気味な物音や、不審な残留物を映しながら、ライトの灯りだけを頼りに前に進む。
約二十分ほどの映像は、結局具体的な怪異との遭遇無しに終了した。
慌ただしく画面を切り替え、別の日付の動画も視聴してみる。
場所は異なっているが、探索の様子は大体同じものだった。
私は、羽賀根に観せられた動画を、できる限り詳細に思い返してみた。
そして、それがある光景に至った瞬間、脳裏に落雷に似た衝撃が走った。
「まさか!?……そんな事が……」
私はすぐに、自らの思いつきを否定しようとした。
だが、ギリギリのところで何とか踏み止まる。
たとえどんなあり得ない事でも、合理的説明さえつけば、それはあり得る事に切り替わるのだ。
私はまだ、それを試していない。
それからしばらくの間、私は深い推理と考察の海に身を委ねた。
これまで見聞きした情報と、体験した事象を、一つ一つ脳内のフィルムに焼き付けていく。
そうして完成した映像を、瞼の裏のスクリーンに投影してみた。
「……やはり、それしか考えられない」
やがて目を開け、現実に戻った私は携帯を手にした。
ゆっくり息を整えてから、電話をかける。
やがて、女性の返答する声が聴こえた。
私は静かに口を開いた。
「クイーンか。調べてほしい事がある……」
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